ミスター・ゴルゴ
さいとうたかをさんが亡くなったそうだ。
わたしはこの漫画家にもゴルゴ13にもぜんぜん興味がないんだけど、いささか調べているうちに、彼の時代、ということはわたしの時代についていろいろ思い当たることがあった。
わたしの時代というのは、わたしも漫画家になりたくて四苦八苦していたころのことである。
ゴルゴ13については、当時ブームだった映画007に影響された荒唐無稽なマンガだろうというのがわたしの見立て。
悪いけど当初から絵がうまいと思ったことはいちどもない。
ストーリーも大勢で考えているというので、それならネタが尽きないってことも当然だろうぐらいしか思わなかった。
ミスター・ゴルゴについてはこのくらい。
大人の鑑賞に耐える作品の嚆矢ということを聞いて、白土三平のほうが古いだろうと思った。
この時代は手塚治虫に代表される子供向けの絵柄のマンガがそろそろ飽きられて、あちこちで大人向けのマンガ(劇画)が流行り始めたころだ。
白土三平は「ガロ」を創刊し、手塚治虫は「COM」を創刊した。
なまいき盛りの当時の大学生に熱狂的に歓迎されたのはガロのほうだったけど、へそまがりで、全共闘や学生運動に不信感を持っていたわたしの好みは、SF的要素やモダーンな感覚を持ったCOMのほうだった。
そんなことはべつにして、この両雑誌が漫画家をこころざしていた若者たちのバイブルであり、そのいずれにもキラ星のごとき新星が名を連ねていて、わたしのような凡才もおおいに刺激されたことは事実である。
COMという本の名前はコンピューターの頭3文字から来たのかとずっと思っていたけど、調べたらそんなことはなくて、コミックやコミュニケーションから来ているのだそうだ。
考えてみれば発刊は1967年のことで、まだ現在ほどコンピューターがありふれたものになっていたわけではないから、COMがコンピューターの頭3文字というのは偶然らしい。
しかし鉄腕アトムは電子頭脳を持ったロボットということになっていたから、すでにコンピューターの概念は、手塚先生あたりになれば脳裏になかったはずはなく、あるいはその意味もあったかもしれない。
COMには哲学的内容を持った「火の鳥」のような、風雪に耐える大作も連載されており、現在ではガロと立ち位置が逆転した(ようにわたしには思える)。
時代にあらがって、当時の世相に叛逆したわたしの信念はまちがってなかったと思う。
ところでCOMもガロもすでに忘却の彼方だ。
どちらが素晴らしいかという問題には意味がない。
わたしは大人向けのマンガが切磋琢磨した青春時代に、それを身をもって体験したということだけで満足している。
ゴルゴ13のように、作者の個性がほとんど見えないマンガが当たり前の現在、あれはいったいどういう時代だったのだろう。
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