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2021年9月 5日 (日)

アフリカ/ウガンダへ

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キスムから連絡船がなかったので、ポール・セローはバスを利用し、陸路でウガンダに向かった。
国境の検問所で入国審査を受けた彼は、ここで名言を吐いている。
『アフリカでは国境を歩いて越えない者はほんとうの意味で入国したとはいえない』
ようするに飛行機で行ける大都会より、地方の小さな町や村にこそ、ほんとうのアフリカがあるということだろう。

歩いて国境を越えて、ウガンダ側のバスに乗り換えたセローがながめると、ケニアに比べればウガンダのほうが土地が豊かで、ヤシやバナナがたわわに実り、発展がいちじるしいという印象だったそうだ。
ウガンダは上り調子の国、ケニヤは衰退するだけの国じゃないかと彼は書く。
ホントかよというのはわたしの疑り深い性格もあるけど、このあとの記述を読むと、ウガンダでもあちこちで爆弾が投げられたり、銃をぶっ放す輩が出てくるから、にわかに信用できないのである。

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わたしが国境付近を眺めたかぎりでは、ストリートビューもケニヤ側のほうが充実していて、建物や道路もケニア側のほうが立派そうに見えた。
このあいだのオリンピックでも、マラソンやバレーボールなどでケニアの躍進はめざましかったし、アスリートがよい成績を収められるということは、その国の選手育成システムが正常に機能しているということで、正常に機能しているということは、まともな国であることの証明だ。
セローが旅をした20年まえに比べると、現在では、ケニヤとウガンダの立場は逆転したのかもしれない。

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若いころのセローはウガンダで教鞭をとったことがあるので、彼にとってはウガンダ訪問はセンチメンタル・ジャーニーでもあった。
ただ彼が教師をしていたころのウガンダはろくな国ではなかった(ましな国であった期間のほうがめずらしいようだけど)。
1971年にはイディ・アミンという、知性より腕力でのしあがったような怖ろしい大統領が実権をにぎった。
人間を喰ったとか、冷蔵庫に人の頭が入れてあったとか、アントニオ猪木と試合をしようとしたなど、いろいろ伝説のある人だけど、わたしがおぼえているのは彼の在任中に起こったエンテベ空港奇襲作戦と呼ばれるテロ事件の顛末である。
これはパレスチナのテロ組織がエール・フランス機を乗っ取っり、ウガンダの空港で立てこもった事件で、このころはまだハイジャックに対する警戒はいまほど厳しくはなかったのだ。
このときアミンは仲介役を買って出た。
しかし事件は国際法を無視したイスラエルの強行突入で解決し、メンツをつぶされたアミンは、たまたまウガンダ国内にいた英国籍のイスラエル婦人を殺してうさを晴らした。
このアミン大統領は1979年に失脚し、サウジアラビアに亡命して、そこで死んだとかなんとか。

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すし詰めバスはジンジャという町にさしかかった。
アフリカというのは、日本人はあまり関心を持たないけど、欧米人には人気のあるところだから、ここはナイルの源流ということで、かなり知られた観光地になっている。
アフリカがまだ暗黒大陸だったころ、探検家のバートンとスピークによって、ナイル川の源流を求める探検が行われ、バートンが病気で臥せっているあいだに、スピークがビクトリア湖こそその源であることを突き止めた。
これがふたりの画像だけど、バートンの頬のむこう傷は、ソマリアで原住民に襲われたさいのもの。
このころの探検というのはほんとうに命がけだったのだ。

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わたしのテレビ番組コレクションのなかに、「ナイル源流への旅」というものがあったので参照してみた。
ジンジャの近くにビクトリア湖から流れ落ちる水が激流になっている場所がある。
遠方からもごうごうという滝の後が聞こえて、ものすごい迫力だけど、じつはこれはジンジャの町から250キロほど北の、マートンソン・フェールズ国立公園にある滝である。
ビクトリア湖の水の流出口は、ダムがあったりしてそんな激流ではないし、川下りの観光も盛んである。

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テレビ番組では山中を歩いて激流を見に行くけど、このときガイドは銃を持っていなかった。
やっぱり現代のアフリカには、保護区になっている国立公園にでも行かないと、危険な肉食獣はいないようだ。
アミン大統領の時代は密猟も野放しだったそうだから、おおかたは人間に食べられちゃったのかも。

バスのなかでセローはしみじみ述懐する。
彼がウガンダに来たのは、トラブルにまきこまれて最初の赴任地マラウイを追放されたあとだから、二度目のアフリカということになる。
彼が勤務していた大学はカンパラにあって、独身だった彼はここで志を同じくする女性(白人)と知り合って結婚し、最初の子供もここで生まれたのである。
それからこの旅まで30年以上の歳月が流れた。
さらにその20年あとにわたしがこれを書いているわけだ。
セローはこのあたりで、人間が歳をとることについて、くだくだしいことを書いているけど、わたしにも共通する感慨もある。
『年寄りは人が思うほどひ弱ではなく・・・・中略・・・・豊かな発想と秘めた底力、性的活力さえ持っている』
どうじゃ。

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首都カンパラに到着した。 
ここでセローはスピーク・ホテルに部屋をとった。 
大学講師時代に市内に住んでいた彼は、仕事の合間によくこのホテルでビールを飲んだそうである。
ホテルに荷物を下して、彼はさっそく夜の街へさまよい出た。
日本に来た欧米人が、ここは夜中でも安全に歩けると驚くらしいけど、セローもカンパラが安全に歩けることに感動している。
とはいえ、彼はアフリカ語を話せたし、ことあとの記述を読むと、だれにでも夜歩きを勧められるというわけではなさそうだ。

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この街ではわたしの興味のある生きものが二つ出てくる。
ひとつはバッタで、街灯の明かりに集まるというから蛾みたいなやつだけど、食用になるというからイナゴかもしれない。
いえ、イナゴじゃありません、こいつは悪いことをしませんからと現地のアフリカ人はいう。
アフリカにはときおり大発生して農民を困らせるサバクトビバッタというのがいるけど、それは悪いことをするバッタである。
正義のバッタは名前を “セネネ” というそうで、どんなバッタなのか、ネットでいろいろ探してみたけど、さすがに現地語の名前だけでは探しようがなかった。
イナゴ以外に、もっぱら人間の餌になるだけのバッタなんているんだろうか。
画像はたくさん見つかるものの、日本のイナゴや、サバクトビバッタとの違いはわからんかった。
それでもあるサイトにこんな記事を見つけた。
「飛蝗(Locusta migratoria migratoria)の成虫が食べられている」
「通常はフライにして食べるが、乾燥して搗き崩しソースに混ぜる食べ方もあり、このように調理したものはエビに似た風味がある」
カンパラではシロアリとならぶ珍味らしく、夜店で油で揚げたものが売られているらしいから、ウガンダに行く予定のある人は試してみればよい。

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