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2021年10月31日 (日)

アフリカ/川下り

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ポール・セローはマラウイで病気になった。
それがマラウイ滞在中に重症化して、ひねくれた彼は物乞いにさえ八つ当たりをした。
「旦那さん、何か恵んでくんなさい」
「ふざけるな、なぜ仕事をしない、オレは具合が悪いんだ、見てわかんないか」
同志であるはずのデヴィッド・ルバディリの要望に応えることができず、友情にヒビが入ったとか、いろいろ心労が重なったせいかもしれない。

わたしも異国で何度か病気になったことがある。
上海ではホテルのエアコンをかけっぱなしにして風邪をひき、バンコクでは得体の知れない腹下しをした。
わたしは現地の言葉に堪能ではないから難儀したけど、セローはアフリカ語がわかる。
だからなんとかなったかというと、アフリカじゃ肝心の医者や薬局がないことが多かったから、やっぱり途方に暮れたようである。

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すこしは調子がよくなったので、セローはマラウイを発つことにした。
ところが彼のアフリカ紀行をなぞるわたしのブログは、ここへ来て最大の危機に直面した。
セローが移動の足に選んだのが、今度はなんと丸木舟!
彼はシレ川を下ってザンベジ川の合流点まで行き、そのままモザンビークの国境を越えるつもりだったけど、川の上にストリートビューなんかあるわけがない。
カイロからナイル川を上り下りしたときは、観光客の多い場所だからなんとかなったものの、こんな奥地の川を船で下ろうというもの好きは、いるとすれば現地の漁業関係者か、ほそぼそと舟で貨物を運ぶ運送業者と密輸業者くらいだ。
このあたりに来た白人は、むかし探検に来たリビングストンぐらいだという。
なんだかすっごく危険な旅のように思えるけど、セローにいわせると、客として乗るぶんにはひじょうに快適なものだそうだ。

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あまりビジュアル的な期待はできないけど、先に進もう。
セローはタクシーをつかまえて、マラウイ南端のンサンジェまで行き、さらにマルカ村というところへ向かった(アフリカでは “ん” で始まる単語が多いので、ンサンジェというのは誤植ではない)。
セローは若いころ、この村から同じコースを舟で下った経験があり、ここにはそのとき顔なじみになった村長がいるはずだったから、彼に丸木舟を紹介してもらおうとしたのである。
ところでシレ川は、グーグル・マップでは “シャイア川” になっているけど、英語で Shire River で、現地の言葉では「シレ川」が正解だと思われる。

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たまたま村長は不在で、顔見知りだったその息子のカルステンを雇うことにした。
息子といってもカルステンはもう30代で、丸木舟のベテランの漕ぎ手であり、その節くれだった手がセローを頼もしがらせる。
丸木舟には漕ぎ手が2人必要で、セローを併せると乗員は3人だというから、大きさはこの画像にあるものとそんなに変わらないだろう。
2泊3日の舟旅で、料金は100ドル、食料・飲み物などはべつにセロー持ちということで話はまとまった。
アフリカ大陸を縦断するポール・セローの「ダーク・スター・サファリ」の中でも、とくにユニークな 2001:AN AFRICA ODYSSEY の始まりだ。

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地図を見てみよう。
シレ川はマラウイ湖より発して、マラウイの南部では一部モザンビークとの国境を兼ねている。
この地図ではシレ川は上から下に向かって流れているんだけど、実線で描かれていた川が、赤い〇印のところでこつぜんと姿を消してしまう。
なぜ川が消えるのかと不思議に思ったけど、でもすぐにその原因がわかった。
わたしはこのブログを書くためにいろいろ調べているとき、有名なオカバンゴ・デルタも、川の流れがある場所で広大な湿地になってしまい、乾季はまったく消えてしまうことを知った。
日本人には想像しにくいけど、大地をけずって流れていた大きな川が、それを飲み込むほど広くて平たんな場所にさしかかると、水は拡散し、行先を見失って、川とは呼べない湿地帯になってしまうことがよくあるのだ。

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彼らは早朝のまだ暗い時間にマラカ村から舟出した。
地図を拡大するとこのマラカ村にも、切られたトカゲの尻尾のような小さい流れがあり、すでに湿地帯は始まっていて、出発点の水路にはホテイアオイが密集していたそうである。
ホテイアオイというのは南方ではめずらしくない浮草で、茎の部分が布袋さまのお腹のようにぷっくりふくらんだ浮き袋になっていて、これが大繁殖をすると船舶の航行のじゃまになったりする。
わたしはカリマンタン島で散々だったはきだめ運河を見てまわったときも、そこいら中で見たことがある。
この植物には苦労させられたけど、セローたちはまもなくシレ川の本流に入った。

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『岸まで満々と水を湛えている個所もいくつかあったものの、舟は流れに乗って着々と進んでいく』
たしかにお客としてまん中に座っているぶんには、おだやかな風と陽光をひたいに感じつつ、流れゆく景色をのんびり眺めていればいいのだから、列車の旅よりさらに快適なものかもしれない。
丸木舟は軽いので風の影響を受けやすく、順風なら快調に進めるというから、これでiPodの音楽でも聴きながら行けるなら、わたしもいちど参加したいものだ。

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ンディンデ・マーシュで、シレ川はもはや川とはいえない広大な湿地帯になってしまった。
わたしが地図に赤い◯印をつけたのはこのへんで、川がぷっつり姿を消したように見えるところである。
あ、女の子の写真はまたわたしのサービス。

このあたりにモザンビークとの国境があり、入国審査を受けなければならない。
イミグレーションのわきに、なんと酒場!があったので、セローは審査官に酒をおごって無事に入国審査を通過した。
ついでにとなりにあった小屋に泊まっていいかと訊く。
イッパイ飲ませたのが効いたのか、泊まっていいことになったから、酒場や料亭というのは、アフリカでも日本でも役人にゴマをするときには役に立つものらしい。

翌日の早朝にふたたび漕ぎだし、まもなく行く手にモルンバラという円錐形の山が見えた。
その山の場所と写真を載せる。 

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この山はリビングストンも探検したことがあり、城砦のようなかたちをしていて、容易に近づけないところから、ポルトガルの植民地時代には、本国からなんらかの事情で逃れてきた貴族やならず者たちに占拠されていたという。
この当時、近くて金鉱が発見されたこともあって、占拠者たちは奴隷を使って王侯貴族のような生活をしていたそうである。
わたしは映画「地獄の黙示録」を思い出す。
舞台こそベトナムになっていたものの、あの映画では脱走米兵がジャングルの奥に自分の帝国を築いていた。
マーロン・ブランドが演じたカーツ大佐は、アフリカには現実に存在したのである。

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監督のコッポラの頭の中には、アフリカを舞台にしたコンラッドの「闇の奥」があったのだろうと、この本の翻訳者が書いているし、セローもここでこの本をひきあいに出している。
でもまあ、ベトナムでほうでは米国人が帝国なんか築けるはずがなく、コッポラていどの監督に、そんな寓意がいっぱいの深遠なテーマが描けるはずがない。
ほんと、アホな映画だった。

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