アフリカ/アディスアベバ
ランボーという詩人がいる。
スタローンの映画とは関係なく、たしかミュージシャンのみなみらんぼうサンの名付け親だったような・・・・
でたらめはさておいて、わたしは外国の詩人というのがどうも苦手で、というのはわたしの場合、外国の詩はどうしても翻訳者を介して読むことになる。
詩というデリケートなものは、それだけてオリジナルとは異質なものになってしまうような気がするのである。
ランボーの詩は叛逆の詩というから、わたしみたいな偏屈にぴったりと思うんだけど、そういうわけでいちども読んだことがない。
日本人の詩なら萩原朔太郎や中原中也などもたくさん読んでいるんだけどね。
ポール・セローのアフリカ紀行「ダーク・スター・サファリ」を、エチオピアまで読み進んだら、ランボーの名前が出てきた。
しかも詩人らしからぬ予想もしないかたちで。
彼の経歴も今回セローの本を読んではじめて知ったんだけど、早熟の天才といわれた彼は、若くして文学界の寵児になったあと、詩を放り出してアフリカに渡り、エチオピアで商売を始め、なんと武器商人になって現地人にライフルまで販売したという。
しかもこのライフルが、エチオピアを植民地にしようとしたイタリアの野望をくじくことになったのだそうだ。
いろいろ変転きわまりない人生を送った人みたいで、おもしろいけど、わたしたちが期待する詩人のようではない。
わたしも知り合いから分裂症と思われているらしいから、これからはランボーをひきあいに出して、多面性こそ詩人のあるべきすがたと抵抗することにする。
ハルツームで政治家のサディク・アル・マフディーと対談したセローは、晴れ晴れとした気分でエチオピアにやってきた。
晴れ晴れというからたぶん飛行機で飛んできたのだろう。
それで画像はまずエチオピア全図と、首都アディスアベバの空港から。
エチオピアというと、わたしの世代では東京オリンピックのマラソンで優勝したアベベ選手が思い出される。
三位に入賞した日本の円谷選手が、ゴールしたとき息も絶え絶えだったのに比べ、ゴールで一回転してみせるほど余裕があった人である。
セローのアディスアベバの印象はわるい。
もうコテコテに汚い街だったそうだ。
どれどれとストリートビューをのぞいてみる。
街の中心部を見るかぎり、日本の地方都市とたいして変わらない大きな街だ。
しかしセローが汚いというのだから、汚いところも探さなければならないと、あいかわらずナントカのわたしは郊外もながめてみた。
もうついでに人の家の庭まで入ってしまったのだ。
汚いというか、第三世界の雰囲気はたしかにある。
エチオピアはアフリカにしてはめずらしく、古い時代から独自の文字が使用されていて、そのために自国の歴史を記録することができた。
国民の誇りは現存するアフリカ最古の独立国ということで、ヨーロッパが野蛮人の巣窟だったころから、自分たちはキリスト教徒だったということだそうだ。
日本の皇室より古いのかと訊く人がいるかもしれないけど、あっちは紀元前1000年以上まえの、ギリシャ神話のトロイ戦役でも、当時の王がわざわざトロイア(現代のトルコ)にまで援軍を送ったとあるから、とっても比較にはならない。
さらに中東に近いアフリカとしてはめずらしく、イスラムの浸透も拒否して、いまでもモスクより正教会のほうが多いのである。
第二次世界大戦では、とにかくイタリア側でなければどっちでもいいという事情があって、連合国側に所属した(その事情はあとで述べる)。
大戦のあと皇帝ハイレ・セラシエは、ソ連と中国を天秤にかけるような政治していたけど、社会主義(を標榜する)革命が起こって、帝政は打倒され、皇帝は部下の将校にニワトリのように絞め殺された。
絞められたとき83歳だったというから無慈悲なことをしたものだけど、このへんは粛清の大先輩であるロシア軍事顧問団のアドバイスがあったらしい。
この写真は権勢を誇っていたころのセラシエ皇帝と、彼の忠実な部下たち。
そういえばマラソンのアベベ選手も、本業はこの皇帝の親衛隊員だったっけ。
帝政が打倒されたあと、しばらくは社会主義政権が続いたけど、アフリカではだれが政権を担っても、たいていは独裁政権になるのがフツーだから、また革命が起こって政権がひっくり返った。
現代のエチオピアは、ひとり勝ちの中国にしがみつき、中国の資本が怒涛のように流れ込んでいるらしい。
中国の一帯一路政策を心配する人もいるけど、つぎの革命が起これば、エチオピアはそんな債務はみんな踏み倒すに決まっている。
街を散策していたセローが、エチオピア人の主婦に話を聞くと、社会主義の時代にはキューバの兵隊さんがたくさんいて、わたしたちはみんな彼らが好きだったのよという。
子供をつくったヒトもいたんですかと、セローはつかぬことまで訊く。
もちろんよという返事だから、エチオピア人とウマが合うのはキューバ人らしい。
キューバ人のなかにはアフリカを故国にする者、つまり先祖が奴隷として海を越えてきた者もたくさんいただろうし。
中国人はどこまでいっても人気がないようだ。
セローのエチオピアでの目標は、列車でディレダワという街まで出て、そこからバスでハラールという城郭都市に行くことだった。
なんでもハラールは気位の高い美男美女が多いところだそうで、これでは期待がいやがうえにも増してしまうけど、そのまえにまず列車に乗らなければならない。
エチオピアに鉄道なんてあんのか。
調べてみたら、1900年代のはじめにスイス人が敷いた鉄道があるにはあったけど、セローがみたところ、列車はアウシュビッツ行きの囚人列車みたいで、ホテルの支配人の話では、人気がないから切符はいつでも取れますヨとのこと。
この写真はセローがながめたころの旧駅舎と、2016年に中国の協力で開通した新型車両と、アフリカらしからぬ新しい駅舎。
新しくなったから切符が買えなくなったかどうかはわからない。
つぎの画像はテレビ番組をキャプチャーしたものだけど、アディスアベバで見かけた女性たちで、気位の高い美女というのは彼女らのことかもしれない。
この鉄道はエチオピアからジブチ共和国までを結んでいる。
ジブチはセローの旅に出てこないから、どうでもいいんだけど、そこについて触れたセローの文章のなかに、ちと気になる個所が。
ジブチは少しまえまでフランスの植民地だった国で、このころまだフランス兵が駐留していた。
そのせいで児童買春でも有名だと書いてある。
たしかに映画「レオン」や、コミック「Hypocrite」を見ればわかるように、わたしはむかしからフランスの映画・コミックに登場するヒロインたちが、米国みたいなマッチョ・ガールではなく、どこか幼い少女の雰囲気をただよわせているのが気になっていた。
どうもフランス人というのは自他ともに認めるロリコンであるようだ。
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