アフリカ/ハルツーム
この連載をはじめて少したったころ(6月17日)、わたしがよく読むネット掲示板「海外の万国反応記」に、なんでも聞いてくれというスーダン人のスレッドが立った(この画像は本人確認のパスポート写真つき)。
このブログのアフリカ紀行にも参考になるやりとりがあるので、そのいくつかをピックアップすると
Q=スーダンと南スーダンの間では何が起きてるんだ A=特になにも起きてないよ
Q=スーダンの状況ってどんな感じなの A=多分エジプトと変わらない
Q=外国人が知らないスーダンのことを教えてくれ A=アラブ諸国の中でいちばん差別的だ
Q=スーダン人は自分をアラブ人だと思ってんのか A=スーダンは多民族国家だぞ
Q=どうして東アフリカの人は、オレたちは西アフリカほど肌は黒くないと主張したがるんだい A=本当のことだからさ
Q=スーダンに移住したいけど、そっちの暮らしはどうなんだ A=こっちには来るな! 行くならチュニジアかモロッコのほうがいい
自分の国をけなす人間はどこにでもいるけど、どうも観光で行こうって気になれない国みたいだねえ。
ビザが下りたのでセローはスーダンへ向かった。
といっても国境は閉鎖されてたから、列車やバスは使えず、彼は首都のハルツームまで飛行機で飛んだのである。
出発まえに念のため、彼はアメリカ国防省が公開している渡航情報を読んでみた。
彼が行ったころのスーダンの治安状況は、この情報に尽きる。
『アメリカ人はスーダンの治安部隊に拘束されるおそれがあります』
『予測不可能な現地の運転作法、道路封鎖、継続する内戦に加え、大雨が降ってスーダン全土が洪水中です』
『マラリア、腸チフス、胃腸炎など、なま水に注意してください』
セローがスーダンに行くまえには、世界の警察を自任するアメリカが、ハルツームの工業地帯に爆弾を落としていた。
やっぱりアメリカ人のセローにはそうとうに物騒なところみたいだ。
飛行機のなかでセローは美しい黒人女性を見た。
となりに座っていた男が、いい女だ、ああいうのはきっと割礼をしてるに違いないという。
日本人はあまり知らないけど、世界には女性が割礼(FGM)をする国がたくさんある。
わたしはその風習のことも、それが危険だということで国際的に問題になっていることも多少は知っていた。
だから中国新疆のトルファンに行ったとき、ホテルの目のまえのレストランで男の子の割礼祝いをしているのを見て、あれえ、割礼って女がするもんじゃないのかと驚いたのである。
じつは割礼は男もするし、日本では包茎手術といって、これはまあ、けっこう多いと聞く。
問題は女のほうで、割礼をすませると、女性は感度がよくなって淫蕩になるという説と、逆に感度がにぶくなって貞淑になるという見方があるらしい。
セローの本を読んでもそのへんのところはわからない。
ただセローはハルツームに到着したあとも、街で出会った黒人女性の美しさに見とれているから、彼には黒人フェチのようなちょっと変わった趣味があったのかもしれない。
それで思いついて調べてみたら、彼は1993年に、26年間も連れそった妻と別れてアジア系の女性と再婚していた。
やっぱりマイノリティのほうが性に合うみたいだ。
そういうアメリカ人はおうおうにいるもので、俳優で白人のマーロン・ブランドやニコラス・ケイジも、相手に不自由しないはずなのに、見つけてくるのは異人種の女性ばかりだった。
なんかのコンプレックスをかかえていたのかもしれない。
すぐに脱線するな、このブログ。
首都ハルツームはこの写真にあるような、アフリカの大都会である(ずんぐりした鉛筆みたいな建物は、この街のランドマーク・タワーであるコリンティア・ホテル)。
内紛で国が南北に分裂しなければ、スーダンの領土はアフリカで最大だったという。
わたしはハルツームという名前を聞いてチャールトン・ヘストンのことを思い出した。
ハリウッドの大作専門俳優とハルツームになんの関係があるのか。
セローの本によると、ここは英国の植民地だったころ、土地の部族の反乱に遇って、チャールズ・ゴードン将軍が戦死したところだそうだ。
それで思い出したけど、ハルツームは英語で Khartoum だから、わたしが若いころ観た「カーツーム」という映画の舞台がここじゃないか。
その映画の主人公が、たしかヘストン演じるゴードン将軍で、最後に反乱軍のまえで立派な演説でもぶつかと思ったら、槍を投げられてあっけなく死んでしまうというつまらない映画だった。
この映画には後日談があって、ゴードン将軍の甥にあたる軍人が、叔父の仇だとばかり復讐戦に乗り出して、スーダン人の大殺戮をしたそうである。
このあたりを推察すると、英国にはアフリカの土人ごときになめられてたまるかという差別意識があったみたいで、もしもこのあとに日本という国が台頭しなかったら、MBLの大谷翔平が登場するまで、ほんとうに世界は白人至上主義で固まっていたかもしれない。
歴史をくわしく調べてみれば、日本軍の南京事変がカワイイくらい、英国の植民地は血で塗りたくられているのである。
街へ出て(ネット上でということである)、わたしも美しいスーダン女性を探してみた。
一般的なスーダン人のフアッションはこういうものだ。
はだかの黒人が腰ミノひとつで槍を持って走りまわっていると思う人はいないだろうけど(それはポリネシアやミクロネシア)、男女ともこんなふうなぞろりとした布を巻きつけているスタイルが多い。
と思っていたけど、ネットで探してみると、ハルツームにかぎれば、じつはいちばん多いのは洋風のシャツにズボンで、この国もとっくにグローバル化の餌食になっていた。
若者たちはもちろん、メイド・イン・チャイナのジーンズにTシャツだ。
セローが旅をしたのは2001年で、その10年後にスーダンは南北に分裂した。
分裂にいたる歴史を要領よく説明するのは至難のわざなんだけど、しいていえば北部はイスラムを信じ、それを信じない南部の勢力との対立という、よくある図式が基本にあると思えばいいんじゃないか。
セローはあとでこの国の重要な政治家であるサディク・アル=マフディーに招かれて、彼の自宅で対談する。
マフディーは前述のチャールトン・ヘストン、いやチャールズ・ゴードン将軍を殺した反乱軍の親分のひい孫で、80年代の末に首相を務めた人物だったけど、このころは政権を失って引退同様の生活を送っていた。
当事国の政治家をまえにして、その国の政治についてゴタゴタいうほどセローも野暮ではないから、対談は相手のご高説を引用するぐらいで終わっている。
この政治家は2020年にコロナ・ウイルスで亡くなったそうである。
セローはオムドゥルマンという、ハルツームの旧市街にあたる場所でダルウィーシュを見物する。
ダルウィーシュというのは、わたしがイスタンブールで見たことのある、メヴレヴィー教団のセマーのような宗教儀式らしい。
鐘や太鼓で歌い踊り狂い、神さまに身もこころも従属することで陶酔感を得るという、わたしみたいな無神論者からすればカルトとしか思えない儀式である。
そういえば以前テレビで観た米国のゴスペル教会も、牧師さんやコーラス部隊が同じようないでたちで、興がのると失神者まで出るほどの熱狂ぶりになっていた。
あれってルーツはスーダンにあったのか。
オムドゥルマンの市場は、行商人や旅人、大道芸人、詐欺師、スーツの都会人、民俗服のアフリカ人が一堂に会するところだと、セローがえらく感心しているから、最後にまた市場を見てみよう。
残念ながら大道芸人や詐欺師の写真は見つからなかった。
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