アフリカ/マラウイ
タンザニアを脱出して、ポール・セローは東アフリカの小国マラウイにやってきた。
“脱出”というのはカン違いや誤植ではなく、彼は汚職がまん延し、腐敗しきったタンザニアの首都から、しんそこ逃れたかったのである。
それは理解できるけど、まわりに国はたくさんあるのに、なんで落ちゆく先がマラウイなのか。
まえにも書いたけど、マラウイはポール・セローにとって、忘れられない思い出の土地であり、彼のこの旅の最大の目的地だったのだ。
そのいわくを紹介するまえにひとこと。
この章も文章ばかりになりそうなので、収集したマラウイ湖の写真をちりばめる。
マラウイは縦に細長い国で、国土の1/4ぐらいが湖といっていい国なのだ。
小国と書いたけど、総面積は日本の北海道と九州をあわせたくらいある。
しかしタンザニア、ザンビア、モザンビークといった大きな国に囲まれているので、あいだに押し込められた小国のように見えてしまうのだ。
さて、ここまでおりにふれてセローの経歴を書いてきたけど、このへんでもういちどおさらいをしておこう。
彼は1963年、22歳のとき、徴兵を免除する代わりに、アフリカで平和部隊の活動に従事することという条件をつけられて、マラウイ(当時はニヤサランドといった)に派遣され、ここで2年ほど教師を勤めた。
米国のマサチューセッツ大学出の彼は、最初から校長待遇だったというから、伊予の松山に派遣された夏目漱石みたいである。
漱石も帝大出の学士さまが松山くんだりまで来るというので、校長より給料が高かった。
マラウイのセローは娼婦狂いをして、生まれてはじめて淋病にかかった。
これじゃ平和部隊に派遣といっても、あまり懲罰の意味合いはなかったようである。
そんなタノシイ生活を送っていたのに、マラウイが独立をしたとき、若気の至りから政治問題に鼻をつっこんで校長職を罷免されてしまう。
それでもアフリカの生活が忘れられなかったのか、彼はそのあとウガンダでふたたび教職を得た。
そこで最初の妻と結婚したものの、今度は政治の混乱にまきこまれて、ほうほうの体でアフリカを去ることになるのである。
しかし人間なにが幸運になるかわからない。
アフリカ生活は、彼にたくさんの経験を積ませ(淋病や毛ジラミも含む)、人間としての奥行きを深めて、それがその後の作家人生の肥やしになったことは間違いがない。
そんな思い出の土地に30年ぶり、60歳の誕生日を目前にして彼はもどってきたのである。
入国管理事務所に行ってみたら、姑息な職員がいて、書類の有効期限が切れていると因縁をつけられ、暗にワイロを要求された。
セローはアフリカ語がわかるから、払え、払わぬと押し問答をしていると、それをとなりの部屋にいた警察官が聞きつけて(なにしろセローはふつうなら白人が使うはずのない言いまわしをしていたのだ)、彼のおかげですんなり入国することができた。
警察官はセローがかってこの国で教師をしていたことを知ると、わたしの国では教師が足りません、もういちどもどってきて教師をしてくださいという。
この警察官こそ真の愛国者で、こういう人物が多ければマラウイの未来も明るかったのだけど、さすがにもうこの国で本職の教師をするつもりはなかったから、セローは申し訳ないけどと謝ってバスに乗った。
バスのなかで料金徴収係りの少年が、セローのことを“白い人”と呼ぶ。
これが気にさわったセローは、きみも“黒い人”と呼ばれたいかと注意をする。
このあたりはアメリカなら逆になる。
すこしまえまでアメリカの黒人は、ボクは黒んぼではありません、正式の名前がありますとしょっちゅう抗議していたものだ。
バスの中でセローは、マラウイにいるのを実感できるときというリストを作る。
長くなるので全部の引用はできないけど、そのうちのひとつは
『財務省が緊縮策を発表したその日に、政府がベンツ39台を発注していたことがバレたとき』というものだった。
マラウイは、セローがこれまで見てきたほかのアフリカの国と同様に、政治家の腐敗ははげしく、むかしと同じように貧しいか、それより悪くなっていたのだ。
バスはマラウイ湖のほとりにあるカロンガという町に着いた。
マラウイ湖はリフトバレー(大地溝帯)の底にあって、世界で9番目に大きい湖だという。
これまで予想を裏切られることが多かったから、カロンガもけっこう大きい町ではないかと思ったけど、ストリートビューはほとんどカバーしておらず、湖のほとりにリゾートふうの建物はあったくらいで、大きな建物が建てこんでいるような写真は見つからなかった。
ここに載せたのは、貧しい草ぶき屋根の民家と、観光事業にうまく便乗したデラックスなホテル。
ホテルの経営者がアフリカ人とはかぎらないけど、こんな恐竜の像のあるホテルもあった。
そういえばマラウイは人類が発祥したところとしても知られているらしい。
話がだいぶ大きくなるけど、類人猿が人間になったのは東アフリカのどこかで、つまり「2001年宇宙の旅」の冒頭で、謎のモノリスが舞い降りたのはこのあたりということになる。
セローはここで「マリーナ・ホテル」というホテルに泊まった。
探してみたけどこの名前のホテルは見つからず、代わりにクラブ・マリーナという宿泊施設が見つかった。
ただ口コミが「部屋は清潔で、エアコンが完備されていて、サービスはとてもよかったです」となっていたから、セローの泊まったホテルではなさそうだ。
彼が泊まったのは1泊15ドルの、いちおうデラックス・スイートのはずなのに、草ぶき屋根の部屋に蚊がぶんぶん飛び交っているようなホテルだった。
ろくなホテルではなかったけど、マリーナ・ホテルには夜遅くまで営業しているバーがあり、セローはそこで知り合ったサファリ・ガイドの男たちと世間話をした。
相手の2人はケニア人で、南アフリカで新車のランドローバーを買い、ケニアまで回送しているところだった。
マラウイではあまり野生動物を見なかったな、ケニアもむかしに比べれば安全になりましたよなどという。
セローはウガンダで教師をしていたころ、ケニアにもよく通ったし、強盗が出ますとおどかされて、おっかなびっくりそこを通過してきたばかりだった。
朝になって町に出てみたセローは、かってたくさんあったインド人の商店がほとんどつぶれていたのに衝撃を受ける。
マラウイでも初代大統領のヘイスティング・バンダが、民族自決を叫び、インド人はアフリカ人を搾取しているなんて言い出して、彼らをみんな追い出したのだそうだ。
そして店をアフリカ人に分け与えたものの、経営や計算に不慣れなアフリカ人に商売なんかできるわけがない。
商店はみんなつぶれて、終身大統領になろうとした独裁者のバンダさんも、長期政権の果てにやがて失職した。
セローが旅をしたころ(2001年)のマラウイ大統領はバキリ・ムルジという人で、もう民族自決はやめていた。
この国もやっぱり外国からの支援に頼ることが大きく、自分でやろうという覇気に欠けていたのだ。
最後の写真はマラウイの田んぼ。
いえ、めずらしくありません。
わたしはシルクロードのオアシスでも田んぼを見たことがあります。
もうちっと真面目にやれば石高も増えそうなのに、日本と比べると、田んぼもアフリカはだらしがない。
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