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2021年9月23日 (木)

アフリカ/ダルエスサラーム

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ポール・セローは列車のなかでまだ知的なアフリカ人と会話している。
アフリカの農民のほとんどは市場原理ということを知らない。
タバコが儲かると思えばわれもわれもと栽培に手を出し、サイザル麻という植物がロープの材料として売れるとわかればわれもわれもで、けっきょく生産しすぎて値崩れをおこす。
蜂蜜生産はどうなったと訊くと、教えてくれた欧米の支援団体が帰国したとたんにダメになりましたといわれる。
セローがうんざりするのももっともだけど、ここで資本主義について解説しても仕方がない。

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なんか視覚に訴えるネタはないかと思っているうち、東西に走る鉄道の中央本線と、北部幹線道路がまじわるドドマという街に着いた。
タンザニアの首都機能はダルエスサラームにあるけど、名目上の首都はドドマである。
名目上でもいちおう首都なので、この国の初代大統領で、国父とされるジュリウス・ニエレレさんの銅像もここに建っている。
この大統領の就任は1962年で、彼はアフリカの権力者としては例外的に、権力に固執せず、清廉な人であったそうだ。
ただ彼がめざしたのが社会主義で、まだ生存中だった毛沢東に支援を仰いだのが間違いだったのか、それともアフリカ人をイデオロギーでまとめようとしたのが失敗だったのか、この政策はやがて破綻した。
セローが住んでもいいと書くくらいだから、ドドマはいい街みたいだけど、インフラの荒廃で幹線道路は凸凹だったそうだ。

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鉄道駅のようすはこんな感じで、古い写真と比べてもあまり変化したようすがない。
街の中心部にシンバ・ヒルという岩山があって、これはいい目印になる。

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モロゴロという町の手前で、列車はふたたび停車し、そのまま7時間も動かなくなってしまった。
そんな田舎をストリートビューがカバーしているはずがないだろうけど、いちおうどんなところなのか調べてみたら、鉄道の写真がいくつか見つかった。
英国もドイツも手入れをしてないという話だったのに、これで見ると枕木も新品のコンクリート製で、線路はつい最近作られたもののように見える。
どうやらセローの旅のあとで、タンザニアには中国の援助がそうとう入っているようだった。
初代大統領の時代に中国の援助が、人的なものも含めておおいに流れ込んだけど、いったん間をおいて、現代のタンザニアは2期目の中国の支援時代なのかもしれない。

こういうのはどうなんだろう。
中国のやることはなんでも警戒する人たちがいるけど、いま中国がやっていることは、かって日本がやっていたことを引き継いだだけにすぎない。
景気がわるくなって日本が支援をしぼったところへ、景気のいい中国が乗り出したわけで、金の切れ目が縁の切れ目、将来アフリカはまたもっと景気のいいスポンサーを見つけるかもしれない。
豊かな先進国から、貧しい途上国に富が還元されているという見方もできるから、金は天下のまわりものという現象だと思えばいいのかも。

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こうやって列車が駅でないところで臨時停車すると、どこからあらわれたのか、食べ物や飲み物を売る人間が集まってくる。
こういうところは中国でもいっしょだった。
わたしは中国の開封で黄河を見に行ったことがあるけど、べつに観光地でもないふつうの場所の黄河だったのに、たちまち船頭があらわれて、舟に乗らないかと誘われたことがある。
客が現れなければ、彼らはそのまま野良仕事をしている農民なんだけど、腐肉にむらがるハエのようで、彼らの嗅覚にはホント感心させられる。

停車しているうちに列車はどんどん汚れていった。
列車が動かなくても人間はトイレを使う。
食堂車の食べ物も底をついたけど、よそから持ち込まれたものを食う。
アフリカ人たちは酔っ払って大声でわめく。
そういうわけで列車は惨憺たるものになり、このあたりのセローの描写もなかなかのものである。

ひどい話だけど、列車のコンパートメントには洗面台がついていて、アフリカ人の乗客のなかには、トイレが混雑していると面倒くさがって、ここでオシッコをすませる人間がいたそうだ。
中国の個室寝台にも車両の前後に共同の洗面台がついていたけど、さすがにオシッコはなかったよな。
わたしが乗った列車では、トルコの寝台列車には各室ごとに小さな洗面台がついていて、なにも知らないわたしは、そこで顔を洗ったりうがいをしたりした。
いまでも生きているんだから文句はいわないけど、やれやれ。

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やっとのことでダルエスサラームに着いた。
ここまでエジプト、エチオピア、ケニア、ウガンダなど、いろんな国の首都を見てきたけど、現代のアフリカでは先進国の都市にひけをとらないところばかりで、ストリートビューのカバーする範囲も広くなる。
しかしセローの書きようはひどいものだった。
これまでも大都市についていいことを書いてないセローが、この街については抑えていた恨みをぶちまけるように、徹底的にけなすのは見もの、いや、読みものである。
わたしはまだ「ダークスターサファリ」を最後まで読んでないけど、この街の描写がこの本のなかで最悪かもしれない。
『みすぼらしい小屋とたくさんの人がひしめきあい、何もかもが水たまりに浸かった区域だ』
『アフリカの都市は、大きくなればなるほど、いっそうすさまじい場所になる』
『どれひとつまともに維持管理がされないため、アフリカの都市はみな劣化の一途をたどっている』

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現在のダルエスサラームは20年まえの街ではない。
街のなかには女の子好みのケーキ屋さんもあるし、新品のタイヤ屋もあるから、もうボロボロのタイヤで荒野を疾駆することはなくなっただろう。

そのうちセローはこの街で最高の時間つぶしは役所に行くことだと理解した。
どっちにしても彼はここでビザの申請しなければいけないのだ。
彼の目のまえで申請書類が役所のなかをたらいまわしにされるのを見て、事情にあかるい人に尋ねたら、早くやってもらいたけりゃ鼻薬を効かすんだよといわれる。
やっぱりアフリカでワイロは強力だ。

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ビザが下りまでのヒマつぶしに彼は、港の目のまえに見えるザンジバル島に行ってみることにした。
ザンジバルという地名はよく聞くけど、なんでよく聞くのだろう。
映画のタイトルでもないし、だれか有名人の出身地でもないし、うーんと考えてみたもののこころあたりがない。
奴隷や象牙貿易の中心地だったことがある場所というから、そっち方面のことで記憶に残っているのかもしれない。
いろんないきさつがあって、タンザニアの一部でありながらタンザニアではないという特殊な島だそうだ。

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そんなことは別にして、文章ばかりの本のなかの要所要所を画像で見せるブログとしては、これは素通りするわけにいかない。
さいわいストリートビューも充実していて、サンジバルの写真はたくさん見つかった。
最近の写真で見ると、ここは現在、ハワイやバリに匹敵するアフリカでも有数のリゾートになっているようである。
つくづく欧米人の新しいリゾートを求める熱意には感心する。
旅行者が増えれば落とす金も増えるから、タバコやロープ用の麻を植えたり、蜂を飼ったりする以外にも、アフリカを豊かにする方法があることを証明しているのかも知れない。
セローはここで結婚式で新婦がはく銀のサンダルを記念に買おうとしたら、グラム単位の秤り売りだったそうだ。

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