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2021年9月

2021年9月30日 (木)

ミスター・ゴルゴ

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さいとうたかをさんが亡くなったそうだ。
わたしはこの漫画家にもゴルゴ13にもぜんぜん興味がないんだけど、いささか調べているうちに、彼の時代、ということはわたしの時代についていろいろ思い当たることがあった。
わたしの時代というのは、わたしも漫画家になりたくて四苦八苦していたころのことである。

ゴルゴ13については、当時ブームだった映画007に影響された荒唐無稽なマンガだろうというのがわたしの見立て。
悪いけど当初から絵がうまいと思ったことはいちどもない。
ストーリーも大勢で考えているというので、それならネタが尽きないってことも当然だろうぐらいしか思わなかった。
ミスター・ゴルゴについてはこのくらい。

大人の鑑賞に耐える作品の嚆矢ということを聞いて、白土三平のほうが古いだろうと思った。
この時代は手塚治虫に代表される子供向けの絵柄のマンガがそろそろ飽きられて、あちこちで大人向けのマンガ(劇画)が流行り始めたころだ。
白土三平は「ガロ」を創刊し、手塚治虫は「COM」を創刊した。
なまいき盛りの当時の大学生に熱狂的に歓迎されたのはガロのほうだったけど、へそまがりで、全共闘や学生運動に不信感を持っていたわたしの好みは、SF的要素やモダーンな感覚を持ったCOMのほうだった。
そんなことはべつにして、この両雑誌が漫画家をこころざしていた若者たちのバイブルであり、そのいずれにもキラ星のごとき新星が名を連ねていて、わたしのような凡才もおおいに刺激されたことは事実である。

COMという本の名前はコンピューターの頭3文字から来たのかとずっと思っていたけど、調べたらそんなことはなくて、コミックやコミュニケーションから来ているのだそうだ。
考えてみれば発刊は1967年のことで、まだ現在ほどコンピューターがありふれたものになっていたわけではないから、COMがコンピューターの頭3文字というのは偶然らしい。
しかし鉄腕アトムは電子頭脳を持ったロボットということになっていたから、すでにコンピューターの概念は、手塚先生あたりになれば脳裏になかったはずはなく、あるいはその意味もあったかもしれない。

COMには哲学的内容を持った「火の鳥」のような、風雪に耐える大作も連載されており、現在ではガロと立ち位置が逆転した(ようにわたしには思える)。
時代にあらがって、当時の世相に叛逆したわたしの信念はまちがってなかったと思う。
ところでCOMもガロもすでに忘却の彼方だ。
どちらが素晴らしいかという問題には意味がない。
わたしは大人向けのマンガが切磋琢磨した青春時代に、それを身をもって体験したということだけで満足している。
ゴルゴ13のように、作者の個性がほとんど見えないマンガが当たり前の現在、あれはいったいどういう時代だったのだろう。

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2021年9月29日 (水)

また高麗の里

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昨日は、恒例になった高麗の里の散歩。
ヒガンバナは今年も累々たるしかばねだったけど、あの広々とした田園風景は、ただの散歩をするだけでも魅力的なところだ。
そんでもって
あー、くたびれた。
わたしの老人化はいよいよ順調。
帰宅して、綿のようになってベッドに倒れ伏し、ようやく目をさまして、さあ、これからいろいろ仕事をしなくちゃ。
昨日の散歩でゲットした青いカボスとユズを使って、カボス焼酎と今年最初の湯ドーフでも作るか。
人生の秋は深い。

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添付したのは古代米の畑の写真で、稲穂はいままさに花盛り。

  焼酎を青いカボスで割る夜に
       いにしえ人をしみじみ思う

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2021年9月28日 (火)

アンダーグラウンド

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最近はほんとうにおもしろい映画、観たい映画がない。
だからこのブログの「壮絶の映画人生」に書く記事もないし、あっても倉庫から引っ張り出したような古い映画ばかりだ。
とぼやいていたら、最近とてもおもしろい映画に出会ったので、ひさしぶりに映画コーナーの更新だ。
最近といったけど、じつは1995年の映画なので、これももう30年ちかくまえの映画なんだけどね。

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旧ユーゴ出身の映画監督でエミール・クストリッツァ(Emir Kusturica)という人がいる。
以前このブログでも「ライフ・イズ・ミラクル」という彼の映画を取り上げたことがあって、わたしは “深刻な内容をユーモアでくるんだ、わたしの理想といっていい映画” と褒めたことがある。
彼の「アンダーグラウンド」という映画が、すこしまえにBSで放映された。
わたしは「ライフ・イズ」のことをよくおぼえていたし、たった1作だけでベタ褒めするには抵抗があったから、また録画してじっくりと観た。
その結果、わたしは断言するけど、この映画は(とくに最近では)まれにしか見られない傑作である。

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3時間ちかくある映画なので、ストーリーを紹介しながら、どんなところが素晴らしいかを説明してみよう。
と思ったけれど、正直いってストーリーを順序よく紹介しただけでは、逆にがっかりされるだけのような気がする。
おおざっぱなストーリーは、ナチスドイツに侵攻されたユーゴスラビアで、地下にもぐって抵抗を続ける人たちの、戦中、戦後、そして国が分裂して内戦に至るまでの長い歴史を描いた(とされる)大河ドラマだけど、とてもこんな常識的な説明だけでは収まらない。

まじめな顔をして観ていると、途中から時系列がめちゃくちゃになり、過去から現代、現代から過去にもどったり、劇中劇の登場人物が現実の人物と入れ替わったり、死んだと思った登場人物がまた出てきたり、常識で考えればおかしい場面がたくさんあって、もうなにがなんだかわからなくなる。
こんなことを書いたら、そんな映画のどこかおもしろいんだ、おまえはアホかといわれてしまいそう。

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でも観ていて感心したのは、最初から最後まで、じつに楽しい映画だということだ。
芸術的かどうか知らないけど、タルコフスキーのように始めから終いまでしかめっつらをしているような映画や、日本のどこかの監督のように、深刻なテーマをまっ正面から描いたようなものは、わたしはあまり好きじゃない。
その点この映画はドンパチあり、おふざけあり、すこし安っぽいけど幻想的な場面あり、ヒロインは日本人好みの美人だし、そういうヒロインが大胆なポーズをとってしまうしするし、いささか誇張された人物がはちゃめちゃな行動をして、ナンセンスなギャグ映画のようでもありで、まったくムズカシイ芸術作品という気がしないのだ。
フェリーニの「アマルコルド」を観た人がいれば、ちょうどあれをもう少しだけ騒々しくしたような映画といっておこう。
俺はアマルなんとかいう映画を観たことがないという人は、くそっ、単純でわかりやすいアメリカ映画でも観てやがれ!

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トラやゾウやロバやガチョウ、そしてこの映画ではチンパンジーが主要な役割を担っていて、そういう動物たちが自然なままの演技するのも楽しいし、すごく太った女や頭のよわい人物、サーカスや道化師はないけど精神病院が出てくるところ、やたらに音楽を演奏する場面があるところもフェリーニの作品を思わせる。
監督のクストリッツァは多芸な芸術家のひとりで、自分のバンドを持っており、仲間たちとロックやジャズを演奏している映像まで YouTube に上がっている。
この音楽仲間が映画にも出演しているようだし、「ライフ・イズ・ミラクル」ではテーマ音楽も自分たちで作曲していた。
わたくしごとで恐縮だけど、熊本のKさんや幼なじみのカトー君のように、最近の芸術家はひとつの分野だけじゃ創作本能を抑えきれないようだ。

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しかしユーゴという地味な国の映画なので、これを観られた人は多くないだろう(わたしだってテレビで放映されなかったら、わざわざ観ることはなかったはず)。
もしもテレビで見逃した人がいたら、「アンダーグラウンド」は映画がそっくりYouTubeに上がっているから、それを観ればよい。
字幕が日本語じゃないから意味はわからないけど、どうしてもストーリーを知りたいなら、ウィキペディアにあらすじが出ています。

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これはユーモアと寓意をちりばめた大人のための童話なのだ。
フェデリコ・フェリーニの名声を知っている人には、クストリッツァ監督はフェリーニの後継者であるといっても差支えない。
映画のラストでは、中洲のようなところでパーティをする人々を乗せたまま、島が陸地から切り離され、川のなかへゆっくりとただよっていく。
「81/2」のような全員による明るい大団円であると同時に、行先もわからないユーゴの人々の、不安や哀しみがしみじみと伝わってくる映画なのだ(この映画の制作当時、まだユーゴの内戦は完全には終わっていなかった)。
「ライフ・イズ」のときも書いたけど、おもしろうてやがて悲しき〇〇かなという句趣どおりの結末ではないか。

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2021年9月27日 (月)

引き返せない歳

お手軽に知り合いの輪を広げられるというポリシーが好きになれないので、フェイスブックにはこちらの安否情報のつもりで、ときどきカバー写真を変えるくらいのことしかしていない。
しかるに最近、わたしの知り合いで、めったにパソコンなんか触れたことのない人間からコメントがついた。
カバーに使った花の写真がいいねえという。

だいぶしばらく疎遠だった男で、わたしがいまの団地に越したあとのことも知らせてなかったから、いくらか冗談めかして
「この歳になって幸せを噛みしめているよ」と返事を書いておいた。
これだけだ。
あまり詳しいことを書くと、知られたくない知り合いにまでみんな吹聴したがる男だということがわかっているから、それ以上のことは書かなかった。

ところがこれに対してまたコメントがついて
「おめでとう御座います! 今までの苦労が報われましたね」だって。
どうもわたしが結婚したと思っているようだ。
それともわたしをからかっているのかしらん。
詳しく書かなかったわたしが悪いけど、わたしの歳で結婚なんかしたがる人間がいるのか。

わたしがいちばん苦手なのが、こういう、結婚して子供を持つことが人生の最大の幸せと信じているタイプ。
人間の幸せというのはそれだけなのかと、わたしはずっと悩み苦しんできた。
この歳になって幸せだというのは、もはやそういった細事から脱却して、好きな本を読み、好きな音楽を聴き、書きたいことを書きなぐり、たまに花壇の手入れをするような人生の到達点(終着点?)に達したからだ。
もはや迷っても引き返すことのできない歳になったからである。
相手は若い時から順風満帆の人生を送ってきた男。
だからこれ以上返事は書いてない。

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2021年9月26日 (日)

オクラの花

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ボランティアで花壇の手入れをしていた6号棟さんがいなくなって、目下、花壇の手入れをしているのはわたしと、もうひとりのおばさんである。
彼女は勝手に花壇にビールロープを張っちゃって、わたしまで立ち入り禁止にしたことがあって、先日は「このクソばばぁ」と(わたしに)罵しられていたけど、花の面倒見はわたし以上にいいようだ。
わたしが草むしりしかしないのに比べ、彼女は自分の領域にやたらにいろんな花を植えまくっている。
日日草なんか苗を買ってきて自分で植えているらしい。
ほかにもミニトマトやオクラ、フキ、ショウガ、ハーブ、最近はビワの木まで植えて、自分専用の家庭農園のつもりらしいから、先祖は農耕民族の末裔なのかもしれない。
でもいいんだろうか、公共の団地の花壇を個人的な畑にしちゃって。
しかし、わたしも野菜が好きだから、それもいいかなと思う。
花壇の斜面全体に野菜をたくさん植えてもらうと、ラーメンの具ていどには不自由しないし、近い将来の食料危機にも耐えられるかも。

おばさんが植えたオクラに花が咲いた。
早朝にしか咲かないというので、これは昨日の朝早くに撮ったもの。

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2021年9月25日 (土)

ひいきの引き倒し

やれやれ、見苦しい。
YouTube 
などを観ると、高市サンを当選させようと、ネトウヨたちが死に物狂いになっているように見える。
他の候補の映像はひかえめだけど、高市サンだけが突出しているじゃないか。
どうせ同じ自民党のなかの選挙だし、だれが勝っても、たとえばいきなり韓国に対する締め付けを緩めるとは思えないんだけどね。
にもかかわらず、他人の足をひっぱってでも高市サンを当選させようなんて、見苦しいのひとこと。
これを見ていて、ちょうど韓国人が日本をおとしめる態度そのものだなと思うのはわたしだけか。
そういう映像があまりにあこぎなので、へそ曲がりのわたしは、高市サン以外なら誰でもいいという考えに落ち着きそう。
こういうのを贔屓の引き倒しというんだ。

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2021年9月24日 (金)

ヒガンバナ

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わが家の花壇に今年も咲きました、という報告のつもり。
  ひたぶるに 秋の斜陽を 曼殊沙華

あれよあれよという間に今年もヒガンバナの終わりの季節。
  これもまた 冥途の旅の 一里塚

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2021年9月23日 (木)

アフリカ/ダルエスサラーム

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ポール・セローは列車のなかでまだ知的なアフリカ人と会話している。
アフリカの農民のほとんどは市場原理ということを知らない。
タバコが儲かると思えばわれもわれもと栽培に手を出し、サイザル麻という植物がロープの材料として売れるとわかればわれもわれもで、けっきょく生産しすぎて値崩れをおこす。
蜂蜜生産はどうなったと訊くと、教えてくれた欧米の支援団体が帰国したとたんにダメになりましたといわれる。
セローがうんざりするのももっともだけど、ここで資本主義について解説しても仕方がない。

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なんか視覚に訴えるネタはないかと思っているうち、東西に走る鉄道の中央本線と、北部幹線道路がまじわるドドマという街に着いた。
タンザニアの首都機能はダルエスサラームにあるけど、名目上の首都はドドマである。
名目上でもいちおう首都なので、この国の初代大統領で、国父とされるジュリウス・ニエレレさんの銅像もここに建っている。
この大統領の就任は1962年で、彼はアフリカの権力者としては例外的に、権力に固執せず、清廉な人であったそうだ。
ただ彼がめざしたのが社会主義で、まだ生存中だった毛沢東に支援を仰いだのが間違いだったのか、それともアフリカ人をイデオロギーでまとめようとしたのが失敗だったのか、この政策はやがて破綻した。
セローが住んでもいいと書くくらいだから、ドドマはいい街みたいだけど、インフラの荒廃で幹線道路は凸凹だったそうだ。

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鉄道駅のようすはこんな感じで、古い写真と比べてもあまり変化したようすがない。
街の中心部にシンバ・ヒルという岩山があって、これはいい目印になる。

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モロゴロという町の手前で、列車はふたたび停車し、そのまま7時間も動かなくなってしまった。
そんな田舎をストリートビューがカバーしているはずがないだろうけど、いちおうどんなところなのか調べてみたら、鉄道の写真がいくつか見つかった。
英国もドイツも手入れをしてないという話だったのに、これで見ると枕木も新品のコンクリート製で、線路はつい最近作られたもののように見える。
どうやらセローの旅のあとで、タンザニアには中国の援助がそうとう入っているようだった。
初代大統領の時代に中国の援助が、人的なものも含めておおいに流れ込んだけど、いったん間をおいて、現代のタンザニアは2期目の中国の支援時代なのかもしれない。

こういうのはどうなんだろう。
中国のやることはなんでも警戒する人たちがいるけど、いま中国がやっていることは、かって日本がやっていたことを引き継いだだけにすぎない。
景気がわるくなって日本が支援をしぼったところへ、景気のいい中国が乗り出したわけで、金の切れ目が縁の切れ目、将来アフリカはまたもっと景気のいいスポンサーを見つけるかもしれない。
豊かな先進国から、貧しい途上国に富が還元されているという見方もできるから、金は天下のまわりものという現象だと思えばいいのかも。

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こうやって列車が駅でないところで臨時停車すると、どこからあらわれたのか、食べ物や飲み物を売る人間が集まってくる。
こういうところは中国でもいっしょだった。
わたしは中国の開封で黄河を見に行ったことがあるけど、べつに観光地でもないふつうの場所の黄河だったのに、たちまち船頭があらわれて、舟に乗らないかと誘われたことがある。
客が現れなければ、彼らはそのまま野良仕事をしている農民なんだけど、腐肉にむらがるハエのようで、彼らの嗅覚にはホント感心させられる。

停車しているうちに列車はどんどん汚れていった。
列車が動かなくても人間はトイレを使う。
食堂車の食べ物も底をついたけど、よそから持ち込まれたものを食う。
アフリカ人たちは酔っ払って大声でわめく。
そういうわけで列車は惨憺たるものになり、このあたりのセローの描写もなかなかのものである。

ひどい話だけど、列車のコンパートメントには洗面台がついていて、アフリカ人の乗客のなかには、トイレが混雑していると面倒くさがって、ここでオシッコをすませる人間がいたそうだ。
中国の個室寝台にも車両の前後に共同の洗面台がついていたけど、さすがにオシッコはなかったよな。
わたしが乗った列車では、トルコの寝台列車には各室ごとに小さな洗面台がついていて、なにも知らないわたしは、そこで顔を洗ったりうがいをしたりした。
いまでも生きているんだから文句はいわないけど、やれやれ。

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やっとのことでダルエスサラームに着いた。
ここまでエジプト、エチオピア、ケニア、ウガンダなど、いろんな国の首都を見てきたけど、現代のアフリカでは先進国の都市にひけをとらないところばかりで、ストリートビューのカバーする範囲も広くなる。
しかしセローの書きようはひどいものだった。
これまでも大都市についていいことを書いてないセローが、この街については抑えていた恨みをぶちまけるように、徹底的にけなすのは見もの、いや、読みものである。
わたしはまだ「ダークスターサファリ」を最後まで読んでないけど、この街の描写がこの本のなかで最悪かもしれない。
『みすぼらしい小屋とたくさんの人がひしめきあい、何もかもが水たまりに浸かった区域だ』
『アフリカの都市は、大きくなればなるほど、いっそうすさまじい場所になる』
『どれひとつまともに維持管理がされないため、アフリカの都市はみな劣化の一途をたどっている』

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現在のダルエスサラームは20年まえの街ではない。
街のなかには女の子好みのケーキ屋さんもあるし、新品のタイヤ屋もあるから、もうボロボロのタイヤで荒野を疾駆することはなくなっただろう。

そのうちセローはこの街で最高の時間つぶしは役所に行くことだと理解した。
どっちにしても彼はここでビザの申請しなければいけないのだ。
彼の目のまえで申請書類が役所のなかをたらいまわしにされるのを見て、事情にあかるい人に尋ねたら、早くやってもらいたけりゃ鼻薬を効かすんだよといわれる。
やっぱりアフリカでワイロは強力だ。

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ビザが下りまでのヒマつぶしに彼は、港の目のまえに見えるザンジバル島に行ってみることにした。
ザンジバルという地名はよく聞くけど、なんでよく聞くのだろう。
映画のタイトルでもないし、だれか有名人の出身地でもないし、うーんと考えてみたもののこころあたりがない。
奴隷や象牙貿易の中心地だったことがある場所というから、そっち方面のことで記憶に残っているのかもしれない。
いろんないきさつがあって、タンザニアの一部でありながらタンザニアではないという特殊な島だそうだ。

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そんなことは別にして、文章ばかりの本のなかの要所要所を画像で見せるブログとしては、これは素通りするわけにいかない。
さいわいストリートビューも充実していて、サンジバルの写真はたくさん見つかった。
最近の写真で見ると、ここは現在、ハワイやバリに匹敵するアフリカでも有数のリゾートになっているようである。
つくづく欧米人の新しいリゾートを求める熱意には感心する。
旅行者が増えれば落とす金も増えるから、タバコやロープ用の麻を植えたり、蜂を飼ったりする以外にも、アフリカを豊かにする方法があることを証明しているのかも知れない。
セローはここで結婚式で新婦がはく銀のサンダルを記念に買おうとしたら、グラム単位の秤り売りだったそうだ。

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2021年9月22日 (水)

ココログ列伝03

意気込んで始めた「ココログ列伝」だけど、思ったほどわたしの琴線にふれるブログがないね。
文章だけならわたしよりずっと巧みな人がたくさんいる。
ブログをやるような人はたいていが年配者で、それなり常識をわきまえた人たちが多いからそれも当然だけど、まともすぎてぜんぜん面白くないのが多いことも事実。
競輪競馬や株の動向を毎日報じるブログもあるけど、それって両方ともわたしの興味の対象外なので、ハナっから無視。
ゲームの情報もまったく興味がないので、ハナっから無視。
教会の牧師さんが、本来なら教会のなかで垂れているはずのお説教を書いているブログもあるけど、神さまの話題はこちとら無視、無視。
なんか思いつきをそのまま書いたようなものもあり、短すぎてなにがいいたいのかわからないものもある。
読書の感想文を書いたブログもあって、これはいくらかこころを動かされないでもないけど、村上春樹なんか出てくるともうダメ。
どうもわたしの気むずかしい性格がガンなのかもしれないけど、こうやってながめると、褒めたいブログなんて本当にないものだ。

ブラームスの研究者らしい人の「ブラームスの辞書」というブログがあって、やたら詳しいのに感心した。
しかし詳しすぎて専門用語がポンポンなので、わたしには意味がわからない。
音楽の話題というのは、本人がいいと思っているものを他人もいいと思うとはかぎらない。
ということが、これほどはっきりしているものもないんじゃないか。
わたしもどちらかというと、ブラームスはあまり興味のない音楽家なので、読もうという気になれないのが申し訳ない。

話が変な方向に飛ぶけど、このブログの読者はどのくらいいるのだろう。
せっかくの労作なのに、今日のわたしのブログみたく、アクセスが30や40だったら気のドクだ。

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2021年9月21日 (火)

遊びましょ

世間に反抗するのはトッテモ辛いことである。
ここんところ世間は(わたしの見るYouTubeは)高市サン支持一色だ。
じっさいにはそんなに多いわけでもないんだろうけど、わたしがいつも嫌韓サイトばかり見てうれしがっているおかげで、わたしのパソコンに組み込まれたスパイウェアが、頼みもしないのに同じ嫌韓ぎみの映像ばかり見つけてくるらしい。
高市サンも嫌韓ばかりしてるなら罪はない。
しかし返す刀で中国までばっさりというと、これはわたしと意見が異なるのだ。

ずっとむかし「悪の枢軸中国を糾弾する、いまこそウイグルの真実を」という集まりに、知り合いに誘われて行ってみたことがある。
出席していた数十人が口を揃えて、えいえい、おうっと中国を罵倒するのにはまいった(もろにカルト)。
まあ、日本は表現の自由が保障された国だからなにをいおうと勝手だけど、ココログの管理者がそういう信念を持った人じゃ困るんだよね。
わたしが中国の肩を持つのが気に入らないと、そういうわたしを支持する人が多くなっては困ると、ここんところまたアクセスが操作されてるみたいだ。
ここ数日はアクセスが低調で、2桁の下という日が多い。
このあいだの金曜日なんかたった37人だ。
このうちわたしの親戚、身内、知り合い、友人の10人を引けば、わたしのブログを読んだのが27人しかいなかったことになるワ。
いいかげんやる気がなくなるけど、それこそ管理者の思うつぼ。
叩かれれば叩かれるほどやる気が出るという、雑草みたいな性格なのだ、わたしって。

今日もむしってきましたよ。
駐車場のわきの雑草を。
わが世の春を謳歌していた雑草の命を絶つにしのびないけど、世間に反抗して生きるのはおたがい辛いことなんだよねえ。

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2021年9月20日 (月)

アフリカ/鉄道の旅

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ポール・セローがムワンザから乗った列車は個室寝台で、相客はいなかったから贅沢な旅になった。
わたしも中国で上海から新疆ウイグル自治区へ行くとちゅう、一部の区間だけ、たったひとりで個室を占領したことがある。
ベッドにひっくり返ったまま、窓外に見知らぬ土地の景色が流れていくのをながめていればいいのだから、鉄道旅の好きなわたしにはほんとうに幸福な体験だった。
同じ列車に欧米人の団体が乗っていて、なかの数人がうらやましそうに部屋をのぞきにきたくらいだ。

列車が走りだすと、セローの描写は鉄道旅行の好きな人間にはコタえられないものとなる。
『低木の茂る青々とした原野は、アフリカの空漠たる広がりを感じさせ、うるんだ月のもとではさながら海原のようだった』
『ときには黒っぽい雲におおわれた空全体が、落雷によって激しく震え、突き刺すような閃光があとに残った』
『その閃光のなかでもはっきり見えた陸地は、やはりなにもなく、嵐はこの大地の破壊しえない空虚さを示しただけだった』
わたしはタクラマカン砂漠のへりを行くときに見た、砂漠の驟雨を思い出してしまう。
雨が降ったあとの砂漠ぐらい清潔さを感じさせるものはなかった。

セローの本のこの章は、ほとんど列車に乗りずくめなので、ビジュアル的におもしろいものがない。
そこでわたしが経験した中国の鉄道旅行と比較しながら話を進めよう。
日本の鉄道と比較すればもっといいけど、あいにくわたしは日本で1泊以上の列車泊をしたことがないもので。

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わたしが中国で乗ったのは、もっぱら1等寝台(軟臥)で、日本人からすればめちゃくちゃ安いから贅沢とはいえない。
ひとり旅をする場合、自由席なんかに乗った日には、荷物が心配でおちおちトイレにも行けないけど、個室のある車両には貧乏人は入れないから、荷物はベッドに放り出しておいて大丈夫なのだ。
セローもこの点ではわたしと同じ考えだったと思われる。

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中国の長距離列車にも、いちおう食堂車はついていた。
メシは、まあ、オリエント急行の晩餐なみとはいわないけど、腹がへっているときならけっこう食えるというしろものだった。
あるときメシを食いに行ったら、厨房でコックが汗みずくになって、車内販売用の弁当を作っていた。
それでしばらく待たされたけど、わたしもセローといっしょで時間はいくらでもあったから、ビールを飲みながら弁当作りをながめていた。
こういう機会は、日本ではなかなかないものだ。
もっとも食堂車でくつろぐような旅も最近はとんと経験がないけど。
あとで買ってみた弁当は、ご飯の上に肉ジャガを乗っけた土方の弁当みたいで、なかなか美味しかった。

ポール・セローの旅はもうちっと哲学的である。
列車には欧米人のアベックが乗っていて、セローがかたわらを通るとき彼らが「ポール・・・」とつぶやくのが聞こえた。
おお、オレの名声はこんなところまで行き届いているのかと思ったら、ポールはポールでも聖書に出てくるパウロのことで、彼らはキリストかぶれの福音伝道者だった。
神さまギライのセローは、すべてのものには終わりがある、さっさと寝やがれと文章に書く。

ときどき話好きの客がやってくることがあって、せっかく孤独な旅を満喫しているわたしにははなはだ迷惑なことがあった。
セローも孤独を愛する作家だけど、そのわりにはおしゃべりも好きである。
たまたま車内で知り合ったアフリカ人と会話する。
セローが旅をしたころのタンザニアの大統領はベンジャミン・ムカベという人で、写真で見るとウガンダのアミンとヘビー級チャンピオンシップを争いそうな感じの人だ。
しかしタンザニアの歴代大統領には、自分の出身部族ばかりをとりたてるような問題児はあまりいなかったようで、これはアフリカにしてはめずらしいことだけど、理由はウィキペディアに書いてある。

1967年にはアルーシャというところで、初代大統領が社会主義と民族自決を目指そうという演説をぶったそうだ。
民族自決というのは、自立するだけの余裕がなければたいてい挫折することになっていて(北朝鮮を見よ)、もちろんタンザニアも掛け声だけに終わっていた。
セローの話し相手はなかなか教養のある男で、白人から土地を奪って農民に分け与えても、アフリカ人は有効な土地利用の方法を知りませんからねという。
目下のこの国では、自立どころか、いかに晩メシを工面するかということで手いっぱいなんだそうだ。

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そのうちタボラの町に着いた。
この町はストリートビューがカバーしていたから、どんなところなのか見てみよう。
ムワンザからセローが乗ってきた鉄道は、タボラでタンガニーカ湖のほとりにある町キゴマから、インド洋に面したダルエスサラームを結ぶ、中央本線と呼ばれる鉄道にぶつかる。
中央本線は戦前にドイツが建設したというから、やはり欧米列強が搾取のために作った鉄道だったのだろう。
タボラからムワンザへの支線を伸ばしたのは英国だったけど、作っただけでその後はまったく手入れや修繕をしなかったというから、列強にとって植民地時代が終わってしまえば、アフリカの鉄道なんてまったく価値がなかったのだ。

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タボラに到着して3時間後にもまだ列車はそこにいた。
セローは時間つぶしに町をぶらついてみた。
町のようすはこんな感じで、緑が多く、雰囲気はわるくない。
彼が旅をしたころは、ここに来る手段は徒歩しかなかったそうだけど、それから20年のあいだに、タボラはもういっぱしの都市に成長したようである。

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タンザニアには紅衛兵のころから中国が支援してきたそうだけど、タボラ駅の建物は古そうで、まだその金は入ってきてないようだった。
アフリカとしては、まあまあましなスタジアムがあった。

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門のわきに創設者かなんかの写真をでっかく飾った学校があったものの、写真の人物がだれなのかわからなかった。
この国の大統領かと思ったけれど、顔つきで該当する大統領はいない(青いカーテンのまえの額に入った写真は初代大統領のニエレレさんのようだ)。
現在の(ひとつ前の)タンザニア大統領はジョン・マグフリという人で、この国の発展に功績があったらしいけど、コロナ・ウイルスは危険視すべきではないという大きな過ちを犯し、自分はさっさと感染して死んでしまった。
現在の大統領は副大統領から自動で昇格した女のヒトである。

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ようやく列車が発車した。
窓の外にアフリカ人のダメっぷりを物語るような光景が見られた。
暑い日中に、マンゴーの木かげで休んでいるアフリカ人たちがいたそうだけど、木は1本しかないから、その小さな木かげに数人が身を寄せ合っていた。
なぜもっとたくさん木を植えて、木かげを増やそうとしないのかとセローは考える。
とにもかくにもその日をなんとか暮らせればそれで満足で、余計な努力と明日の心配をしないのがアフリカ人であるらしい。
セローのこの旅は、かって自分が生活したアフリカのその後を見るのが目的だったけど、ほとんどの場合、以前より悪くなってるか、まったく進展がないというものだった。

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2021年9月19日 (日)

大輪とミニ輪

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大輪と小輪・・・・・いや、ミニ輪だよな。
大輪のほうは毎年おなじみで、今年も咲いた、いまも咲いている。

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ミニ輪のほうは大雨のあと、天気がよくなると顔を出す。
今年もお約束ごと通り、1週間ほどまえの雨のあとに咲いていた。
名前はイエロー・レイン・リリーで、花の大きさはせいぜい1センチ。
調べてみたらレイン・リリーの種類は多いけど、これはそのなかの(たぶん)最小種。
根こそぎひっこ抜いてきてうちの花壇に移し替えよう。

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2021年9月18日 (土)

疲れる

いまさら驚いても仕方がない。
自民党の総裁選挙で、高市サンがいちばん人気(ホントかよ)なんていわれると、ポピュリズムだなあと思う。
彼女はほかの候補よりはっきりものをいうのが人気の原因らしいけど、政治には妥協も必要だ。
安倍クンもほんらいは右翼的信条の持ち主だったのに、それでも他国に対してあるていど妥協はした。
ぜんぜん妥協しない人をもてはやす世間の風潮に危険なものを感じるのはわたしだけか。
わたしはだれが次期総裁になるのか、じいっと見つめているところだけど、わたしみたいな右翼も左翼もキライという中道的な人間の意見が通るはずもないから、意見はいわない。
いうのも疲れた。

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2021年9月17日 (金)

日本の味方

日本に来る外国人のなかには、警察というものはどの国でも国家権力と結託して、国民をいじめるものだと遺伝子にすり込んでいる者が多い。
だから逮捕されるようなことがあると、原因を作ったのは自分であることは無視して、はげしく抵抗する。
アメリカでよく黒人が警官に射殺されて、人種差別だなんて騒ぎが起きるけど、最近の米国ではあとあと問題にならないように、警官に小型カメラを装着させて、逮捕時の映像を保存しているところも多い(一歩進んだドラレコだな)。
YouTubeにそんな映像もたくさん上がっているから、部外者のわたしたちも逮捕時の状況を把握できるわけだ。

わるいことをしてなければ抵抗することもないだろうというのは日本人の感覚で、世界には警察に捕まるくらいなら、射殺されるほうがいいという国もたくさんあるらしい。
そういう国から来た外国人でも、日本の警察はけっして銃を使わないことを知っているから、安心してよけい暴れる。
以前このブログでも触れたけど、日本にいるクルド人が暴れて警察沙汰になったことがあった。
そのときは日本クルド文化協会というところが、日本の警察はそんな無法組織じゃない、暴れるほうがわるいと身内をたしなめた。
良識のあるところもちゃんとあったわけだ。

大阪入管に収容されたペルー人男性が、日本の入管職員に暴力をふるわれたと裁判所に訴え出たそうだ。
こういうことがあるとすぐに人権弁護士や、日ごろから日本政府に不満をつのらせている輩がしゃしゃり出て、ケシカラン、逮捕時のビデオを公開しろなんて騒ぐ。
まあ、闇から闇にほうむられるよりはマシだから、そういうことも必要かなと思うけど、今回ばかりはまずかった。
公開された画像を見てみると、屈強な男が大暴れをして、入管職員によってたかって押さえつけられている。
これであとになってから、あそこが痛い、ここをひねったなんて苦情を申し立てても、そりゃ通りませぬ。

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2021年9月16日 (木)

日々平穏

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今日も元気に野良仕事をと思ったら、わが家の庭園?になにやら怪しいロープが。
ロープというほど頑丈なものじゃないけど、立ち入り禁止のつもりらしい。
なんか書いてあって、それによると
「前の方が心こめて植えた柴桜を抜かれて心いたみます
ここから先は私が手入れします
手前(これまで抜かれた方をそのままお願いします」

意味のわかりにくいところがあるけど、前の方というのは、これまで花壇の世話をしていた6号棟さんのことらしい。
6号棟さんが心こめていたシバザクラを誰かが抜いてしまったので、こころを痛めている人がいて、激しい怒りを表明したものらしかった。
うーんと考えてみた。
この花壇でシバザクラを引っこ抜くのはわたし以外にいないようだ。
ということは、このビニールロープと注意書きはわたしのために作ったものだろう。

わたしはシバザクラを抜いたけど、それは繁茂しすぎて道路にまではみだしている部分を間引きしただけである。
たまたまロープを張ったらしいおばさんが花壇に出てきたので、下りていって文句をいってみた。
シバザクラを抜いてるわけじゃありませんよ。
これこれしかじかと説明すると、あなたはスマホを持ってますかという。
スマホで検索すればシバザクラの写真も出ていますという。
そんなことはいわれなくても知っている。
だいたいわたしは自分のブログさえ持っとるのだ。
わたしに意見しようなんていい根性じゃないか。

みっともないからはずして下さいといっておいたのに、1時間あとでながめたら、ロープはまだそのままだった。
このクソばばぁ!
因業ッパチめ。
きっと人生のほとんどを暴力亭主と暮らしてきた哀しい人にちがいない。
わたしの母親を思い出すなあ。

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2021年9月15日 (水)

アフリカ/チーター

ビクトリア湖を渡ってタンザニアのムワンザに上陸したポール・セローは、1時間後にはもう列車に乗っていた。
つぎの目的地はインド洋に面した、この国のかっての首都ダルエスサラーム。
2泊3日の鉄道旅行になるけど、ま、ゆるゆると参ろう。

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まずムワンザの町は、だいぶ予想とはちがっていた。
町の規模も発展ぶりも日本の地方都市と遜色がないし、現在のアフリカではあらかじめの予想は裏切られることが多いようだ。
港に入る直前に、前章で紹介したビスマルク岩が見えて、なんだかやけに大きな岩がごろごろしている町に見える。

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そしてムワンザの駅。
タンザニアの鉄道網は、アフリカにしてはまあまあマシなほうで、ここからはやはり中国の援助の手がのびており、ムワンザ近郊には立派な鉄道ができるらしい。
ようするに援助大国の中国が、いまちょうどむしられている最中だ。
この鉄道はかならずしも国道ぞいに走っているわけではなく、それこそサバンナのなかの道なき道という場所が多い。
セローの本には“ブッシュ列車”と書いてあるけど、日本語でいうなら“ヤブこぎ列車”ってトコかな。
だいぶのんびりした列車らしいので、わたしもいちど乗ってみたかったなあ。

アフリカ、サバンナといったら、誰でも思うのがゾウやライオンやサイやキリンといった野生動物に会うことだろう。
わたしのテレビ番組コレクションのなかに、役者の古原靖久クンがタンザニアの列車に乗るものがあるけど、線路の沿線に野生動物はほとんど出てこない。
列車が都会ばかり走っているわけではなく、大半はサバンナの中だというのにだ。
野生動物が出てくるのは、彼がセルー動物保護区に寄って、レンジャーの運転する観光ジープでわざわざ動物の見物に行ったときだけだから、アフリカ人のほとんどは生きたゾウやライオンを見たことがないというのも当然かも。

アフリカには野生動物を保護するため、そして先進国の観光客を満足させるための大きな国立公園がたくさんある。
全アフリカでも最大の広さをほこるナミブ=ナウクルワト国立公園や、クルーガー国立公園、サロンガ国立公園、まえに書いたマウントケニア国立公園もある。
そしてタンザニアには高峰キリマンジャロを含む一帯や、日本の阿蘇のような巨大な火口盆地であるンゴロンゴロ保全地域、よくテレビの自然ドキュメンタリーに登場するセレンゲティ国立公園などがある。
おそまきながら、密猟者や大物ハンターたちのやりたい放題になっていた動物たちを、保護しようという機運が高まってきたわけで、セローがなげいた状況は変わりつつあるようだ。

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しかしセローの旅には動物の描写は多くない。
もちろん車で移動しているとき野生動物はたくさん見えたはずだけど、彼はナイロビから先は、西どなりのウガンダに行き、ウガンダからビクトリア湖を渡って、タンザニアを南下するので、キリマンジャロやンゴロンゴロ、セレンゲティなどにはぜんぜん寄らないのである(地図参照のこと)。
わたしはそのへんの景色が見たいので、ここでしばらくセローと別れて、野生動物がうようよしているアフリカをながめていこう。

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キリマンジャロといえばアフリカ第1の高峰で、標高は5,895m。
富士山よりずっと高く、有名な山だけあって、山頂までストリートビューがカバーしていた。
わたしも登ってみたけど(もちろんストリートビューによるバーチャル登山だ)、富士山といっしょで山頂ふきんの景色はおもしろくない。
ここはやっぱりもうすこしふもとに近くて、前景にゾウやキリンがいたほうがおもしろい。
“ものの本”によると、このあたりの動物は高さに順応していて、たまに山頂の雪のあるあたりまでヒョウが迷い込んでくることもあるそうだ。

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この写真はキリマンジャロのもよりの町であるモシ市のようす。
コンビニもあった。
登るのは無理でも、せめてふもとから雄大な景色をながめてみたいとは、もっと若いころのわたしの念願(その念願は歳とともにどんどん遠ざかりつつある)。

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タンザニアで有名なもうひとつの野生動物保護区は、サバンナの平原を埋め尽くすヌーの大群で知られたセレンゲティ国立公園で、テレビ番組やナショナル・ジオグラフィックでおなじみだ。
ヌーを知らない人はいないと思うけど、とりあえずその迫力の写真を数枚。

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ゾウやライオン、キリン、ハイエナ、チーターなど、アフリカを代表する動物のほとんどがここで見られるので、サファリ観光も花盛りで、見物の車が渋滞することもあるらしい。
こういうサファリ・ツアーの観光客のほとんどが、現地のアフリカ人の生活には興味を示さないと、セローは手きびしい。

野生動物をまえにして、人間はとくべつな生き物だという考えがある。
いわゆるカルト宗教のなかにはこれを積極的に推し進めて、人間以外の動物はすべて人間に奉仕するために生まれたなどと主張するところもある。
こういう考えがかってはアフリカの黒人にもあてはめられて、奴隷たちが暗い不潔な船室に押し込められて、まったく家畜のように海を渡ったこともある。
神さまというのは人間のなかでも、特定の種類だけに報いるものなのか。
自分たちの思想の正当性を押し通すためなら、そもそも“カワイソウ”という、人間が自然に持っている(神さまから与えられたはずの)感情さえも無視してしまうのがカルトというものだ。

最新のナショナル・ジオグラフィック(2021.9)に、チーターの記事が出ていた。
チーターといえば世界一の俊足をほこるネコ科の猛獣だ。
ということはよく知られているけど、じつは人間に慣れやすいおとなしい動物でもある。
南米のジャガーはワニを捕まえて食べるけど、アフリカではチーターがワニに食べられている。
百聞は一見にしかず、その残酷な映像は YouTube でどーぞ。

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現存するチーターは世界中に7000頭ぐらいしかおらず、売ったり買ったりすることは国際的にも禁止されているんだけど、ナショジオ誌によると、その生息地で生きたままの子供のチーターの密猟が横行しているそうである。
顧客は中東の金持ちが多いそうで、たしかに獰猛そうなネコ科の動物が、じつはおとなしくて人に慣れやすいとなったら、見栄っ張りの成金たちが見せびらかすには都合のいいペットなのだろう。
そういうわけで、かっては米国人の歌手ジョセフィン・ベーカーも飼っていたようだけど、彼女の時代はまだチーターもたくさんいたんじゃないか。
あまり彼女を責めないでほしいと、チーターとベーカーの両方が好きなわたしは思う。

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現在では密猟者から売り飛ばされるまえに救出されたチーターの子供たちは、チーター保全基金(CCF)が保護することになっている。
しかし子供のころに親から引き離されたチーターは、狩りをおぼえてないから、野生にもどすことはむずかしいらしい。
日本には合法的に輸入されたチーターのいる動物園がたくさんあり、繁殖にも成功しているから、生まれたばかりの子供を見ることもできる。
じつは動物園で生まれたチーターが幸せかどうかは難しい問題だ。
野生で生まれていれば、生まれた子供の半分くらいは、まだ幼いころにほかの動物の餌食になっているはずだから、三食昼寝つきの動物園のほうが幸せという見方もある。

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2021年9月14日 (火)

亡命するロシア人

なんだ、まだ日本にいたのかという、泳いで亡命希望のロシア人。
ロシアから日本まで泳いだというから、さすがはおそロシア人と感心していたんだけど、とっくに送還されて、いまごろ警察でこのボケがと文句をいわれ、留置場までお母さんに迎えに来てもらって、あんたって子はとぶつぶついわれながら、家でお茶でも飲んでいるかと思っていた。
※この記事は今日のネットニュースで読んだんだけど、じっさいには彼はとっくに送還されていたらしい。
まあ、そこまで日本が好きならひとりぐら亡命させてやってもいいじゃないかと思うけど、ひとりにあまい顔をすると、あとからあとから同じ手を使うロシア人が増えそう。
それもこれも日本は天国だと、YouTubeで吹聴するロシア娘が多いせいだな。

この問題では、そもそも強制送還という言葉を使えるのかどうか。
たてまえとしては、国後島は日本の国内ということになっとるのだ。
北海道の日本人が本州に渡っても無理やり送還できないのといっしょで、まだ帰国してなかったってことは、もしかすると日本の出入国在留管理庁も扱いに苦慮しているのかも。

事実関係と亡命問題はさておいて、ロシアから日本まで泳いで渡れるのかどうか考えてみた。
地図をみると北海道の野付半島と、国後島のいちばん近い部分の距離はホントに25キロぐらいしかない。
25キロなら新宿から国立までくらいだ。
あのへんで冬に海水パンツひとつじゃ大変だけど、挑戦したのは夏だったし、彼はウエットスーツにシュノーケルや足びれをつけていたとかなんとか。
わたしだって若いころなら裸で5キロ泳いだことがあるくらいだから、ウェットスーツの完全装備なら、25キロぐらいは、泳ぎの得意な人間にはなんてことがないだろう。
本人はプーチンのロシアには帰りたくないといってるらしいけど、アフガンの亡命申請者に比べると、どうも理由に迫力がない。

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2021年9月13日 (月)

日本のミライ

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日本は世界標準でも格差の少ない国だと思う。
いや、オレは底辺だという人がいたとしても、そりゃだれかが底辺を引き受けなければいけないというだけで、アメリカ(や未来の中国)のように、ひとにぎりの金持ちが、その他大勢の貧乏人の上に乗っかる国ではないと思う。
かってのモノ言う株主や、ホリエモンの野望をくじいたように、日本の警察は出る杭は叩くをモットーにしているから、その間隙をぬって大金持ちになるのはむずかしいのだ。
底辺のひとりであるわたしは、ゴクローサマって司法関係の方にお茶でも出してあげたいくらい。

だけど、ここんところの世情をながめてみると、世間にはますます格差が広がっているようにみえる。
しかもその原因が、底辺がわざわざ格差を広げる方向に努力しているからじゃないかと思うことがある。
なんとかいうアパレルメーカーの社長で、自分が金持ちであることをことさら誇示する、あまり品のよくないオトコの人がいるけど、彼を儲けさせているのは、それこそ底辺をお勤めになっている皆さんではないか。
現在は、たとえばネット通販でも、広く浅く商売の間口を広げた者の勝ちだ。
勝ち抜くのはむずかしくても、いったん抜け出してしまえば、あとは口コミでうわさが広まって、パンツやブラジャーを売るような小商いでも莫大な利益をあげられる時代だ。
儲けは百円しかなくても、買い手が1億、2億もいれば、すぐにポルシェぐらい買えるだろうし、宇宙飛行士にだってなれるかもしれない。

しかもそうやって儲けた金は圧倒的に合法で、警察や税務署に文句をいわれるわけでもない。
つまりなんでも横並びで、みんなが同じものさえ買ってりゃ安心という底辺が多いせいで、格差がどんどん広がっているのだ。
他人とはぜったいに同じ格好はしない、同じものは買わないという自主独立の風さえ持てば、未来永劫に日本は格差の少ない国であり続けられるだろうに、ホント、わたしがいくらゴタクを並べてもどうにもならんよ。
格差社会で生き抜く子供たちの未来を案じつつ、わたしみたいな因業っぱちはさっさと死んでしまいたいワ。

わが家の庭園でもヒガンバナが咲き始めました。
背景に写っている洗濯モノはわたしのパンツ。

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2021年9月12日 (日)

アフリカ/ウモジャ号

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ビクトリア湖は面積が6万9千平方メートルあって、アフリカ最大の湖である。
ここがナイル川の源であることは前項で書いたけど、ウィキペディアには湖が完全に干上がったことがあるとか、現在も水位は減少しつつあるとか、歴史や博物学的におもしろい記述がたくさんあります。
とても全部は引用できないから、そのページにリンクを張っておこう。

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ポール・セローはカンパラからビクトリア湖を渡り、タンザニアに行くことにしたけど、これがまたひと苦労。
船が出ますから港に行ってくださいといわれ、あわてて船着き場までタクシーを飛ばしたものの、船は溶接作業中でえんえんと待たされる。
待たされるぐらいなら、アフリカはそういうものだと心得ているセローにはなんでもなかったけど、どうもただの溶接じゃなさそうだ。
いったいいつから溶接をしてるんだと訊くと、溶接じゃなく修理です、もう3日もまえからやってますという返事。
けっきょく7時間も待たされて、その日は船は欠航ということになった。
セローはべつのところで、じつはわたしは短気な人間であると書いているから、トサカ(頭の上にある)にくるのも当然だ。

それでも運のいいことに、たまたまその晩に出航する「ウモジャ号」という船があり、乗船をそれに振り替えてもらうことができた。
これはなかなか快適な船で、といってもセローの基準ではということで、文明国の旅人がよろこんで乗れるかどうかわからない。
ドゥドゥ(アフリカ語で虫のこと)が船室を目いっぱい飛びまわり、ベッドのシーツもその死骸でいっぱいだったそうだ。
快適というのは船員たちが、善良で友好的で、セローをこころから歓待してくれたということである。
セローは1等機関士の部屋をあてがわれた。

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現在のビクトリア湖にはたくさんの連絡船が就航しているので、またどんな船なのか、ウモジャ号を探してみた。
文章を読むかぎり、これは車も積めるカーフェリーではなく、沿岸の町のあいだを行ったり来たりしている貨物船で、ウガンダでアミン大統領が独裁を極めていたころ、タンザニアと戦争になったことがあり、ウモジャ号は軍艦として多くの兵士を輸送したそうである。
英国の造船所で1962年に進水したとあるから、セローが乗り込んだ時点ですでに40年ちかくが経過していて、たくさんの船のなかからそんな古い船が見つかるかこころもとなかったけど、わたしも探すのが上手になったものだ。
この切手に描かれた船がビクトリア湖のウモジャ号である。
そしてセローの旅よりあとに、英国のBBCがアフリカの紀行番組を作り、わざわざポール・セローが乗った船を見つけたらしい。

夜中に出航して、セローが朝起きると海のまん中のようなところにいた。
ビクトリア湖のまん中にいれば、いちばん近い陸地でも100キロ以上あるから、ちょっともやでもかかっていれば、たしかに陸影は見えそうもない。

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湖のなかにいろんな島がある。
なかにはミギンゴ島という岩礁にすぎないような島に、トタン屋根の漁師の家がびっしり建て込んだ島もある(かなり有名らしい)。
ビクトリア湖には漁業推進のためにナイルパーチが放流されたことがあり、これは周辺国の食生活に大きな貢献をしたものの、当然のように外来魚による在来魚の激減という副作用をもたらした。
なにごとも表があれば裏もあるもんだ。
ナイルパーチの画像はおまけ。

船内でセローは船員たちと食事をする。
そういうときの話題は、うーんと、たとえばベルギーのレオポルド2世をこきおろすことである。
レオポルド2世については、このブログでも取り上げたことがあるけど、アフリカ人の奴隷たちにノルマを課して、それが達成できないと腕を切り落とした残忍な植民地支配者だった。
アフリカの黒人たちにとっては憎むべき相手であり、米国人のセローにはどうでもいい第三者なので、こういう話だとまちがって気まずい思いをすることがなくていい。
航海中にセローは機関室なども見せてもらった。

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とちゅうゴジバ島という島のかたわらを通過したというから、この島も探してみた。
見つからなかったけど、樹木の茂った起伏のない島とあるから、現在チンパンジー保護区になっているンガンバ島と似たようなものだろう。
セローが見たゴジバ島は、政府も警察も税金もない島で、いろんな国の人間が勝手に住みついていたというから、犯罪者たちの絶好の隠れ場所になっていた可能性もある。
ただし湖にはワニもいて、食べられる人間もたくさんいたという。
1996年には「ブコバ号の沈没」という大きな水難事故があり、これはフェリーが転覆し、千人以上の死者を出したというから、ワニたちにとっては盛大な晩餐会だったのではないか。
世の中あまいことばかりじゃない、これがビクトリア湖の掟だとセローはいう。

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また大きな島のわきを通過した。
ウケレウェ島で、島のまわりに三角帆をあげたたくさんのダウ船が浮いていた。
ダウ船はアラブ人の置き土産だという。
ヨーロッパ人より百年もまえから奴隷売買をしていたアラブ人は、すぐれた航海士でもあって、奴隷の買い出しのためにしょっちゅうビクトリア湖界隈にまで遠出をしてきており、彼らの伝統がアフリカに伝わったのだそうだ。
もっともアフリカ人はよき航海士ではないから(むしろその反対)、赤道直下にあって水温が高いため、嵐が発生しやすいこの湖で、突風にあおられて遭難するダウ船も多いらしい。
ワニがますます肥え太ってしまうな。

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ムワンザ港に入港する直前、奇妙な大岩が見えた。
船員の説明ではビスマルク岩というのだそうだ。
ビスマルクというと、日本人が連想するのはドイツの鉄血宰相だけど、アフリカでも辣腕をふるったことは知らなかった。
岩のかたちは、軍隊用のロングコートをひっかけた頑固一徹の老軍人に見えなくもない。
日本の金峰山も大弛峠へのとちゅうから、山頂にある五丈岩を遠望すると、コートをひっかけた乃木大将に見える。
セローの本には、ビクトリア湖には海賊もいると書いてあるけど、湖の周辺は最近ではリゾートとして開発されているようだから、そういうものも一掃されたかもしれない。
なるほど、あれがビスマルク岩かいと、観光客がうなづいているくらいなら平和でいい。
最後の写真?
もち、わたしからのサービス。

出航翌日の夜にようやくタンザニアのムワンザ港に到着して、セローは船員たちから見送られて、ウモジャ号から下船した。
「クワヘリ、ムゼー(アフリカ語で、さよなら、おじいさん)」というのが別れの言葉だったそうだ。
俺はおじいさんではないぞと、セローは腹のなかでわたしと同じようなことを考えている。

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2021年9月11日 (土)

9.11

米国では911記念日というわけで、マスコミが追悼番組や記事をいっぱいあげている。
ナショナル・ジオグラフィックでさえ、今月号で9・11特集をしていた。
たしかにある日とつぜん日常を奪われた人々の無念を思えば、国家があげてその悲劇を追悼する気持ちもわかる。
しかし真ん中(より少しアメリカ寄り)の日本としては、アフガニスタンで米軍の攻撃で死んだアフガン人、こちらも軍人以外の人もいただろうし、その数はニューョークの世界貿易センタービルよりはるかに多いということも知っておかなければならない。

このあいだのオリンピックには米国もアフガニスタンも参加していた。
彼らが舞台裏でなぐりあったということは聞かないから、どうしてそういう姿勢をふだんから貫けないのだろう。

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2021年9月10日 (金)

疑惑

どうも遊ばれちゃっているみたいだ。
え、だれが? だれに?
わたしのブログがココログにだよ。

わたしのブログは、見ればわかるけど広告をつけたり、どこかとタイアップしたり、「いいね」を押してねなんて小細工を一切していない。
つまり名誉や営利に無縁のブログというわけだ。
それでもときどき、自分のブログがどのくらいの人に読まれているのかという興味はわく。
それを知る唯一の手段がアクセスカウンターをみることだ。
ところがここんところ、その唯一の手段が納得のいかないことばかりだ。

たとえば、アクセスが3桁に届いたことは、先月は9回あった。
最高は8月20日の259だ。
それなのに今月に入ったら、どんどん下がって、おそらく近々の平均は60ぐらいじゃあるまいか。
もちろん一度も3桁に届かない。
アクセスカウンターのしくみはよく知らないけれど、コンピュータで自動集計しているとしたら、そんな偏りが出るものだろうか。

それがおまえのブログの実力だよといわれるのはかまわない。
もともとこれでいくらか儲けようというブログじゃないんだし。
しかし手間ひまかけて書いたブログの読者が、どのくらいいるかということぐらいは知りたい。
アクセスカウンターの数字はほんとうに正確なのだろうか。
遊ばれているというのはこういうことなんだけど、どうも人為的にアクセス数を調整されているような気がする。
そんなことがあってたまるか、ということはわたしもそう思いたい。

かりに人為的に調整されているとしたら、原因はなんだろう。
ココログの管理者に新興宗教の会員がいるのかもしれない。
そういう人たちにとって、しょっちゅう無神論者であることを公言しているわたしのブログは、嫌われるだけではなく、精神的支柱をあやうくする危険思想でもある。
わたしのブログの同調者が増えることは、彼らにはけっして容認できることではないのだとしたら。

いやひょっとすると、管理者のなかにモルモン教徒のようなまじめすぎる原理主義者がいて、わたしのブログに反社会的な匂いをかぎつけたのかも。
それとも管理者は左翼のイデオロギーを持った思想家で、いつも日本政府の肩を持ってばかりいるわたしを受け入れないとか。
あるいは管理者も世間にゴマンといる反中国論者で、むやみにウイグル人に同情する人なのかもしれない。
あるいは管理者のなかに、もと朝日新聞の編集者がいるのかも。
もしかすると管理者が不細工な男で、わたしのプロフィール写真のイケメンぶりにに嫉妬して・・・・いや、これはないよな。
あの写真は13年もまえのものだし、目下のわたしは、もはや半分男を捨てたじいさんなのだ。

なんだっていいけど、おかしい。納得できない。
ココログには人気ブログ・ランキングというコーナーもあるけど、これの順位がほとんど不動だ。
ランクの変動のないランキングなんてあり得るのだろうか。
他人のブログにいちゃもんをつけたくないけど、人気のあるブログが飛び抜けておもしろいのなら文句はいわない。
えっ、わたしのブログって、そんなにつまらないの?

毎月数字を調整していると、管理者がたまに寝坊して、あるいは雑用にまぎれて、それを忘れることがあるかもしれない。
先月の259という数字は、たまたま管理者が調整を忘れたもので、これこそがわたしのブログの真の実力なのではないか。
そうだ、そうだとでも思わなけりゃやってられんよ。ホント。

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2021年9月 9日 (木)

アフリカ/カンパラの娼婦

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ウガンダの首都カンパラで、バッタとならんでわたしの興味をひいたのはコウモリである。
セローがウガンダで大学講師をしていたころ、大学近くの街路樹に群れをなして棲みついていて、スズメと間違える人がいたとあるから、日本でも関東地方あたりにふつうにいるサイズのコウモリと思われる。
ただ数がハンパじゃなくて、木の枝に数万という数のコウモリがぶら下がり、鳴き声もそうとうにやかましかったというから、日本でいえば、さしずめムクドリかな。
日本ではムクドリの大群が都会の街路樹に棲みついて、フン害が問題になることがあり、追っ払うために行政がいろいろ苦労することがある。

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カンパラにそれだけたくさんのコウモリが生息しているということは、周囲の環境のなかにそれだけ餌になる虫がいるということであり、虫がたくさんいるということは、世間の奥さんたちにとっては・・・・・・あ、もう止めておこう。
カンパラに住んでいたころのセローは、家に帰るとき、タクシーに「コウモリ谷」へ行ってくれといえばOKだったそうだ。
ところがその後カンパラを建築ラッシュが襲い、セローがこの旅をしたころには街路樹が一掃されて、コウモリもいなくなっていた。
娼婦だけはたくさんいた。
夜になると出てくるところはコウモリと似てると、これはわたしの見立て。

娼婦とコウモリを紹介したいわけではないので、ここではストリートビューでながめたカンパラ市内の画像を並行してながめていこう。
現在のカンパラはステレオタイプのアフリカではない。

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まずウガンダの空港と鉄道駅だ。
スマートなエンテベ空港は想像図である。
外国から1千万ドル相当の支援を受けたのちに改修工事が始まる予定だったそうだけど、ストリートビューでながめても、空港のまわりはいまだに雑草の生えた野原だから、完成はいつになるやら。
鉄道駅はストリートビューでかんたんに見つかったものの、途上国の駅はたいてい混雑しているのがふつうなのに、がらんとしていてあまり駅らしくない。
ウガンダでは列車は人気がないのか、それとも本数が少なくてたまたま人がいないとき撮影したのか。

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つぎの3枚はカンパラにあるウガンダの国会で、ご覧のとおり民主的な政治が行われているらしいっすよ。

「わが秘めたる人生」という本を読んだとき、若いころのセローがアフリカで娼婦狂いをしたことを知ったけど、この旅ではいちども彼女らに手を出していない。
有名作家になっていたからというより、エイズが怖かったからではないか。
ウガンダでは1992年にエイズの感染者が国民の30パーセントもおり、セローが旅をしていた2001年にもまだ10パーセントが感染していて、エイズ遺児が200万人もいたという。
いまでこそエイズには薬があるし、病気の進行をくいとめる治療法も確立されているけど、セローが旅をしたころというと、新しい病気であるエイズは不治の病といわれ、(セックスの好きな人間には)コロナ・ウイルスどころの病気じゃなかったのだ。

それでも黒人フェチであるセローは、娼婦たちに愛想がよく、メシをおごって彼女らといろいろ会話をした。
なかのひとりはルワンダから来た、まだ17歳の少女だった。
家族がみんな殺されちゃってと彼女はいう。
こういう可哀そうな女の子が、エイズの危険をおして、何千人という女たちと競い合っているのだとセローは同情する。
同情はするけど、やはり彼女を買うことはなかったようだ。
こういう場合、買ってあげたほうがいいのか、そうではないのか、どっちが彼女たちにとってありがたいのだろう。

もちろん娼婦とばかり会話していたわけではない。
カンパラにはセローの大学時代の友人がたくさんいた。
かっての同僚や教え子たちで、いまではウガンダ政府の要人になっている者もいる。

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首相になっていたアポロ・ンシバンビ(Apolo Nsibamb)がそのなかでも出世頭で、ほかにもシンクタンクの経営者になっていたジャン・クェシガや、大統領顧問していたチャンゴ・マチョ、大使をやったこともある女友達のテルマ・アウェリなどがいた。
どうしてそんなに有名人の知り合いがいるのかというと、セローが教師をしていたころ、アフリカで大学に行けるのは、それなり金持ちか、もともと将来を嘱望された優秀な人間しかいなかったせいもある。

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セローはむかし講師を勤めたマケレレ大学に行ってみた。
彼が在籍していたころに比べると、キャンパス内は穴だらけ、図書館の棚はがらがらで、窓ガラスは割れ、幽霊の出そうな廃墟といった塩梅だったそうだ。
しかし現在の写真でながめてみると、それほどひどいように見えない。
彼が講師を勤めていたころから50年以上の歳月が流れているので、マケレレ大学もぜんぜんべつの場所に新しい校舎が建てられた可能性もある。
例によって中国がこの国にも多大な援助をしており、相手がだれでも(ヒモつきでも)もらえるものはもらうというのがアフリカ人だそうだ。
ウガンダにしてもケニアにしても、セローの嘆きは過去のものになったのかもしれない。

いろいろな思い出にひたりながら、そのあい間にセローはぜんぜんあてにならないフェリーの予約をする。
彼はウガンダのあと、ビクトリア湖を渡ってタンザニアに行くつもりだったけど、ちょうどウガンダではエボラ出血熱という、コロナより何倍も怖いウイルスが発生していて、検疫のため船がいつ出るかわかりません、毎日確認に来てくださいといわれてしまう。
時間をもてあましたセローは、着ていたボロ服の修理をしたり、大学から頼まれて臨時講師を勤めたり、チンパンジーを見るために奥地にある霊長類保護区に行こうかと考えたけど、奥地には反体制派だかテロリストだか山賊だかわからないのが出没して、やたらに他人を銃撃していたそうで、断念。

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セローが途方にくれているあいだに、わたしはウガンダの市場を見てみよう。
豊洲の市場ほど洗練されてないけど、やはり途上国のバイタリティにあふれていて、わたしはこういう場所を見るのが好きである。

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そのうちアポイントを取っておいた首相のアポロ・ンシバンビから連絡があった。
彼はセローに会ったとたん、おまえはわたしの従妹に手を出しただろう、結婚するまで出国させんからな、むかしのオンナ癖の悪さがぜんぜん直ってないじゃないかという。
どうもあまり重みを感じない冗談好きな男という印象だけど、セローと話しているあいだも、かかってくる電話をてきぱきと処理しているところからして、仕事はできそうである。
彼はもともとウガンダの名門の出で、悪名高いアミン大統領の時代、雌伏を余儀なくされ、アミン失脚ののち、新政権に乞われて首相に返り咲いた男だった。
講師時代のセローにアフリカ語を教えた同僚でもあり、1999年から2011年までウガンダの首相を勤めたあと、2019年に79歳で亡くなったそうだ。

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首相と旧交を温めたあと、セローは前述したシンクタンクや大統領顧問などの旧友と会う。
旧友たちのほとんどが、アミン大統領の時代に殺されかかったり、刑務所に入れられたり、一時的に国外に逃れていたような人間ばかりだった。
いったいこの国はどうなっているんだ。
おれが講師をしていたころより、あきらかに退化しているじゃないかとセローはいう。
みんなそれに同意したものの、それぞれがウガンダの未来をあきらめたわけではなかった。
セローが心配するまでもなく、現在のウガンダは(アフリカ的のんびりさで)着実に、ほんの少しづつ前進を続けてきたようにみえる。
国が発展するにしたがって貧富の差が拡大するのは、なにもウガンダにかぎったわけじゃない。
この国の人々には、国中が混乱して商品や燃料が不足したときも、いつでも伝統的な泥の小屋に戻るという逃げ道があるのだ。

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2021年9月 8日 (水)

苦肉の策

今日は更新できそうもないな。
アフリカと、最近感心した映画についてと、ふたつばかりネタをひねくっているんだけど、いずれも長くなりそうで、今夜中にはまとめられそうもない。
早々とあきらめて、こころやすらかに眠ってしまったほうがいいか。
どうせ1円にもならないブログだ。
と書いて、更新したことにする。
何度か使ったことのある苦肉の策。
アホな男・・・・

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2021年9月 7日 (火)

笑われる

意外とむずかしいもんだねえ。
ネットで調べてみたら、オニユリをむかごから育てて花を咲かせるには2、3年はかかるみたいだ。
ということは、ラーメン容器のなかに生えてきたのはなにかほかの雑草だろう。
だいたいオニユリって単子葉植物でしょ。
なんで双葉が出てくるんだよ。
赤ん坊のうちは双葉に見えて、成長するにしたがって単子葉になるかと思ったけど、昆虫の脱皮じゃないんだからね。
最初からおかしいと思ってた。
自称ナチュラリストがこれじゃ笑われてしまうな。
でもこうなると、生えてきたのはいったいナンダという楽しみがある。
花が咲くかもしれないから、もうすこし大きくなるまで見守ってみよう。

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ところで去年のこの時期のブログを読み返してみたら、近所の公園でゼフィランサス・シトリナ(イエロー・レイン・リリー)という、黄色い小さな花を見かけたのが9月の5日になっていた。
天気がわるい日が続いているせいか、今年は同じ場所に咲いているようすがない。
条件がよければ手入れなんかしなくても生えてくる花もあるのに、咲かせようと思ってなかなかうまくいかない花もある。
今年いっぱいは勉強のつもりで、来春の花の季節に期待しよう。
花咲かじいさんになりたい。

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2021年9月 6日 (月)

双葉

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ここんところ雨ばかりで花壇の手入れもしていなかった。
詳しい人に訊きたいけど、花壇というのは種を撒いたり、苗を植えたりしないと花が咲かないのだろうか。
あたりまえじゃんといわれてしまいそう。
でも以前に手入れをしていた6号棟のおじいさん、そんなことをしていたようすがない。
だいたいボランティアでやっていたのだから、種や苗を自分で買っていたら持ち出しになってしまう。
それなのに花はいつもみごとに満開になっていた。
ひょっとすると去年の花が(1年草だとしても)枯れるまえに種をこぼしているんじゃないか。
あるいは地中に根っこが残っていて、毎年花を咲かせるとか。
だからせっせと草むしりをして、そういう種や根っこの面倒をみてやれば、タダで毎年花を咲かせるんじゃないか。

タダで咲かせようというのがさもしいけど、やはり苗の必要が気になって、ちょうどオニユリが枯れてむかごがたくさんついているから、あれで苗を育ててみようと考えた。
といってもそんなに複雑なことはできない。
発泡スチロールのラーメン容器のなかに花壇の土を盛り、そのなかに無造作にむかごを埋め込んで、はたして生えるものかどうか試してみたのだ。
わたしは自称ナチュラリストのつもりだから、動物だけではなく、植物でも幼い苗が生き抜くのがむずかしいことを知っている。
ずっとむかし台所の三角コーナーのなかに、カイワレダイコンのモヤシが生えたことがあって、注目していたら、そのうちゴキブリに食われてしまったことがある。
幼い生きものが自然界で生き抜くのはひじょうにむずかしいのだ。

ダメでもともとと、ときどき霧吹きで水分の補給だけをしていたら、今日見ると小さな双葉が出ているではないか。
土のなかにはいろんなものが混ぜ込まれているはずだから、まだユリかどうかわからないけど、とりあえずその第一報。

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2021年9月 5日 (日)

アフリカ/ウガンダへ

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キスムから連絡船がなかったので、ポール・セローはバスを利用し、陸路でウガンダに向かった。
国境の検問所で入国審査を受けた彼は、ここで名言を吐いている。
『アフリカでは国境を歩いて越えない者はほんとうの意味で入国したとはいえない』
ようするに飛行機で行ける大都会より、地方の小さな町や村にこそ、ほんとうのアフリカがあるということだろう。

歩いて国境を越えて、ウガンダ側のバスに乗り換えたセローがながめると、ケニアに比べればウガンダのほうが土地が豊かで、ヤシやバナナがたわわに実り、発展がいちじるしいという印象だったそうだ。
ウガンダは上り調子の国、ケニヤは衰退するだけの国じゃないかと彼は書く。
ホントかよというのはわたしの疑り深い性格もあるけど、このあとの記述を読むと、ウガンダでもあちこちで爆弾が投げられたり、銃をぶっ放す輩が出てくるから、にわかに信用できないのである。

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わたしが国境付近を眺めたかぎりでは、ストリートビューもケニヤ側のほうが充実していて、建物や道路もケニア側のほうが立派そうに見えた。
このあいだのオリンピックでも、マラソンやバレーボールなどでケニアの躍進はめざましかったし、アスリートがよい成績を収められるということは、その国の選手育成システムが正常に機能しているということで、正常に機能しているということは、まともな国であることの証明だ。
セローが旅をした20年まえに比べると、現在では、ケニヤとウガンダの立場は逆転したのかもしれない。

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若いころのセローはウガンダで教鞭をとったことがあるので、彼にとってはウガンダ訪問はセンチメンタル・ジャーニーでもあった。
ただ彼が教師をしていたころのウガンダはろくな国ではなかった(ましな国であった期間のほうがめずらしいようだけど)。
1971年にはイディ・アミンという、知性より腕力でのしあがったような怖ろしい大統領が実権をにぎった。
人間を喰ったとか、冷蔵庫に人の頭が入れてあったとか、アントニオ猪木と試合をしようとしたなど、いろいろ伝説のある人だけど、わたしがおぼえているのは彼の在任中に起こったエンテベ空港奇襲作戦と呼ばれるテロ事件の顛末である。
これはパレスチナのテロ組織がエール・フランス機を乗っ取っり、ウガンダの空港で立てこもった事件で、このころはまだハイジャックに対する警戒はいまほど厳しくはなかったのだ。
このときアミンは仲介役を買って出た。
しかし事件は国際法を無視したイスラエルの強行突入で解決し、メンツをつぶされたアミンは、たまたまウガンダ国内にいた英国籍のイスラエル婦人を殺してうさを晴らした。
このアミン大統領は1979年に失脚し、サウジアラビアに亡命して、そこで死んだとかなんとか。

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すし詰めバスはジンジャという町にさしかかった。
アフリカというのは、日本人はあまり関心を持たないけど、欧米人には人気のあるところだから、ここはナイルの源流ということで、かなり知られた観光地になっている。
アフリカがまだ暗黒大陸だったころ、探検家のバートンとスピークによって、ナイル川の源流を求める探検が行われ、バートンが病気で臥せっているあいだに、スピークがビクトリア湖こそその源であることを突き止めた。
これがふたりの画像だけど、バートンの頬のむこう傷は、ソマリアで原住民に襲われたさいのもの。
このころの探検というのはほんとうに命がけだったのだ。

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わたしのテレビ番組コレクションのなかに、「ナイル源流への旅」というものがあったので参照してみた。
ジンジャの近くにビクトリア湖から流れ落ちる水が激流になっている場所がある。
遠方からもごうごうという滝の後が聞こえて、ものすごい迫力だけど、じつはこれはジンジャの町から250キロほど北の、マートンソン・フェールズ国立公園にある滝である。
ビクトリア湖の水の流出口は、ダムがあったりしてそんな激流ではないし、川下りの観光も盛んである。

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テレビ番組では山中を歩いて激流を見に行くけど、このときガイドは銃を持っていなかった。
やっぱり現代のアフリカには、保護区になっている国立公園にでも行かないと、危険な肉食獣はいないようだ。
アミン大統領の時代は密猟も野放しだったそうだから、おおかたは人間に食べられちゃったのかも。

バスのなかでセローはしみじみ述懐する。
彼がウガンダに来たのは、トラブルにまきこまれて最初の赴任地マラウイを追放されたあとだから、二度目のアフリカということになる。
彼が勤務していた大学はカンパラにあって、独身だった彼はここで志を同じくする女性(白人)と知り合って結婚し、最初の子供もここで生まれたのである。
それからこの旅まで30年以上の歳月が流れた。
さらにその20年あとにわたしがこれを書いているわけだ。
セローはこのあたりで、人間が歳をとることについて、くだくだしいことを書いているけど、わたしにも共通する感慨もある。
『年寄りは人が思うほどひ弱ではなく・・・・中略・・・・豊かな発想と秘めた底力、性的活力さえ持っている』
どうじゃ。

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首都カンパラに到着した。 
ここでセローはスピーク・ホテルに部屋をとった。 
大学講師時代に市内に住んでいた彼は、仕事の合間によくこのホテルでビールを飲んだそうである。
ホテルに荷物を下して、彼はさっそく夜の街へさまよい出た。
日本に来た欧米人が、ここは夜中でも安全に歩けると驚くらしいけど、セローもカンパラが安全に歩けることに感動している。
とはいえ、彼はアフリカ語を話せたし、ことあとの記述を読むと、だれにでも夜歩きを勧められるというわけではなさそうだ。

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この街ではわたしの興味のある生きものが二つ出てくる。
ひとつはバッタで、街灯の明かりに集まるというから蛾みたいなやつだけど、食用になるというからイナゴかもしれない。
いえ、イナゴじゃありません、こいつは悪いことをしませんからと現地のアフリカ人はいう。
アフリカにはときおり大発生して農民を困らせるサバクトビバッタというのがいるけど、それは悪いことをするバッタである。
正義のバッタは名前を “セネネ” というそうで、どんなバッタなのか、ネットでいろいろ探してみたけど、さすがに現地語の名前だけでは探しようがなかった。
イナゴ以外に、もっぱら人間の餌になるだけのバッタなんているんだろうか。
画像はたくさん見つかるものの、日本のイナゴや、サバクトビバッタとの違いはわからんかった。
それでもあるサイトにこんな記事を見つけた。
「飛蝗(Locusta migratoria migratoria)の成虫が食べられている」
「通常はフライにして食べるが、乾燥して搗き崩しソースに混ぜる食べ方もあり、このように調理したものはエビに似た風味がある」
カンパラではシロアリとならぶ珍味らしく、夜店で油で揚げたものが売られているらしいから、ウガンダに行く予定のある人は試してみればよい。

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2021年9月 4日 (土)

忘れられたコイン

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机のひきだしの中から見慣れないコインが出てきた。
ひょっとするといまでは高価な価値のあるものかもしれないから、慌てて調べてみた。
こういうときにネットは便利だけど、落胆するのも早い。
いずれも買い取りの対象にもならないみたいだから、期待したぶんだけいまいましい。
不燃物のゴミとして出してしまおうか。
いやいや、これだけでもコンビニ弁当がふつたは買えるなと思いとどまった。

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2021年9月 3日 (金)

あるミニブタの運命

わたしはつねづね、ペットにはペットの分際があるなどと公言している。
しかしそれは過保護や溺愛が理解できないということで、けっしてペットを可愛いと思ってないわけじゃない。

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だいぶまえのことだけど、YouTubeを見ていたら「100日目に食われるブタ」というチャンネルを設立した人がいることを知った。
あらかじめ100日経ったらつぶして食べますと宣言して、それまでミニブタを育てて、その可愛らしさの映像を毎日公開するというチャンネルだったけど、期日がきて、そのブタがとうとう食われちゃったらしい。
意表をつくアイディアだからさぞかし閲覧者が多くて、お金も儲けただろうけど、これってちょっとひどすぎないか。
金のためならこういうことも許されるのかと思って、腹が立つからできるだけそのチャンネルはのぞかないようにしていたんだけどね。

ただ、こんなことを書くと、たちまち反論が殺到することはわかりきっている。
相手も批難されることは承知のうえで、反論の準備はおさおさ怠りなかっただろう。
「ブタなんてどうせいつか食べられるために生きてるんだ」
「むしろ自分はそのブタに、ふつうでは味わえない幸せな一生を送らせてやったんだ」
「文句をいうなら肉なんか食べるな」
「お金儲けのどこが悪い」
「おまえこそ偽善者だ」

ああ、わかったよ。
たぶんわたしのほうがおかしいんだろう。
しかし、そこまでいうなら堂々と顔を出したらどうだ。
ミニブタが屠殺される日の映像を見たけど、飼い主は犯罪者のように顔にぼかしを入れて、最後まで顔を見せなかった。
これは本人もやましさを感じているからだろう。
やましいと思うことはやらないのがこの世界のルールだ。
わたしは飼い主を公然と責めようとは思わないけど、せめて顔がわかれば、行き会ったとき(腹のなかで)ののしることぐらいはできるのに。

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2021年9月 2日 (木)

なにごとも

アフガン崩壊のさいに、日本はわが国に協力をした人たちを救出しなかった(だからケシカラン)と、どこかで聞いたような文句をいう人たちがいる。
あのね。
もっといろんな方面から考えてみることも必要じゃないかね。
たとえば、救出しなかったのではなく、その必要がないと踏んだのではないかしら。
日本はアフガンでアフガニスタン人を殺したわけじゃない。
むしろ中村哲医師のように、アフガン復興のために尽力して、非業の死にみまわれた人もいる。
日本政府がタリバン幹部に非公式に打診してみたところ、日本に協力した者まで殺すつもりはないという回答を得た。
ということは考えられないだろうか。

タリバン幹部のなかには、日本人は出ていかないでくれといった者もいるそうだ。
日本に協力した人たちは、タリバンにとっても貴重な人材とみなされているとしたら・・・・
跳ねっ返り分子もいることだから、そういう命令が末端にまで行き渡るかどうか心配だけど、日本が協力者を放置してきたのは、危険はないと判断した結果かもしれない。

もちろんわたしの考えが正しいとはいわない。
ただ、日本政府に文句をいってる人たちが、そこまで考えているのかと思うと、どうもこころもとないのだ。
なにごとも相手の立場で考えてみるというのはこういうことだ。
あ、またいっちゃった。

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2021年9月 1日 (水)

アフリカ/リフトバレーの町

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ことアフリカにかぎれば、『街が大きければ大きいほど、より醜悪で、より猥雑で、より危険なところになる』というのはポール・セローの考え。
大きい街であるナイロビから、彼は乗り合いバスで、ビクトリア湖のほとりにある湖畔の町キスムを目指した。
この区間には鉄道があるんだけど、運休していたそうだ。
途上国ではこういうことはめずらしくないから、列車は時間どおりに来ると信じている日本人は注意しなくちゃいけない。
わたしは中国、ロシアなどで鉄道を何度も利用したことがあるけど、このふたつの国ではおおむね時間通りに発着した。
アフリカのほとんどの国はやはりまだまだ途上国だ。

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ナイバシャという町の手前にはロンゴノット火山がある。
この火山はアフリカから中東にまで連なるリフトバレー(大地溝帯)の底にあり、セローの本ではこの章は「リフトバレーの日々」というタイトルになっていた。
大地溝帯に興味のある人はまたウィキペディアを参照のこと。
何百万年かあとには、この割れ目を境にしてアフリカはまっ二つに分かれるとか、おもしろそうなことが書いてあります。

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ロンゴノット火山は山頂までストリートビューがあるから、またどんなところかのぞいてみたら、円形の盆地になっている火口は、そのへりを一周できるトレッキング・コースになっていた。
最後に噴火したのは1860年ごろで、それ以来噴火の気配がないから、クレーター内部に草木が茂って、シマウマやキリンやバッファローが生息しているという。
草食獣がいるなら肉食獣もいるのではないか思うけど、最近の肉食獣は人見知りするらしく、人間が彼らの餌になることはめったにないらしい。

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ナイバシャの町には「ジャカランダ」という花が満開だったという。
そんな花のことは聞いたこともなかったから、調べてみたら、ネムノキのような葉をもち、花のかたちは紫色のノウゼンカズラみたいな木だった。
セローが行ったときちょうどこの花の満開の季節だったらしく、彼は路上に落ちた花を踏んで歩いたという。

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花はこのブログにふさわしいビジュアル的な話題だけど、そうではない話題として、この町には人々によく知られた暗い事件があった。
この町の教会にカイザーという米国生まれの神父さんがいて、彼はケニア政府の腐敗ぶりに憤り、政治家の犯罪データをたんねんに集めて、ケニア政府に抗議をし続けた。
ある日、若い娘ふたりが与党の政治家にレイプされたと(警察にはまるっきり相手にしてもらえなかったので)、神父のところに駆け込んできた。
もちろん神父は政府に抗議した。
政府にしてみればうざったくて仕方がない。
無視したり脅かしたりしたあげく、単刀直入にアフリカ流の解決が計られた。
2000年のある日、セローの旅の半年ほどまえのことだけど、カイザー神父は道ばたで死体となって発見されたというのである。
セローがケニアに行ったとき、犯人とおぼしき政治家はまだ現職で、罪に問われるようすもなかったそうだ。
ま、途上国ではめずらしいことじゃないけどネ。

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ナイバシャからナクルという町に向かうと、このあたりにはいくつかの湖が点在している。
湖が多いというのもこのあたりが大地溝帯の内側にあるからで、国立公園になっているナクル湖にはフラミンゴがいる。
フラミンゴは地中海の旅でも紹介したけど、スペインよりはアフリカのほうがめずらしくない鳥だし、ここアフリカでは、上の写真のようなめずらしい景色が見られる。

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ケリチョの町には、アフリカ人に文明を教え、教育をほどこすのだというお節介な野望にもえた慈善団体の車が多かった。
こういう連中に対するセローの見方はきびしい、ということはまえにも書いた。
彼が教師をしていたころと比べても、アフリカはすこしもよくなっていない、あいかわらず人々は怠惰で、と彼は嘆息する。
でもわたしは思うんだけど、セローはすこし性急にすぎるんじゃないか。
セロー自身があちこちで、アフリカの時間はゆっくり流れているといっているくらいだから、途上国では汚職はつきものなのだと考えて、もうすこし長い目で見ないといけないかもしれない。
たとえば政府の腐敗で有名な中国やロシア(このふたつの国をひきあいに出すのはわたしがじっさいに行ったことのある国だから)も、いろいろいわれているけど、以前よりはほんの少しずつだけど、確実に国民の生活はよくなっているではないか。

彼がバスのなかで見たアフリカ人女性は、ウエイン・ダイヤーの「自分を掘り起こす生き方」というむずかしそうな本を読んでいた。
どうも自己啓発本みたいで、わたしも読んでみよう・・・とは思わなかった(むずかしい本はキライ)。
オリンピックではマラソンで男女ともケニア人が金メダルを得たし、スポーツ選手の努力がきちんと報われる国なら、他人がごちゃごちゃいうこともないのではないか。
アフリカのことを心配するセローの嘆きも、欧米人目線のものでしかないような気がする。

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キスムという町の手前には三階建ての家くらいある大岩があるという。
これもビジュアルにふさわしい話題だから、探してみて、見つけたのがこの写真だ。
べつにおもしろいもんじゃないね。
岩山なら日本の瑞牆山や鳳凰三山の地蔵岳のほうが、よっぽど迫力があって美しい(このふたつの山もじっさいにわたしが登ったことのある山)。
わたしは実証主義者だから、ひきあいに出すのはたいていそういうこと。

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セローはキスムの町に到着した。
この町にはビクトリア湖のほとりの終着駅があり、むかしはここからビクトリア湖をわたる連絡船が出ていて、アフリカで教師をしていたセローは、何度も船でウガンダまで通ったことがあった。
そういう思い出の場所だったけど、じっさいに着いてみると、それは残酷なものだった。
若いころ恋した相手にひさしぶりに再会してみたら、相手は認知症をわずらうおばあさんになっていたようなものだ。

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まずキスムまでの鉄道が廃線になっていた。
この写真は市内にかろうじて残っている線路の痕跡で、レールは雑草と土におおわれて列車が走っているようすはない。

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ストリートビューに「スタジアム」という表記があったので、味の素スタジアムみたいなものがあるのかと思ったら、ただの原っぱだった。
フェリー乗り場のある駅に行ってみると、あったはずの駅舎は影もかたちもなく、かって殷賑をきわめた駅のまわりでは、横流しされた援助物資ばかりが売られていた。
セローは無念の思いをいだいてケニアを去ることにする。

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去りながら、せめてものなぐさめにバード・ウォッチングをしたらしい。
ほんのわずかの記述だけど、彼はここで「アルポケン・エジプティアカ」というきれいなガンを見たという。
わたしも自称ナチュラリストだから、調べてみたら、こんな鳥だということがわかった。
キスムには、町からすこし離れた「キスム・インパラ自然保護区」という、いかにも野鳥観察にふさわしいポイントがあるので、セローはここへ行ったのかもしれない。

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