白熱教室
録画しておいたマイケル・サンデル教授の「白熱教室」を観た。
ずっと以前にもこの教授の番組が放映されたことがあるけど、そのときは12回分がまとめて放映されたので、量が多すぎてじっくり観られなかった記憶がある。
今回はひさしぶりで、1回だけの放映(100分)だから、このくらい間隔を空けてくれると観るほうには都合がいい。
あいかわらずテーマは「公平」ということで、今回のテーマは日本(東大と慶応)と米国(ハーバード)、中国(清華大)の名門大学の俊英・才媛をそれぞれ6人ずつ集めて、あなたがその大学に入れたのは努力のたまものだったのか、それとも家庭が裕福だったりした幸運のせいかと尋ねる。
じっさいにデータをみると、日本と米国では名門大学に、裕福な家庭の子女の割合が多いことがはっきりする。
中国の場合はデータがないというけど、優遇のある農村や少数民族を差し引くと、やはり都会出身者の割合がずっと多いらしい。
模範的な返事ばかりの中国の大学生が気になるのは、やっぱりいまの中国じゃエリートが本心をべらべらしゃべれないのだろう。
これを観ていていちばんおもしろかったのが、上記の設問の答えが日本と中国でまったく逆だったこと。
日本の学生は全員が幸運だったからと答え、中国の学生は多くが努力のたまものですと答えていた。
わたしはこれこそ中国人の思考を端的に物語るものと思う。
日本の学生だって本心はどう考えているかわからないけど、少なくとも人前でそんなことをいわないだけの謙虚さがあるのに比べ、中国では自分が夜も寝ないで勉強したせいだと堂々と答える。
ガリ勉をしたのは当人だけじゃあるまいに、こういう人間が将来の国政を担うとしたら、中国はまぎれもなくアメリカ型の格差社会になる。
挫折した(挫折しかかっている)米国の社会実験を、中国が引き継いでいくことになるんじゃないか。
わたしはつねづね米国というのは、いろんな意味で実験中の国だと思っていた。
たとえば資本主義をとことん放置しておくと格差はどのくらい広がるか、国民皆保険がないと国民はケガや病気にどう対処するのか、銃器が野放しだと治安はどうなるのかなんてことである。
この実験は挫折しようとしている。
原因は、それでも米国にはまだ良識や謙虚さを残した人間が一定数はいて、行きつくところまで行くことをかろうじて抑えているからだ。
その実験を中国が引き継ぐとしたら、結果はどうなるだろう。
自分は努力したからエラくなったんだ、おまえは努力しないからいつまでも底辺なんだという考えが主流の国はおそろしい。
同情も哀れみもなく、強い者のすべて取りという社会、中国はもともとそういう傾向のある国なのだということは、第二次世界大戦まえの上海などにすでにその兆候が現れていた。
いまやIT時代だ。
監視社会だとよくいわれる中国だけど、日本だって強盗でもアテ逃げでも、カメラの映像を追いかけるだけですぐ捕まる。
問題はわたしたちを見張るカメラにあるわけじゃなく、IT技術がますます発達して、それが完璧なものになり、ほんのひとにぎりの階層の地位ががっちりと固定されることだ。
これこそ現在のアメリカの有産階級が夢見ている社会じゃないか。
わたしが日本に生まれたことはほんとうに幸運だった。
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