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2021年10月12日 (火)

ノーベル賞

はからずも中国をネタにする3部作の3回目。
けっして中国の味方ばかりするつもりはないんだけど、世間には公平客観的ということを知らず、中国をけなしてばかりいる人が多すぎるようなので。
先日、今年のノーベル賞の発表があったばかりだけど、今回はそれで思いついたことを書いてみる。
ただし、平和賞と文学賞はそのときの国際情勢や、ノーベル財団の都合に左右されるような気がするので、ここでは自然科学の分野だけにしぼって話をすすめることにする。
 
日本はすでに25個のノーベル賞をもらっているのに、韓国はゼロ、中国については、現在の中華人民共和国だけにするか、中華民国の台湾も含めるか、あるいは幼少から国外に移住していた華僑も含めるかで人数がちがってくるのでむずかしい。
ここでは中国の将来を問題にするのだから、とりあえず中華人民共和国だけにしてみると、受賞したのは2015年の屠呦呦さんだけってことになる。
だから日本人は優秀なのだという人は多い(そういう人の大半はノーベル賞に縁のない人だけど)。
でも過去には人類の進歩に貢献した偉大な発明も数知れず、人種的に日本人と近くて、人口のはるかに多い中国がどうして少ないのだろう。
 
日本人のノーベル賞第1号はご存知湯川秀樹博士で、1949年の受賞だから、いまから70年以上まえということになる。
日本の場合、戦前から(江戸時代から)教育に熱心で、国も安定していたから、学者たちも安心して研究に打ち込むことができた。
中国の場合(韓国はここでは俎上に上げない)、近世に入ってからはあまり教育に熱心でないところへ持ってきて、内乱だ、革命だ、戦争だで、研究者たちはそのたんびに右往左往。
しかもかってのノーベル賞は西洋人の賞であったから、アジア人にはなかなか受賞のチャンスがなかった。
もしもノーベル・ヘイトというものがなければ、最近のようにほとんど毎年受賞者を出している日本は、ランクがひとつかふたつ繰り上がっていたことだろう。
 
中国の科学者が腰をすえて研究に打ち込めるようになったのは、鄧小平の改革解放以降、国内がようやく安定してきてからのことではないか。
とすれば日本よりだいぶ遅れてスタートしたことになるし、いまはまだ助走期間と考えれば、これから先のことはわからない。
現在の中国は日本や欧米に追いつき、追い越せと、猛烈にハッパをかけているところだ。
五輪などはその成果が出ている。
しかしスポーツの場合、ひとりの人間の一生のあいだに成果が出せればいいけど、ノーベル賞の科学部門には数世代にわたる学問の蓄積が必要だから、そんなに簡単に成果は出ない。
時間さえあれば、そしてアジア人への差別が払しょくされれば、将来の中国は金メダリストのように、ノーベル賞受賞者を輩出する国になるかもしれない。

恐ろしいのは現在の中国が負けをすなおに認め、日本に学ぶことを恥ずかしがらないことだ。
これでは日本もうかうか出来ないと日本の若者たちに言っておこう。
ノーベル賞は全人類の至福に貢献した研究に与えられるものだから、そんなものでナショナリズムを煽り立てるほうがおかしいんだけどね。

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