アフリカ/マサイとハンター
マルサビットでセローは、旅行者を乗せてアフリカを縦断するトラックをつかまえた。
わたしが持っているテレビ番組コレクションの中の「アフリカ縦断114日」に、同じようにバックパッカーなどを乗せて不定期に走っている観光バスが出てくる。
この画像はネットで見つけたものだけど、こういう車はけっこうあるらしい。
セローがつかまえた車にも若いバックパッカーたちが乗り込んでいて、喘息もちの娘や、いつも縁起ではないことばかりつぶやいている変人のカナダ人と、ほかに護衛の兵士もいて、客の総勢は12人だった。
喘息もちの娘はとちゅうで発作をおこして同乗の娘たちに看病されていた。
他人への迷惑というより、わたしはこういう娘でも探求心にもえて、過酷なアフリカの旅に参加することに尊敬の念をおぼえてしまう。
現在はマルサビットからつぎの目的地ライサミスまで、ストリートビューで見るとこんなに立派な道路が出来ていた。
セローにいわせると、まともな道路は現地人のためのものではなく、欧米の観光客のためのものだというから、アフリカ縦断鉄道を敷こうとしたセシル・ローズの夢は、鉄道ではなく道路というかたちで達成されたのかもしれない。
セローの本にはやたらにいろんな部族名が出てきて、無知なわたしを閉口させるけど、ケニアといったら有名なマサイ族の本拠地だ。
部族はたくさんあるのに、どうしてマサイ族だけが有名なのだろうと考えて、子供のころ読んだ山川惣治の「少年ケニア」という絵物語を思い出した。
わたしもめちゃくちゃ愛読した本だけど、まだ外国の情報が少なかった時代に、上半身に布をひっかぶったマサイ族の衣装や、長い刃をもつ槍などを正確に描いた絵に、いま考えるとつくづくおどろいてしまう。
わたしの世代でマサイ族を知らない人がいないとしたら、この物語によるところが大きいんじゃないか。
最近はジャンプばかりして喜んでいるようだけど、かっての彼らは槍一本でライオンとも闘う勇猛な人々だったのだ。
もっとあとになって「ハタリ!」というアメリカ映画を観ていたら、ここにもマサイ族が出てきた。
この映画は猛獣を捕獲して動物園に卸す男たちの物語で、映画のなかでヒロインがお風呂に入っているとき、となりの部屋からチーターがあらわれて、キャー! 喰われるーと悲鳴をあげるシーンがあるけど、じつはチーターは人に慣れやすいおとなしい動物だ。
むやみやたらに動物を殺す映画ではないところは監督のハワード・ホークスの良識だけど、ケニアはむかしから狩猟旅行の目的地として有名だったところで、セローの本には趣味や道楽で動物を殺すハンターたちのことが出てくる。
作家のヘミングウェイや米国の26代大統領のルーズベルト、ニクソン時代の閣僚モーリス・スタンス、そのほか大物ハンターとして有名だったウィリアム・フォーラン、R・J・カニンガム、フレデリック・セルーなどが、いい気になって野生動物を殺しまくった。
おかげで野生動物のなかにはそのまま絶滅してしまったものもいたくらいだ。
そういう時代だったのだと、彼らを弁護する気にはなれない。
安全な場所から高性能の銃で撃つのだから、どう考えたってフェアじゃないし、いつの時代だって罪のない動物を殺すのは “カワイソウ” という意識が働くべきだと思うから。
しかし残念なことに、本格的な産業のほとんどないアフリカには、ハンターたちの落とす金を有力な財源にしている国がたくさんあったのだ。
最新のナショナル・ジオグラフィック(2021.7)にケニアの事情が出ていた。
最近では北部放牧地トラスト(NRT)という組織が、住人の土地を借り上げて住民参加型の野生動物保護区にし、住人に環境と野生動物の保護をやらせ、見返りに公共サービスや報酬を与えるという運動をしているそうだ。
財源にはサファリ観光の収入を充てているらしいけど、セローの旅から20年も経った現在では、やたらに動物を狩ったりせず、持続可能な繁栄(SDGS)を目指すことがトレンドになっていて、状況はじょじょに好転しているようである。
もっとも観光収入に頼りすぎたおかげで、コロナウイルスの影響で観光客が激減すると、せっかくの運動がもとの黙阿弥になりかけているとか。
困っているのは世界のどこもいっしょ、ま、頑張ってとしかいいようがない。
ライサミスに着いた。
ここにはレンディーレ族という派手な服装の部族が多いそうで、女性はごらんのとおり、美人というだけではなく幸せそうでもある。
セローの知っているケニアは、とにかく貧しかったらしいけど、ひょっとすると彼の旅のあとで、援助活動が農業支援などのかたちで軌道に乗ってきたのかも。
それはともかく道路以外をながめても、ひろびろとした平野に民家が点在して、なかなか住みやすそうなところに見える。
これで国が平和で、もうちっと日差しが弱くて、まわりにライオンやヒョウがいないことを保証してくれるなら、わたしでも永住したいところだ。
ここに載せた4枚の写真はサファリ・ツアーのもので、あとの2枚は有名な旅行サイトTripAdvisor の広告写真。
わが社にまかせてくれればこんな楽しいサファリ旅行ができますという宣伝写真。
ナチュラリストのセローはここでバードウォッチングをしていた。
木の枝にふら下がったヤドリギのようなものは、サバンナに多いハタオリドリの巣で、つぎはセローも見た青いきれいなツキノワテリムク。
テリムクの“ムク”は椋、ようするにムクドリ(椋鳥)の仲間で、日本では夕方に大群で飛ぶめずらしくない鳥だけど、こんなにきれいではない。
つぎの目的地アーチャーズ・ポスト が近づくと、道路の右側に南米のギアナ高地のような巨大な山塊が見えてくる。
これはオロロクェ山というらしく、トレッキングルートがあるならのぞいてみようかと思ったけど、残念ながらストリートビューでは、ふもとの幹線道路しかヒットしなかった。
アーチャーズ・ポストの手前でまた車が故障した。
ここには軍の検問所があるので強盗の心配はないけれど、車は板バネ3枚を交換する大修理になってしまった。
やはりセローが旅をしたころは、まだ立派な舗装道路はなく、車もタイヤもものすごいポンコツだったのだろう。
だいぶ修理に時間がかかりそうなので、そのあいだセローは近くの村に出かけて、ヘレンという気のいい現地人女性に、ツアー客全員分の食事を作ってもらうことにした(この写真の女性は関係ない別人)。
彼女は村のゴスペル教会で働いていて、セローは近所で買ったビールを飲みながら世間話をしたというから、まるっきりの原始部落というわけじゃなく、コンビニぐらいあったかもしれない。
そのうち日が暮れる。
このアフリカの小さな村で、現地人の女性と語り合いながら、のんびりと料理ができるのを待っているのは、至福の時間だったとセローは書く。
『日没後の茜色の夕映えの中で腰をおろし、イモの皮を向きながら話をするのが好きだ』
『日中の猛暑が去った空気は穏やかで、炎がゆらめき、鶏肉とジャガイモのいい匂いが漂うなか、あちこちで子供たちがふざけあっている』
そのうち援助活動家の車が通りかかったので、セローはまた同乗させてくれないかと頼んでみた。
後部座席が空いているにもかかわらず、しかも相手は同じアメリカ人だったのに、無視して行かれてしまった。
ちくしょうめ、あんたらがこの先のなにもないところでエンコしても、ぜったいに助けてやらんからなと、セローは背後から憎まれ口をたたく。
アメリカ人がみんなセローの本を読んでいるとはかぎらないようだ。
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