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2021年9月 9日 (木)

アフリカ/カンパラの娼婦

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ウガンダの首都カンパラで、バッタとならんでわたしの興味をひいたのはコウモリである。
セローがウガンダで大学講師をしていたころ、大学近くの街路樹に群れをなして棲みついていて、スズメと間違える人がいたとあるから、日本でも関東地方あたりにふつうにいるサイズのコウモリと思われる。
ただ数がハンパじゃなくて、木の枝に数万という数のコウモリがぶら下がり、鳴き声もそうとうにやかましかったというから、日本でいえば、さしずめムクドリかな。
日本ではムクドリの大群が都会の街路樹に棲みついて、フン害が問題になることがあり、追っ払うために行政がいろいろ苦労することがある。

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カンパラにそれだけたくさんのコウモリが生息しているということは、周囲の環境のなかにそれだけ餌になる虫がいるということであり、虫がたくさんいるということは、世間の奥さんたちにとっては・・・・・・あ、もう止めておこう。
カンパラに住んでいたころのセローは、家に帰るとき、タクシーに「コウモリ谷」へ行ってくれといえばOKだったそうだ。
ところがその後カンパラを建築ラッシュが襲い、セローがこの旅をしたころには街路樹が一掃されて、コウモリもいなくなっていた。
娼婦だけはたくさんいた。
夜になると出てくるところはコウモリと似てると、これはわたしの見立て。

娼婦とコウモリを紹介したいわけではないので、ここではストリートビューでながめたカンパラ市内の画像を並行してながめていこう。
現在のカンパラはステレオタイプのアフリカではない。

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まずウガンダの空港と鉄道駅だ。
スマートなエンテベ空港は想像図である。
外国から1千万ドル相当の支援を受けたのちに改修工事が始まる予定だったそうだけど、ストリートビューでながめても、空港のまわりはいまだに雑草の生えた野原だから、完成はいつになるやら。
鉄道駅はストリートビューでかんたんに見つかったものの、途上国の駅はたいてい混雑しているのがふつうなのに、がらんとしていてあまり駅らしくない。
ウガンダでは列車は人気がないのか、それとも本数が少なくてたまたま人がいないとき撮影したのか。

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つぎの3枚はカンパラにあるウガンダの国会で、ご覧のとおり民主的な政治が行われているらしいっすよ。

「わが秘めたる人生」という本を読んだとき、若いころのセローがアフリカで娼婦狂いをしたことを知ったけど、この旅ではいちども彼女らに手を出していない。
有名作家になっていたからというより、エイズが怖かったからではないか。
ウガンダでは1992年にエイズの感染者が国民の30パーセントもおり、セローが旅をしていた2001年にもまだ10パーセントが感染していて、エイズ遺児が200万人もいたという。
いまでこそエイズには薬があるし、病気の進行をくいとめる治療法も確立されているけど、セローが旅をしたころというと、新しい病気であるエイズは不治の病といわれ、(セックスの好きな人間には)コロナ・ウイルスどころの病気じゃなかったのだ。

それでも黒人フェチであるセローは、娼婦たちに愛想がよく、メシをおごって彼女らといろいろ会話をした。
なかのひとりはルワンダから来た、まだ17歳の少女だった。
家族がみんな殺されちゃってと彼女はいう。
こういう可哀そうな女の子が、エイズの危険をおして、何千人という女たちと競い合っているのだとセローは同情する。
同情はするけど、やはり彼女を買うことはなかったようだ。
こういう場合、買ってあげたほうがいいのか、そうではないのか、どっちが彼女たちにとってありがたいのだろう。

もちろん娼婦とばかり会話していたわけではない。
カンパラにはセローの大学時代の友人がたくさんいた。
かっての同僚や教え子たちで、いまではウガンダ政府の要人になっている者もいる。

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首相になっていたアポロ・ンシバンビ(Apolo Nsibamb)がそのなかでも出世頭で、ほかにもシンクタンクの経営者になっていたジャン・クェシガや、大統領顧問していたチャンゴ・マチョ、大使をやったこともある女友達のテルマ・アウェリなどがいた。
どうしてそんなに有名人の知り合いがいるのかというと、セローが教師をしていたころ、アフリカで大学に行けるのは、それなり金持ちか、もともと将来を嘱望された優秀な人間しかいなかったせいもある。

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セローはむかし講師を勤めたマケレレ大学に行ってみた。
彼が在籍していたころに比べると、キャンパス内は穴だらけ、図書館の棚はがらがらで、窓ガラスは割れ、幽霊の出そうな廃墟といった塩梅だったそうだ。
しかし現在の写真でながめてみると、それほどひどいように見えない。
彼が講師を勤めていたころから50年以上の歳月が流れているので、マケレレ大学もぜんぜんべつの場所に新しい校舎が建てられた可能性もある。
例によって中国がこの国にも多大な援助をしており、相手がだれでも(ヒモつきでも)もらえるものはもらうというのがアフリカ人だそうだ。
ウガンダにしてもケニアにしても、セローの嘆きは過去のものになったのかもしれない。

いろいろな思い出にひたりながら、そのあい間にセローはぜんぜんあてにならないフェリーの予約をする。
彼はウガンダのあと、ビクトリア湖を渡ってタンザニアに行くつもりだったけど、ちょうどウガンダではエボラ出血熱という、コロナより何倍も怖いウイルスが発生していて、検疫のため船がいつ出るかわかりません、毎日確認に来てくださいといわれてしまう。
時間をもてあましたセローは、着ていたボロ服の修理をしたり、大学から頼まれて臨時講師を勤めたり、チンパンジーを見るために奥地にある霊長類保護区に行こうかと考えたけど、奥地には反体制派だかテロリストだか山賊だかわからないのが出没して、やたらに他人を銃撃していたそうで、断念。

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セローが途方にくれているあいだに、わたしはウガンダの市場を見てみよう。
豊洲の市場ほど洗練されてないけど、やはり途上国のバイタリティにあふれていて、わたしはこういう場所を見るのが好きである。

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そのうちアポイントを取っておいた首相のアポロ・ンシバンビから連絡があった。
彼はセローに会ったとたん、おまえはわたしの従妹に手を出しただろう、結婚するまで出国させんからな、むかしのオンナ癖の悪さがぜんぜん直ってないじゃないかという。
どうもあまり重みを感じない冗談好きな男という印象だけど、セローと話しているあいだも、かかってくる電話をてきぱきと処理しているところからして、仕事はできそうである。
彼はもともとウガンダの名門の出で、悪名高いアミン大統領の時代、雌伏を余儀なくされ、アミン失脚ののち、新政権に乞われて首相に返り咲いた男だった。
講師時代のセローにアフリカ語を教えた同僚でもあり、1999年から2011年までウガンダの首相を勤めたあと、2019年に79歳で亡くなったそうだ。

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首相と旧交を温めたあと、セローは前述したシンクタンクや大統領顧問などの旧友と会う。
旧友たちのほとんどが、アミン大統領の時代に殺されかかったり、刑務所に入れられたり、一時的に国外に逃れていたような人間ばかりだった。
いったいこの国はどうなっているんだ。
おれが講師をしていたころより、あきらかに退化しているじゃないかとセローはいう。
みんなそれに同意したものの、それぞれがウガンダの未来をあきらめたわけではなかった。
セローが心配するまでもなく、現在のウガンダは(アフリカ的のんびりさで)着実に、ほんの少しづつ前進を続けてきたようにみえる。
国が発展するにしたがって貧富の差が拡大するのは、なにもウガンダにかぎったわけじゃない。
この国の人々には、国中が混乱して商品や燃料が不足したときも、いつでも伝統的な泥の小屋に戻るという逃げ道があるのだ。

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