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2021年10月

2021年10月31日 (日)

アフリカ/川下り

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ポール・セローはマラウイで病気になった。
それがマラウイ滞在中に重症化して、ひねくれた彼は物乞いにさえ八つ当たりをした。
「旦那さん、何か恵んでくんなさい」
「ふざけるな、なぜ仕事をしない、オレは具合が悪いんだ、見てわかんないか」
同志であるはずのデヴィッド・ルバディリの要望に応えることができず、友情にヒビが入ったとか、いろいろ心労が重なったせいかもしれない。

わたしも異国で何度か病気になったことがある。
上海ではホテルのエアコンをかけっぱなしにして風邪をひき、バンコクでは得体の知れない腹下しをした。
わたしは現地の言葉に堪能ではないから難儀したけど、セローはアフリカ語がわかる。
だからなんとかなったかというと、アフリカじゃ肝心の医者や薬局がないことが多かったから、やっぱり途方に暮れたようである。

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すこしは調子がよくなったので、セローはマラウイを発つことにした。
ところが彼のアフリカ紀行をなぞるわたしのブログは、ここへ来て最大の危機に直面した。
セローが移動の足に選んだのが、今度はなんと丸木舟!
彼はシレ川を下ってザンベジ川の合流点まで行き、そのままモザンビークの国境を越えるつもりだったけど、川の上にストリートビューなんかあるわけがない。
カイロからナイル川を上り下りしたときは、観光客の多い場所だからなんとかなったものの、こんな奥地の川を船で下ろうというもの好きは、いるとすれば現地の漁業関係者か、ほそぼそと舟で貨物を運ぶ運送業者と密輸業者くらいだ。
このあたりに来た白人は、むかし探検に来たリビングストンぐらいだという。
なんだかすっごく危険な旅のように思えるけど、セローにいわせると、客として乗るぶんにはひじょうに快適なものだそうだ。

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あまりビジュアル的な期待はできないけど、先に進もう。
セローはタクシーをつかまえて、マラウイ南端のンサンジェまで行き、さらにマルカ村というところへ向かった(アフリカでは “ん” で始まる単語が多いので、ンサンジェというのは誤植ではない)。
セローは若いころ、この村から同じコースを舟で下った経験があり、ここにはそのとき顔なじみになった村長がいるはずだったから、彼に丸木舟を紹介してもらおうとしたのである。
ところでシレ川は、グーグル・マップでは “シャイア川” になっているけど、英語で Shire River で、現地の言葉では「シレ川」が正解だと思われる。

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たまたま村長は不在で、顔見知りだったその息子のカルステンを雇うことにした。
息子といってもカルステンはもう30代で、丸木舟のベテランの漕ぎ手であり、その節くれだった手がセローを頼もしがらせる。
丸木舟には漕ぎ手が2人必要で、セローを併せると乗員は3人だというから、大きさはこの画像にあるものとそんなに変わらないだろう。
2泊3日の舟旅で、料金は100ドル、食料・飲み物などはべつにセロー持ちということで話はまとまった。
アフリカ大陸を縦断するポール・セローの「ダーク・スター・サファリ」の中でも、とくにユニークな 2001:AN AFRICA ODYSSEY の始まりだ。

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地図を見てみよう。
シレ川はマラウイ湖より発して、マラウイの南部では一部モザンビークとの国境を兼ねている。
この地図ではシレ川は上から下に向かって流れているんだけど、実線で描かれていた川が、赤い〇印のところでこつぜんと姿を消してしまう。
なぜ川が消えるのかと不思議に思ったけど、でもすぐにその原因がわかった。
わたしはこのブログを書くためにいろいろ調べているとき、有名なオカバンゴ・デルタも、川の流れがある場所で広大な湿地になってしまい、乾季はまったく消えてしまうことを知った。
日本人には想像しにくいけど、大地をけずって流れていた大きな川が、それを飲み込むほど広くて平たんな場所にさしかかると、水は拡散し、行先を見失って、川とは呼べない湿地帯になってしまうことがよくあるのだ。

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彼らは早朝のまだ暗い時間にマラカ村から舟出した。
地図を拡大するとこのマラカ村にも、切られたトカゲの尻尾のような小さい流れがあり、すでに湿地帯は始まっていて、出発点の水路にはホテイアオイが密集していたそうである。
ホテイアオイというのは南方ではめずらしくない浮草で、茎の部分が布袋さまのお腹のようにぷっくりふくらんだ浮き袋になっていて、これが大繁殖をすると船舶の航行のじゃまになったりする。
わたしはカリマンタン島で散々だったはきだめ運河を見てまわったときも、そこいら中で見たことがある。
この植物には苦労させられたけど、セローたちはまもなくシレ川の本流に入った。

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『岸まで満々と水を湛えている個所もいくつかあったものの、舟は流れに乗って着々と進んでいく』
たしかにお客としてまん中に座っているぶんには、おだやかな風と陽光をひたいに感じつつ、流れゆく景色をのんびり眺めていればいいのだから、列車の旅よりさらに快適なものかもしれない。
丸木舟は軽いので風の影響を受けやすく、順風なら快調に進めるというから、これでiPodの音楽でも聴きながら行けるなら、わたしもいちど参加したいものだ。

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ンディンデ・マーシュで、シレ川はもはや川とはいえない広大な湿地帯になってしまった。
わたしが地図に赤い◯印をつけたのはこのへんで、川がぷっつり姿を消したように見えるところである。
あ、女の子の写真はまたわたしのサービス。

このあたりにモザンビークとの国境があり、入国審査を受けなければならない。
イミグレーションのわきに、なんと酒場!があったので、セローは審査官に酒をおごって無事に入国審査を通過した。
ついでにとなりにあった小屋に泊まっていいかと訊く。
イッパイ飲ませたのが効いたのか、泊まっていいことになったから、酒場や料亭というのは、アフリカでも日本でも役人にゴマをするときには役に立つものらしい。

翌日の早朝にふたたび漕ぎだし、まもなく行く手にモルンバラという円錐形の山が見えた。
その山の場所と写真を載せる。 

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この山はリビングストンも探検したことがあり、城砦のようなかたちをしていて、容易に近づけないところから、ポルトガルの植民地時代には、本国からなんらかの事情で逃れてきた貴族やならず者たちに占拠されていたという。
この当時、近くて金鉱が発見されたこともあって、占拠者たちは奴隷を使って王侯貴族のような生活をしていたそうである。
わたしは映画「地獄の黙示録」を思い出す。
舞台こそベトナムになっていたものの、あの映画では脱走米兵がジャングルの奥に自分の帝国を築いていた。
マーロン・ブランドが演じたカーツ大佐は、アフリカには現実に存在したのである。

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監督のコッポラの頭の中には、アフリカを舞台にしたコンラッドの「闇の奥」があったのだろうと、この本の翻訳者が書いているし、セローもここでこの本をひきあいに出している。
でもまあ、ベトナムでほうでは米国人が帝国なんか築けるはずがなく、コッポラていどの監督に、そんな寓意がいっぱいの深遠なテーマが描けるはずがない。
ほんと、アホな映画だった。

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2021年10月30日 (土)

試金石

今日は吉祥寺まで出た。
びっくりしたのは井の頭公園などの人出の多いことで、これじゃコロナ以前にもどったよう。
また6波だか7波だかが来て、感染者が増えるんじゃないか。
と心配になったけど、これってひとつの試金石かもしれない。
これから2、3日後にも感染者が増えなければ、コロナの下火も本物で、またぶり返せば、やっぱり選挙目当てになにか小細工しやがったなというところ。
どっちにしてもすぐに結果がわかります。
そういうわたしは、帰宅したらなんだか頭がくらくら、わたしがコロナで死ぬかどうかも1週間もすればわかりそう。

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2021年10月29日 (金)

時空を超えて

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昨夜は録画してあった古いシルクロードの映像を観ていた。
これはいちばん最初は1980年ごろにテレビ放映されたものというから、いまから40年以上まえの映像だ。
画質は悪いけど、これを観ていると不思議な気持ちになる。
わたしはこの映像にとらえられた景色がまだ残っていた1997年に、この地方を旅したことがあるのだ。
中国という国はもの持ちのいい国だから、わたしはかろうじてそれ以前、ということは1000年も2000年も前そのままの風景をながめたことになるだろう。
いまの中国はもの狂いしたかのように激変しているから、現代人が同じ場所を旅しても、もう同じ景色を眺められるかどうかわからない。

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映像の中に敦煌の莫高窟が出てきた。
わたしはひとり旅で現地に行ったことがある。
そろそろ棺桶に片足突っ込んでいるから、二度とそこへ行くことはないだろうけど、わたしはテレビを観ながら、距離という横軸だけてはなく、時間という縦軸を超えた旅をしていたことになる。
この番組を観て涙がこぼれそうになったというのは、じっさいにその場所をひとりで旅をした人間にしかわかるまい。
ただ流されるだけの人生だったけど、わたしの場合、思いもかけない遠い陸地にまで漂着したものだとしみじみ思う。

添付した写真は敦煌の莫高窟にて。
記念写真を撮っている4人組は観光に来ていた中国人たちで、中のひとりはウイグル人、スカートの女性は漢族で、なかなかイロっぽい人だった。
大きなドンブリを抱え込んで食事中なのは、莫高窟の日本語ガイドさん。

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2021年10月28日 (木)

リビングストンの2

わたしのブログを継続して読んでないと、なんでリビングストンが出てくるのってなりそう。
これはわたしのブログの「旅から旅へ」もしくは「深読みの読書」のカテゴリーに入るものなので、そっちを読み返してもらえる?

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アフリカでリビングストンが行方不明になり、英国人のスタンレーが捜索のためにアフリカに渡ったのは1871年のことだった。
これは日本でいうと明治4年のことだけど、まだ鹿児島あたりでは不満分子がゴチャゴチャいっていたから、明治維新もまだ磐石とはいえなかったころである。
そんなことは、かりに知らなくても調べればわかることだ。
ここではややへそ曲がり的方向からリビングストンの功績をながめてみよう。

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彼はその生涯のうちに何度かアフリカを探検しているけど、行方不明になったのは1865年の探検のときである。
このときはザンベジ川からシレ川をさかのぼった。
わたしのブログでは、ポール・セローがシレ川を丸木舟で下ろうとして待機中だから、リビングストンは同じコースを逆に進んだことになる。
そしてマラウイ湖からタンガニーカ湖に向かったあたりで消息を絶った。

捜索に出たスタンレーが彼を発見して、リビングストン博士ですかと問いかけた場面は、有名だから知っている人は多いだろうけど、それが具体的にどこだったのかを知ってる人は多くないと思う。
わたしも知らなかった。
それはタンガニーカ湖のほとりのウジジ(現在のキゴマ)のあたりだそうだ。
発見されたあと、リビングストンはしばらくスタンレーと行動を共にしたものの、けっきょく生きて文明社会にもどることはなかった。
これ以前に彼は、アフリカまで訪ねてきた妻を病気で失っているから、おそらく夫婦そろってアフリカに葬られるほうを望んだのではないか(遺体は英国のウエストミンスター寺院まで運ばれたらしいけど、余計なことをしたものだ)。

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ところで暗黒大陸のはずのアフリカだけど、リビングストンの伝記を読んでいると、あちこちにアラブ人や、白人のポルトガル人が出てくる。
ざっくばらんにそのころのザンベジ川周辺を俯瞰しておくと、大きな国家はなかったものの、アフリカ人たちは小部族単位で戦争ばかりしており、アラブ人はずっと以前から奴隷貿易のために進出していたし、ポルトガル人もすでにザンベジ川の流域に植民地を建てていた。
このあたりは西洋人にとって、かならずしも人跡未踏の土地ではなかったことになる。
ただし危険はいっぱいあった。
当時のアフリカにはまだライオンがたくさんいたから、リビングストンも腕にひっかかれた傷あとが残っていたという。

小部族単位の戦争も、へたにまきこまれると危険である。
そういう戦争が多いのには理由がある。
たとえばアラブ人やポルトガル人が部落の酋長のところにやってきて、ひとりにつき千円出すから30人ばかり奴隷を集めてくれないかと依頼する。
酋長はお金が欲しいから、となりの部族にケンカを売って、捕虜を仕入れてきて、それを奴隷として売っぱらう。
たまに間違えて戦争に負けて、酋長も捕虜になり、奴隷として売っぱらわれることがあったかもしれない。
どっちにしたってあたま数が30人そろえばいいのだから、奴隷の仕入れ業者は困らない。

これは想像力の発達したわたしの脳みそがでっち上げたエピソードだけど、似たようなことがたくさんあって、それで部族単位の戦争が絶えなかったのではないか。
リビングストンは奴隷の解放に尽力したともいわれている。
しかし彼は探検中に奴隷たちが1500人も虐殺される現場を目撃したけれど、それを止めるだけの力はなかった。
崇高な精神がいつも貪欲な資本主義に勝つとはかぎらないのだ。

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リビングストンは宣教師であると同時に、暗黒大陸とよばれたころのアフリカで、英国のために交易路を求めて歩きまわった探検家だった。
交易路を求めてという点で、けっきょくは列強の植民地政策の先兵、あるいは奴隷売買業者の便を計ったにすぎなかったと、ポール・セローなどは厳しい。
こういうふうに伝わっている俗説がひっくり返されることはよくある。
ネット上には、われこそは〇〇の伝説・神話をひっくり返してやろうと意気込む素人作家、アマチュア歴史家がたくさんいて、まあ、その大半はロクなもんじゃないけど、ポール・セローのような国際的作家が書いていることなら、信頼してもいいんじゃないか。
リビングストンは布教活動もほとんど失敗していて、彼のためにキリスト教に改宗したアフリカ人はひとりしかおらず、それもあとで棄教した(とセローは書いている)。

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2021年10月27日 (水)

コインランドリー

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あー、ヒマだな。
というときは何をするか。
洗濯をしよう。
しかし今日はどんよりした曇り日で、洗濯にはふさわしくない。
それでも強引に洗濯だけはした。
干す段になって考えた。
うちの近所には自動洗濯機をずらりと並べたコインランドリーがある。
ちょうどウチの洗濯機もくたびれてあまり調子がよくないし、あれを使ってみようと前から考えていた。

考えてみるとわたしがコインランドリーなるものを使ったのは、4年まえに札幌雪まつりを見に行ったとき以来だ。
めったに使わないからけろりと忘れていたけど、あれっていくらするんだっけ。
ま、500円以上ってことはないだろう。
というわけで、ワンコインとしっとりした洗濯物を持ってそこへ。

パンツ6、7枚に、Tシャツ、靴下などを放り込んで、待つこと12分。
料金は乾燥のみだと100円ぽっきりだった。
その値段でどのくらい乾くものか、待っているあいだにタブレットを使ってこのブログ記事を書き上げた。
終了。
うん、ホッカホッカでいい按配だ。
美人ユーチューバーのユリアさんも日本のコインランドリーを褒めていたな。
これからもうんと利用しよう。

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2021年10月26日 (火)

つぎはワタシ

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わたしのよく見る嫌韓サイトの「カイカイ反応通信」が、今度 YouTube を始めたらしい。
ほんと、いまはネコも杓子もユーチューブだな。
わたしだって遠く8ミリ映画(いまどきの若いもんはコダックやフジの8ミリフィルムなんて見たこともないだろう)のころからの筋金入りの映像マニアだぞ。
つくづく生まれる時期を間違えたと思うよねえ。

それにしても YouTube というのは美味しいらしい。儲かるらしい。
これだって本当にいい映像を作るには、手間ひまと、元手と、詩人のような感性が必要だと、古いタイプのわたしなんか思ってしまうのに、あいかわらず素人が片手間に作ったような作品があふれている。
作品の良し悪しよりも、めずらしいもの、どぎついもの、なにがなんでも他人の興味をひくもの、きれいな半裸の女の子がおおまたを広げるもの、つまり民放のバラエティ番組のようなものが、ネット上で燎原の炎のごとく他を駆逐しているわけだ。
こんな調子だからむずかしいことはない、今度結婚した皇室の女の子も、ぜひ YouTube で私生活を暴露してほしい。
たちまち「いいね!」や「チャンネル登録」が100万〜1000万は行くだろうし、あなたがやれば妹もやる。
あの美少女の私生活暴露、わたしが生きているあいだに観られるだろうか。
あいかわらずアクセスが30か40のわたしから嫉妬をこめて。
ウラヤマシイ。

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2021年10月25日 (月)

対立と協調

ネットをながめていると、あいかわらず中国を警戒する人たちが多い。
このあいだも津軽海峡を中露の軍艦が通過したって大騒ぎ。
舐められてんのかだって。
しかし、津軽海峡はいちおう公海ということになっている。
それについて文句をいってたら、ほかでもない、有数の海洋国家である日本も自由に他国の公海を通行できないということになり、損害のほうがずっと大きい。
短絡的な人というのは、こういうふうに広い視野で世界を見られない人が多いのだ。
津軽海峡で中露の艦船が見られる機会はめったにないのだから、大間あたりから旭日旗でも振っておけばいいではないか。

騒ぐ人たちというのは、どうも、いまでも植民地主義の時代だ、侵略の時代だと信じているらしい。
中国もいろんな問題を抱えているのだ。
環境汚染、エネルギー問題、地球温暖化、CO2削減、気象異常、テロ規制、民族対立などなど、現在は世界中が協力しあわなければならない時代なのに、なんだ、わざわざ敵対視してどうしようってのか。
何度もいうけど、現在の米中対立は、トランプさんの悪夢から逃れられないバイデンさんのぶち上げたことなのだ。
わたしは早くアメリカが、対立ではなく協調にもどることを願っている。

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2021年10月24日 (日)

また今夜も

どこかのアンケート調査に、日本人の90パーセントが中国をキライって出ていた。
多勢に無勢、わたしは残りの10パーセントというわけか。
なんでそういう結果が出るのかというと、つまり日本人の大半は、アメリカの都合に流されちゃう人たちってわけね。
そんなことはどうでもいいけど、ココログの運営者も90パーセントの確率で中国ギライなんだろうなあ。
また今夜も遊ばれてしまいそう。
きっとアクセスが30で決まりだよ(親戚と知り合いをのぞくと)。

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2021年10月23日 (土)

リビングストン

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ポール・セローのアフリカ紀行「ダーク・スター・サファリ」をなぞっているところだけど、その中にリビングストンの名前が出てきた。
彼はアフリカを語るうえではずすことのできない偉人であり、その伝記本はかっては小・中学生にとって必読ともいえる書物だった。
彼がアフリカ探検の最中に行方不明になり、捜索に出たスタンレーと奥地で邂逅する場面はひじょうに感動的で、わたしも子供のころ何かで読んだおぼえがある。
そこでまた、このブログの参考になるかと思い、その本を読んでみることにした。
ところが図書館のオンナの子はこの偉人の名前を知らなかった。オイオイ。

調べみたらわが街の図書館には、リビングストンに関する本が4、5冊あるようだった。
じっさいに図書館まで出かけてチェックしてみたら、有島武郎の本は徹底的にキリスト教徒の視点から書かれていて、わたしにはオエッとなるような本だった。
あとの2冊は子供向けの本で、ひとつは中学生あたりに読ませるような活字のでっかい本である。
それでもリビングストンの伝記としては過不足のない本で、おまえもこういう人になるんだよと子供に教え諭すに都合がよさそう。
しかしわたしみたいにひねくれたおじさんには、書かれた人を誉めるばかりの伝記本というのは、どうも性に合わないのだ。

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もうひとつはタイムライフ社のシリーズ本で、わたしはずっとむかし、この会社の出版していた科学シリーズを読み耽ったことがあり、写真が多くてわかりやすくまとめられた内容にいたく感心したものだった。
リビングストンについて書かれた本は、「冒険家たちの世界史」と名付けられたシリーズの1冊で、どんな本かと思ったら、これも青少年向けであることは違いがないけど、アメリカン・コミック調の絵物語になっていた。
そのへんがリビングストン以外にも興味をひかれたので、そっちを借りてきた。
日ごろマンガなんてと馬鹿にしているわたしだけど、なにかを説明するためには、目からちょくせつ入ってくるから、マンガはなかなか重宝なものであるといまごろ気づいた(マンガにもよるんだけどね)。

というわけで、いませっせとリビングストンの勉強をしているところなので、この続きは後日。
今日はこれからメシの支度だ。

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2021年10月22日 (金)

リー・マーヴィン2態

ナニ書こうかな。
書かないとまたココログに遊ばれちゃうものな。
このままじゃ今日のアクセスは30ぐらいで終わりだよ。

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昼間テレビで放映されていた「リバティ・バランスを射った男」って映画のことでも書いておこう。
過去に何度もテレビ放映されているから、観たはずなのにとんと印象に残ってないのは、映画館ではなく家で観たせいだ。
家だとどうしてもヤボ用があって、じっくり腰を据えて観られないんだよねえ。
それで今日こそはと腰を据えたつもりが、やっぱりほかにしなくちゃいけない用事があって、不真面目な鑑賞になってしまった。

ジョン・フォードの映画の中ではちょっと渋目の佳作というか、失われゆく西部劇への愛着を込めた、なんでもアメリカの国立フィルム登録簿ってところに保存されている傑作なんだそうだ。
ジョン・ウェインやジェームズ・スチュワートに、からむ悪漢がリー・マーヴィンという顔合わせ。
わたしはこのリー・マーヴィンという役者が好きなんだけど、ちょっとイメージが予想と違うなと思ったのは、どこかで悪漢像が「キャット・バルー」の酔っ払いガンマンと混線していたせいらしい。
フォード映画では悪漢がストレートすぎておもしろくない。
まだ時間がたくさん残っているのに、あっという間に殺されちゃって。
悪漢でもどこか人間味があって、憎めない男にしてくれればよかったのにと残念に思う。
マーヴィンをたんなる極悪非道の悪漢にしたのがこの映画の最大の欠点だな。

それでもこんな文章をでっちあげて、なんとか今日の更新に間に合った。
見てろ、これで今夜中にアクセスがぐんぐん伸びて、きっと 300 ぐらい行くから(あり得ないか)。

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2021年10月21日 (木)

阿蘇の噴火

おいおいおい。
阿蘇山が噴火だって。
そんなことはとっくに知ってるけど、ニュースを観ていたら高森町から中継だなんていっていた。
高森ってアレじゃん。
わたしの知人で、このブログでもおなじみの熊本のKさんの住まいがあるところじゃん。
そういえば彼の家のテラスからは、正面に阿蘇と根子岳が並んで見えるんだよね。

むかしの彼ならこういうとき、写真を撮って自分のブログに得々として張りつけたと思うんだけど、ここ1年ぐらいブログの更新なし。
生きているのか死んでいるのかもわからない。
定期的に押し入れに頭を突っ込んで、世をはかなむという持病を持った人だから、あまり心配してないけど、わたしのブログ読んでるかしら。
反応がなければ思い切り悪口を書いちゃうぞ。
電話すればいいんだけど、こういうときは相手も電話に出たがらないようで、うじうじ。

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2021年10月20日 (水)

アフリカ/ソチェ・ヒル高校

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かなり以前のことだけど、たまたま帰省したおりに、わたしはむかし通っていた小学校をのぞいてみたことがある。
校舎や周辺の景色は大きく変わったのに、校庭に生えていた松の木や、黒い粘板岩の慰霊塔など、むかしの記憶を呼び覚ましてくれるものがいくつか残っていた。
そういうものにひじょうな懐かしさを感じたのは、わたしが郷里をはなれて半世紀も経っており、その間小学校なんてまずのぞいたことがなかったせいかもしれない。
なにもかもが目まぐるしく変化する時代から、ほとんど変化のなかった時代を顧みると、いったいわたしたちはこれからどこへ行くのかと考えてしまう。

ポール・セローが、かって勤めていたソチェ・ヒル高校に向かったのは30数年ぶりのことだった。
ここは彼の人生を決定づけたたくさんの思い出のあるところで、ソチェ・ヒルというのは、日本でいえば桐ヶ丘や鶴ケ丘というような、由来のよくわからない地名の名前かと思ったけど、グーグルの地図にその名前がはっきり出ていたから、じっさいにそういう場所があるようだ。
彼の自伝によると、セローは若干22歳でこの学校の校長待遇として迎えられ、汚いトイレを改良するためにせっせとレンガを積んたそうである。
夜になるとあまり感心しない先生だったけど、昼間はまじめに勤務するいい先生だったらしい。
ここまでゾンバから70キロぐらいあり、セローはレンタカーを運転して行った。

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とちゅう、手前にあるリンベという町の銀行でキャッシングをしていくことにした。
リンベというのは南部の都市ブランタイアの一部で、ブランタイアというと、商業都市として首都のリロングウェをしのぐ大都市であり、首都と同じくらい大学や教育施設が集中しているところだ。
どんなところなのか参考のために、リンベを含むブランタイア一帯の写真を紹介する。

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銀行で並んでいると、処理に3日かかりますといわれ、そんなにかかるわけないだろと文句をいってくれたのは、後ろに並んでいたアフリカ人だった。
たちまちセローは彼と仲良くなり、世間話をする。
相手は求職中で里帰りをしていたアフリカ人だった。
大学の面接を受けて不採用になったばかりで、そのせいではないだろうけど、マラウイの政治に悲観的だった。
ここにはあまりにたくさんの支援者がいます、それが全部引き上げないかぎり状況はよくなりません。
やはり外国の支援はアフリカを救済することにはなっていないとのこと。

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けっきょく銀行で現金化できたのかどうか知らないけど、セローはさらにこの町にあった検閲局にも立ち寄ってみた。
どこの国の作家でも、自分の本が検閲に引っ掛かってないかどうか気になるものだ。
彼がもらった発禁図書の目録がおもしろい。
ジョン・アップダイク、クレアム・グリーン、ノーマン・メイラー、三島由紀夫、D・H・ロレンス、カート・ヴォネガット、ウラジミール・ナボコフ、ジョージ・オーウェル、サラマン・ラシュディ、そしてポール・セローの本もあった。
国が違えばこのほとんどが学生への推薦図書になるのになと彼はつぶやき、自分が発禁本の著者であることに気がつかれないうちこっそり逃げ出した。

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セローがトイレの改良をしたソチェ・ヒル高校はうらぶれていた。
ぬかるんだ空き地でぼろぼろの姿をさらし、屋根には亀裂が入り、木々は切り倒され、草は胸の高さまで伸び放題。
セローはむかし住んでいた家に行ってみた。
たまたまそこで現在の住人と出会って、35年まえにここに住んでいたんだよというと、そりゃ大昔だなといわれる。
35年が大昔かどうかは人によるだろうけど、アフリカ人の人生は短いのだから、彼らにとっては間違いなく大昔だとセローは思う。

ここにはサー・マーチン・ローズヴィア夫妻の住んでいた家もあった。
しかし夫妻は完全に忘れられていた。
ふたりの亡魂はいまなお学校をさまよっている、つくづく諸行無常であると思いつつ、セローも亡霊のようにあたりをさまよう。

そのへんで現在教師をしているスコットランド人と、マラウイ出身の新人教師に出会った。
英国人のほうはセローの本を読んだこともあるという。
どうなんだろう、将来はもっとよくなるとみんな言っていたんだけどねとセローは訊く。
ぜんぜんよくなっていませんよと2人。
教師になりたがる人なんていやしません、給料は安いし、優秀な人間はみなNGOに引き抜かれますと。
どうやら悪いのは徹底的に外国の支援団体らしかった。
たとえやる気のある新人教師がいたとしても、校長や副校長にはやる気がなかったから、外国人がここでものを教えるのは徒労にすぎないとセローは結論づける。

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しかし私見になるけど、これまでもあちこちで見てきたとおり、彼が以前より悪くなったとなげく町や学校は、現在はそれほどでもなく、かえって立派になっている場合が多い。
わたしは現在のソチェ・ヒル高校の画像を探してみた。
ここに載せたのはようやく見つけた写真で、校舎はいわれるほどボロでもないし、生徒たちも楽しく学んでいるように見える。
もちろんセローの旅から現在まで20年の歳月が流れているから、むかしのままであるはずがないけれど、現在の写真で見ると、そんなに零落した学校にはみえないのである。

教師時代のセローが勤務していたころは、まだマラウイが独立して間もないころで、もっとやる気があった時代だったのか、どっちにしても彼はがっかりしてゾンバにもどることになった。
翌日はルバディリの知り合いたちを招いて、彼の家で夕食会だ。
見てきたものがひどすぎたせいか、セローはマラウイ出身者たちを前にして、この国の欠点を列挙し、なんとかしなくちゃと熱血漢ぶりを発揮してしまう。
つまりすぐトサカに来ることを人々に証明してしまったわけだ。

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どうも彼は性急にすぎるようである。
アフリカの国がいきなり日本のように行儀のよい国になれるわけじゃない。
わたしはちょくせつ現地を見たわけではなく、ストリートビューでのぞいたたり、画像を集めただけだけど、それで見ると現在のマラウイは教育に熱心で、あちこちに大学があり、生徒たちは欧米と変わらない明るいキャンパス・ライフを享受しているように見える。
わたしはセローほど悲観的にはなれなかった。
ものには順序というものがあるし、アフリカの時間はゆっくり流れているのだ。
彼らにとって35年という歳月は長いと書いたばかりけど、アフリカの変化は一世代のうちになし遂げられるものではなく、短い人生がいくつか重なったのちに現れるものなのだろう。

夕食会の最中、天井でネズミが暴れる音がしたそうだから、もと英国の官舎といってもルバディリの家はそんな豪華な邸宅ではなかったようだ。
政治家や役人の腐敗ははげしく、大学に政府の支援はなく、学生たちはそのうちストを始める直前だった。
ルバディリはセローにぽつりぽつりと話す。
きみの息子のどちらかをマラウイに教師として派遣してくれないか。
セローにはインドやジンバブエで活躍している優秀な息子が2人いたけど、彼はすでにこの国の教育環境に愛想をつかしていたから、どうしてぼくの子供なんだ、君の(9人もいる)子供のほうがふさわしいじゃないか、アフリカはアフリカ人の手でどうにかすべきだといってしまう。
アチムウェネ(同志)の関係も冷えてしまったようである。

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このブログは個人の生活に踏み込まない主義だけど、まだ子供のころなら誰なのかわかる人は多くないだろうと、あえてセローの最初の妻と子供たちを紹介してしまう。
ええ、ネット上にもどうどうと公開されているんだし。

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2021年10月19日 (火)

またぞろ

季節の変わり目です。
若いころなら冬物に着替えればいいだけだったけど、この歳になると頭がぼうーっとしちゃって、体どころか脳みそが追っつかないみたい。

過去の履歴を調べてみたら、以前は年に何回か旅行に出かけていたのに、ここ3年ばかりそういう記録がひとつもないね。
旅好きのわたしがこのまま座して朽ちるのを待つのはイヤ。
いまジタバタして人生最後の旅行を計画中。
人生最後というのはオーバーだけど、この歳になればいつどこで、哀れな巡礼のように倒れてもおかしくない。
山頭火のように、旅のとちゅうで倒れるのは、理想といえば理想なんだけど。
  分け入っても分け入っても茶色の山

どうもこういう破調の句には美意識をかきたてられないので、もうちっとまじめな歌も添えておこう。
  撃ちてし止むサンゴの海のその果てに
       われをいざなえさきもりの霊


そう、わたしは多くの英霊の眠る沖縄にまた行こうというのだ。
知り合いの遺言を守るという目的もあるけど、家に閉じこもるじいさんにはなりたくない。
わたしの人生のスタートが海上自衛隊であったことは、このブログを読んでいる人はみんな知っているはず。

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2021年10月18日 (月)

もうダメ!

あああ、もうダメ!
ここんところココログを非難したり、おちょくることを繰り返してきたおかげで、相手もすっかり機嫌を損ねたようだ。
今日は時間がないからブログを更新しない。
すると相手は大喜びで、本日のアクセスはいいとこ40止まり(親戚と知人をのぞくと)確定だ。

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2021年10月17日 (日)

アフリカ/アチムウェネ

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ポール・セローのセンチメンタル・ジャーニーは最終章にさしかかった。
彼の旅はまだ3/5ぐらいが終わっただけで、まだまだ続くけど、マラウイから先はもはや彼のセンチメンタルとは関係がなく、あとはただの見物旅行・体験旅行になる。
つまり過去を追う旅は、彼が教師として勤務したこのソチェ・ヒル高校を訪ねて終わりということだ。

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彼は首都のリロンゴウェにいるとき、旧知のデヴィッド・ルバディリに電話した。
ルバディリはマラウイの外交官・詩人・小説家として有名な人物で、セローのアフリカでの最初の勤務先だったソチェ・ヒル高校の校長だった人である。
英国の保護領だったマラウイが独立したとき、彼は初代大統領のヘイスティングズ・バンダ大統領と対立して、いちじ亡命を余儀なくされたけど、政権が変わったのちに復権し、このときはマラウイ大学の学長をしていた。
米国大使館が役に立たなかったから、セローはちょくせつ古い友人に電話をして、むかし教えた学校を訪ねたいと相談してみたのである。
相手はよろこんで現地に招待してくれて、そのさいセローのことを“アチムウェネ”と呼んだ。
これはアフリカ語で同志という意味だそうだ。

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セローは首都のリロングウェからゾンバという街に向かった。
この地図の〇印がソンバで、首都から300キロぐらい離れている。
セローが教鞭をとったソチェ・ヒル高校はこの町から遠くない。
ドラッグで目がとろんのバス運転手におそれをなしたか、ここでセローはこの旅ではじめてレンタカーを借りることにした。
セローがなんという車に乗ったのかわからないけど、現在ではマラウイでもトヨタや四輪駆動車があたりまえのようだ。
たちまち検問所で警察官に止められた。
トランクを開けろというわれて、ドラッグと銃がないか調べられる。
ここはメキシコかと、ふつうのセローなら官憲をおちょくるところ、このたびはすなおに従ったようである。

レンタカーの旅とはうらやましい。
わたしは車の運転が好きじゃないけど、それは日本の道路がどこも渋滞するからで、アフリカならすいているだろうし、めずらしいものも自由に見てまわれるから、やっぱり車がいい。
セローもあちこち寄り道をしながらのんびり走っていった。
とちゅうの道路はいちおう舗装道路で、景色のなかにメサやビュートと呼ばれる奇岩がそびえていたという。
メサ(mesa)という言葉は、ヘディンのシルクロード探検記を読むといたるところに出てくる地形で、西部劇なんかでおなじみの、侵食されててっぺんが平らになった岩山のことである。

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そんな岩山があるということは、ゾンバのあたりは砂漠なのかと思ったけど、写真でながめると、熱帯雨林みたいに樹木の多いところだった。
探せばゾウやカモシカもいそうである。

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集めた画像をしげしげとながめると、遠方に特徴のある山塊が見える。
この山には「ウイリアムズ滝」という景勝があるそうで、その滝までの道だけはネット上に写真がたくさんアップされていた。
例によってその滝も見ていこう。
登山道の入口近くにはコンクリート堰のダム湖まであって、ちょっとビックリ。

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セローの自伝といっていい「わが秘めたる人生」を読むと、セローはソチェ・ヒル高校に校長待遇で迎えられ、不潔だったトイレをレンガを積んで自分で改築したりしたとある。
そのあたりの事情はよくわからないけど、大学出がめずらしかったマラウイで、校長だったルバディリは政府の役人に引き抜かれ、セローはその後釜だったのかもしれない。
引き抜かれたルバディリは、前述のとおり、大統領のバンダにたてついてマラウイを追われた。
セローは彼に頼まれて、その乗用車を3000キロも離れた亡命先のウガンダまで届けたことがある。
おかげで彼も反体制派の烙印を押されてしまい、マラウイの学校を放逐されることになったのだから、彼らがお互いをアチムウェネと呼び合うのは当然なのだ。

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セローはゾンバ・ジムカーナ・クラブでルバディリと落ち合った。
ゾンバは英国の保護領時代にマラウイの首都だったところで、英国はどこの植民地にも、かならずアパルトヘイトの原点のような英国人専用のクラブを作った。
この風習は米国にも引き継がれ、日本の横須賀には米国の軍人専用のクラブがあった(ということをむかし自衛隊にいたわたしは知っている)。

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そんなクラブまで地図に出ているはずはないと思ったけど、なんとなくグーグル・マップをながめたら、ちゃんと出ていた。
建物の写真もすぐに見つかった。
セローが訪ねたときでさえ、もうそうとうに古びた建物になっていたらしいけど、そういわれるとこの写真でも建物は傾いているように見える。
このクラブは、マラウイが独立したあともしばらくは白人専用が続いていたけど、現在はまったくアフリカ人のものになっているようだった。

セローはルバディリの自宅に招かれた。
マラウイ大学の学長である彼は、このとき70歳を越えていて、むかし英国人が使っていた官舎に住んでいた。
奥さんのガートルードもセローとは旧知の間柄だ。
彼女が食事をつくってくれているあいだ、セローは近所にある大学クラブに行き、そこでいまは教師になっている、かっての教え子に出会った。
思い出話に花を咲かせているうち、かっての教え子の多くが、いまはマラウイで出世していることを知る。
セローが教師をしていたころのアフリカでは、高等教育を受けられるのは将来を嘱望される人間が多かったから当然のことだけど、先にムズズという町で、サー・マーチン・ローズヴィアという恩師の墓に詣でたとき、自分も教師になるような人物を育てたいと願ったセローの夢はちゃんと達成されていたのである。

ルバディリの家にもどり、奥さんのガートルードと、これはもっぱら家庭的な世間話をした。
最近のマラウイはどうですかとセローは訊く。
いやんなっちゃうわ、うちの息子もぜんぜん礼儀をしらないし、最近の若者はみんなあんなものかしらねえと、彼女はぐちをこぼす。
でもこれって万国共通のぐちをみたいな気がするけど。
ほかにもセローがこのあと訪ねることになるジンバブエの、ロバート・ムガベ大統領の話もした。
彼女はムガベと大学時代の同級生で、そのころ彼は本の虫と呼ばれていたわという。
個人的なことになるけど、わたしも小学校、中学校では、本のシミ(紙魚=害虫)といわれていたものだ。

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デヴィッド・ルバディリはセローの旅のあと、2018年に88歳で亡くなった。
彼はマラウイでは有名人だから、英語版のウィキやネット上にいくらでも情報が見つかる。
わたしはガートルードという奥さんのほうに興味をもって、写真を探してみたけど、あちこち手をつくしたのに、はっきりこれが彼女だという写真を見つけることができなかった。
1枚だけ、ルバディリの生誕なん年かの祝いに、関係者が集まったときの写真を見つけた。
主役のとなりにいるのがガートルードかもしれないけど、妻は2人いたそうだから、はっきりしたことはいえない。

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2021年10月16日 (土)

ココログ列伝05

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わたしはイヌかネコを飼いたいと思っているんだけど、あいにくわたしの団地では動物の飼育が禁止で、年齢的にも動物の将来を保証できそうもないから、これはもう手の届かない夢物語だ。
そうは思っても、捨てられたイヌ・ネコを里親として斡旋してくれるNPO団体のことを、ときどきは考えてみる。

たまたまココログのブログに、そういう団体のところへイヌをもらいにいった男性の記事が載っているのを見つけた。
たかが捨て犬というなかれ、もらうほうの資格はひじょうに厳しく、身分証明書と印鑑のほか、マンションの飼育可能証明書だとか、家族全員の了承済み証だとか、万一の場合にそれを引き取ってくれる2次保証人(30歳以下)などの書類一式を揃えなければならず、ようやく団体のところにたどり着いたら、タッチの差でべつの人に先を越されていたそうだ。
人気のあるイヌをもらおうと思ったのがイケナイのかもしれない。
なんだっていいです、雑種でも、不細工でも、性格が多少わるくてもといっておけばよかったんじゃないか。
そんなイヌをもらいたがる人はいないか。

この人のブログはひじょうに言葉使いが荒っぽい。
意識してヤーさんの口調をまねているようであるけど、写真で見ると押し出しもなかなか立派で、なんかの祭りで子分を引き連れて用心棒を務めたなんて書いてあるから、ほんとうにそのスジの人かもしれない(添付画像は当人)。
しかし内容を見ると、両親を介護しているというから、親孝行な常識人のようでもある。
しかもなかなか知的なところもあって、書物の話題や映画、音楽、釣りなど、しかも食い道楽で、大谷翔平と松田聖子が好きでと分野が広く、政治的にもあまり偏向したところのない、つまり思想的にはわたしと似たところのある人といっていいかも(思想と大谷以外はぜんぜん似てないけど)。

彼のブログは「笑う膝の冒険 by コチスペ」といって、タイトルからして文学的だ。
この人が、ブログのアクセスが1日平均で 247 だなんてどこかに書いていたな。
そのくらいが普通なのかねえ・・・・ わたし以外は。
昨日なんかたったの40ちょいだよ(親戚、知り合い分を引くと)。
この広い日本で、1億2千万の人口のうち、わたしのブログを読んでいる人が40人だけだなんて、ホント、これを読んでるあなたは貴重な人だ、キトクな人だ。
もう知らん!

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2021年10月15日 (金)

有害

いくらなんでも書いていいことと悪いことがあるんじゃないか。
ココログには人気ブログ・ランキングというものがあって、不思議なことに1位、2位はほとんど不動だ。
短期間ならともかく、何年にもわたって不動ということになると、ランキングなんて当てにならないと考えたくなる。
しかし、しょせんココログも民間の営利企業がやっていることだから、そんなものにいちゃもんをつけても始まらない。
ただし、ただし書いてあることが社会に害毒をふりまき、青少年にわるい影響を与えているものとなると、話は違ってくる。
しかもそれが人気ブログの、つねに上位に入っているとなると、ココログそのものが片棒をかついでいるとみなされてもおかしくない。

いつも人気ブログの1位か2位にある、占い師さんみたいなのがやっているブログがあるんだけど、わたしのような科学の絶対信奉者からすれば、カルト宗教とすこしも変わらない。
とくに先日のそれは、いくらなんでもひどすぎた。
記事のすべてを引用するから、わたしの頭がおかしくなったのか、記事のほうがおかしいのか、みなさんも考えてほしい。

宇宙は、まだまだ神秘的であって広大です。
今、アメリカに「宇宙軍」ができておりますが、まだまだ地球では、UFOや宇宙人を認めない風潮になっております。
古代は、宇宙人は神とあがめられ、その国のトップや代表者にもなられていたそうです。又、アヌンナキ(ニビル星)の今の人類の遺伝子操作は有名です。
あのエジプトのピラミッドも宇宙人が造ったとも言われ、日本に散らばるピラミッドの山々も宇宙人が造ったものとされております。(ピラミッドはエネルギーの通信機みたいなもの)
宇宙人を見るのには、パワースポットや聖地が良いとされているのは、宇宙とパワースポットを結ぶスターゲートが開きやすいからでしょう。神戸にもスターゲートがあって、六甲山や水晶山などが有名です。(水晶を持つと変性意識になってUFOを見やすい)
今週の日本は、「平安で静かな感じ」がしておりますが、おそらくここ2~3日の間に「日本のどこかで大きなスターゲート」が開いた様な気がします。
何故なら日本のエネルギーの上昇みたいなものを強く感じてて、ホウホウ自身の頭が、ずっとボ~ッとしてて、よく眠った後でも、眠気が続いている様な状況が続いております。
眠気が続く時は、何らかのエネルギーが、今ここに来ている証拠です。そんな時は、次元のゲートが開いてる事が多く、UFOなどを見やすくなっております。
ただし、スターゲートが開くと、厄介な事に、「宇宙からは、わけのわからないもの」までが地球に侵入して来ます。
本当に宇宙は神秘的で広大で、大小様々のたくさんの生命体が存在しております。
この世には、「東京23区くらいのUFO」や「月くらいのUFO」もあるのですから、私達の想像の世界では考えられないくらい大きさの生物や人工物が、はるか頭上を飛んでいるのです。

ここに本物かどうか確認のしようがない写真が2枚あったけど、省略。

この世には、「私達を支配したい宇宙人」と「私達に情報を教えてくれる、私達の進歩を願う宇宙人」がいて、311の福島原発が爆発した時は、「日本に飛び散るたくさんの放射能」を無毒化させてくれました。
又、UFO(宇宙人)は、台風を消してくれたり、火山の爆発を小さくしてくれるUFOもいて、私達から見ると「神様的な存在」にもなります。
今、もらってる情報としましては、「これまでにない地球の変化や、日本の変化が、本当にそこまで迫っている!」という情報をもらっておりますので、今後は、「何が起きても驚かない心の準備」が必要です。
宇宙人からすると、「コロナ」を消すくらいは、朝飯前だと思うのですが、まだまだ「簡単にはコロナを消せない理由」が何らあるのかもしれません。

べつに精神病院の患者さんの発言でもないし、ジョークでもないようだ
こんなものをどうどうと書く人、それを人気ブログとして、ぬけぬけと掲げるココログには呆れかえった。
この占い師さんは「有料のレジ袋。元に戻る噂!」なんて記事も書いていたけど、およそ知性というものを感じさせない文章だった。
そりゃ占い師さんがみんなプロの作家じゃないだろうけど、一方で人間の生き方はなどというたいそうな文章を書いておきながら、もう一方では偏った立場から政治に口を出すという軽薄なことをしている。
だれがなにを書こうと自由だけど、そんなものが広められる社会になってはいけない。
もっともこれが支持者の多い団体のもので、更新があるたびにじっさいに大勢の信者がアクセスしているなら、ココログの責任とはいえないけど。
さて、どうなんだろう。
いつもわたしを暗い気持ちにさせるブログである。

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2021年10月14日 (木)

徒労に賭ける

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ココログのブログに、わたしの郷里の詩人・萩原朔太郎について書いたものがあったので、読んでみた。
そのブログを書いている人をかりにAさんとしておこう。
注釈の多い丹念な内容で、古い言いまわしもたくさん出てくるから、Aさんは生きた化石のような人かと思っていたけど、プロフィールによると定年退職をした高校の国語教師さんらしい。
ただ、取り上げられている朔太郎の詩は、未定稿や本人がボツにした詩が多く、こういうものを公開されて作者が喜ぶかどうかわからない。
それでも愛好家などにとっては貴重な資料ということはあり得るから(わたしにとっては価値がなかったけど)、大変な労作ということで敬意をあらわしておこう。

ほかにも見出しを拾うだけで、芥川龍之介、梶井基次郎、中原中也、梅崎春海、伊藤静雄、伊良子清白、ツルゲーネフなどの詩人・作家から、曲亭馬琴や甲子夜話、和漢三才図、北条九代記、今昔物語など、古典をそのまま引っ張ってきたような文学作品、さらにナチュラリストの南方熊楠についてとか、映画の話題もあって、わたしのブログでも取り上げたロシア映画「誓いの休暇」が出てきた。

しかしこんなブログを読む人が、今の世の中にどのくらいいるのだろう。
興味があったので調べてみた。

Aさんは節々で、今日はアクセスが何万に達した、何万に届いたと嬉しそうに書いている。
この人は2005年にブログを開設しているから、わたしより2年先輩で、とうぜんわたしより累積カウントも多く、現在150万あまりに達している(わたしは まだ40万がやっと)。
現在は2021年だから、Aさんはココログ16年生、わたしは14年生ということになるけど、それにしては差が開き過ぎみたいな気がする。
時間をおいて彼のカウンターをチェックしてみたら、24時間で600あまりのアクセスがあったことがわかった。
まあ、他人のブログにいちゃもんをつけようってわけじゃないから、そんなことはどうでもよい。

今回のわたしのブログのテーマだが ———
なんで、なんで、なんで、どうして、どうしてわたしのアクセスが、昨日はたったの60(夜の11時の時点で)なのよお?
先日はわたしが野良仕事をしていたら、通りかかった見ず知らずの美貌の人妻が、ブログ読んでますよだって。
見ろ、わたしのブログの人気絶頂ぶり。
以前は外国からのコメントも受け付けていたら、迷惑コメントがわさわさ。
わたしのブログは外国にも鳴り響いているのだ。
それがなんで、え、なんで60なのだ。
これが操作でなければ何なのだ。

ココログに文句をいったって、それがあんたのブログの実力だといわれればそれっきり。
こういうときはどうすればいいのさ。
なにもブログで自慢をしようとか、コマーシャルをつけて儲けようってわけじゃない。
ただ自分の書いたものがどのくらいの人に読まれているか知りたいだけなんだけどね。
いっそ「いいねボタン」をつけて、来訪した人にそのつど押してもらおうか。
その「いいね」を数えたほうが、納得のいかないアクセスカウンターより確実かもしれない。

それにしたってねえ。
ブログを書くというのは、ひとりパソコンにかじりつく孤独な作業だし、しかもなんの反応もないまま、ひたすら書くことだけが生きがいという人も多いんじゃないか。
中にはAさんのように、アクセス数が励みになっている人もいるだろう。
読んでいるみなさんにお尋ねしたい。
え、わたしのブログってそんなにつまんないの?

現在の心境を歌にしてみました。
うちの花壇の草むしりをしていたら、まちがえてマリーゴールドを抜いてしまったので、もったいないからグラスに挿してテーブルに飾ってありますんで
  卓上に黄金を盛るや万寿菊
       日々これむなし徒労に賭けて

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2021年10月13日 (水)

アフリカ/リロングウェ

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マラウイの首都リロングウェに行くとちゅう、セローはムズズの町に寄った。
ストリートビューはカバーしてないけど、ネット上に画像がいくつか見つかり、それによるとまあまあ大きな町である。 

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この町には彼の古い知り合いがいる(はずだった)。
セローが初めてマラウイに赴任したころ知り合った、サー・マーチン・ローズヴィアとその夫人である。
マーチン・ローズヴィアは英国人で、公務員を勤め上げたあと、アフリカに渡って教員養成学校を営んだ。
マラウイでまだ若造のセローと知り合ったとき60代で、ホッケーとパイプを愛する闊達な紳士だったそうだ。
どんな人なのか調べてみたら、サーがつくくらいだから英国では著名人らしく、写真がすぐ見つかった。

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この人もまたアフリカ人を救済しようという善意と献身の人だったけど、ただタンザン鉄道の列車のなかで知り合ったフィンランド娘のように、夢敗れて帰国するような理想主義者とは違っていた(とセローは書く)。
その古いスタイルの教育方針はセローも手本とするものだった(とセローは書く)。
つまりこれまでさんざん支援団体やそれに従事する人々をこきおろしてきたセローとしては、自分の尊敬する人と、そういう連中とは一線を画したかったのだろう。
自分が教えた生徒が出世して、この国のために貢献しているのを見るのは人間の生き方として最高ではないか。
自分も彼のような生き方をしたいと、セローは願っていた。

ローズヴィア本人は90歳あまりで亡くなっていたけど、せめて夫人は生きていないだろうか。
夫人は未亡人になったあと、ムズズで中学校を経営していたと聞いていたから、セローはそこへ行ってみた。
残念なことに夫人も2年まえに亡くなっていた。
亭主が “サー” なら夫人も “レディ” の称号がつく著名人のはすだけと、どこを探しても彼女の写真は見つからなかった。
夫妻はムズズに葬られたというので、地中海をめぐっていたときイタリアのアリアーノ村でカルロ・レーヴィの墓を見つけたわたしは、ここでも夫妻の墓を探してみた。
墓も見つからなかったけど、ムズズのアングリカン教会の墓地にあるということがわかったので、その教会だけは見つけた。
マーチン・ローズヴィアの写真の背後にあるのがその教会。

セローが墓に詣でてみると、それは手入れする人もなく草に埋もれていた。
几帳面な性格だった夫妻の墓が草茫々だなんてと無念に思いながら、セローは墓をおおった草をむしって彼らをしのぶ。
ムズズと、このあとじっさいに彼らが知り合うことになったソチェ高校を訪ねるくだりは、彼のアフリカ紀行の中でももっとも感傷的な部分である。

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墓参りをしたあと、セローは首都のリロングウェに向かう。
首都に行くバスは、どれもドラッグをやってとろんとした目つきの運転手ばかりだったそうだ。
こんな運転手のバスに乗ったら命がいくつあっても足りやしない。
そうぼやきながらようやく少しはマシなバスに乗り込むと、看護師をしているという初老の白人女性と隣り合わせた。
彼女は夫とともにリロングウェイで慈善病院に勤務しているという。
もっけの幸と、セローは彼女にマラウイの医療事情についていろいろ尋ねてみた。
ひどいものです、給料が安いので医師になり手がいません、うちの病院もそのうち医師がいなくなります、政府はなんの対策もとっていませんと彼女は窮状を訴える。

「薬がないのでエイズ患者は見殺しにするしかありません」
「うちの病院では9年まえの救急車を使っていますが、車の部品や病院の必要品を買いにいったとき、泥棒にそれをみんな盗まれました」
こんな荒廃した国でそんなことをして何になるんですかという質問に、看護師は「ただ小さい蝋燭をともすだけです」と答える。

この白人看護師の、ほとんど無償といっていい献身的行為には、尊敬の念を抱かざるを得ない。
しかし献身ということについて、たとえば森鴎外などはもっと辛辣だ。
聖女とよばれた尼さんを例にあげて、その自己犠牲は倒錯した精神病の一種じゃなかったかとさえいう。
司馬遼太郎の「街道をゆく」には、老年になってから北海道の開拓に身をささげた老医師の話が出てくるけど、読んでいると尊敬というより鬼気せまるものを感じてしまう。
本人たちは満足だったのだろうから、他人がごたごたいうことではないけど、人間性の本質についていろいろ考えさせられることである。

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リロングウェもストリートビューがよくカバーしているとはいいにくいところだったけど、まるで全体が公園のように、広々として緑の多い美しい街だった。
へそまがりのわたしははじっこのほうに行けば汚い場所もあるだろうと思ったけど、ストリートビューでは不潔な場所をほとんど見つけられなかった。
こんな美しい都市がどうして犯罪多発都市になるのだろう。
セローが旅をしてから現在までの20年間で、劇的な変化があったのだろうか。

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ここでセローはハイクラスのホテルに泊まった。
名前は出てなかったけど、なんでも国連職員や難民問題の専門家、慈善団体の代表などが泊まるホテルだったそうだ。
ここまで来るバスでも彼は、もう二度とこんな乗り物で旅をするのは御免だとぼやいているから、贅沢はしないという初志を貫徹するのは大変らしい。
ここに載せたのはそんなプールつきの豪華ホテルの1例。

宿泊料を払うとき、勘定にサービス料が含まれているのを見て、セローは文句をいう。
べつに彼がケチなわけではなく、高い金を取るくせに部屋は汚く、掃除をした形跡がなく、荷物まで自分で部屋に運んだので、いったいどこにサービスがあったんだということである。
ええ、じつはサービス料というのは名目でして、たんなる上乗せですと、ホテルのほうも正直だ。
上記のような、外国から来ているロクでもないやつらがこういうふざけた慣習を教え込んだんだろうと、セローは怒り狂う。

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ひととおり文句をいったあと、セローはアメリカ大使館に電話した。
リロングウェの米国大使館にはあらかじめ、市内の学校で短期の講師をしてみたいので、どこかの学校と話をつけておいてくれないかと連絡してあったのだ。
そうすることで、むかし世話になったこの国にささやかな恩返しができるのではないかと彼は考えていた。
ふつうなら有名な作家であり、かってこの国で教師をしたことのある彼の申し出は、歓迎されるはずのものだったけど、ところが大使館では広報係りの女性が、あたしは忙しいんです、そんな斡旋をしているヒマはありませんとにべもない対応。
世界的作家もかたなしである。
セローは憤まんやるかたなしだけど、まあ、善意の押し売りが日常になってるんだろうなと、あきらめる。

いや、あきらめない。
すぐにあきらめるのはわたしの悪いクセだった。
セローはあとでじっさいの米国大使をつかまえて文句をいう。
しかもふつうなら「消息筋」とか「上級外交官」というふうに相手の名前がわからないように気を使うところ、彼が旅をした2001年当時の米国大使といえば、調べればだれだったのかすぐにわかってしまう。
ここではそのP・T・S・カンディエロ大使のほうが礼儀をわきまえたおとなで、いきなりどなりこんできた世界的作家は、そつなくあしらわれてしまった。
韓国のもと外交官のオンナの人にどなられて、じっと我慢をしていた日本の冨田浩司大使みたいに、大使というのは理不尽な相手にじっと耐えるすべを心得てなければ務まらないのである(短気なわたしにはムリよ、ムリ)。

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最後に初心に帰ってリロングウェの市場を紹介。
いちばん最後の写真はタバコ市場だそうだ。

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2021年10月12日 (火)

ノーベル賞

はからずも中国をネタにする3部作の3回目。
けっして中国の味方ばかりするつもりはないんだけど、世間には公平客観的ということを知らず、中国をけなしてばかりいる人が多すぎるようなので。
先日、今年のノーベル賞の発表があったばかりだけど、今回はそれで思いついたことを書いてみる。
ただし、平和賞と文学賞はそのときの国際情勢や、ノーベル財団の都合に左右されるような気がするので、ここでは自然科学の分野だけにしぼって話をすすめることにする。
 
日本はすでに25個のノーベル賞をもらっているのに、韓国はゼロ、中国については、現在の中華人民共和国だけにするか、中華民国の台湾も含めるか、あるいは幼少から国外に移住していた華僑も含めるかで人数がちがってくるのでむずかしい。
ここでは中国の将来を問題にするのだから、とりあえず中華人民共和国だけにしてみると、受賞したのは2015年の屠呦呦さんだけってことになる。
だから日本人は優秀なのだという人は多い(そういう人の大半はノーベル賞に縁のない人だけど)。
でも過去には人類の進歩に貢献した偉大な発明も数知れず、人種的に日本人と近くて、人口のはるかに多い中国がどうして少ないのだろう。
 
日本人のノーベル賞第1号はご存知湯川秀樹博士で、1949年の受賞だから、いまから70年以上まえということになる。
日本の場合、戦前から(江戸時代から)教育に熱心で、国も安定していたから、学者たちも安心して研究に打ち込むことができた。
中国の場合(韓国はここでは俎上に上げない)、近世に入ってからはあまり教育に熱心でないところへ持ってきて、内乱だ、革命だ、戦争だで、研究者たちはそのたんびに右往左往。
しかもかってのノーベル賞は西洋人の賞であったから、アジア人にはなかなか受賞のチャンスがなかった。
もしもノーベル・ヘイトというものがなければ、最近のようにほとんど毎年受賞者を出している日本は、ランクがひとつかふたつ繰り上がっていたことだろう。
 
中国の科学者が腰をすえて研究に打ち込めるようになったのは、鄧小平の改革解放以降、国内がようやく安定してきてからのことではないか。
とすれば日本よりだいぶ遅れてスタートしたことになるし、いまはまだ助走期間と考えれば、これから先のことはわからない。
現在の中国は日本や欧米に追いつき、追い越せと、猛烈にハッパをかけているところだ。
五輪などはその成果が出ている。
しかしスポーツの場合、ひとりの人間の一生のあいだに成果が出せればいいけど、ノーベル賞の科学部門には数世代にわたる学問の蓄積が必要だから、そんなに簡単に成果は出ない。
時間さえあれば、そしてアジア人への差別が払しょくされれば、将来の中国は金メダリストのように、ノーベル賞受賞者を輩出する国になるかもしれない。

恐ろしいのは現在の中国が負けをすなおに認め、日本に学ぶことを恥ずかしがらないことだ。
これでは日本もうかうか出来ないと日本の若者たちに言っておこう。
ノーベル賞は全人類の至福に貢献した研究に与えられるものだから、そんなものでナショナリズムを煽り立てるほうがおかしいんだけどね。

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2021年10月11日 (月)

日本の代表的景色

YouTubeを見ていたら、とある中国人のむいむいという娘が、「外国人が見た日本を代表する風景」という映像をアップしていた。
ヒマだから、あくまでヒマだから、これにいちゃもんをつけて遊ぼう。

日本を代表する風景のその1として、最初に河川敷というものが出てきた。
河川敷は外国人(中国人)が見ると日本を代表する景色になるらしい。
それでは中国には河川敷なるものは存在しないのだろうか。
わたしは開封という古都に行ったとき、黄河を見に行ったことがある。
河川敷はあったけど、ヤギがそのへんに繋がれているくらいで、ほとんど天然のまま、草ぼうぼうの河川敷だったから、日本のように公園やグランドのある河川敷はめずらしいのかもしれない。

つぎに鳥居が出てきた。
赤い鳥居のある風景は確かに中国にはない。
しかしこれは紅衛兵が廃仏毀釈を徹底したせいで、それさえなければ中国だって鳥居に代わるなにかがあったはず。
わたしは新疆ウイグル自治区でたくさんのモスクを見た。
宗教を大切にする国は多く、イスラムなら尖塔、キリスト教国には十字架というように、たいていの国には日本の鳥居に代わるなにかがあるものだ。

桜が満開の景色というものもあった。
日本はサクラを植えて植えて植えまくったから、サクラが多いのも当然だけど、そんな日本をうらやましがって、最近では中国でもあっちこっちで花の並木が作られている。
わたしが初めて中国に行った1992年ころは、農村に行ってもめったに花なんか見なかったものだけど、これではそのうちお株を取られ、日本人が大挙して中国に花見に行く時代が到来するかもしれない。

電信柱のある風景というのもあった。
え、中国には電信柱がなかったっけ?
そういわれるとあまり電信柱の記憶がないけど、これはむしろ東南アジアのほうに目立つ風景のようだ。
一本の電柱に蜘蛛の巣のように電線がからみついているのは、どっちかというとタイやフィリピンの風景ではないか。

踏切も出てきた。
はてね、中国に踏切がなかったっけ?
いいや、踏切はたくさんある。
中国は鉄道王国だから、わたしはあちこちで踏切を渡った記憶がある。
ただし日本のような、正確な信号機がついて、無人で自動的に遮断機の下りる踏切はめったにない。
列車の時間も不正確だから、はじめてシルクロードを旅したとき、とある踏切で延々と待たされている車の列を、列車の中から見たこともある。

河川敷の続きみたいだけど、グランドで子供たちが野球をしている風景もめずらしいという。
これは中国では野球がまだめずらしいスポーツだからだろう。
大谷翔平の活躍を見て、アジア人でも白人や黒人に勝てるスポーツというので、これからは中国が乗り出してくる可能性はありそう。

サラリーマンがたくさん乗っている電車というのもあった。
現在では中国にもサラリーマンが増えていそうだけど、通勤用の列車の本数は多くないし、それに代わるべき路線バスなら、客がドアに手をはさまれたままぎゅう詰めで走っているバスを見たことがある。
ひところは上海あたりでも自転車の洪水だったけど、いまはどうなんだろう。

にぎわう夜の飲み屋も中国にはめずらしいらしい。
会社帰りにイッパイやるサラリーマンが少ないというより、これは日本みたいに気楽に入れる飲み屋が少ないせいだな。
あちらではレストランが一般的で、中にはけっこう混雑している店もあったから、需要は多いと思われる。
むかしの西安には夕方になると、道路のはたにずらりと屋台が並んだ。
あれなんか飲み屋をしたら繁盛しそうだけど、客より屋台のほうが多かったくらいだからなあ。

ラーメン屋の行列。
中国で行列が少ないとしたら、考えられる理由はふたつある。
ひとつは本場のくせに行列するほど美味い店がないことで、もうひとつはアホな日本人が増えていることだ。
誰かがこの店のラーメンは美味いと口コミに書いたりすると、味覚音痴の日本人がわっとその店に殺到する。
だから日本ではラーメン屋の行列が増えるけど、相対的に中国では少なく見えるのではないか。
味覚なんて個人でさまざまなんだから、他人の情報なんかあてにするなと、わたしかいくら警告しても蟷螂の鎌みたいなものだ。
わたしもむかし、青森で変な寿司屋に入ってしまって、口コミ情報の重要さを認識したことがあるけど、あれは美味しいがどうかというより、まともな店かどうかという問題だった。
いま考えても腹が立つ。

ゴルフの練習をするお父さん。
そもそもゴルフをするほど中国は豊かではないし、と書こうと思ったけど、日本はどんどん貧しくなり、ゴルフ場の閉鎖、若者のゴルフ離れが続いているのに対し、中国はますます豊かになっているとしたら、この人口グラフの線はいつかどこかで交わるはず。
そのとき中国も夜中にクラブを振りまわすお父さんが増えるかもね。
見栄っ張りの多いことにかけては韓国と双璧の国だから。

お終いは、逆に中国らしい風景ってなんだろうというもの。
わたしがまっ先に思い出すのは、だらーっと伸び切った下着とパンツ姿で街角にたたずむおじさんたちだ。
夏の暑い晩にエアコンのない部屋にいられなくって、だらしないおじさんが屋外で夕涼みしている光景は、これこそ中国ってなもん。
昭和の日本人も、ステテコでホテルの中をうろついてイヤがられた過去があるから、これは日中で共通した民族の特性かもしれない。

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2021年10月10日 (日)

中国

米国の高官が中国外交トップと会談だって。
わたしがいったとおり、いま中国を叩いて喜んでいる日本人が、米国からはしごをはずされるのももうすぐだな。
だいたい今回の米中対立は、バイデンさん側の事情で、アメリカが吹っかけたものだということがわからんかねえ。
それに便乗してここぞとばかりに中国を叩くのがブームになってるけど、浅はかな日本人は依然として多い。

中国としてはただ黙々と大国への道を突き進んでいるだけで、文句をいわれるほどルール違反をしたわけでもない。
拡張政策という人もいるけど、中国はアメリカが中東でやってきたような軍事力で他国を睥睨するわけではなく、経済支援や技術協力のようなかたちでやっている。
これが問題なら、過去に日本がやってきたこともイケナイということになる。
西側がかならず持ち出すのがチベットや新疆などの少数民族への対応だけど、それはほとんど根拠のないものだし、なにもいま始まったわけでもない。
公平に見る気さえあれば、少数民族の側も繁栄の分け前を得ていることがわかるはず。

近いうち中国が台湾に侵攻するのではないかという見方もある。
そりゃないでしょうというのがわたしの見立て。
いま武力侵攻をすれば、間違いなく米国や日本との戦争になる。
ぜったいに勝てればいいけど、ヘタに負けでもしたら ———— 負けなくても決着のつけにくい長期戦になりでもしたら、それこそいい恥さらしだ(アフガンの米国を見よ)。
そんな危険を習近平サンが犯すはずがない。

中国の戦略は長い目で、とにかく国を豊かにすること、発展させることだ。
日本人は台湾人は全員が中国ギライだと思いがちだけど、台湾にはいまでも国民党という中国寄りの政党と、その支持者が一定の数だけいるのだから、中国が現在の米国なみに豊かな国になれば、公明正大な選挙をしたって、台湾は熟した柿のように自然に中国側に落ちる可能性がある。
なんでいま武力侵攻なんかしなくちゃいけないのだ。

いくら豊かになったって、あそこは個人の自由を抑圧する独裁国家だ、悪名高い共産主義国だ。
そんな国といっしょになろうという台湾人はいないという人がいるかもしれない。
しかし現在の中国はもはや共産主義国とはいえない。
いま恒大グループという企業がつぶれるかどうかと騒がれているけど、これは中国が資本主義のルールを守っているということの証明ではないか。
もちろん中国政府はその崩壊をなんとか食い止めようとするだろうけど、これはリーマンショックの二の舞を避けるためで、かっての共産主義時代の非常識を押し通そうというわけではない。

たとえば香港。
一国二制度を守らないのがケシカランという人もいる。
しかし永久にその制度を守ると誓約したわけでもないし、そもそもひとつの国のなかでふたつの制度というのが不自然なことなのだ。
中国は約束通り、99年間という英国との租借期限が来てから香港を取り戻した。
しかもそのあと20年ほど一国二制度も遵守した。
これのどこがルール違反なのか。
中国が現在のような域内の大国と認められるようになってから、その制度を廃止するのに、他国に干渉する権利があるだろうか。
抑圧ばかり目立つけど、香港住民のうちの年寄りたちはみんな、中国が(毛沢東の時代にくらべれば)いいたいことをいえる国になったなと認めている。
アメリカなみの自由をよこせというのは、最近の若い世代ばっかりだ。

いまだに中国をけなして喜んでいる人たちは、どうして中国ばかりを責めるのか。
これでは中国や北朝鮮はさておいて、日本ばかりを責める韓国とどこが違うのか。
たぶん自分たちがバカにしていた国が、いつの間にか自分たちより強大な国になるのが恐ろしいのだろう。
だからといって相手がルールにそったやり方で成長するのを、ルールを無視したやり方で阻止しようというのはフェアじゃない。
中国もいろいろな問題を抱えているのだ。
日本は正々堂々としたやり方で、極東アジアのかなめになるべきである。
繰り返すけど、今回の騒動はアメリカのほうが持ち出したことで、それもそろそろ沈静化しようとしている。
中国叩きをして喜んでいる人たちは、はしごをはずされないように気をつけたほうがよい。

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2021年10月 9日 (土)

無法松の一生

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BSで「無法松の一生」が放映されたので録画しておいた。
あとで観てみたら主演が三船敏郎ではなく、坂東妻三郎で、まだわたしが生まれるまえのモノクロ映画だった。
わたしが知っていた三船版は、同じ監督によるリメイク作品だというから、色つきになった以外は、ブロットも構成もほとんど同じである。

わたしは子供のころ三船版を町の映画館で観て、雪のなかで死んでゆく無法の松っつあんにいたく感動したおぼえがあるし、その三船版でさえ最近はとんと観る機会がなかったから、ついなつかしい思いで観た。
坂妻版は戦争中の作品で、車屋ごときが軍人の妻に恋をするのはケシカランと、いろいろ制約やカットされた部分があったらしい。
なかでも坂妻版で、松五郎が思いをよせる未亡人(軍人の妻)に気持ちを打ち明けようとして、身のほどを知り、うなだれて去るという映画の大きな山場がカットされたのは痛かった。

そういうわけで映画としては、やっぱり三船版のほうがいいけど、最後のとってつけたような場面がわざとらしくて、新旧ともそこだけが欠点だな。
松五郎の知り合いが軍人の未亡人に、あいつはこんなお金をあなたのために残していましたよというと、それを知った未亡人がおよよと泣き崩れるんだけど、ここはもうすこし暗示のような手法は使えなかっただろうか。
そこさえ考えてくれれば日本映画の屈指の名作だと思うのに残念だ。
軍人の奥さんを演じたのは、モノクロ版が園井恵子、カラー版が高峰秀子で、どっちも古風な日本女性を演じて遜色はない。

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2021年10月 8日 (金)

地震とミョウガ

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でっかい地震だったな。
うちの団地って耐震補強してるんだろうか。
なんといっても5階建ての2階だから、建物がつぶれたらあっという間にペッチャンコだよ。
大急ぎでテレビを観たけど、この地震による津波の心配はありませんて。
なんか問題があったとしたら、@ニフティがつながらなくなって、ブログの更新ができなくなったことぐらいかな。
またしても命拾いしたのかねえ。
冥土の入口あたりで逡巡している年寄りとしちゃあ、喜んでいいのか無念なのか、複雑な心境だわさ。

添付したのは、地震とまったく関係ないわが花壇のミョウガの花。

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2021年10月 7日 (木)

アフリカ/マラウイ

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タンザニアを脱出して、ポール・セローは東アフリカの小国マラウイにやってきた。
“脱出”というのはカン違いや誤植ではなく、彼は汚職がまん延し、腐敗しきったタンザニアの首都から、しんそこ逃れたかったのである。
それは理解できるけど、まわりに国はたくさんあるのに、なんで落ちゆく先がマラウイなのか。
まえにも書いたけど、マラウイはポール・セローにとって、忘れられない思い出の土地であり、彼のこの旅の最大の目的地だったのだ。
そのいわくを紹介するまえにひとこと。

この章も文章ばかりになりそうなので、収集したマラウイ湖の写真をちりばめる。
マラウイは縦に細長い国で、国土の1/4ぐらいが湖といっていい国なのだ。
小国と書いたけど、総面積は日本の北海道と九州をあわせたくらいある。
しかしタンザニア、ザンビア、モザンビークといった大きな国に囲まれているので、あいだに押し込められた小国のように見えてしまうのだ。

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さて、ここまでおりにふれてセローの経歴を書いてきたけど、このへんでもういちどおさらいをしておこう。
彼は1963年、22歳のとき、徴兵を免除する代わりに、アフリカで平和部隊の活動に従事することという条件をつけられて、マラウイ(当時はニヤサランドといった)に派遣され、ここで2年ほど教師を勤めた。
米国のマサチューセッツ大学出の彼は、最初から校長待遇だったというから、伊予の松山に派遣された夏目漱石みたいである。
漱石も帝大出の学士さまが松山くんだりまで来るというので、校長より給料が高かった。

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マラウイのセローは娼婦狂いをして、生まれてはじめて淋病にかかった。
これじゃ平和部隊に派遣といっても、あまり懲罰の意味合いはなかったようである。
そんなタノシイ生活を送っていたのに、マラウイが独立をしたとき、若気の至りから政治問題に鼻をつっこんで校長職を罷免されてしまう。
それでもアフリカの生活が忘れられなかったのか、彼はそのあとウガンダでふたたび教職を得た。
そこで最初の妻と結婚したものの、今度は政治の混乱にまきこまれて、ほうほうの体でアフリカを去ることになるのである。

しかし人間なにが幸運になるかわからない。
アフリカ生活は、彼にたくさんの経験を積ませ(淋病や毛ジラミも含む)、人間としての奥行きを深めて、それがその後の作家人生の肥やしになったことは間違いがない。
そんな思い出の土地に30年ぶり、60歳の誕生日を目前にして彼はもどってきたのである。

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入国管理事務所に行ってみたら、姑息な職員がいて、書類の有効期限が切れていると因縁をつけられ、暗にワイロを要求された。
セローはアフリカ語がわかるから、払え、払わぬと押し問答をしていると、それをとなりの部屋にいた警察官が聞きつけて(なにしろセローはふつうなら白人が使うはずのない言いまわしをしていたのだ)、彼のおかげですんなり入国することができた。
警察官はセローがかってこの国で教師をしていたことを知ると、わたしの国では教師が足りません、もういちどもどってきて教師をしてくださいという。
この警察官こそ真の愛国者で、こういう人物が多ければマラウイの未来も明るかったのだけど、さすがにもうこの国で本職の教師をするつもりはなかったから、セローは申し訳ないけどと謝ってバスに乗った。

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バスのなかで料金徴収係りの少年が、セローのことを“白い人”と呼ぶ。
これが気にさわったセローは、きみも“黒い人”と呼ばれたいかと注意をする。
このあたりはアメリカなら逆になる。
すこしまえまでアメリカの黒人は、ボクは黒んぼではありません、正式の名前がありますとしょっちゅう抗議していたものだ。

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バスの中でセローは、マラウイにいるのを実感できるときというリストを作る。
長くなるので全部の引用はできないけど、そのうちのひとつは
『財務省が緊縮策を発表したその日に、政府がベンツ39台を発注していたことがバレたとき』というものだった。
マラウイは、セローがこれまで見てきたほかのアフリカの国と同様に、政治家の腐敗ははげしく、むかしと同じように貧しいか、それより悪くなっていたのだ。

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バスはマラウイ湖のほとりにあるカロンガという町に着いた。
マラウイ湖はリフトバレー(大地溝帯)の底にあって、世界で9番目に大きい湖だという。
これまで予想を裏切られることが多かったから、カロンガもけっこう大きい町ではないかと思ったけど、ストリートビューはほとんどカバーしておらず、湖のほとりにリゾートふうの建物はあったくらいで、大きな建物が建てこんでいるような写真は見つからなかった。

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ここに載せたのは、貧しい草ぶき屋根の民家と、観光事業にうまく便乗したデラックスなホテル。
ホテルの経営者がアフリカ人とはかぎらないけど、こんな恐竜の像のあるホテルもあった。
そういえばマラウイは人類が発祥したところとしても知られているらしい。
話がだいぶ大きくなるけど、類人猿が人間になったのは東アフリカのどこかで、つまり「2001年宇宙の旅」の冒頭で、謎のモノリスが舞い降りたのはこのあたりということになる。

セローはここで「マリーナ・ホテル」というホテルに泊まった。
探してみたけどこの名前のホテルは見つからず、代わりにクラブ・マリーナという宿泊施設が見つかった。
ただ口コミが「部屋は清潔で、エアコンが完備されていて、サービスはとてもよかったです」となっていたから、セローの泊まったホテルではなさそうだ。
彼が泊まったのは1泊15ドルの、いちおうデラックス・スイートのはずなのに、草ぶき屋根の部屋に蚊がぶんぶん飛び交っているようなホテルだった。

ろくなホテルではなかったけど、マリーナ・ホテルには夜遅くまで営業しているバーがあり、セローはそこで知り合ったサファリ・ガイドの男たちと世間話をした。
相手の2人はケニア人で、南アフリカで新車のランドローバーを買い、ケニアまで回送しているところだった。
マラウイではあまり野生動物を見なかったな、ケニアもむかしに比べれば安全になりましたよなどという。
セローはウガンダで教師をしていたころ、ケニアにもよく通ったし、強盗が出ますとおどかされて、おっかなびっくりそこを通過してきたばかりだった。

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朝になって町に出てみたセローは、かってたくさんあったインド人の商店がほとんどつぶれていたのに衝撃を受ける。
マラウイでも初代大統領のヘイスティング・バンダが、民族自決を叫び、インド人はアフリカ人を搾取しているなんて言い出して、彼らをみんな追い出したのだそうだ。
そして店をアフリカ人に分け与えたものの、経営や計算に不慣れなアフリカ人に商売なんかできるわけがない。
商店はみんなつぶれて、終身大統領になろうとした独裁者のバンダさんも、長期政権の果てにやがて失職した。
セローが旅をしたころ(2001年)のマラウイ大統領はバキリ・ムルジという人で、もう民族自決はやめていた。
この国もやっぱり外国からの支援に頼ることが大きく、自分でやろうという覇気に欠けていたのだ。

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最後の写真はマラウイの田んぼ。
いえ、めずらしくありません。
わたしはシルクロードのオアシスでも田んぼを見たことがあります。
もうちっと真面目にやれば石高も増えそうなのに、日本と比べると、田んぼもアフリカはだらしがない。

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2021年10月 6日 (水)

天敵

ふつうに考えればもと首相の安倍クンと麻生クンは盟友で、仲がいいと考えられるのに、「安倍氏がキングメーカー・麻生氏に警戒」だって(これは朝日新聞の記事だけど)。
岸田クンと高市サン、野田チャンの関係もそう、ここんところの世間の動きを見ていると、政治家たちの相関関係はなにがどうなっているのかさっぱりわからない。
たぶんみんなが勝手に想像して、無責任なことをわめきあっているだけなんだろう。
わたしは騒ぎませんよ。
どうせ自民党の中の嵐だし、ただ傍観するのみ。

べつの話題。
防疫が成功したのか、それとも他の原因か。
横暴をきわめたコロナ・ウイルスが収束に向かい始めたとかなんとか。
ある日とつぜんばったりだとしたら、わたしは有名なSF小説を思い出してしまうね。
そ、H・G・ウェルズの「宇宙戦争」。
あの小説では人間がまったく歯が立たなかった宇宙人が、ある日とつぜんバタバタと死んでゆく。
人類は救われたと、なにがなんだかわからないまま、ハッピーエンドだ。

じつは宇宙人も気がつかないまま、いつのまにか彼らは地球の細菌にむしばまれていたのだというのがオチ。
コロナだってそういうことないかしら。
自然界には不思議なバランス感覚があるのだ。
ひとつの動物が大繁殖をすれば、その動物を餌にする天敵も増える。
増えすぎた動物は捕食者に食われて、やがてまた自然に減ってゆく。
コロナだっていまごろは天敵に襲われていないだろうか。

ウイルスに天敵がいるのかどうか知りませんよ。
あまり都合のいいことばかり考えて、パンデミックスになっても知らないから。
でも空想するのは楽しいな。
コロナがいまごろ別のウイルスに、ばりばりと頭から食われているとしたら。
そいつから逃げるために、デルタ株、イプシロン株、ゼータ株・・・・カイ株、プサイ株、オメガ株なんて、向こうさんも必死で変異してたりして。
これじゃいつになっても感染は終わらないか。
油断は禁物です。

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2021年10月 5日 (火)

岸田文雄さん

自民党の新総裁になった岸田文雄さん、子供のころ米国生活を体験しているというから、また英語ぺらぺらの総理の誕生か。
それだけでもダミ声の角栄さんや、アーウーの大平さんみたいな、田舎代議士上がりの政治家からすればずいぶん進化したように感じる。
ウィキペディアで新総裁の経歴を読んでみたけど、さすがにまだ誉め言葉ばかりで実像が浮かんでこない。
韓国の大統領だって、就任したばかりは誉め言葉ばかりだけど、もしも底が浅いものならば、たいていそのうち化けの皮がはがれる。
だからわたしは就任直後のエライさんの評価というのは信用しないのだ。
これからは朝日、毎日、そして週刊文春などから集中砲火をあびることになるだろうから、ほんとうの人間がわかるのはそれからだ。

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2021年10月 4日 (月)

ココログ列伝04

なんかおもしろいブログはないかなとココログを漁っていたら、「皇族女子が皇族以外と結婚しても、皇族の身分を保持する有識者会議の案に全面的に反対する」という記事を見つけた。
なんだ、“皇族”って?
どこかにそういう種類の人間が生息しているのか。
直立猿人や北京原人なら知っているけど、皇族ってどこかわたしらと違う生きものなのか。
文章からすると、それ以外の人間ともまぐわって子供をつくれるらしいから、生物的にはわたしらと、たとえばイヌとネコほどの違いはなさそうだ。
だとしたら、近親相関で遺伝子が単純化するまえに、どしどし“それ以外の人間”と結婚したほうがいいと思う。
筆者は純粋皇室を保存すべきという信念の持ち主らしいけど、そうやって外から新しい種を導入したほうが生物学的にも優秀な子供が生まれそうだし、皇室、皇族と、そればっかりにこだわっていたら、行きつく先は扁平な顔に胴長短足の皇族ばかりになってしまうワ。
皇室典範なんて聖書やコーランのようにあとから人間が考えたもので、自然界にもとから存在する規則や法則じゃないんだから、いつまで1600年の伝統にこだわる必要はないと思う。
わたしがもっと若ければ、よろこんで皇族女子と結婚して、明日から皇族になったげるのに。

上記のブログは、いくら時間がかかったか知らないけど、長くて生真面目すぎる文章で、とても最後まで読み通せやしない。
わたしはやっぱり「波平余生録」サンのブログのほうが好きだねえ。
釣りや尺八を愛し、肩ひじはらずに生きている老人のものらしいけど、このユーモア感覚はわたしの模範とするところだ。

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2021年10月 3日 (日)

もぐもぐもぐ

沖縄の緊急事態宣言も解除されたようなので、近いうちに出かけるつもりで、あちらの知り合いに電話してみた。
もしもし。
もぐもぐもぐ・・・・
寝てましたか。どうも夜分遅くに申し訳ありません(と謝るほど遅い時間でもなかったんだけど)。
もしもし、〇〇さんで間違いないですよね。
もぐもぐ・・・・そうでひゅ・・・けど・・・・

おかしいと思ったら、脳梗塞で倒れて入院しているんだそうだ。
それでも話しているうちだんだんろれつがまわってきたし、わたしのことも思い出したから、それほど重症ではないようだ。
沖縄訪問が病気見舞いになってしまいそう。
それはかまわないけど、身につまされるのは、わたしもいつ彼のようになってもおかしくない歳だということ。
いっそコロナで即死したほうがなんぼいいことか。
いまのところ病気らしい病気もないわたしの幸運はいったいいつまで続くのか。

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2021年10月 2日 (土)

雑草

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これ、じつは雑草。
ブロック塀の下に咲いていた。
花の直径はせいぜい6~7ミリだけど、マクロで見るとタンポポみたい。
タビラコって花らしいけど、全体のかたちがよかったので、鉢(発砲スチロールのカップ)に植えてみた。

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2021年10月 1日 (金)

アフリカ/タンザン鉄道

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アフリカの大都会に絶大な嫌悪感を持っているポール・セローは、さっさとダルエスサラームを離れることにした。
そのために彼が乗ったのが、タンザニアとザンビアを結ぶタンザン鉄道である。
この列車でダルエスサラームを出てほどなくすると、トンネルがあったそうだ。
東アフリカの鉄道は平原を走っているものが多く、トンネルはめずらしいというので、セローもわざわざこのトンネルに触れている。

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ところでわたしはこのトンネルを見たことがある。
いやいや、アフリカまで行ったわけじゃない。
NHKのテレビ番組に、役者の古原靖久クンがタンザン鉄道に乗る番組があって、それがわたしの録画コレクションのなかにあったので、参考のために観てみたら、このトンネルが出てきたのだ。
靖久クンはザンビアのほうからダルエスサラームを目指したので、セローとは向きが逆になるけど、目的地の手前にあったトンネルというから同じものだろう。

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タンザン鉄道は、まだ毛沢東の時代に、中国の支援で建設され、敷設工事には紅衛兵まで動員されたという。
その後支援はいったん途切れたものの、中国とタンザニアの結びつきは固く、現在は支援の第二期だ。

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セローが乗った列車は、今度はコンパートメントを貸し切りというわけにいかず、3人のむくつけきアフリカ人と同室にされてしまった。
夜になってから窓の外に目をこらすと、キリンやイボイノシシ、ゾウなどが見えたという。
たまたま列車が自然保護区を通過しているところだというから、古原靖久クンがジープに乗って野生動物を見物に行った、ミクミ国立公園のなかを通っていたのかもしれない。

セローの文章はあいかわらず魅力的である。
「太陽は舞いあがる砂塵の中へ没しながら、居残る雲を燃え立たせ、西の空全体が溶かされた金のごとく発光してピンクの天蓋と化し、オレンジとスミレの色がその縁を彩る」
「日が暮れても空は輝いていて、天に広がる背景幕はこの国特産の宝石タンザナイトの淡い青紫色を帯び、いく筋もの黄色い光と、組紐状の深い金色の光がブッシュを照らしている」
真似できないね。

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古原靖久クンの番組を観ているうちに気がついた。
タンザン鉄道はザンビア側のほうがお粗末で、コンクリートの枕木が新しそうなのはもっぱらタンザニア側であること。
これは初代大統領が中国かぶれで、服まで人民服を模したタンザニアと、それほどでもなかったザンビアでは、支援の規模もちがったということかも。
枕木が新しいから列車も新しいかというと、ぜんぜんそんなことはなくて、靖久クンが乗り込んだ列車は、シートのクッションがぼろぼろにはみ出しているボロ列車だった。
線路は敷いてあげます、あとの面倒は自分でみなさいということだろうけど、その面倒が大キライなのがアフリカ人で、鉄道事業というのはたいていの国で赤字が当然なんだそうだ。

セローは食堂車に行ってくだをまく。
やってきたウェイターに、◯◯料理のフルコースをくれという。
もちろんアフリカの列車にそんなものがあるはずがなく、彼はあてがわれたまずいシチューライスをぼそぼそと食う。
食堂車からもどるとちゅう、同じ列車に乗り合わせた欧米人の娘が、セローの「わが秘めたる人生」を読みふけっているのを発見した。
地の果てのような土地で自分の著作が読まれているのを発見したら、作家としては冥利につきるだろう。
ただ内容は、アフリカにやってきた男がアフリカ中の女と寝るというもので、娼婦買いに狂っていたころのセローの自伝のようなものだから、つぎに出てくるような若い娘にはあまり読まれたくなかったかもしれない。

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車内にはアフリカ人をエイズから救うんだという、崇高な使命感にもえた支援団体の娘もいた。
彼女はあちこちの村をまわって、エイズ撲滅のための教育映画を上映したり、勉強会や説明会を開いたりしていたそうだ。
えらいなあと思うけど、ぜんぜん効果は上がってなかったらしい。
とにかくアフリカ人というのはセックスが好きで、大人も子供も手当たりしだい、わたしにまでやらせろと迫ってくると、この若い娘は悲しそう。
彼女は失意のうちにフィンランドに帰国するところだった。
これもまた欧米の支援団体の、独りよがりの見本じゃないかとセローは思う。

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マカンバコという町で列車は停まってしまった。
列車の遅れは常習化しており、古原靖久クンなんかダルエスサラームに着くまでに、累積遅延が20時間にも達して、翌日の生番組に間に合わないからと、とうとう列車をあきらめてしまったほどだ。
3時間は動かないと聞いて、セローはアイルランド人の若者と町へ散歩に行く。
これだけみてもほんとうにのんびりした列車のようである。

アフリカに詳しいセローは、アイルランド人に講釈をたれる。
だいたい東アフリカには“急ぐ”という概念がない。
彼はアフリカで英語教師をしたことがあって、言語にはうるさく、スワヒリ語に急ぐというような言葉があったら、それはほとんどアラビア語からの借用だという。
こういう連中だからこそ、中国も鉄道建設をアフリカ人だけにまかせておけなかったんじゃないか。
はるばるアフリカくんだりまで徴用された紅衛兵こそいいメイワクだ。

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タンザン鉄道はインド洋に面したダルエスサラームから、現在はアフリカ西海岸のアンゴラまでつながっていて、アフリカ大陸は列車で横断できるようになっている(知らなかった)。
せっかくだから横断してほしかったけど、セローはムベヤという国境近くの町で列車を下りた。

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セローのつぎの目的地はザンビアではなく、そのとなりにあってタンザニアとも国境を接しているマラウイという小さな国で、ここへはバスのほうが便利だったのだ。
じつはこの旅の最大の目的地がマラウイだったのである。
この国こそポール・セローが若いころはじめて赴任したアフリカの国であり、想い出の土地でもあったんだけど、ま、詳しいことは次項にまわして、ここではムベヤという町を見ていこう。

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ストリートビューで見て、山と緑がやけに多いところだと思ったら、ここはお茶が名産で茶畑の多いところらしかった。
セローの本にはコーヒー畑やトウモロコシ畑は出てくるのに、お茶畑についてはひとことの記述もない。
彼の旅のあとで盛んになった農作物かもしれないし、ひょっとすると日本の伊藤園あたりの支援があったのかも。
ただ飲み食いするだけの日本人には想像しにくいけど、日本の商社は世界中の特産品の研究に余念がなく、韓国でマツタケが採れるとわかれば現地にマツタケ商社をつくり、モーリタニアでタコが獲れるとわかれば、現地の漁師にタコツボを教える。
こうやってアフリカ人も徐々に資本主義に目覚めていくのだ。

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お茶にはあまり興味がないけど、ウィキペディアを読むと、ムベヤにはカメレオンが多いと書いてあった。
カメレオンは日本には棲息していない爬虫類で、狂暴ではなく、いっぷう変わった個性をもっている動物なので、ペット屋でも人気がある。
最近はこいつを飼って、その映像を公開して収益をあげようというユーチューバーが増えて、なかにはほんとうに愛情をもって飼い始めたのかわからないのもいて、ちょっと問題だよな。

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