アフリカ/ケニア山
満身創痍の車でポール・セローは、なんとかかんとかアーチャーズ・ポストにたどり着いた。
この写真はアーチャーズ・ポスト近くの幹線道路で、やはり道はいい(ただしわき道に入らなければ)。
2枚目は町の郊外を流れる川。
ところでアーチャーズ・ポスト(Archers Post)というのは現地語らしくない。
なんかほかの意味があるのかと調べてみたら、武装兵士がドンパチしてる写真がたくさん見つかった。
アフリカはどこでもしょっちゅうトラブっているところが多いから、またイスラムの過激派でも侵入したのかと思ったら、じつはアーチャーズ・ポストはいまでも英国軍が訓練地として利用しているところだった。
見つかったのは訓練の写真だったわけで、この地名が英語の軍隊用語だとしたらなんとなく納得できる。
アーチャーズ・ポストでセローはトラックと別れを告げることにした。
トラックに乗っていたのは若者が多く、あまり知性を感じさせる者はいなかったし、おじさんのセローは居心地のわるいものを感じていたらしい。
こうなると首都のナイロビまで、また別の足を見つけなければならないけど、セローは時間も金もある男だから、また家畜運搬トラックでも捉まえるか、いよいよとなったら金を積んで地元の車をチャーターしたっていいくらいのつもりだったのだろう。
たまたまエチオピアのハラールへ行くときと同じように、尼僧の乗るジープに出会ったので、手を上げるとこころよく乗せてくれた。
話がうますぎるって?
わたしの想像では、このあたりに白人は多くないので、目立つところへもってきて、セローはインテリっぽい風貌の熟年男性だから、尼僧のほうでもそういう男性がいっしょにいてくれたほうが用心棒になっていいと考えたんじゃないか。
今度の尼僧は身のうえ話をしなかったから、ま、容貌はフツーだったのだろう。
尼僧はナイロビの手前にあるナニュキという町に行くところで、セローにここまで来るあいだになにか大変な目にあいましたかと訊く。
ええ、とちゅうで強盗に発砲されましたと答えると、発砲ぐらいケニアではニュースにもなりませんといわれてしまう。
どんなものならニュースになるかというと、600人のポコト族の襲撃で、300の小屋に放火、ウシ数百頭が盗まれ、教師や生徒、生後3カ月の乳児らが殺されたと、つまりその後アフリカで暴れまわったイスラム過激派のボコ・ハラム級の事件を起こさないとダメだそうだ。
尼僧に送ってもらってナニュキという町に着いたポール・セローは、ケニア山をながめながらのんびりくつろいだ。
雪と氷河をのぞめるバチアン峰のふもとというから、骨休めのつもりでちょっと豪華なロッジにでも泊まったのかもしれない。
のんびりの裏腹に問題もあった。
彼が滞在しているころ、ケニア政府はマウントケニア国立公園内の原始林を、開発業者に売却することを決めていたそうである。
ただしこれは20年まえの話で、昨今ではむやみな開発はしないというのが国際的なトレンドになっていて、登山やトレッキングが観光の主流になっているようだから、わたしも余計な心配はやめてケニア山に登ってみよう。
セローはこの山に登ってないけど、ここにはトレッキング・コースがあって、ストリートビューがカバーしていたから。
ケニア山は標高が5,199メートルあって、富士山よりずっと高い。
これまで寄ってきたライサミスやアーチャーズ・ポストあたりを見ると、ひろびろとした平野といった感じだから、いきなりそんな高い山が出てくるとびっくりしてしまうけど、ケニアは国の大半が1,100メートルから1,800メートルの高地にある国だそうだ。
だからといって標高1,600メートルの、日本の上高地みたいなところと思ってはいけない。
ここは同時に赤道直下でもあり、降雨量も少ないから、日本人には想像しにくいサバンナ風景ができあがるのである。
悲しいことに野生動物が多いということで、アフリカは金にあかせた無法なハンターたちの絶好の猟場になった。
高性能の火器が普及すると、現地の狩人、また密猟者による殺戮の場ともなって、たくさんいた野生動物の多くが絶滅の危機に瀕するようになった。
ただ、さすがに近年では自然保護が優先ということで、娯楽目的の狩りは禁止されているようである。
ここでかろうじて絶滅のふちから救われた動物たちをまとめて紹介してしまう。
アフリカ開拓の初期、まだ動物たちにもかろうじて人間に対抗するすべが残されていた時代、残忍な人間に歯向かった動物もいた。
ケニアの鉄道について調べていたら、英国がモンパサからナイロビまで鉄道を引く工事をしていたとき「ツァボの人食いライオン」という事件があったことを知った。
その鉄道の敷設工事をしていた1898年ごろ、工事に従事していたインド人労働者が、2頭のライオンに襲われて、ハンターがそれを掃討するまでに30人以上の人間が殺されたという。
このころはまだライオンがたくさんいたらしいけど、現在では野生のライオンなんか見たことがないというアフリカ人のほうが多いようだ。
この写真は射殺されてはく製になったツァボの2頭で、オスライオンだというのにたてがみがない。
ウィキペディアの説明を読むと、暑いところなので、このあたりのライオンはオスでも襟巻きなんかしてられないってことだそうだ。
事件の起きたツァボというところには、現在でも「人喰い」という地名が残っており、Man Eaters Campというホテルまである。
プールつきの豪華なホテルで、食べたら美味しそうな女の子が泳いでいるらしいっスよ。
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