アフリカ/ラスタファリアン
アディスアベバにもどったポール・セローは、つぎの目的地ケニアについて調べてみた。
これまでもろくな道じゃなかったけど、どうもますますひどい道になるみたいで、会う人、会う人、みんなあんな危険なところへ行くべきじゃないという。
ライオンに食われるとか、ゾウに踏みつぶされるというわけじゃなく、ナントカ族やカントカ族というような山賊・強盗が出没する土地だからという理由だった。
セローの文章には部族について具体的な名前が出てくるけど、わたしがそれを正直に書かないのは、どうせわたしにはアフリカ人の部族なんかわかりっこないからだ。
エチオピアからケニアには鉄道は通じてないのだろうか。
鉄道があれば、今回のセローはエジプトでもそれを利用しているのだから、のんびり本でも読みつつ、車窓の景色を楽しみながら行けるのに。
鉄道について調べてみたら、セシル・ローズという、男なのか女なのか、名前だけではわからない人物の名前が出てきた。
この人物はアフリカ最南端のケープタウンからエジプトまで、アフリカ大陸を縦断する鉄道を引こうとした気宇壮大な男だった。
しかしそんなロマンチックなことよりも、南アフリカでダイヤモンド鉱山や金鉱山の利権を一手ににぎり、人種差別で名高いアパルトヘイトの原型を作った男という悪評のほうが有名だ。
植民地時代、あるいは開発の初期にはよくこういう豪傑があらわれるものである。
彼は48歳で早世したので、その夢は後継者たち(最近の中国も含まれる)によって、少なくともケープタウンからケニアのナイロビまでは完成した。
これでもアフリカ大陸の半分くらいは鉄道で縦走できることになったわけだ。
しかし残念ことに、いまセローがいるアディスアベバからナイロビまでの鉄道はまだ開通してなかったし、その予定もないようだった。
とりあえずケニアの入国ビザが要る。
セローはケニア大使館に行って、受付のナントカ族の女の子にゴマをすってみたけど、またここで待たされることになる。
ヒマをもてあましたセローは、アディスアベバ市内をうろついて時間をつぶすことにした。
ある骨董屋に入ったら、店の女性と客の中国人が象牙をめぐって、まけろ、まけないと言い争っていた(ちなみにこの値引き交渉は中国人の負け)。
象牙はセローが旅をしたころ、すでにワシントン条約の取り引き禁止商品だったけど、闇で売買されており、エチオピアでもこれを扱う店は普通にあったそうだ。
ここでセローは各国の外交官たちが、外交官特権を使って密輸に手を染め、金儲けをしている実態を皮肉る。
貧乏性のわたしは一文にもならないブログを書くのがせいぜいだけど、人間エラくなると、ほんとに金儲けの種はあちこちに転がっているものらしい。
アメリカ大使館の広報係は、若いころフィリピンの平和部隊で働き、そこでフィリピン妻をもらい、その後は世界を放浪してきたという、セローに似た人生を歩んできた男だった。
彼の紹介で4人のエチオピア人と食事をすることになる。
4人とも前科持ちだった。
といっても全員が政治犯で、しかも理由もわからず投獄された人もいた。
彼らに囚人時代の苦労話を聞いているうち、「ラスタファリアン」という言葉が出てきた。
これはエチオピア皇帝を神としてうやまう人たちのことだそうで、日本人には縁がないばかりか、ほとんど聞いたこともない言葉だ。
セローはこの言葉に興味を持って、つぎの訪問先でこの主義者を探しまわる。
ようやくケニアのビザが取れた。
問題は危険がいっぱいで、バスも走っていない道を、どうやって国境まで行くかだ。
飛行機を使えばかんたんだけど、それでは安直すぎるので、セローは知り合いから、商売でしょっちゅう砂漠を往復しているトラック運転手を紹介された。
乗り心地はわるいけど、運転手は道に熟知しているから、これならなんとか無事に国境まで行けるだろう。
こうしてポール・セローは、おんぼろトラックに便乗して、800キロ彼方のケニアの国境を目指すことになった。
アディスアベバを出発すると、まもなく湖がいくつか並んでいる。
景色を見たいけど、ストリートビューはほとんどカバーしておらず、湖のうちのひとつ、ランガノ湖のわきでようやく発見したのがこの画像だ。
ん、あまりアフリカらしくないね。
トラックはシャシェメーネという町に寄った。
ここはラスタファリアンにとっていわくつきの町だったので、セローは彼らに会って話を聞くことにした。
いわくというのはこういうことである。
ハイレ・セラシエ皇帝は世界中に散らばっているラスタファリアン、つまり自分を崇拝する者たちに、エチオピアに永住すれば土地を与えると約束したのだそうだ。
イスラエルがユダヤ人に約束された土地だとすれば、シャシェメーネはラスタファリアンに約束された土地だったのだ。
そういうわけでこの町には、ラスタファリアンとエチオピアを象徴する赤・黄・緑の帽子や衣装を身に着けた人が多かった。
それにしたって、北朝鮮の盲目的崇拝者にどうして正恩クンが好きなんですかと訊くようなもので、そんな話に価値があるとも思えないけど、なんでセローはラスタファリアンに関心を持つのだろう。
じつは日本の天皇が日本の歴史と切り離せないように、エチオピアの皇帝とエチオピアの歴史は切り離せないものだったのだ。
ハイレ・セラシエ皇帝はソロモンとシバの女王の末裔であると、本気で信じているエチオピア人も多いそうで、セローはこういう無知蒙昧といっていい人たちの心理を研究しようと思ったのかもしれない。
しかし個人崇拝なんてものが本質的にきらいなセローにとって、ラスタファリアンというのはカルト信者と変わらなかったようだ。
彼らのひとりは地球の終末日を予想していた。
その日はもう過ぎましたよとセローがいうと、いや、エチオピア暦は西洋のものより遅れているから、これからです、6年後に終末がきますと相手はいう。
セローの旅は20年もまえのことだから、6年後のその日もとっくに過ぎたけど、彼らはいまでもそんなネゴトをこいているのだろうか。
ニワトリのように絞め殺されたセレシエ皇帝の遺骸は、その後発掘されて、現在はべつの場所に葬り直されたそうである。
ディラ、ヤベロ、メガ、モヤレ、国境までに小さな町や村がつぎつぎと現れる。
セローは途中で何泊かしたけど、いずれも泊まったのは貧相なホテルばかりなので、ストリートビューで探してみることは最初からあきらめた。
ディラ(国境まで420キロ)という町で泊まったホテルの名前がわかっているけど、不潔でエアコンもなく、いやな臭いのする部屋が一泊12ドルというので、そんなところがストリートビューに載っているはずはない。
ここで日本人と出会ったけど、彼は無線機器を設置する技術者で、ぜんぜん本を読まない人間らしく、セローに腹のなかで馬鹿野郎呼ばわりされていた。
つぎはメガという町の近くで見つけた不思議なクレーター。
ひとつではなく、このあたりにいくつかまとまっているから、落下した隕石穴というより火山の噴火口跡ではないか。
そういえばこのあたりには大むかしの地殻変動のなごりである「大地溝帯」が走っているな。
国境の町モヤレでトラックとはお別れである。
数日間行動を共にした運転手とその助手とは、自然と友情のようなものが生じて、お互いに別れるのがつらかった。
しかしセローは国境を越えてさらに南下しなければいけないのである。
ケニアに入ってからのセローにはなんのあてもなかった。
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