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2021年10月 1日 (金)

アフリカ/タンザン鉄道

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アフリカの大都会に絶大な嫌悪感を持っているポール・セローは、さっさとダルエスサラームを離れることにした。
そのために彼が乗ったのが、タンザニアとザンビアを結ぶタンザン鉄道である。
この列車でダルエスサラームを出てほどなくすると、トンネルがあったそうだ。
東アフリカの鉄道は平原を走っているものが多く、トンネルはめずらしいというので、セローもわざわざこのトンネルに触れている。

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ところでわたしはこのトンネルを見たことがある。
いやいや、アフリカまで行ったわけじゃない。
NHKのテレビ番組に、役者の古原靖久クンがタンザン鉄道に乗る番組があって、それがわたしの録画コレクションのなかにあったので、参考のために観てみたら、このトンネルが出てきたのだ。
靖久クンはザンビアのほうからダルエスサラームを目指したので、セローとは向きが逆になるけど、目的地の手前にあったトンネルというから同じものだろう。

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タンザン鉄道は、まだ毛沢東の時代に、中国の支援で建設され、敷設工事には紅衛兵まで動員されたという。
その後支援はいったん途切れたものの、中国とタンザニアの結びつきは固く、現在は支援の第二期だ。

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セローが乗った列車は、今度はコンパートメントを貸し切りというわけにいかず、3人のむくつけきアフリカ人と同室にされてしまった。
夜になってから窓の外に目をこらすと、キリンやイボイノシシ、ゾウなどが見えたという。
たまたま列車が自然保護区を通過しているところだというから、古原靖久クンがジープに乗って野生動物を見物に行った、ミクミ国立公園のなかを通っていたのかもしれない。

セローの文章はあいかわらず魅力的である。
「太陽は舞いあがる砂塵の中へ没しながら、居残る雲を燃え立たせ、西の空全体が溶かされた金のごとく発光してピンクの天蓋と化し、オレンジとスミレの色がその縁を彩る」
「日が暮れても空は輝いていて、天に広がる背景幕はこの国特産の宝石タンザナイトの淡い青紫色を帯び、いく筋もの黄色い光と、組紐状の深い金色の光がブッシュを照らしている」
真似できないね。

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古原靖久クンの番組を観ているうちに気がついた。
タンザン鉄道はザンビア側のほうがお粗末で、コンクリートの枕木が新しそうなのはもっぱらタンザニア側であること。
これは初代大統領が中国かぶれで、服まで人民服を模したタンザニアと、それほどでもなかったザンビアでは、支援の規模もちがったということかも。
枕木が新しいから列車も新しいかというと、ぜんぜんそんなことはなくて、靖久クンが乗り込んだ列車は、シートのクッションがぼろぼろにはみ出しているボロ列車だった。
線路は敷いてあげます、あとの面倒は自分でみなさいということだろうけど、その面倒が大キライなのがアフリカ人で、鉄道事業というのはたいていの国で赤字が当然なんだそうだ。

セローは食堂車に行ってくだをまく。
やってきたウェイターに、◯◯料理のフルコースをくれという。
もちろんアフリカの列車にそんなものがあるはずがなく、彼はあてがわれたまずいシチューライスをぼそぼそと食う。
食堂車からもどるとちゅう、同じ列車に乗り合わせた欧米人の娘が、セローの「わが秘めたる人生」を読みふけっているのを発見した。
地の果てのような土地で自分の著作が読まれているのを発見したら、作家としては冥利につきるだろう。
ただ内容は、アフリカにやってきた男がアフリカ中の女と寝るというもので、娼婦買いに狂っていたころのセローの自伝のようなものだから、つぎに出てくるような若い娘にはあまり読まれたくなかったかもしれない。

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車内にはアフリカ人をエイズから救うんだという、崇高な使命感にもえた支援団体の娘もいた。
彼女はあちこちの村をまわって、エイズ撲滅のための教育映画を上映したり、勉強会や説明会を開いたりしていたそうだ。
えらいなあと思うけど、ぜんぜん効果は上がってなかったらしい。
とにかくアフリカ人というのはセックスが好きで、大人も子供も手当たりしだい、わたしにまでやらせろと迫ってくると、この若い娘は悲しそう。
彼女は失意のうちにフィンランドに帰国するところだった。
これもまた欧米の支援団体の、独りよがりの見本じゃないかとセローは思う。

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マカンバコという町で列車は停まってしまった。
列車の遅れは常習化しており、古原靖久クンなんかダルエスサラームに着くまでに、累積遅延が20時間にも達して、翌日の生番組に間に合わないからと、とうとう列車をあきらめてしまったほどだ。
3時間は動かないと聞いて、セローはアイルランド人の若者と町へ散歩に行く。
これだけみてもほんとうにのんびりした列車のようである。

アフリカに詳しいセローは、アイルランド人に講釈をたれる。
だいたい東アフリカには“急ぐ”という概念がない。
彼はアフリカで英語教師をしたことがあって、言語にはうるさく、スワヒリ語に急ぐというような言葉があったら、それはほとんどアラビア語からの借用だという。
こういう連中だからこそ、中国も鉄道建設をアフリカ人だけにまかせておけなかったんじゃないか。
はるばるアフリカくんだりまで徴用された紅衛兵こそいいメイワクだ。

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タンザン鉄道はインド洋に面したダルエスサラームから、現在はアフリカ西海岸のアンゴラまでつながっていて、アフリカ大陸は列車で横断できるようになっている(知らなかった)。
せっかくだから横断してほしかったけど、セローはムベヤという国境近くの町で列車を下りた。

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セローのつぎの目的地はザンビアではなく、そのとなりにあってタンザニアとも国境を接しているマラウイという小さな国で、ここへはバスのほうが便利だったのだ。
じつはこの旅の最大の目的地がマラウイだったのである。
この国こそポール・セローが若いころはじめて赴任したアフリカの国であり、想い出の土地でもあったんだけど、ま、詳しいことは次項にまわして、ここではムベヤという町を見ていこう。

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ストリートビューで見て、山と緑がやけに多いところだと思ったら、ここはお茶が名産で茶畑の多いところらしかった。
セローの本にはコーヒー畑やトウモロコシ畑は出てくるのに、お茶畑についてはひとことの記述もない。
彼の旅のあとで盛んになった農作物かもしれないし、ひょっとすると日本の伊藤園あたりの支援があったのかも。
ただ飲み食いするだけの日本人には想像しにくいけど、日本の商社は世界中の特産品の研究に余念がなく、韓国でマツタケが採れるとわかれば現地にマツタケ商社をつくり、モーリタニアでタコが獲れるとわかれば、現地の漁師にタコツボを教える。
こうやってアフリカ人も徐々に資本主義に目覚めていくのだ。

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お茶にはあまり興味がないけど、ウィキペディアを読むと、ムベヤにはカメレオンが多いと書いてあった。
カメレオンは日本には棲息していない爬虫類で、狂暴ではなく、いっぷう変わった個性をもっている動物なので、ペット屋でも人気がある。
最近はこいつを飼って、その映像を公開して収益をあげようというユーチューバーが増えて、なかにはほんとうに愛情をもって飼い始めたのかわからないのもいて、ちょっと問題だよな。

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