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2021年9月 3日 (金)

あるミニブタの運命

わたしはつねづね、ペットにはペットの分際があるなどと公言している。
しかしそれは過保護や溺愛が理解できないということで、けっしてペットを可愛いと思ってないわけじゃない。

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だいぶまえのことだけど、YouTubeを見ていたら「100日目に食われるブタ」というチャンネルを設立した人がいることを知った。
あらかじめ100日経ったらつぶして食べますと宣言して、それまでミニブタを育てて、その可愛らしさの映像を毎日公開するというチャンネルだったけど、期日がきて、そのブタがとうとう食われちゃったらしい。
意表をつくアイディアだからさぞかし閲覧者が多くて、お金も儲けただろうけど、これってちょっとひどすぎないか。
金のためならこういうことも許されるのかと思って、腹が立つからできるだけそのチャンネルはのぞかないようにしていたんだけどね。

ただ、こんなことを書くと、たちまち反論が殺到することはわかりきっている。
相手も批難されることは承知のうえで、反論の準備はおさおさ怠りなかっただろう。
「ブタなんてどうせいつか食べられるために生きてるんだ」
「むしろ自分はそのブタに、ふつうでは味わえない幸せな一生を送らせてやったんだ」
「文句をいうなら肉なんか食べるな」
「お金儲けのどこが悪い」
「おまえこそ偽善者だ」

ああ、わかったよ。
たぶんわたしのほうがおかしいんだろう。
しかし、そこまでいうなら堂々と顔を出したらどうだ。
ミニブタが屠殺される日の映像を見たけど、飼い主は犯罪者のように顔にぼかしを入れて、最後まで顔を見せなかった。
これは本人もやましさを感じているからだろう。
やましいと思うことはやらないのがこの世界のルールだ。
わたしは飼い主を公然と責めようとは思わないけど、せめて顔がわかれば、行き会ったとき(腹のなかで)ののしることぐらいはできるのに。

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