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2021年8月

2021年8月31日 (火)

カシュガル追伸

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ちょっとしつこいけど、先日わたしの中国人の知り合いが送ってきた写真のなかに、みおぼえのある景色があったので、追伸しておこう。
まず最初の2枚は、カシュガル市内にあるモスクで、上はわたしが2000年の6月に撮ったもの。
当時のわたしはたんに清真寺(モスク)と呼んでいたけど、調べてみたら「エイティガールモスク」というそうだ。
わたしが行ったときは、このモスクのまわりは屋台がたくさん出て、縁日みたいなにぎわいだったけど、2020年の写真で見ると、周辺はきちんと整備されて、縁日も禁止のように見える。

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つぎの4枚は、香妃というウイグルのお姫様を記念する墓地だけど、わたしがいちばんおどろいたのはココ。
わたしが行ったときは建物の外壁のタイルがはがれかかっていて、遠目にはきれいだけど、近くで見るとだらしないと思ったおぼえがある。
それがいまでは中世ヨーロッパのどこかの庭園のように美しく整備されている。
わたしの知り合いは建物の中までは行かなかったそうで、ここに載せたのは1枚目がわたしが撮ったもの、2枚目は知り合いが撮ったもので、あとの2枚はネットで見つけた香妃園だ。
この墓所の境内にお粗末な博物館があって、ミイラが展示されていた。
案内係りのウイグル女性は、わたしが日本人だとわかるととたんに愛想がよくなり、あとから来た中国人には露骨にイヤな顔をしていた。
4枚目は香妃園で行われているショーで、いろんな民族服が揃っている。
中国政府は少数民族を束ねようと必死なのだ。

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以上ふたつがわたしも見たことのある場所で、最後の1枚は、ウイグル人に焼き物を習う回族の女性とのこと。
世の中が平和でなければ、こういう勉強をしようという人はあらわれまい。

刚才我浏览了你的博客,时间不对,我给你的信件中,从“喀什葛尔老城”以后的19封信件里的照片都是今年的2021年拍摄的,现在的喀什葛尔,不是2020年拍的。
知り合いから連絡があって、カシュガルの写真は、正しくは今年(2021年)のものだそうだ。

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2021年8月30日 (月)

草の行方

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日曜日は休んだから、今日で草むしりも5日目。
むしった草はどうすればいいかと悩みつつ、近所を自転車でうろうろしていたら、たまたま公園でシルバー人材センターから派遣されたおじさんが清掃作業をしていた。
集めた草や枯葉はどう処理してるんですかと訊くと、うちらは人材センターから袋をもらってきて、それに詰めこんで、所定の日に可燃物として出しますとのこと。
袋ねえ、わたしは人材センターに属してないから、そこでもらうわけにはいかないしとぼやくと、団地なら管理事務所に置いてあるんじゃないですかという。
そのまま管理事務所に寄って、これこれしかじかと説明したら、向こうもタダで草むしりをしてもらえるなんてほんとキトクな人と思ったのか、特大のゴミ袋を5枚もくれた。
あとはまた必要になったらいくらでもいってくださいと気前がよい。

よしよし、これでむしった草の処分は目安がついた。
わたしの夢は、春はシバザクラ、夏はマツバボタンやオニユリ、秋はコスモス(あわいピンクがいい)やヒガンバナを満開にさせること。
志なかばにして、手塩にかけた花壇を放置していかざるを得なかった6号棟さんの無念さを晴らすべく、明日も頑張ろう。
てもわたしって、園芸なんてこの歳で初めてするもんで、草むしりぐらいはできるけど、花を育てるのは手探りだ。
花咲かじいさんの道はまだまだ遠い。

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2021年8月29日 (日)

カシュガル

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わたしの中国人の知り合いはものを知らない。
この写真に写っているのは、日本でもよく知られているトルコ料理のケバブ(ドネルケバブ)である。
蘭州生まれのきっすいの漢族である彼女は、これは肉を削って食べるもので、ロシアにもあります、映像を見たことがあるから間違いありませんなんてメールに書いてきた。
ケバブは日本にもあるぞ、最近の日本にはトルコ人も多いからなと教えてやるつもりだけど、食は中国にありの中国人にしてはうかつなことだ。

この知り合いが新疆ウイグル自治区の最新の写真をどさどさ送ってきた。
最新といっても2019年から2020年にかけてのものだから、いちゃもんをつけたい人はつけてもかまわない。
これらの写真をじっと見てみよう。
ここんところバイデンさんに引っ張られて、やたらに中国ギライの人たちが張り切っちゃっているけど、はたしてウイグル人が迫害されているのかどうか、ウイグル族が伝統文化を否定されて、毎日を絶望のもとで暮らしているのかどうか。
そういうことを写真を見て、あなたが自分で判断してほしい。

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この写真は新疆ウイグル自治区カシュガルの近影。
わたしが21年まえに行ったところだけど、まったく様変わりしていて、当時こんなテレビ塔は見たおぼえがない。

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つぎは市内点描だけど、ウマはさすがに時代遅れだろうから、これはたぶん観光客を乗せるためのものだと思う。
街角でウイグル人たちがなにやら懇談中。
かかえているのがAK-47だったりすると、これから中国政府めがけて抵抗運動でも起こすところといわれそうだ。
壺を売っている店の男性はスマホに熱中。

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この写真に写っているふたりの娘は、ウイグル族なのか、現地在住の漢族なのかわからないけど、ファッションは現代的で、マスクをしているからこれはまだ去年の写真だ。
背後にはコカコーラやペプシの自販機があって、これは、うーん、米中の複雑な関係を物語っているのかもしれない。

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この写真はカシュガルにある宿屋の看板で、「住宿」というのはふつうの名称、わたしが20年まえに新疆をうろうろしたころは、「民宿」なんて言葉はなかった。
日本が発祥の言葉が新疆にまで伝わったのだろうか。
じつはそういう例は、中国にはなはだ多いんだけどね

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つぎの少女ふたりはウイグル人で(矢がすりの服でそれとわかる)、わたしの知り合いは漢族だけど、むかし新疆で暮らしたことがあって、いまでも少しは知り合いがいるらしい。

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これはウイグル人のおばさんたちが戸口でくっちゃべっている写真。
メールを読むと、彼女らはまるっきり中国語が話せないそうで、コミュニケーションを取れなかったとある。
しかし若い人たちはそうではなく、けっこう中国語が通じたという。

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最後の写真は、ゲームをしているウイグル人の子供たちと、可愛いウイグル人の娘だそうだ。
可愛いからこの娘の写真だけ特別に2枚載せてしまうけど、この写真を撮った漢族の知り合いに対してもなかなか愛想がよい。

とかくマスメディアというものは、平凡な事件よりセンセーショナルな事件を好むもので、平和に暮らしているウイグル人より、殺しただの殺されただのというニュースのほうを取り上げたがる。
だから報道を見ているかぎり、どうしても物騒な話題が多くなるけど、つねに、その他大勢の一般民衆はどうしているのかと考えることは必要だ。
そういうメディアにまどわされる人が多いから、わたしは客観的判断ができるようにこの写真を載せた。
判断するのはあなただし、質問があればいくらでもどうぞ。

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2021年8月28日 (土)

8月28日

草むしりも4日目になったけど、そんなことより今日は図書館から連絡があって、予約しておいたポール・セローの「ダーク・スター・サファリ」がまた借りられるようになった。
おかげで中断していたわたしのブログのアフリカ紀行も再開できることになった。

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もうひとつ、中国の知り合いから新疆ウイグル自治区の最新報告が届いた。
いまバイデンさんに引っ張られて大騒ぎをしている中国ギライの人たちには申し訳ないけど、新疆でなにが行われているか、明日のブログで報告しよう。

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2021年8月27日 (金)

ビール

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今日も草むしりをした。
これで3日連続だ。
わたしの夢はまた団地まえの花壇が、わたしがここへ引越ししてきたときと同じように、シバザクラ、マツバボタン、オニユリ、ヒガンバナなどの花で埋もれること。
でもわたしが草むしりするのはせいぜい1日1時間ぐらい。
それだけでも、最近こんなに流したのはひさしぶりといっていいくらい、汗まみれになる。
おかげでそのあとに飲むビールが、むかしインドネシアのカリマンタン島、ビールが禁止のイスラム国で、3日間禁酒をしたあとにこっそり飲んだのと同じくらい美味しい。

問題もある。
むしった草ってどうやって処理すればいいいのさ。
草の量はハンパじゃないから、集めて、可燃ごみとして出すことになるのか。
可燃ごみなら指定のごみ袋が決まっている。
そんな袋までわたしが自腹切って出すわけにいかんぞ。
目下のところ、わたしひとりのボランティアで、感心してくれるのは通りがかりのばあさんぐらい。
管理人のおじさんに相談するにはまだ実績が足りん。

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2021年8月26日 (木)

漁夫の利

米国がアフガンから撤退した。
すると漁夫の利を得るのは中国だという意見がちらほら。
アホいってんじゃない。
漁夫の利とはなにを指してるのか。
米国がぼこぼこにされるまえはロシアが同じ目に遭っている。
アフガニスタンという国は、とにかく外国の直接の関与をきらう国民性なのだということを理解しないと、今度は中国がまえのふたつの大国の轍を踏むことになる。
中国はアメリカやロシアほど馬鹿じゃないから、つまり自分の力を過信しないから、アフガンに関与するにしても、けっしてあからさまな関与はしないだろう。
とするとどうやるのか。
わかりやすくいえば、金は出すけど口は出さないということだ。
つまり思いきりむしられるということだから、他国が心配するほどのことはあるまい。
むしろ中国よりも、大国ではない日本のほうが好感を持たれそう。
タリバンの報道官が、日本人は必要だ、出ていかないでほしいといってるそうだ。
ひよっとすると漁夫の利を占めるのはわが国かもしれない。
中村哲医師の死は無駄ではなかったのかも。

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“チャーリー” ワッツ

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枯葉の落ちるがごとく、ひとつまたひとつと、わたしの時代を生きたミュージシャンが亡くなっていく。
チャーリー・ワッツ。
あのローリング・ストーンズのドラマーである。
それも終始一貫してドラマーだった。
ミック、キースとならんで、わたしが初めて彼らを聴いたときからずっとそのポジションにいた。
そんな重要なメンバーが亡くなったのだから、ストーンズもビートルズやクリームのように、永遠に再結成が不可能なバンドになった。
でもまあ、いいさ。
ものには順番というものがある。
彼らを熱心に聴いた青二才がそろそろ寿命が尽きようとしているのに、その青二才に影響を与えた音楽家が生きているほうがおかしいのだ。
いまの若いモンがどんな音楽を聴いているか知らんけど、わたしの時代が幸福だったことは間違いがない。

今夜はひさしぶりに彼らの演奏を聴こう。
なにがいいか。
やっぱりライブってことになるか。
レコードはすべて処分したけど、いまはYouTubeという便利なものがあって、ストーンズの音楽は、ここでほとんどすべてを聴くことができるのだ。
やっぱりわたしの世代って幸せだったんだね。
こういう便利な時代をかろうじて体験できて。

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2021年8月25日 (水)

草むしり

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わたしがいまの団地に越してきたとき、部屋の目の前の花壇が花で埋もれているのを見てひじょうに感動したことがある。
これは6号棟に住むおじいさんが、ボランティアでせっせと手入れをしているせいだった。
それがここしばらく、なんとなく花壇が荒れてきているようで気になっていた。
見かねて、今日はわたしが雑草抜きをすることにしたんだけど、その結果、草むしりというのはそうとうにハードワークであることがわかった。
1時間足らずの作業で汗びっしょり、運動不足の足はへなへな。
たまたま通りかかった近所のおじさんと話をしたら、ボランティアの6号棟さんは、すこしまえに引っ越ししてしまったそうだ。
彼がいなくなって、あらためてその偉大さに気がつかされたというトコ。
車いすの奥さんと仲睦まじく買い物に行くのをよく見かけたけど、こんなことならもっと手入れのコツでも聞いておくんだった。
控えめな人で、わたしがそれに輪をかけて引っ込み思案な人間だから、言葉を交わしたことは多くなかったのだ。
彼の意志をついで、これからはわたしがせっせと草むしりをしよう。
目的もなしに運動なんかするより、このほうがよっぽど健康にもよさそう。

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2021年8月24日 (火)

Tuba Skinny

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おひさしぶりのチューバ・スキニー(Tuba Skinny)。
しばらくご無沙汰していたら、美貌(でだらしない感じ)の歌手エリカさんが本格的に復帰したようだ。
それはいいけど、子供を生んで腰まわりに肉がついたみたいで、いつも座っている太鼓がつぶれないかと心配だ。

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2021年8月23日 (月)

ミャンマー

録画しておいた「混迷ミャンマー、軍弾圧の闇」という番組を観た。
以前にもNHKが取り上げた番組の続編だ
また例によって民衆を武力で弾圧する軍部と、バリケードを築いて抵抗するデモ隊の市街戦で、いや、ひどいもんだねえと思うけど、どうもデモ隊の戦術もマズいよな。
パリ革命のころならいざ知らず、戦車や航空機すらかかえたやくざ集団に、はだかの民衆がバリケードで対抗してなにができるのか。
軍隊のほうは絶好の軍事訓練だというわけで、町を包囲し、バリケードに正面攻撃をしつつ、側面突撃もくり出すという統率のとれた戦術で、デモをする民衆に襲いかかる。
銃撃されて逃げ惑う民衆を見ていると、わたしには烏合の衆が追いたてられているようにしか見えなかった。
死者が出ればその悲惨さを世界に訴えるという作戦かもしれないけど、国際世論やNHKがいくら同情したって、やくざ集団には馬耳東風だ。

そんなやくざ集団が、いちじは外圧に屈して、民主化を認めたこともある。
スーチーさんをミャンマー連邦共和国国家顧問(国家元首待遇)として認めたこともある。
それなのにここへ来て、ふたたび独裁と弾圧にもどったのはなぜだろう。
それはやっぱり米国が中国にケンカを吹っかけたことが大きいんじゃないか。
中国としては、米国への対抗上すこしでも味方を増やしたい。
ちょうど一帯一路なんていって、周辺国をとりこもうというおもわくもある。
ミャンマーが欧米から抗議されればされるほど、中国にとっては独裁だ、民主主義の敵だといじめられる仲間同士だ。
心配するな、民主化なんて絵に描いたモチみたいなもんだ、わが国はどこまでも独裁政権を支持するよと焚きつける。
ミャンマーの軍政にとっては心強い後ろ盾を得たようなものだから、彼らは安心して国民を弾圧する。

だから米国の政策は失敗だったというんだよ。
中国を敵視するのではなく、ミャンマーのような無法国家に制裁を加える仲間にしておくべきだったのだ。
しかしバイデンさんには、中国にケンカを吹っかけないと、米国の世論をひとつにまとめられないという弱みがある。
因果関係をたどれば、ミャンマーの悲劇も、結局なるようにしかなってないみたいだ。
ミャンマーの人たちも、ここはじっと我慢をして、アメリカと中国が仲直りするのを待て。

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2021年8月22日 (日)

書きません

今日はネタがないね。
ひと眠りして起きたらもう今日が終わるまで1時間もないよ。
なんかお手軽に書けるネタはないか。
でもなにも書かなくてももうアクセスが 78 だ。
これなら楽でいいや。
というわけで、今日はなにも書きません。

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2021年8月21日 (土)

WEBライター

YouTube を見ていたら、外国人の女の子が自己紹介をするのに、自分はWEBライターですといっていた。
WEBライター!
カワイイ、じゃない、カッコいい。
ユーチューバーというと、部屋にこもってシコシコするしか能のないふまじめな人間と思われそうだけど、WEBライターといえば、いかにも作家やジャーナリストのはしくれという響きがある。
じっさいに以前 YouTube を観ていたら、外国人娘と結婚したある日本人男性が、他人から職業を問われて、いっしゅん口ごもってから、小さな声でユーチューバーですと答えていた。
本人も肩身のせまい職業であることを自覚していたようだ。

わたしもこれからは、人に聞かれたらWEBライターと答えよう。
じっさいにココログにせっせと文章を書いているんだから、ライターというのはあながち間違いではない。
お金にならないのが欠点だけど、それについては、いやあ、もうトシですからな、金銭や名誉欲なんてどうでもいいんですよととぼけておけばよい。
また手作り名刺でも作って印刷しとこうか。

ところでココログ列伝の続きを書こうとして、ときどき新着記事をのぞいているものの、あまり推薦したいブログがないねえ。
けなしたいブログならちょくちょく見つかるけど、それをするとココログのブログ同士で中傷合戦になってしまいそうだし。
ほんとうは米国の文学界みたいに、そうやって切磋琢磨して、WEBライターの技量や地位を高めるべきだと思ってんだけど、むずかしいものだ。

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2021年8月20日 (金)

となりのおじさん

昨夜はとなりの部屋のおっさんと飲んでいた。
彼はわたしとそれほど歳はちがわないのに、いまでもせっせと仕事に行ってるらしい。
仕事はビルの清掃のアルバイトだそうだ。
休日はいつなんですかと聞いたら、ありませんと。
土日も仕事があれば出かけるそうで、休日出勤は分がいいですからねという。
まあ、元気で仕事ができるならけっこうなことだけど、今度カラオケに行きませんかといわれてしまった。
はあはあとわたし。
なんならグランドゴルフはどうですか、みんなを紹介しますけどという。
知ってますよ、たまに市役所に行くときやっている人たちを見かけますからね、でもあんなじいさんばあさんといっしょにされたくないしと、これはわたし。
創価学会の会員で、出身は佐渡島で、中国福建省出身の奥さんがいたこともあったけど、あっちのほうが景気がよくなって、奥さんは国に帰ってしまったそうだ。
パソコンなんかやったことがないというから、わたしとちがって人生に悩むこともない人らしい。
それでもたまに飲むならおもしろい人である。

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2021年8月19日 (木)

ココログ列伝02

ココログのブログの中からおもしろいものをピックアップしようと意気込んだものの、現実にはおもしろいものがそうそうごろごろ転がっているわけもない。
とくに政治的発言になると、ここにも日本をおとしめて喜んでいる左翼っぽいブログもある。
そういうものにケチをつけるのは、おもしろいといえばいえなくもないけど、しかし「ココログ列伝」では褒めることに徹しなければいけないのだ。
これけっこう大変。

今回紹介するのは『923(くにさん)のブログ
木星や土星の望遠鏡写真を、不定期だけどけっこうひんぱんに載せているブログである。
天体写真というのは天気にも左右させられるから、毎日載せるわけにはいかない。
自称ナチュラリストのわたしには、へえ、大赤斑の移動はこんなスピードかと、ためになることもあるけど、100年単位ぐらいでは木星のかたちが変わるわけないから、似たような写真を毎日見せられるとさすがに飽きる。
しかしたんねんに観測していれば、そのうち巨大隕石が木星に衝突する場面に遭遇するかもしれない。
それが地球に害をおよぼさないよう祈るばかりだけど、このブロガー氏もそういうことを期待しているのかも。

余計なことは別にして、個人でこんなに鮮明な木星の写真を撮れるなんて、八ヶ岳のてっぺんにでも行かないとムリではないか。
と思ったけど、プロフィールによると、ブロガー氏は桐蔭学園の教師さんらしいから、住まいは神奈川県らしい。
望遠鏡は学校の教材なのだろうか。
ひとくちに望遠鏡写真というけど、木星を画面いっぱいに撮ろうとすると、その動く速さはハンパじゃないから、自動追尾装置でもないと撮影するのは困難なはず。
そんな装置まで備えるとなると、これはもう個人の手にあまる。
もともと天体観測に興味のあった人が教職を得たとすれば、経費はぜんぶ向こう持ちだから、これはベスト・マッチングということになるだろう。
幸せな人だ。

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2021年8月18日 (水)

ココログ列伝01

またヒマつぶしのネタを見つけたぞ。
わたしのブログも所属するココログの中から、おもしろいものや気に入ったブログをピックアップするのだ。
悪口をいうのは得意だけど、ここでは褒めることに徹すれば、対象ブログから苦情は来ないだろうし、わたしがピックアップしたせいでもしもアクセスが伸びれば、そのブログから感謝されるだけだろう。

というわけで、その第1回目として、たまたま目についた「おたまの未亡人日記」というブログを取り上げよう。
未亡人というと、そうでなくても煽情的に聞こえるから選んだわけではないゾ。
相手はわたしとほとんど同じ世代のようだし、わたしはコメントも書きこまず、こちらのブログを売り込むこともしてないから、相手とはまったく接触がないのだ。

感心したのはその文体がはんなりした京都弁で、いかにも女性らしいやさしさが感じられるところへ持ってきて、なおかつそこはかとないユーモアがあること。
これは簡単そうで簡単ではない。

1例をあげよう。
愛し合った君と僕の二十歳の頃・・・
アタシにもあったわよ!二十歳のころ。
最初っからこんなばあさんではない

1例をもうひとつ(?)あげよう。
二杯酢・三杯酢・酢みそ・ごま酢・・・
簡単にしょうが醤油で食べても美味しいです。
昔のようにあくをあまり感じません。
これは、私が大人になったのか、あくの強い女になったのか・・

1例というのはひとつしかないから1例なんだけど、さらにもうひとつあげてしまう。
牧師様のお話を聞きました。
彼女は今、天国の入り口に立った そうです。
そしてわたくし達もいつの日か、彼女の待つところへ行き再び会える。
ちょっと、待ったりいな。
ウチは浄土真宗。私は阿弥陀さまの所へ行くことになっています

2例目はなんでも彼女の好きな紅ずいきを煮たときのエピソードで、3例目は知人の葬儀に参列したときの話らしいんだけど、むふふと、なんとなくおかしい。
この人は俳句も作るらしく、あちこにち自作の句をさしはさんでいて、まあ、俳句の批評はわたしの手にあまるけど、たとえばの一句。
極小のいのち手の中子かまきり
いい句なのかしら。

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2021年8月17日 (火)

アフガニスタン

アフガニスタンの首都カブールが陥落した。
数日まえからこうなることはわかっていたから驚かないけど、カブールを制圧したのはあのタリバンだ。
厳格なイスラムの教義を他人に押しつけて、文句をいわせない偏屈な原理主義者たちである。
女性のチャドリが復活し、恋愛も不倫も禁止、豚とアルコールとエロ映画も禁止、偶像崇拝も禁止、凧あげも禁止、女性の教育禁止、あれも禁止、これも禁止、アメリカにあるものはなにがなんでも禁止と、またこんな非常識な法律を人々に強制しやしないかと心配だ。
それにしたってカブール陥落がオリンピック終了後でよかった。
これがオリンピック開催中だったら、選手・役員は帰るところがなくなって、全員が日本亡命を申請していただろう。

しかしわずかながら、わたしは希望の火をともしている。
タリバンはもともとは神学校の生徒たちだったというから、まったくの無学な輩ばかりではないだろう。
そんな彼らが苦労しつつも、最新鋭の兵器を使う米国との戦争に耐えて勝利を収めた。
これはベトナムのときの状況によく似ている。

ベトナムでは戦争が終わったとき、有無をいわせない強引な共産党政治が始まり、一般市民の大量虐殺が行われるのではないかと危惧された。
中国系の民衆は恐怖にかられて、ボートピープルとなって大量に海に浮かんだ。
しかし陸に残った人々も、心配したほどたくさん殺されたわけではなかった。
西側諸国が思うほどベトナム人は残酷ではなかったのだ。
これは勝者の余裕だったのか、それともベトナム人は特別に理性的だったのだろうか、あるいは損得を秤にかけた結果だったのか。
そのへんの理由はわからないけど(わかろうとしても1円にもならないので)、考えないことにして、この先のことを考えよう。

ベトナムのようにトップの力が強く、まとまりがあれば、アフガンでもトップ次第でおだやかな統治に移行できるかもしれない。
しかし現在のタリバンの指導者はハイバトゥラー・アクンザダさんといって、写真で見ると、もう煮ても焼いても食えない因業っぱちの左翼主義者みたいな人だ。
おまけに彼らはさまざまな部族のより集まりで、トップの命令が下部組織に正確に伝わっているとはいえない。
マララはどこだといって、幼い少女に銃を乱射するようなはねっかえり兵士もいるのだ。
こういう連中が権力をにぎると、自分たちの取り分をめぐって、すぐに仲間割れを起こす可能性もあり、現時点ではやはり彼らのやさしさに期待できそうもない。

アメリカではアフガンを見捨てたということで、バイデンさんを非難する声が大きくなることは、あっても、小さくなることはないだろう。
するとバイデンさんの立場はますます厳しいものになり、国民の民主党離れをふせぐのと、自らの求心力を維持するために、ますます中国いじめに拍車がかかる。
すると中国は、これが米中協調の時代なら、中国もイスラム勢力の浸透をふせぐために米国と協調できないこともなかったんだけど、意地でもアフガンを支持せざるを得ない。
東欧や中東諸国にウケがいい日本だって、旗幟を鮮明にしないわけにはいかないから、のんびりあのへんを旅行できなくなる。
アメリカ国民がしっかりしてくれないと、アフガンの夜明けはいつまでも来そうにないし、わたしみたいな旅行愛好者も迷惑なのだ。

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2021年8月16日 (月)

うらやましい

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あららら。
ロシア人ユーチューバーで超美人のユリヤ・ブリンチクさん、いつのまにか日本人の男性と結婚して子供までいるのね。
ただ感心したのは、旦那ってのがおどろくほどイケメンじゃないってこと。
彼女はイラストレーターという副業(本業?)を持っているから、アーチストといっていい人で、やはり芸術家ってのはどこか変わっているのかもしれない。
旦那が聞いたら気をわるくしそうだけど、世間には見てくれだけで旦那を選んで、けっきょくろくでもない男を引き当てた白人ユーチューバーも何人かいるのだ。
その点ブリンチクさんは堅実。

うらやましいと思うのは、わたしの世代には高嶺の花だったロシア美人が、最近では日本のよさがロシアにも伝わって、日本人と結婚したいという娘が増えていること。
なかには、へえ、あんなのがといいたくなるくせに、きれいなロシア美人と結婚した男もいる。
彼らは現代の日本に生まれたことを感謝しなければいけない。
わたしは早く生まれすぎたことを恨まなければいけない、ホント。
  うらやまし女神のごとき露美人を
      娶るか日本の現在(いま)の若者

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2021年8月15日 (日)

がぶり

名古屋市の河村たかし市長がオリンピックのメダルをかじったという事件。
世間にはケシカラン、コロナのさなかにばい菌を移してなんて声があふれている。
この件に関しては、わたしも市長を擁護しようとは思わないけど、文句をいっている人たちのなかには、これはほんとうに信じられないんだけど、メダルを噛むということの起源というか、由来というか、それを知らない人がいるみたいだ。
そこで老婆心というか、よけいなお節介というか、無知な人たちに教えてしまおう。

むかし(どのくらいむかしかというと、シェイクスピア が生きていたころ)、当時は持ち込まれた金貨が本物かどうかを、かんたんに判断する方法がなかった。
そこで当時の商人たちは、金貨をがぶりとやって、本物の金かどうか確かめていた。
硬さで判断するのか、味がちがうのか、ちがうとすれば何味なのか、わたしにはわからないけど、河村市長の行為にはこのことが頭にあったにちがいない。
こんなことはわたしの世代ならだれでも知っていることで、おそらく河村市長はユダヤの金貸しを真似てふざけてみたのだろう。
しかし愛知県といえば、すこしまえに知事と名古屋市長が「あいちトリエンナーレ」をめぐって対立関係にあったところだから、朝日や毎日はおふざけには沈黙して、絶好の攻撃材料にしたと思われる。

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寄らばなんとか

アメリカという傘の下で、寄らば大樹のかげという姿勢がよく非難される。
もっともだといっても、わたしの場合、現在の日本政府のことをいってるわけではなく、なんか知らんが、ここぞとばかりに中国に強がりをいっているネチズンたちにいう。
バイデンさんが中国を責めているからと調子にのらないほうがいい。
ご存知のとおりバイデンさんは大統領になるのに薄氷の勝利だった。
いまでもトランプさんと共和党を支持する人は、米国国民の半分くらいいて、ちょっとした政策ミスでいつひっくり返されないともかぎらないのだ。
バイデンさんにしてみれば、なんとか米国をひとつにまとめたい。
そのために選ばれたスケープゴートが中国だった。
考えてもみても、中国ぐらいそれにふさわしい国があるだろうか。
北朝鮮?
あたりまえすぎてだれも乗ってこないよ。

かりにトランプさんがいまぽっくりいったとしたら、もう遠慮はいらない。
現実の、最大の脅威がなくなったわけだから、民主党はもう中国にゴタゴタいわず、もとのようにお互い利用しあえる関係にもどるだろう。
中国政府も日本政府もそんなことはとっくに承知していて、なんか出来レースのように、米国と張り合ったり、追従したりしているだけだ。
日本の政治家のなかには、本気で中国と一戦交えようなんていきがっている者もいるけど、彼らは先を見透すことのできないほんとのバカである。

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2021年8月14日 (土)

メンタリスト

ネットニュースにメンタリストの DaiGo という人が炎上しているという記事が出ていた。
なんだい、メンタリストって。
調べてみたら、スプーン曲げとか、他人のこころのうちを見抜くとか、ようするに手品師や占い師に、横文字のカッコよさをつけ加えたような人のことをいうらしい。
手品や占いなら最初からそういえばいいものを、なにがキライって、わたしはこの手の人が大嫌いである。
ココログのブログのなかにもそういう類のものがあるけど、つねづねココログはカルト宗教の手先かと、苦々しい思いで見てるのだ。

ところでこのメンタリストが炎上したのは、ホームレスや生活保護者を蔑むような発言をしたからだそうだ。
これで世間から糾弾されると、だれだってホームレスか自分の家族かのどちらかが死にそうになったら、家族を取るでしょうと火に油をそそぐようなことをいったらしい。
この件はすでに彼が謝罪したそうだから、わたしはそんなものに鼻を突っ込みたくはないけど、ただ気になるのは、彼がいったホームレスか家族かという比喩についてだ。
問題のきっかけを読むと、どうやらこの家族のなかには、彼の飼っているイヌかネコが念頭にあったようだ。
つまりホームレスか自分のペットかということになり、これでは非難されても仕方がない。

わたしもイヌやネコが好きである。
しかしペットにはペットの分際があると考えているから、現在のような過剰なペットブームは受け入れがたい。
ペットが死んだら裏庭に穴を掘って埋めてやれば十分(わたしみたいに庭のない家に住んでいる人はビニール袋に入れて市役所に電話する)。
そしてすぐにペット屋で新しいものを買ってくる。
おまえはペットを品物のように考えているのかと文句をいわれそうだけど、たいていのペットは人間より短命で、いつかは必ず買い替えのときが来るのだ。
おまえはそれでも人間かといわれそうだけど、野生動物の世界では、生まれた子供の半分以上が親になるまえに死んでいる。
むしろ人間よりもペットを大事にして、血統書つきのペットを溺愛する関係のほうが気持ちわるい。
わたしが子供のころなんか、ネコの餌はカツオ節と、残りものの味噌汁をぶっかけたオマンマで、それでも不平をいうネコっていなかったですよ。

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2021年8月13日 (金)

ブログの真実

いったいぜんたいココログで毎日更新されるブログっていくつぐらいあるんだいと、今日は数えてみた。
いちばん更新が多いのは、おそらく夜の10時から11時ごろだろうと勝手に予想して、その時間帯に更新されたブログを数えてみたら、80数個!
平均すればこれより少ないとしても、1日に1500個ほどのブログが新たに発信されているんじゃないか(正確に数えているほどわたしはヒマじゃない)。
これじゃわたしのブログが人目につかないのももっともだ。
明日を夢見て、せっせとブログを更新している人たちも、自分のブログに人気が出ないのはもっともであるぞよ。

ココログだけにかぎっても玉石混交で、世の中にはいろんな趣味の人がいるんだなと感心もするし、あいかわらず自分の不満を垂れ流しているだけじゃんというブログもある。
あまりコメント欄が活発でないということは、ブログが友人知人、支持者など増やす役には立たないということの証明でもあるだろう。
だれかに読んでもらえるというより、もうみんな書くことだけが生き甲斐なんだろうねえ。
俺もおまえも利根川の、枯れた真菰になに変わろ、って船頭小唄が身に沁みるワ。

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2021年8月12日 (木)

ジェノサイドの丘

かって「フォーカス」という写真週刊誌があった。
まだやる気のあった新潮社が出版した、意欲的な写真による報道の専門誌で(いまでもやる気があるかどうか、最近は週刊新潮もほとんど読まないからわからないけど)、目をそむけるようなアフリカの残虐な写真も、この誌上でよく目にしたものだった。
もっとフォーカスのことを書きたいけど、ここでそれを書いてるヒマがない。

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「ジェノサイドの丘・ルワンダ虐殺の真実」という本について書いておかなければならない。
知らない人がいたらこのさい知ってほしいけど、“ジェノサイド” というのは、特定の目的を持って特定の民族や国民を絶滅させる行為をいう。
ナチスのユダヤ人絶滅作戦や、カンボジア、旧ユーゴなどの大量虐殺が有名だ。

ルワンダでジェノサイドが始まったきっかけは、以前観たテレビ番組によると、ひとつのラジオ放送だったそうだ。
ある日ラジオが、ツチ族を殺せ、殺せとがなり立てた。
これだけで100日のあいだに50万人以上、ルワンダ人の10〜20パーセントが殺されたという。
日本でいえば東京都の人口がそっくり殺されたようなもので、しかも凶器がナタや釘を打ちつけた棍棒というのだから恐ろしい。
上記のフォーカスには、殺されて川に投げ込まれた大勢の死者の写真が載っていた。

これはバカげたプロパガンダに踊らされる人間がいかに多いかということである。
とくに昨今のように、インターネットに悪質なデマが飛び交う時代においておや、わたしたちも注意していないと、いつ加害者もしくは被害者になるかわからない。
日本は先進国だからそんなことは起こらないという人は、ドイツの例を見ればよい。
ナチスの宣伝相だったゲッベルスの名前を知っているだろうか。
ナチスの大量虐殺も典型的なプロパガンダの結果だったし、そのときの状況、つまり人々のあいだに不平不満がつのっていて、だれもが閉塞感におそわれているような時代には、煽り行為にかんたんに引っかかってしまう人が多いのだ。
逆にそういう時代には、他人を煽ってよろこぶ人もたくさん現れるのである。

日本人は教養もあるし、情け深いから大丈夫という人がいるかも知れない。
もちろんルワンダにもそういう冷静な人たちは大勢いて、おそらく大半の人たちは、昨日までの隣人を殺すのをためらったに違いない。
しかし「ジェノサイドの丘」によると、真っ先に殺されたのはそういう穏健な人々で、ようするにプロパガンダを発信した連中にとってジャマになる人たちだった。
殺せと叫んだ連中は少数派でも銃器を持っており、殺さなければ自分が殺されるとなったら、その他大勢の穏健派も殺戮者の仲間に加わらざるを得なかったのである。
日本にも過去に例がある。
太平洋戦争のとき、戦争に反対する人たちは国賊として迫害された。
迫害したのはその他大勢の、どこにでもいる一般国民だったのだ。

最近でもでたらめなネット情報のせいで、コロナワクチンの接種をためらってしまう人がいるというくらいだから、フェイクニュースを正しく見分けることが、どれだけ大切かわかるだろう。
むしゃくしゃしたという理由だけで刃物をふりまわす人、ほんのささいなきっかけでとなりの車を煽る人、オリンピックをなんとか無事にやり終えてもそれがよけい腹が立つという人、政治も新聞もNHKもみんな自分の思い通りにならないと気にいらない人、世界はどんどん狭くなっており、閉塞感はいよいよつのる一方だ。
未来をしょって立つ若い人たちも、加害者か被害者になる可能性はいつでもあるのである。

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2021年8月11日 (水)

ヨシダ、

借りていたポール・セローのアフリカ紀行の延長を図書館に申し込みに行ったら、つぎの人の予約が入っているから返せという。
延長、延長でもう2カ月も借りっぱなしの本だから、止むを得ず返した。
これではわたしのブログに連載中のアフリカ紀行の続きが書けない。
とりあえずその本がまた借りられるまで、アフリカ紀行は無期限延期ということにしておく。

代わりに借りてきたのが「ジェノサイドの丘・ルワンダ虐殺の真実」上下2巻と、ヨシダナギという女の子が書いた「ヨシダ、裸でアフリカをゆく」という本。
目下のわたしはアフリカについて勉強中なのだ。
「ジェノサイド」についてはふざけたことを書けない本なので、そのまえに「ヨシダ」のほうでふざけておく。

この本は、いちおう紀行記なんだけど、読んでみたら食べもののことや、自分は相手のことが好きじゃないのに、アフリカ人ガイドがしつこかったなどと、いかにもミーハーの女の子が書きそうなことばかりで、現地の風物や歴史はほとんど出てこない。
アホらしいと思ったけど、著者の容貌が気になってネットで調べてみた。
差別主義者のそしりはあえて受けるけど、わたしが差別主義者なら世間の男の大半が差別主義者さ。

すげえ美人ではないか。
すげえ美人にしては内容はいささかお下劣、つまり気取ったところがなく、本音で書いていることばかりだ。
彼女は旅行会社に申し込んで、たったひとりで現地ガイドに案内されてアフリカ各地をめぐる。
なにしろアフリカだ。
美人がひとりで旅をすれば、きっと2度や3度はレイプされたこともあったのではないか、ヌビアのバナナを味わったことがあったのではないかと、これはまあ、わたしの勝手な妄想だけど、ポール・セローのアフリカ紀行なんか読むと、どうしてもそんなこと考えてしまう。
ヨシダさんは大和なでしこだから、本人はもちろんそんなことを書いてない。

もっと若いころならともかく、現在のわたしにはとても彼女と同じ旅はできそうにない。
トイレでカエルにお尻をつっつかれたとか、エアコンからイグアナが飛び出してきた、ホテルはゴキブリが満載だったぐらいなら我慢できるけど、ウジムシいっぱいのトイレなんてとてもたえられない。
考えてみるとわたしの子供のころのトイレはみんなそんなものだったけど、やはり人間にはよきにつけ悪しきにつけ、慣れというものがあるらしい。

ミーハー的な文体といえど、汲み取るべき知識はある。
アフリカではわたしが想像している以上に、黒人は白人に劣等感を持っているらしかったし、P・セローの本にもあったけど、現地の人々の支援慣れ。
仕事を与えてもすぐに放り投げてしまうこと、支援物資が届いても満足しないことなど。
グルメ・ツアーや、ブランド商品買い出しツアーではわからないこういうことを、ちゃんと知りえたということで、彼女がたんなるミーハーでないことがわかる。
彼女は幼いころからアフリカにあこがれていて、すっぽんぽんになって現地人とおなじ格好をしてみるなんて記述には感心した。
ここにもひとり、平安文学に登場する「虫愛ずる姫」と同じタイプの、世間の規格に合わない女の子がいる。

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2021年8月10日 (火)

お騒がせ人間

『地球温暖化の原因は人間の活動と初めて断定』 なんて記事が昨日のネットニュースに出ていたな。
トランプさんがまだ大統領のままだったらどうなったことやら。

世間には世間を騒がせてよろこぶトランプもどきのような人がいる。
正直いって地球温暖化の原因はべつにあるという学説もある。
地球は何万年かの周期で、温暖な時代と寒冷な時代をくりかえしているのだから、現在はたまたま温暖化に当たっただけだというものである。
こういう大勢に反する学説がお騒がせ人間をよろこばせる。
だから心配する必要はないというんだけど、それじゃ放置しておいてもいいというのだろうか。
わたしも世間にすなおじゃない人間だけど、この場合、放置しておいていいという方に加担しようとは思わない。
結果がはっきりしないなら、とりあえず悪いほうに備えておくべきじゃないか。
そのときになって、やっぱり温暖化の原因は人間でしたといっても、もう手遅れなのだ。

じつはココログのブログのなかにもお騒がせとしか思えないものがあった。
こういう人たちの問題点は、文句はいうくせに、だからこうすべきだという対案はけっして示さないことである。
コメントでひとこといってやろうかと思ったけど、表現の自由の保証された日本で、こういう人たちの発言をあげつらうのもおとなげない。
せめてそういう発言にまどわされる若者が出ないよう、まっ正面から反対する記事を書いておく。
地球温暖化は人間のせいであると思っておいたほうがゼッタイによい。

考えてみると、地球は奇跡的な自然のサイクルのもとで、何億、何千万年もかけて二酸化炭素を、石油や石炭のかたちで地中に封じ込めてきた。
人間は短期間のうちにそれをふたたび大気中に放出しようとしているのだ。
これはどうみても異常である。

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2021年8月 9日 (月)

アフリカのジェノサイド

ポール・セローのアフリカ紀行「ダーク・スター・サファリ」をなぞるという連載を、ブログで不定期に続けているけど、なかなか順調にはかどらない。
文章の作成から画像の収集、加工までわたしひとりでやっているので、時間がかかるところへもってきて、セローの本ではさらにべつの本が引用されていることが多いから、それも読んでみようということになり、ついあらぬ方向に脱線することになってしまうのである。
このたびはウガンダまで来たところで「ジェノサイドの丘/ルワンダ虐殺の真実」という本の名前が出てきた。
ウガンダとルワンダ、ややこしいから説明しておくと、ルワンダというのはツチ族の大虐殺で有名になった国で、ウガンダはそのとなりにある国である。
ずいぶんいいかげんな説明だなといわれそう。

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この両方の国が、先だってのオリンピックに選手を派遣していたから、大虐殺はもう遠い過去の話になったようだ。
まあ、大虐殺は1994年のことだから、参加した選手のなかには大虐殺のことも知らない人がいたかもしれない。
ルワンダの旗手なんかものすごい美人だ(マスクしてるからよくわからないけど)。

じつはセローは紀行記のなかで、ウガンダには行くけどルワンダには行ってない。
ただウガンダで知り合った娼婦のなかにルワンダ出身の娘がいただけで、そこで名前の出てくる本が「ジェノサイドの丘」ということだ。
例によって図書館で借りてみたら、これはものすごい。
文章の行間からナタで犠牲者の首を切り落とす音や、犠牲者の苦悶の声が聞こえてくるような本だった。
まだ読み始めたばかりだから、内容についてとやかくいえないけど、なにか書けそうな気がするし、書けたらここで発表しよう。
そんな古い事件ばかり掘り出して、いったいどうしようってんだといわれそうだけど、これはわたしの生きた時代の出来事だし、それを若い者に伝えるのはじいさんのわたしの義務みたいな気がするのだ。
現代は、つぎの世代までに日本もジェノサイドの被害者になるか加害者になるかわからない時代だし、なにしろいまどきの若いモンは忘れっぽいからね。

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2021年8月 8日 (日)

五輪の未来

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日露戦争でロシアと戦ったとき、日本は近代装備をそなえたヨーロッパの大国と戦争するのが初めての体験だった。
だから慎重のうえにも慎重をというわけで、いささか過剰とも思える準備をしてなんとか勝利をおさめた。

今回のオリンピックは、凶悪なウイルスの下で開催される世界で初めての大会になった。
どうも日本て、いつも最初になにかをやらされる実験国みたいだ。
それでもなんとかやり終えた。
コロナ禍の下の大会としては、大成功であったことを否定できる人はいないだろう。
感染者が増えた?
感染力の強い新しいウイルスの登場じゃ、オリンピックがなくても増えたさ。
金がかかり過ぎた?
黙ってろ。
それはトーキョーのせいではないし、文句をいうならオリンピックそのものに反対すべきじゃないか。

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ウイルスがどこまで蔓延し、どこまで続くのかわからないのだから、次回の五輪開催国にとって、日本のやり方がおおいに参考になったことは疑いようがない。
開始まえにあれほど反対をしていた人たちについては、わたしはなにもいわない。
反対していた人々の存在こそ、日本がどんな立場の、どんな意見でも主張できる、表現の自由の保証された国であることの証明だったのだから。
個人的な感想をいわせてもらうと、五輪の自転車競技(ロードレースから屋内競技を含めて)、カメラのアングルにもよるんだろうけど、あんなに迫力があるものだということは、今回のオリンピックで初めて知ったよ。

将来のオリンピックはつねに無観客で、テレビ観戦だけという新しい時代の幕開けになるかもしれない。
自転車競技なんてテレビで観たほうがよっぽど迫力がある。
さらに進むと、競技そのものもコンピューターを使って、だれでも(わたしにでも)参加できるバーチャル競技ばかりになるかもしれない。
「スターウォーズ」の何作目だったかに、宇宙でのカーレースがあったけど、あんな感じだ。
そういえば、すでにeスポーツを使ったオリンピックもあるんだってね。
わたしはもうすぐ老衰で死ぬんだから、なんだっていいけど。

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2021年8月 7日 (土)

官僚主義の勝利

選挙になるととかく評判の悪い官僚主義だけど、今回のオリンピックについては、これは官僚主義の勝利といえるのではないか。
開催まえはいったいどうすればいいのかと、わたしなら発狂してしまいたくなるくらい、いろんな問題を抱えたオリンピックだった。
ぜんぜん関係のない輩がやめちまえと百家争鳴し(そのくせ始まるとみんな熱心に観戦するのだ)、政治家があたふたするなかで、日本の役人・官僚はもくもくと自分の役割を考え、自分の仕事をこなした。

競技場の建設が間に合いませんといえば、政治家はなにがなんでも間に合わせろというだけ。
そんな北朝鮮の正恩クンなみの強引な命令にも、いったん発せられれば黙々と従うのが役人・官僚というものだ。
世間が右往左往しているあいだにも、オリンピックの準備はずっと途切れることなく継続していた。
外国の選手をオモテナシのこころで歓迎しろといえば、すぐさまそういう手筈をととのえる。
空腹の選手から苦情が出ないように、また閉じ込められて退屈する選手がないように、選手村のなかに24時間レストランやゲームセンターを開設する。
ボランティアが足りませんといえば、日本中にはりめぐらせた役所のネットワークですぐに補充する。

政治家なんて楽なものだ。
これ、やっとけといえば、どんな無理難題でも、あとは役人・官僚がぶつくさいいながら、ちゃんとよきに計らってくれる。
今回のオリンピックはほぼ成功まちがいなしだけど、それはこういう無言で仕事をする役人・官僚たちに支えられたといって過言ではないと思う。
え、台風が来てるって?
そればっかりは役人にも官僚にもどうにもならんかもね。

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アフリカ/ナイロビ

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旅行の好きな人ならだれでも「地球の歩き方」というガイドブックを知ってると思う。
まだインターネットがそれほど普及しておらず、ほかに情報を得る手段が乏しかったころ、わたしも海外旅行に行くときは、これを徹底的に読み込んでから出かけたものだった。
このガイド・シリーズは世界を網羅していて、もちろんアフリカもある。
ブログ記事の参考になるかと思って、いちおう図書館で目を通してみたら、ケニアの首都ナイロビは、高層ビルのたちならぶ近代都市であると同時に、そうとう危険な街でもあるようだった。
ポール・セローは、夜中に移動するときはかならずタクシーを使えといわれて、それを忠実に守っている。
彼の旅はもう20年もまえのことだけど、最新版の「地球の歩き方」にも同じ注意が書いてあった。

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ケニヤ山の近くの町ナニュキから、セローはすし詰めのタクシーでナイロビにやってきた。
現代のナイロビはアフリカでも有数の大都会だけあって、ストリートビューも街をくまなくカバーしており、かえって目標を定めにくいくらい。
同じ大都会でもニューヨークや東京と異なるのは、こんな大きな動物が郊外をうろうろしていることだろう。

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この街のランドマークタワーは「ブリタム・タワー」といって、夜ながめるとライトアップされてきれいだけど、昼間見るとまわりの景色はこんな感じで、おもしろくもなんともない。

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駅を探してみたら、中国に金を出してもらったのか、すごい立派な駅があった。
まだ駅前広場は造成工事が終わってないから、つい最近できたものにちがいない。
セピア色の写真はセローが旅をしていたころの駅。
ストリートビューが完備していると、こんなふうに街のなかをくまなく見てまわることができる。
これでは現実の旅とコンピューターのなかの仮想旅行で、受ける喜びは変わらないということになり、いったい旅というのはなんだろうと考え込んでしまう。

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セローはここで「ニュー・スタンレー・ホテル」というホテルに泊まっているから、それを探してみた。
この名前で検索すると「サロバ・スタンレー(Sarova Stanley)」というべつのホテルがヒットした。
どうやら名前が変わったらしいけど、このホテルはヘミングウェイやチャーチルも泊まったこともある由緒あるホテルで、名前は変わっても建物はほとんどむかしのままだった。
セローはこれまでホテルにあまり贅沢をしなかったけど、安全を考慮したのか、それともここまで来ればひと安心ということで、保養のつもりで贅沢をする気になったのか。
まえに書いたように、ナイロビからはもうアフリカ最南端のケープタウンまで、鉄道で行くことも可能なのである。

ナイロビにはインド人が多かった。
ケニアのかっての宗主国だった英国は、アフリカ人を労働者として利用するために仕事や勤勉さを教えこもうとしたけれど、とうてい無理だという結論に達して、同じ植民地だったインドから人間を大量に移住させたのだ。
自分たちがやるにはメンドくさい仕事を、彼らに肩代わりさせるためで、香港にもインド人が多いということは邱永漢さんの本に書いてあった。

セローが話を聞いたインド人は、この街はひどいところだという。
強盗や泥棒がいたるところにいて、米国大使館爆破事件の調査のために訪れたFBIの捜査官が、あっという間に財布と拳銃を盗まれたこともあったそうだ。
そんな物騒なところが見てみたいと、ストリートビューで裏通りや貧しい地域を重点的に探してみた。
あいかわらずヒトがわるいなといわれそうだけど、先進国と同じような景色には興味がないもんで。

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たしかに貧しいところは徹底的に貧しい。
先進国の都市がしだいに堕落した米国とは事情が異なるけど、すさんでゴミだらけのところは似たようなものだ。

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街のなかにゴミをあさるハゲコウも棲みついていたそうである。
この鳥はさすがに米国にはいないから、バードウォッチャーの観点から注目しておくと、ごらんのようにあまり可愛らしい鳥ではない。
しかしこれは残飯を放置する人間のほうに問題があるので、つらがまえについては鳥に罪があるわけじゃない。

セローはパーティで知り合ったケニアの作家に話を聞く。
国際的な作家だけあって、セローがこうしたサロン的パーティに招かれることはよくあったようだ。
ただ彼は強盗に狙われないように、できるだけボロっちい服装で旅をすることにしていたから、そんなパーティにどうやって参加したのか、ちと気になる。

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このとき会話した相手はワホメ・ムタヒといって、政権にたてついたということで15カ月の獄中生活を送った人である。
彼の作品には「ケニア人になる方法」なんて本があって、これは自分自身とケニア人を自虐的につづったユーモアのある本らしいから、読んでみたかったけど、近隣の図書館のどこにも置いてなく、ヤフオクにも出品されてなかった。
どうやら日本語版は出てないようだ。

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この作家とセローはケニアの現状や、未来の展望について語り合うけど、それははなはだ悲観的なものだった。
援助するからいけないんですよというのがふたりの一致した考え。
アフリカの困窮をみかねた欧米や日本がいくら支援したって、政治家がその金をみんなふところに入れるから、ザルで水を汲むようなものだし、国民は援助になれてしまって自立しようという考えを持たなくなってしまう。
かって援助大国だった日本はさんざん煮え湯を飲まされて、最近は現金ではなく、インフラ整備や教育支援などの中抜きしにくい援助に力をそそぐようになった。
かわってアフリカに進出したのが中国である。
今度は中国がむしり取られることになるのかと思ったら、中国もバカじゃない。
かならず担保を取るのが中国のやり方だけど、アフリカもバカじゃない。
港湾の使用権や鉱山の採取権なんてものは、現ナマが途切れたらとたんに反故にされるに決まっている。
中国の夢は、あの国の繁栄がどれだけ続くか、いつまで気前よく金を出せるかにかかっているのだ。

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それにしたって、セローの旅からもう20年経っている。
ケニアはいまでも貧しい第三世界の国のままなのだろうか。
オリンピックでケニアのバレーボール選手のくったくのない笑顔などを見ると、あまり不幸を感じないんだけど、と思っていたら、まだつい最近ネットで、ナイロビ在住のある人が、車の窓から無用心にスマホを突き出して、どのくらいひったくりに遭うかテストする映像を見た。
いや、つぎからつぎへとカモがひっかかること。
ナイロビが犯罪多発都市であることはいまなお事実のようだった。

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2021年8月 6日 (金)

テコンドー

オリンピックで空手の試合を観た。
気のドクだねえ。
どうしても、そのまえに観たテコンドーと比較してしまうんだけど、空手とテコンドーってどこが違うのさ。
しいてえば、空手のほうが動きが激しくて乱暴なことかしら。
女性が護身術として習うなら空手のほうだけど、乱暴すぎて健全なオリンピックにはふさわしくないと、将来的にも正式種目として取り上げられることはないようだ。
それでも観ていておもしろいのは、どうしたって空手のほうで、テコンドーってぽんぽん飛び跳ねながら、シャモの喧嘩みたいに足で蹴りあうだけじゃないか、とこれは韓国人の意見である(わたしがよく読むネット掲示板によると)。
競技人口の少ない種目だから、これならオリンピックに出るのも簡単だろうと、日頃あまり五輪に縁のない途上国がぞろぞろ参戦して、おかげで発祥の地である韓国が勝てなくなってしまった。
もともと日本への対抗意識から無理やり五輪の種目にねじこんだもので、伝統があるわけじゃないし、国が総力をあげて支援でもしないと、韓国の成績が向上することはこの先もないだろう。
こんな競技はやめちまえと、そういってるのはわたしじゃなくて、当の韓国人である(わたしがよく読むネット掲示板によると)。

しみじみ気のドクだ。
今回のオリンピックで、韓国のむやみな反日の実態も世界に知れ渡っちゃったし。

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2021年8月 5日 (木)

見分ける方法

あいかわらず世間には、世を憂いているようにみせて、そのじつ個人のうっぷんを晴らしてるだけの意見が多いねえ。
そりゃだれがどんな意見を吐こうが、表現の自由が確立されている日本では文句をいうスジじゃない。
しかしそんなものにまどわされて、なにが正しいのかと、判断に迷う若い人たちがいるとしたら気のドクだ。
そこで老婆心ながら、人生の大先輩で、とうぜん先にあの世に行くことになるわたしが、そういう意見を見分ける方法を伝授しておこう。
若い人たちが悩んでいると思ったら、無念で、死んでも死にきれんよ。

現在はネットを使ってだれもが自分の意見を主張できる時代だ。
そういう意見のなかから、なにが正しいのかを見分けることはひじょうに重要なことだ。
まず言葉使いに注目しよう。
〇〇の野郎とか、〇〇どもとか、“支那人”は“朝鮮人は”などと、相手に面と向かっていえない言葉が使ってあれは、それだけでもうほとんど無視してかまわない意見だ。
例外はわたしのブログで、たまに意識してイケナイ言葉を使うこともあるんですよ。
先日読んだネット記事では、日本の首相を“貧相な顔”と書いていた。
貧相かどうかは個人の主観に属するものだから、書いた本人はどんな高貴な顔をしているのか、確認するまではこれも無視しよう。
言葉使いはわかりやすいから、まずこれが見分けるひけつだ。

すこしむずかしくなるけど、個人の主観だけにもとずいてないかどうかを考えることも必要だ。
たとえばNHKは偏向しているからキライだという人がいる。
しかしその一方で、NHKしか観ないというわたしみたいな人間もいるのである。
なんでNHKしか観ないのか、理由が必要なら10でも20でも挙げてみせるけど、だいたい民放の番組で偏向してないところがあるだろうか。
そういうことを公平客観的に自分の頭で考えてみよう。

このオリンピックが始まるまえは、コロナのさなかになんでそんなお祭りをして喜んでいるんだという意見も多かった。
判断に苦しんだ若い人たちもたくさんいたにちがいない。
しかし開催してみると、ほとんどすべての外国人選手、関係者から素晴らしいという賛辞の声が寄せられている。
わたし自身も、もしもオリンピックがなかったら、緊急事態宣言をくらって、部屋で畳の目でも数えているしかなかっただろう。
世の中には自衛隊なんてムダだ、廃止してその金を福祉にまわせなんて極端な意見もあるけど、世界に貢献するために国家が担わなければならない義務というものもあるのである。
自分たちだけの判断でかんたんに割り切れる問題なんてないと思っていたほうがよい。

もっとむずかしくなるけど、相手の立場で考えてみることも必要だ。
かんたんそうだけど、人間というのはどうしても自分の立場でものを考えてしまう生きものなので、最近はこれのできない人がますます増えているのである。
これもネットで見た記事だけど、日本政府がコロナ患者に対し、原則自宅療養で、中等症では入院できないと宣言した。
たちまちケシカラン、方針がころころ変わる、日本政府は国民を見捨てた、馬鹿だ、チョンだという意見の洪水だけど、なんで政府はそんなことをいいだしたのかと考えてみればよい。
このままでは病院が満杯になってしまうから、ということはだれでも思いつくだろう。
方針がころころ変わるというけど、相手は変幻自在のウイルスだ。
ぜんぜん予期してなかった感染力の強いウイルスか出現した。
さあ、ワクチン接種は完璧だと思っていた政府、そして2回目の接種を終えて安心していたわたしも大慌てだ。
新しいウイルスには新しい対応を考えなければならない。
あなたが政治家なら、方針をころころ変えずに済ませられるだろうか。

さらにもっと広範囲な視点を持つことも大切だ。
病院が満杯になるなら増やせばよいと単純に考える人がいる。
病院を増やしても、お医者さんや看護師を増やすのはかんたんではない。
そもそも重症者以外は入院させないという政府の方針転換は、じつは、オレたちを過労死させる気かという医療従事者からの要請だった可能性もあるので、それは政府の無能によるものだろうか。
相手の立場を考えるというのは、ようするに自分だったらどうするかと考えることである。
自分ならどうする?と、つねに相手になったつもりで考えることは、それが自分たちの未来を守ることでもあるのだ。

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2021年8月 4日 (水)

デイリー新潮

なに考えてんだろうね。
というのはネット上の「デイリー新潮」の記事。
それにこんなことが書いてあった。
『しかし今回、東京五輪に参加する海外の選手や関係者が日本のおもてなし精神を感じられる機会はほとんどない』
じっさいは外信のコピーらしいけど、どうどうと載せた時点でデイリー新潮の記事とみなされてもおかしくない。

まったく正反対じゃないか。
わたしなんか恥ずかしくなるくらい、この五輪で日本のおもてなしに感動する選手たちを見ているけど、それって全部ウソなのか。
それともジョークなのか。
たまたまひとりだけ、選手村は刑務所かという選手がいたことは知っているけど、理由は外出や団体行動の禁止など、制約ばかりで自由がないということらしい。
しかし今回ばかりはそれがやむを得ない措置だったことは、小学生でもわかっていることだ。

どうもそうじやないようだ。
この記事の主旨は、選手ひとりひとりに配られるはずだったコンドームが、大会期間中は使われず、選手が帰国するときになって配られたということで、うん、これは3面記事にしたらおもしろそうってことなんじゃないか。
ずうっとむかし、オリンピックの選手村で乱交したオーストラリアの水泳選手がいて、オリンピックはそういうものだという下卑た見方があり、この記事が書きたかったのもそれなんだろう。
もと記事は週刊新潮らしいけど、あそこはかっての「フォーカス」のようにまじめな記事もあれば、こういうイヤらしい記事もある。
ま、朝日や毎日に比べれば毒がないから、わたしはあまり気にしないけど。

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2021年8月 3日 (火)

狂い咲き

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4月にこのブログで紹介した、自転車置き場のわきの小さな藤棚。
わたしの部屋から見下ろせるんだけど、そこにいま紫色の花がいくつか咲いている。
ええ? 藤っていまごろ咲くのかとビックリ。
わたしが今年の藤の花のことを書いたのは4月15日のことだぜ。
そしていまは8月じゃないか。
なんか天変地異のまえぶれでなきゃいいけど、つまり狂い咲きってことか。
ま、覚悟はできてるから、いまさら騒がない。
歌でもひとつひねっておこう。

  回春のひけつをとくと糾したし
         立たぬムスコに8月の藤


どうじゃ、このユーモアとペーソス。
身につまされて共感を感じるじいさんもいるんだろうなあ。お互いサマ。

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2021年8月 2日 (月)

アフリカ/ケニア山

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満身創痍の車でポール・セローは、なんとかかんとかアーチャーズ・ポストにたどり着いた。
この写真はアーチャーズ・ポスト近くの幹線道路で、やはり道はいい(ただしわき道に入らなければ)。
2枚目は町の郊外を流れる川。

ところでアーチャーズ・ポスト(Archers Post)というのは現地語らしくない。
なんかほかの意味があるのかと調べてみたら、武装兵士がドンパチしてる写真がたくさん見つかった。

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アフリカはどこでもしょっちゅうトラブっているところが多いから、またイスラムの過激派でも侵入したのかと思ったら、じつはアーチャーズ・ポストはいまでも英国軍が訓練地として利用しているところだった。
見つかったのは訓練の写真だったわけで、この地名が英語の軍隊用語だとしたらなんとなく納得できる。

アーチャーズ・ポストでセローはトラックと別れを告げることにした。
トラックに乗っていたのは若者が多く、あまり知性を感じさせる者はいなかったし、おじさんのセローは居心地のわるいものを感じていたらしい。
こうなると首都のナイロビまで、また別の足を見つけなければならないけど、セローは時間も金もある男だから、また家畜運搬トラックでも捉まえるか、いよいよとなったら金を積んで地元の車をチャーターしたっていいくらいのつもりだったのだろう。

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たまたまエチオピアのハラールへ行くときと同じように、尼僧の乗るジープに出会ったので、手を上げるとこころよく乗せてくれた。
話がうますぎるって?
わたしの想像では、このあたりに白人は多くないので、目立つところへもってきて、セローはインテリっぽい風貌の熟年男性だから、尼僧のほうでもそういう男性がいっしょにいてくれたほうが用心棒になっていいと考えたんじゃないか。
今度の尼僧は身のうえ話をしなかったから、ま、容貌はフツーだったのだろう。

尼僧はナイロビの手前にあるナニュキという町に行くところで、セローにここまで来るあいだになにか大変な目にあいましたかと訊く。
ええ、とちゅうで強盗に発砲されましたと答えると、発砲ぐらいケニアではニュースにもなりませんといわれてしまう。
どんなものならニュースになるかというと、600人のポコト族の襲撃で、300の小屋に放火、ウシ数百頭が盗まれ、教師や生徒、生後3カ月の乳児らが殺されたと、つまりその後アフリカで暴れまわったイスラム過激派のボコ・ハラム級の事件を起こさないとダメだそうだ。

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尼僧に送ってもらってナニュキという町に着いたポール・セローは、ケニア山をながめながらのんびりくつろいだ。
雪と氷河をのぞめるバチアン峰のふもとというから、骨休めのつもりでちょっと豪華なロッジにでも泊まったのかもしれない。
のんびりの裏腹に問題もあった。
彼が滞在しているころ、ケニア政府はマウントケニア国立公園内の原始林を、開発業者に売却することを決めていたそうである。
ただしこれは20年まえの話で、昨今ではむやみな開発はしないというのが国際的なトレンドになっていて、登山やトレッキングが観光の主流になっているようだから、わたしも余計な心配はやめてケニア山に登ってみよう。
セローはこの山に登ってないけど、ここにはトレッキング・コースがあって、ストリートビューがカバーしていたから。

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ケニア山は標高が5,199メートルあって、富士山よりずっと高い。
これまで寄ってきたライサミスやアーチャーズ・ポストあたりを見ると、ひろびろとした平野といった感じだから、いきなりそんな高い山が出てくるとびっくりしてしまうけど、ケニアは国の大半が1,100メートルから1,800メートルの高地にある国だそうだ。
だからといって標高1,600メートルの、日本の上高地みたいなところと思ってはいけない。
ここは同時に赤道直下でもあり、降雨量も少ないから、日本人には想像しにくいサバンナ風景ができあがるのである。

悲しいことに野生動物が多いということで、アフリカは金にあかせた無法なハンターたちの絶好の猟場になった。
高性能の火器が普及すると、現地の狩人、また密猟者による殺戮の場ともなって、たくさんいた野生動物の多くが絶滅の危機に瀕するようになった。
ただ、さすがに近年では自然保護が優先ということで、娯楽目的の狩りは禁止されているようである。

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ここでかろうじて絶滅のふちから救われた動物たちをまとめて紹介してしまう。

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アフリカ開拓の初期、まだ動物たちにもかろうじて人間に対抗するすべが残されていた時代、残忍な人間に歯向かった動物もいた。

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ケニアの鉄道について調べていたら、英国がモンパサからナイロビまで鉄道を引く工事をしていたとき「ツァボの人食いライオン」という事件があったことを知った。
その鉄道の敷設工事をしていた1898年ごろ、工事に従事していたインド人労働者が、2頭のライオンに襲われて、ハンターがそれを掃討するまでに30人以上の人間が殺されたという。
このころはまだライオンがたくさんいたらしいけど、現在では野生のライオンなんか見たことがないというアフリカ人のほうが多いようだ。
この写真は射殺されてはく製になったツァボの2頭で、オスライオンだというのにたてがみがない。
ウィキペディアの説明を読むと、暑いところなので、このあたりのライオンはオスでも襟巻きなんかしてられないってことだそうだ。

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事件の起きたツァボというところには、現在でも「人喰い」という地名が残っており、Man Eaters Campというホテルまである。
プールつきの豪華なホテルで、食べたら美味しそうな女の子が泳いでいるらしいっスよ。

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2021年8月 1日 (日)

わたくし論

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『東京五輪メダルラッシュの裏で、マックやスタバでコロナ閉鎖が急増』
『半端ないデルタ株の感染力』
これは7月30日のAERAdot.の記事で、アエラ(AERA)といったら朝日新聞だ。
これは謹聴に値する・・・・なんちゃって。

冷静に考えよう。
いまでもオリンピックとコロナを結びつけて、五輪を強行したのがケシカランという人がいる。
これをネタに自民党政権をこらしめようという人もいる。
でも上に書いてあるように、「半端ないデルタ株」だそうだ。
これじゃ、おそらくオリンピックを中止したって、やはり感染者は新記録になるんじゃないか。
現在のところ、五輪の選手や関係者が原因でパンデミックスという証拠はひとつもない。
感染がわかった競技者は問答無用で出場禁止、競技を終えたんだからいいだろうと観光に出かけたジョージアの選手も資格停止だ。
日本政府はコロナをなんとか制圧しようと必死なのだ。
これについて異論のある人はいるだろうか。

いやいや、そうじゃない。
コロナ蔓延が予想されるのに、オリンピックを強行しようという姿勢がケシカランのだ。
デルタ株は予想外かもしれないけど、オリンピックなんかやるから若い人たちがうかれて、外出禁止も守らないし、感染の拡大に歯止めがかからないのだ。
やっぱりイケナイのは五輪を強行した日本政府だ。

これでは感情論だ。
感染拡大の原因になっているのは、五輪ではなく国民のせいで、これを防ぐにはロックダウンでもするしかない。
あいにく日本は、まえの戦争の反省から、政府が国民になにかを強制することを法律で禁じている。
日本の平和憲法を変えるというと目の色を変えて反対する人たちが、今回は法律を変えてでも国民を強制的に閉じ込めておけというのだろうか。

いまのところ五輪の選手たちからは、日本の素晴らしさについての反響がひじょうに大きい。
YouTubeやインスタグラムには、選手村の食事が素晴らしい、眺めがよい、ボランティアに感謝するという選手たちの意見があふれている(韓国をのぞいて)
そこへもってきて日本の金メダル・ラッシュが、コロナでうちひしがれた日本人に、ひさしぶりの爽快な気分を味あわせてくれている。
五輪が終わったあとは、世界で初めて、凶悪なウイルスのもとでの大会を無事にやり終えた、さすがは日本だという賞賛の声がまきおこるだろう。
つぎの大会をひかえた中国やフランスなども、日本を参考にしようとひそかに研究しているにちがいない。

こう考えると日本の決断は、なんとか日本をけなそうというケチな感情論より、はるかに価値があると思えないだろうか。
それとヒキガエルになんの関係があるのか。
いや、前々日のこの記事にヒキの写真を使ったらアクセスがぐーんと伸びた。
ヒキガエルって人気があるのかも知れないから、夢よ、もう一度って。

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