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2021年11月

2021年11月30日 (火)

沖縄便012

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首里城が火災で燃えたのは2019年10月31日のこと。
今日はそれがどうなってるか見物に行ってきた。
これが奉神門からのぞきこんだ、沖縄県民のたましいの拠り所とされる首里城の現在のすがた。
まだ再建の準備の段階で、なーんにもない。
なーんにもないのにお金を払って入っても仕方がないってんで、これ以上詳しい写真はありません。

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2021年11月29日 (月)

沖縄便011

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だんだん宿屋のレベルが下がるな。
昨夜は雨の中、石垣島までもどってきて、飛び込んだのがゲストハウスというタイプの宿。
ドミトリー形式の部屋が満杯で、わたしにあてがわれたのは、虚飾を徹底的に廃した留置場みたいな個室。
それでもわたしは八ヶ岳や南アルプスで、これより雑な山小屋に泊まったことがある。
なんか王様になったような気分で、爽快。
フロントにおとなしいワンちゃんがいて、楽しい。
今日は予定を変更して那覇へ飛ぶことにした。

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2021年11月28日 (日)

沖縄便010

まだ生きていて、八重山諸島をボウフラのようにただよっているところだわさ。
ホント、人生の最後にこんな理想的な旅ができるとは思わなんだ。
理想的?
そ、日程に縛られず、ただひたすら途方に暮れる旅。
行き当たりばったりで、海が荒れれば予定変更、天気がよければ日焼けをいとわず、美貌の人妻に出会えば・・・・ぜんぜん可能性ないけど、ローマンスも否定しない、そんな旅ができるなんて。
悲しいことに旅の形態は理想的でも、お天気ばかりはどうにもならない。
常夏の南の島と思いきや、冬の沖縄は雨が多いんですよって、そんなことはあらかじめいってくれなきゃ困るでないか。
もう予定を放り出して帰京したいわ、ったく。

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2021年11月27日 (土)

沖縄便009

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無事に与那国島に着いてホテルでくすぶっている。
わたしの場合くすぶることが多いけど、ほかにやることのない島だ。
呑み屋やカラオケスナックぐらいあるみたいだけど、そんなものに興味はないし、車も自転車も有料のものしかないから、節約しようとすると夜はまったく身動きがとれない。
でも新しい環境でくすぶっているのは、わたしにとっておおいなる喜びなのだ。
明日はどこへ行こうかと、ベッドに転がったまま悩んでしまう。
でも、明日も天気が悪いんだってね。
2日続けてくすぶることになるのかしら。
心配だよな。

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沖縄便008

いま石垣空港。
与那国島行きの飛行機を待っているところ。
チケット発券手続きのさいにイヤなことを聞いた。
天候が悪いので与那国に着陸できない場合があります、そのさいは石垣空港に引き返しますだって。
そりゃまあ、お金さえ返してもらえばなんだっていいけど。
調べてもらったら、わたしのチケットは返してもらえるものだそうだ。
いかげんなチケットで行き当たりばったりの旅をする人はご用心。

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2021年11月26日 (金)

沖縄便007

波照間島はステキなところだった。
サトウキビ畑を渡る風に身もこころも捧げ、この世への未練をすべて断ち切りたい。
2日ばかり滞在するつもりで、島の集落の中にあるゲストハウスに宿替えをしようとした。
ハウスのおかみさんが、明日からまた海が荒れるので、しばらく連絡船の欠航が続くそうですよだって。
2、3日なら居座ってもいい覚悟のわたしだけど、いつになるかわからないといわれて気持ちがぐらぐら。
いまならまだ船に間に合いますと、これは親切なのか、恐喝なのか。

そんなわけで、今朝の第一便の船でまた石垣港にもどってきてしまった。
えい、くそ、明日は飛行機で与那国島だわい。

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2021年11月25日 (木)

沖縄便006

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ようやく船が出て・・・・やって来ました、果てのうるま、波照間島。
“うるま”というのは珊瑚礁の島という意味だそうです。
つまりここは「珊瑚礁の彼方」という歌そのものの場所。
天気はよくないけど、それだからこそ孤独な旅人の琴線にふれる何かが。

灰色の雲の下にサトウキビ畑がざわわざわわ。
ああ、またあの世にまで持っていく思い出がひとつ。

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2021年11月24日 (水)

沖縄便005

さあてどうしよう。
石垣島の知り合いの家に行ってみたけど、病み上がりの相手の家に長居ももうしわけないので、早めに退散することにして、今朝はふたたび石垣市まで戻ってきた。
波照間島の連絡船にちょうどいい時間だったので、つぎの目的地はそこにするつもりが、波が高くて船は欠航なんだと。
困るじゃないか。
とぼやいてもどうにもなるわけじゃなし、いま安宿を見つけて部屋にくすぶっているところだわさ。

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2021年11月23日 (火)

沖縄便004

知り合いたちを石垣空港に見送った。
今日からが本格的なわたしだけの旅の始まり。
まず石垣島にいる知り合いを訪ねるつもりだけど、彼は本土生まれで、人生のなかばにして沖縄に移住し、最近まで脳梗塞で入院していた。
他人のものとはいえ、さて、数奇な人生をかいまみることになるか。

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2021年11月22日 (月)

沖縄便003

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まだ生きていますという証明のために。
今日は沖縄に来てはじめて本格的な雨になった。
仲間川のマングローブ・クルーズに行くさい、出発のまぎわに降り出した雨が、午後の遅い時間まで止まなかった。
しかし、わたしたちはマングローブを見たあと石垣島にもどるだけなので、あとはいくら降ろうと関係ない。
わたしたちと入れ替わりに西表島にやってきた人たちこそいいメイワク。
すこしはわたしのツキを分けてやりたいくらいでありました。

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沖縄便002

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まだ生きてますという報告だけ。
昨夜は西表島・船浮で民宿泊。
夕食に獲れたばかりのイノシシ肉の差し入れがありました。
ほかに絶望的なシチュエーションもあったけど、それはずっとあとで、ちゃんとした紀行記に書きます。

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2021年11月20日 (土)

沖縄便001

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まだ生きてますという報告だけ。
沖縄・西表島はま夏なみの晴天で、今日は無事に崎山湾、網取湾の珊瑚礁を見てきました。
詳しいことはあとで、だいぶあとで。
正直言ってメモを整理して、きちんと紀行記にまとめるのはずっと先になりそう。

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2021年11月19日 (金)

ひさしぶり

ひさしぶりに更新に穴があいたな。
泡沫ブログだからそんなことはどうでもいいけど、世間さまにあいつもとうとう?と思わせるのが気のドクだ。
じつはいま沖縄。
日ごろ怠惰なわたしが、健全すぎる家族におつきあいして、石垣島のホテルでぐったりしてるトコ。
詳しいことはそのうちに。

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2021年11月17日 (水)

アフリカ/首都と大統領

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米国の本というと、たまには疑ってかからないといけない場合もある。
マリリン・モンローの出演した映画「七年目の浮気」に、自分が書いた精神医学の本を出版するという大学教授が登場する。
彼が編集者との打ち合わせに行ってみたら、出版予定の彼の本の表紙が、まじめなものから裸体の美女をあしらったどぎついものに変えられていた。
おどろく教授に編集者は、こうしないと売れないからという。
売るためには作家の意見をねじまげるのが米国の出版社なのだ。

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ポール・セローはジンバブエの首都ハラレまでやってきた。
この国には立派な美術館もあるし、美術館の中には六本木の国立美術館にまけないようなきれいなカフェもある。
だいぶ雑だけど鉄道もあるし、線路のわきには火力発電所もある。

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行政はうまく機能しているようだけど、いつもいつも平穏無事でいるわけではなく、警察はやはり荒っぽい。

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人々がバケツを手に並んでいる写真は、2019年の干ばつのときだそうだ。
きれいなところだけではなく、汚いところも見せるのがわたしの悪いクセ。
街を写真で紹介しながら、セローの本についても書いてみよう。

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セローは国際的に知られた作家で、このブログでなぞっている「ダーク・スター・サファリ」もおおいに楽しめる紀行記であることはまちがいがない。
わたしがマリリン・モンローをひきあいに出したのは、アフリカ紀行のなかで、セローが思い切りジンバブエの大統領をこきおろしているからである。
抵抗運動をしていたころ、警察の拷問を受けてキンタマに焼きを入れられたとか、梅毒が脳にまわったとか、呪い師と相談しないとなにも決められないなどなど。
ここまでけちょんけちょんに書かれると、やっぱり売らんがための誇張があるのではないかと疑問を感じてしまう。
だいたい、そんな人物がどうして37年間も最高権力者の地位にいられたのか。

アフリカだからもちろん文句をいわせない独裁と、反対派への徹底的な弾圧があったんだろうとは誰でも思う。
しかしムガベ大統領は、アメリカのように乱発されるいいかげんな学位ではなく、本物の価値ある学位をたくさん持っていて、最初のうちはアフリカでいちばん教養のある指導者なんていわれていたそうだ。
セローがマラウイで“アチムウェネ(同志)”のルバディリに会ったとき、彼の奥さんであるガートルードは、大学時代のムガベは本の虫だったわといっていた。
その政策も、当初は教育や医療の向上につとめ、「ジンバブエの奇跡」と呼ばれる国の発展を招いたまともな大統領だったそうである。

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それが大統領時代の後半になると、政策の失敗から社会不安を招き、それをごまかすためか、白人に対して農場の接収などのむちゃな政策をとるようになり、反対派や気にいらないマスコミを弾圧するというアフリカ型の独裁者になってしまった。
ポール・セローがジンバブエにやってきたころはまだ現役で、わたしは暴力の学位を持っているなんてイバっていたそうである。
白人のセローから見れば同じ白人農場主を迫害する暴君ということで、彼はことさらムガベの欠点ばかりを強調したのかもしれない。
それでもこの大統領は西欧諸国に太刀打ちできるほど頭がいいというので、国内の人気は高く、死んだときは国葬だったという。

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ウィキに載っているムガベ語録はおもしろい。
「アメリカと西欧諸国は能なしの馬鹿」「コレラは旧宗主国のイギリスによってもたらされた生物兵器」「経済問題や人権問題なども米英の責任」などと言いたい放題だ。
在任期間が長かったせいで、彼は日本にも何度かやってきていて、いちばん最近は安倍首相のときにも来日していた。
このとき彼は95歳で、世界の権力者のなかで最高齢と讃えられていたそうだ。

セローの文章にはほかにも疑問をもつ理由がある。
国家をあげて白人排斥に取り組んだというけど、セローの本を吟味してみると、まず彼は首都ハラレを歩きまわり、裏通りの骨董品店で、店主をしていた英国生まれのおばあさんと知り合う。
彼女がふつうに商店を経営していられたということは、ジンバブエの首都が白人にとって危険すぎる国ではないことを教えてくれる。
このおばあさんの紹介で白人の農場主と知り合っていろいろ話を聞くんだけど、この農場主もアフリカ人の退役軍人たちに農場を襲われたことがあった。
そのとき彼は雇用人たちとともに銃で反撃して追い払ったという。
この雇用人というのはアフリカ人である。
白人といっしょになって職場(農場)を守ったというくらいだから、どうも一方的にアフリカ人が悪くいわれるばかりではなさそうだ。

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ハラレの写真だけではこの国の実情はわからない。
ジンバブエの市場の写真も見ていこう。
セローが旅をしたころ、ジンバブエはなんとか自給自足経済をしていて、この国には援助団体は入ってきてなかったという。
アフリカの国としては感心なことではないか。

セローの本のなかに、政府内部が統一できていないという記述もある。
ちょうど現在のアフガニスタンのように、独立闘争で功績のあったいろんな勢力がいて、大統領はこれを完全にコントロールできていなかったというのが本当のところじゃないか。
闘った兵士たちは成功報酬を求め、それぞれが勝手に白人の農場に居座っていたのかもしれないし、大統領にも政策の不満をそらすために彼らを積極的に利用した可能性がある。

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セローはジンバブエ側の言い分を聞こうと、この国の環境大臣エドワード・チンドリ=チニンガと面会した。
大臣の話はマラウイの米国大使P・T・S・カンディエロのようにそつがなく、第三者のわたしからみると、かえってせっかちなセローのほうが目立ってしまう。
この写真はチニンガ大臣で、セローは30歳ぐらいと書いているけど、じっさいにはこのとき46歳で、彼についてはセローはとくに悪くは書いていない。
この大臣はやがてムガベ大統領と対立し、納得のいかない交通事故で死んで、暗殺されたんだろうといわれた。

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骨董品店のおばあさんに紹介してもらった白人農場主はドラモンドといって、首都ハラレの西80キロのところに農場を持っていた。
マニャメという湖の近くだというから この地図の赤〇で囲ったあたりだろう。
ドラモンドは退役軍人らの襲撃におびえながらもなんとか農場を維持していた。
このへんはアメリカ開拓初期の、インディアンと闘争を繰り返しながら、すこしづつ彼らの土地を蚕食していった欧米の開拓者と重なる。
まわり中が敵という環境のなかで開拓したのはエライ、というのはこちら側の言い分である。
インディアンにはあちら側の言い分があったはず(野生動物たちにも言い分があったかもしれない)。

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ドラモンド農場でセローは勝手に居座っているアフリカ人と話をしてみた。
彼の言い分は、オレは貧乏人だ、政府がここに住んでいいといった、国が面倒をみてくれるのは当然だ。
これじゃ白人からすれば居直り強盗と変わらないけど、全部政府におまかせの、極東アジアのどこかの国に似ているな。
そうやって政府黙認のうえで勝手に土地を手に入れたアフリカ人たちのほとんどが、農業に失敗していた。
それ見ろというのは簡単だけど、しかしつい先ごろまで小作専門だった人間に、いきなり農業をうまくやれというほうが乱暴なのだ。
もともと怠惰なところはあるにせよ、時間さえかければアフリカ人にも学習や進歩の可能性がないわけじゃない。
最後の3枚の写真は、いちばん上が白人の農場主、つぎの2枚は農場で働くアフリカ人たちだけど、女性の明るい笑顔を見ると、彼らはすでに自作農民にしか見えない。

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2021年11月16日 (火)

ある高齢者

今日は免許証更新のための前段階、高齢者講習というものに行ってきて、いつもブログで頭を使っているせいか、まだまだ記憶や反応に問題ありませんと太鼓判を押してもらって帰ってきた。
でも、あらかじめ先輩から聞いていたからよかったものの、今日の日付けなんかいきなり聞かれて、あれヘタすりゃわからなかったかも。
勤め人や学生とちがって、こちとら毎日なんの予定もなく、だらだらと過ごしている年金生活者だからな。

ところで今月はやけに出費が多いねえ。
まだ月の半分なのに、もう先月1カ月分ぐらい使ったぞ。
あー、やだやだやだ。
わたしってほんとにどっぷりつかった年金生活者だねえ。

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2021年11月15日 (月)

またココログ

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昨日はわたしのブログが、ココログのピックアップコーナーで紹介される日だった。
どこに紹介されているのかと探してみたら、ココログのトップページで「肥さんの夢ブログ」というネコの写真のとなりに、以前わたしが送ったサクラの写真が並べられているだけだった。
これじゃあまり人目をひかないね。
わたしがピックアップで紹介されるのは2回目らしいけど、以前は探してみたけど見つからなかった。
ただのココログの壁紙だと思って見過ごしたらしい。
わたしとしては、縁取り付きのコーナーで詳しく紹介されていて、内容が素晴らしい、文章が楽しい、画像が美しい、ブロガーがイケメンだ、たまに挿入される俳句や短歌が傑作であると、賛辞一色で塗りたくられているのではないかと思っていた。
ガッカリしちゃうよな。

ところで隣りに並んでいた「肥さん」なる人のブログにもアクセスカウンターがついていた。
最近はついつい他人のアクセスが気になっちゃうんだけど、この人のアクセスはもう180万に届いているではないか。
調べてみたらこの人は、2005年11月にブログを開設しているから、わたしより2年先輩だ。
それで180万、わたしは2年遅れで40万。
この差はいったいなんなのさ。
試しに「肥さん」のカウンターの推移を観察してみたら、わずか8時間で200だよ。
わたしは昨日は14時間かかって、たったの40だ。
なにコレ。

ほかにもある。
これは女性のブログで、政治にいろいろ口をはさんでいる人だけど、内容はかんたんに反論できそうなものばかりだ。
内容には触れずにおくけど、彼女のブログのカウンターは、なんと400万回にもうすぐ(開設はこれも2005年)。
オンナの人だから世間の好き者たちが殺到して、それでカウンターが上がったのか、あるいはこれしか趣味がなくて、1日中カウントボタンを押しているおばあさんの可能性もなくはないけど、それにしてもでっかい数字だ。

うーむ。
お遊びもほどほどにしてくれないかねえ。
わたしのブログは文字が多すぎて人気がないのかもしれないけど、ココログの中にはまるでなにかの学術論文みたいなガチガチのブログもあるのだ。
手前ミソになるからいいたくないけど、そういうものに比べたら、わたしのはできるだけわかりやすく、おもしろくを心がけているんだけどねえ。

なんかカウントを増やすわたしの知らない方法があるのかしら。
たとえばカウンターをいきなり100万ぐらいからスタートするとか。
いやいや、それならカウンターの推移をみればわかるはず。
やっぱりココログってのはどこかのカルト教団が運営していて、わたしのブログを、神をも恐れぬ悪の枢軸みたいに考えていて、数字をいじくっているのか。
冷静な人間が冷静に考えれば、たいていのインチキはばれる・・・・とはいわないまでも、おかしいと思うはずなのに。
いえ、けっしてココログに文句をいってるわけじゃないんですよ、ハイ。

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2021年11月14日 (日)

アフリカ/ジンバブエ

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タクシーにぼられたポール・セローは、散々な思いでジンバブエにやってきて、国境の町ムタレからバスでマロンデラという町を目指した。
あわてても仕方がない。
あわてても一瞬のうちに文章を消してしまうこともあるくらいだから、まあ、そのあたりの景色をながめながらゆるゆると参ろう。
冒頭にかかげたのはザンベジ川を流れる、リビングストンによって発見されたビクトリア滝。
しかし彼は現地のアフリカ人に案内されてたどりついているから、厳密には西洋式の名前をつけただけである。

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4枚目からはムタレの写真で、モノクロは古い時代、カラーは現在のムタレ。
サバンナというより、日本の東京都の五日市や青梅のような、低山にかこまれた山あいの町という雰囲気。

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彼が聞いたところでは、この国は白人にとってひじょうに危険な国という噂だった。
米国人が旅をするには、アフリカのたいていの国が危険なんだけど、はたしてジンバブエはなぜ危険なのか。
なんでも大統領が大の白人ギライで、ことあるごとに白人に因縁をつけ、白人の農場経営者たちから土地を取り上げたりしていたそうである。
それが問題になるくらい、この国には白人が多かった。
どうして白人が多いのか、いったいぜんたい大統領の憎しみはどこから来たのか、ドロ縄で勉強してみた。
以下の記述はわたしがジンバブエの歴史を要約したもので、記述のどこかに間違いがあったとしても、いちゃもんは受けますが、責任はとりません。

ジンバブエはかって南ローデシアといって、英国の植民地だった国である。
第2次世界大戦のあとに独立紛争が起こり・・・・というところはアフリカのほかの国といっしょだけど、気になったのは(少なくとも紛争の初期には)宗主国とアフリカ人の戦いではなく、白人対白人のゴタゴタだったということだ。
“ローデシア紛争” はベトナム戦争と同じく、わたしの青春時代にリアルタイムで起こった事件で、この言葉は報道等でよく聞いたけど、遠いアフリカが舞台ということで詳しい実情は知らなかった。

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アフリカ大陸の最南端にある南アフリカは、スエズ運河が開通(1869)するまで、ヨーロッパとアジアを結ぶ海運の重要な中継地で、7つの海を制覇した英国は、19世紀のはじめに早くもこの土地を手中に収め、それ以前から入植していたフランス人、オランダ人、ポルトガル人などを圧迫した。
圧迫された白人主体の雑多な民族集団は、さらに奥地の北ローデシア(いまのザンビア)や、南ローデシア(いまのジンバブエ)に移住を余儀なくされた。
この民族集団をアフリカーナとかボーア人と呼ぶ。
ボーア人も英国人も、有色人種に対して徹底したアパルトヘイト(人種隔離政策)をとったことはいっしょだった(どういうわけか日本人は別格だった)。

英国の支配はローデシアにも及び、この国も英国の統治の下に置かれた。
ちなみに「ローデシア」というのは、このブログでも紹介した、南アフリカからエジプトまで大陸縦断鉄道を敷こうとした、壮大な夢想家セシル・ローズの名前から取ったものだそうだ。
移住をしたボーア人はほとんどが農業従事者だったため、金鉱やダイヤモンド鉱山などの利権を求める英国とは、とくに問題を起こさず住み分けができていた。
この国に白人が多いのはこんな事情があったためだ。

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頭の整理をするためにこのへんでコーヒーブレイク。
以前グループで海外旅行に行ったさい、わたしの知り合いのひとりが大きな旅行バッグを持ち込んできた。
表面が黒くてゴワゴワした材質で、これがなんだかわかるかという。
なんですかと訊くと、得意そうに、ゾウの皮だよという。
へえ、これがゾウと驚いたフリをしたけど、まだWWFや保護団体がうるさくなかったころで、ジンバブエあたりで狩られたものらしかった。
セローの旅のころまで、この国は金にあかせた白人猟師たちの天国で、野生動物の狩りはしたい放題、ゾウの足をくり抜いた物入れなどもどうどうと売られていたそうである。
困ったものだけど、現在ではこの国も、野生動物という貴重な資源を保護する方向に舵を切っている。

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第2次世界大戦のあと、脱植民地主義の時代になると、アパルトヘイトで国際的な批判にさらされた英国は、ローデシアをアフリカ人に返すことにする。
収まらないのは苦労してローデシアに生活基盤を築いていたボーア人たちだ。
汗水たらして畑を耕してきたのはオレたちじゃないかってわけで、彼らは英国に叛旗をひるがえし、ローデシアの返還に応じなかった。
白人対白人というのはこういう事情によるので、歴史上、英国のおかげで話がややこしくなったという、これも好例のひとつ。

もちろんアフリカ人たちも傍観していたわけじゃない。
約束は守れえと、英国の統治を引き継いだボーア人政府に、抗議はする、デモはする、ゲリラ攻撃はする。
当時はまだ冷戦のさ中だったから、もっけの幸いとソ連が乗り出してくる、毛沢東の中国も割り込んでくる、北朝鮮やキューバも参戦ということで、ローデシアは自由主義国と共産主義国の代理戦争の様相を呈した。
このとき反政府ゲリラの闘士だったのが、セローがジンバブエにやって来たとき、現役の大統領だったロバート・ムガベだった。
活動家だったころ、彼は官憲に捕まり、刑務所でキンタマに焼きを入れられたそうで、彼の白人ギライはこのへんから来ているんだとか。

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ムタレからマロンデラまでの街道はこんな感じで、あちこちで舗装工事がされていて、現在はなかなか快適な場所もあるようだ。
人間にとって快適ということは野生動物にとっては不快ということもあるので、ナチュラリストの視点からはちと疑問。
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ジンバブエの独立は1980年に達成され、最高権力者の地位についたムガベ大統領は、最初はおとなしかったけど、やがてそれまでの白人支配のうっぷんを晴らすように、白人が経営する農場への弾圧を始めた。
このへんの事情は、ジンバブエでじっさいに農場を経営していたキャサリン・バックルの、「アフリカの涙」という本に書いてあるそうだけど、例によって図書館になく、ヤフオクでも見つからなかったから、日本では発売されてない本のひとつらしかった。
ムタレからマロンデラへ移動するとちゅう、セローはバックル一家の悲惨な境遇について触れている。

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ある日とつぜんバックルの農場に、退役軍人だというアフリカ人が押しかけてきた。
彼らは勝手にそこいら中に住みつき、畑を自分のものにし、耕作機械を勝手に使用して穀物を植え、ひどいときにはことわりなしに土地を切り売りしてしまう。
抗議をしたり、止めようとして殺された農場主もいたそうだけど、政府はまったく見ないふりをしていた。
バックルの家族も抵抗してみたものの、侵入者たちに家を放火され、殺すぞと脅かされて、とうとう農場を放棄せざるを得なかった。
ジンバブエは白人にとって危険がいっぱいの国だったのだ。
あ、火事の写真は2019年のユナイテッドメソジスト学校のもので、紛争とは関係ありません。
平和な時代にも厄災は起こるってことで。

ただし、これもセローが旅をした20年まえ以前の話である。
ロバート・ムガベ大統領は37年間という長期にわたって政権の座にあったけど、2017年(まだ4年まえだ)にクーデターで失脚した。
現在のジンバブエはそんなにムチャな国ではない(ように見える)。
この大統領については次項でもっと詳しく書く。

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最後の4枚の写真はネットで集めた現在のマロンデロのようす(古いモノクロ写真も混じってます)。
最近の写真で見ると、まるでゴルフ場みたいに広々とした景色のいいところで、空気は清明、空はきれいで、これなら喘息持ちでもいっぺんでよくなりそう。
ジンバブエにも野生動物の保護区はいくつもあり、動物の見学ツアーも開かれているから、ゾウももはや足をぶった切られることはなさそうだ。

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2021年11月13日 (土)

格調

なにか格調の高い文章を書かなければならない。
ニフティのほうからメールが来て、わたしのブログがピックアップ・ブログというのに載るんだそうだ。
ホントかよ。
まえにもそんなこと言ってなかったか。
そのためアクセスカウンターをふた桁も増やして待っていたのに、アレどうなったんかね。
また遊ばれているのと違うか。
でも相手はニフティという日本の大企業、大プロバイダだ。
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日がそのピックアップに載る日だそうだ。
ぜひのぞいてみて下さいとあって、リンク先のアドレスまで掲載されていたから、のぞいてみようとしたけど、つながらないじゃん。

あまり期待はしないつもりであるものの、ひよっとするとってこともあるから、ここ数日間は格調の高い文章を書かなくちゃいけない。
名文美文なんか書けそうもないから、文芸作品を狙って、わたしの童貞消失記でも書いてみようかしら。
でも、なんでこんなブログをピックアップしたんだと、ニフティさんが見識を疑われても気のドクだし。

ま、今日はダメでも、明日は格調が高い予定。
それがほんとうにピックアップ・ブログに載ったら、みなさんにも報告しよう。
そのときこそ、普段おちょくりあっているわたしとニフティが、心底では深い友情で結ばれている証明だ。
これからはアクセスも本物になるかもね。
昨日は一瞬だけ跳ね上がって、あとはそれっきりで、トータル70(親戚知人の分をひくと)でお終い。

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2021年11月12日 (金)

問題アリ

問題アリだな。
最近はもの忘れが多いから、大事なことはカレンダーに書き込んだり、壁に予定表を貼ったりして、失念防止をしているわたしである。
たとえば今月は16日に警察で免許証更新のための高齢者講習があり、18日からは知り合いたちと沖縄に行く。
昨夜の飲み会も忘れちゃいけない予定のひとつだったから、しっかりと脳みそに書き込んで、何度も頭の中で反復した。

にもかかわらず、帰宅してベッドに倒れ伏し、翌日の昼までぐっすり寝て、起きて寝ぼけ頭で部屋の郵便受けをのぞいたら、消火器の交換に来ましたが、留守のようなのでというメモが。
そうだった、今日は消火器の交換が来る日だった。

まあ、いいか。
食べ物でもそうだけど、最近は告訴沙汰を恐れて、なんでもかんでも賞味期限が来るまえに交換ということが多すぎる。
冷蔵庫に忘れてい食品を発見して、それを食って平然としているわたしは、つねづねそういう風潮に疑問を抱いていた。
消火器なんて1年や2年賞味期限が切れたって腐るもんじゃあるまいし、ぎりぎりまで使うほうが税金の無駄使い防止になるだろう。
だいたい交換だけなら部屋のまえに置いていけば自分でやるわさ。

そう思って消火器のあり場所を確認した。
それはドアのわきのわかりやすいところにあったけど、考えてみるとこの団地に越してきてから、消火器の場所をしみじみ確認したのは今回が初めてだった。
こんな年寄りにどんな素晴らしい消火器も意味はないようだ。

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2021年11月11日 (木)

飲み会

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今夜はひさしぶりに仲間と飲んでます。
いまのうちに更新しておかないと、帰宅してからバッタリ確実。

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2021年11月10日 (水)

やってもうた

ああああ、やってもうた!
アフリカ紀行の続きをひねっていて、ほぼ完成したのでネットに上げようと思っていた矢先、なにを寝ぼけたのか、一瞬のうちに文章が消えてしまった。
ふつうなら、それってゴミ箱の中を確認するんだけど、たんなる削除じゃなく、なにも書いてないページで上書きしちゃったもんで、ない、ない、ない。

背中に冷たいものがスススと・・・・

やっぱ認知症かねえ。
年寄りのひきこもりくらい精神的にわるいものはないからな。
こんなパソコン初心者みたいなミスをするなんて。
あわてて書き直そうと思ったけど、ぜんぜん頭が働かない。
いちど書いた文章なのにぜんぜん思い出せない。
新たに筆を起こそうという気にもなれない。
メシを食おうという気にもなれない。
散歩にも買い物にもサイクリングにもトイレにも、とっとっとっと、まあトイレには行きますけどね、ほかはなーんにもやる気が起きないよ。
いまぼうっとしてベッドに仰向けになっています。
このままお迎えが来ることを願って。

ま、そんなに悩むほど読まれているブログじゃないけどね。
今日なんか18時の段階でアクセスが20だよ(親戚知人をひくと)。
20!

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2021年11月 9日 (火)

◯◯

出ました。
コンクリート製の団地には、そもそもいないのではないかと思っていたけど、昨日はとうとうキッチンでそいつに出会ってしまいました。
キライな人が多いので、詳しい説明や、画像で紹介するのはやめますが、そのうち「◯◯ホイホイ」を使って一気に殲滅しようと思います。
待ってやがれ。

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2021年11月 8日 (月)

脱炭素

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COP26が開催中だけど、またここんところ環境少女のグレタちゃんの話題をよく聞くな。
どこかの国でテレビのニュースキャスターが、彼女を皮肉っていたというニュース、もちろんわたしは知っていた。
「気候変動デモをやっている学生たちに言っておきたいことがある」
「すべての教室にエアコンの設置が義務付けられたのはきみたちの世代からだ」
「電子機器なしには朝も夜もなく、徒歩や自転車での登下校なんて、もう、きみたちの誰もしたがらない」
「きみたちの世代ほど大量生産品を消費する者もいない」
「きみたちのデモを扇動しているお仲間こそ、移民政策を通して、人口の爆発的な増加を推進しているわけだが、それには、より一層の資源、生産、運輸が不可欠だ」
「人口が増えれば、そのぶんだけ土地を活用するために、森林を伐採し、国土を切り開く」
「つまりは、環境が破壊されるわけだ」
というのがニュースキャスターの皮肉。
しかしこれは相手の発言にいちゃもんをつけているだけで、どこか本質を取り違えている。
脱炭素運動など必要ないと思うなら、はっきりそういえばいいではないか。
運動そのものには反対しにくいから、環境少女を平均的な若者たちと同列に置き、移民の話まで持ち出してケチをつけようというのはセコい行為である。
彼女は現代文明の恩恵を享受する若者たちのあいだから、一歩前に出てきた自分の頭で考えようという若者のひとりで、これからあとに続く若者はどんどん増えてくるだろう

正直にいうと、わたしもグレタちゃんがすべて自分で考えて発言しているとは思わないし、地球温暖化に100パーセント科学の裏付けがあるとも思ってない。
だいたい脱炭素運動そのものも、反捕鯨や反中国などのように、ちょっとセンセーショナルに騒がれすぎているんじゃないかとさえ思う。
それでもわたしは、ナショナル・ジオグラフィック、サイエンス、ネイチャーなどの信頼に足る科学雑誌や、世界中の著名な科学者が警告を発しているということぐらいは知っていた。
地球温暖化は、手遅れになったらほんとうにお終いだということも。
環境少女の物言いについて論争が起こるということは、それだけ彼女が広告塔としての役割をよく果たしていることだと思う。

録画しておいたBSの「脱炭素社会・最前線を追う」という番組を観た。
番組のなかに米国の油田掘削企業のCEOなる人物が出てきて、政府の掘削規制が続けば需要を満たせなくなる、同時に経済問題が生じると、これは人類に対する恐喝としか思えないようなことをいっていた。
同席していた社員のなかにも、いまの社会で石油がなかったら、建物も服も作れないと発言する者がいた。
作れないなら作ればいいではないか。
石油を使わず、二酸化炭素を出さない製品を工夫すればいいではないか。
日本はそういう工夫が得意で、中国がレアアースを禁輸すれば、それなしで同程度の性能のもつ代用品を発明してしまう。
この掘削企業の役員たちは卑怯者だ。
本来ならこういう企業が率先して脱炭素のための工夫をしなければならないのに、自分でなんの努力もせずに、規制に文句をつけて、経営者と株主のためだけに仕事をする。
米国の経営者というのはこういうアホが多いから、彼らに乗じられないよう注意しなければならない。

ふざけるなとわめいても、どうせわたしの声は米国の大企業のトップまでは届かない。
わたしがこんなことを書いたのは、ほかならぬココログのブログの中にも、ときどき地球温暖化や脱炭素問題について、いちゃもんをつけて喜んでいるブログがあるからだ。
文句があるならはっきり反対だといえばいい。
温暖化がウソだというなら、ちゃんとした理屈でもって反対すれば、と書こうとして、そういえばそんなタイトルの本がネットでどうどうと売られているなと思い当たった。
以前わたしのブログで「不都合な真実」について書いたとき、そういう本にも目を通してみたことがある。
ようするに経済を優先させようとする大企業のプロパガンダだった(としか思えなかった)。
レイチェル・カーソンが初めて化学物質の公害問題を提起したとき、そこいら中の製薬会社から、いわれなき中傷を受けたことをもう忘れたのか。

COP26で模範的な回答をした中国では、電力不足で、あちこちで生活に支障が出ているという。
いろいろいわれている中国でさえ、地球温暖化を阻止するために不自由を忍ぼうとし、脱炭素のために暗中模索しているのだ。
現在の人類の生活様式からすれば、脱炭素が容易でないことはだれにでもわかる。
経済が停滞したら明日のオマンマに事欠く人もいるだろうし、そんな確かではない理想よりも、今日を食っていくほうが大事だという人もいるだろう。
中東の紛争地帯や北朝鮮の国民を見てみろ。
あのくらい不自由な生活にさえ人間は耐えられるのだ。
そこまでしろとはいわないけど、石油危機のときと同じ程度の節約でさえ、脱炭素の効果はあるはずだ。
わたしたち全員が公平にモノ不足に耐えること、それはあなたのためではなく、もちろんもうすぐ老衰で死んでしまうわたしのためでもなく、あなたの小さな子供たちのためなのだ。
この問題を真剣に考えて、グレタちゃんのあとに続くべきは、いま子育てをしている若い夫婦たちなのである。

カッコいいこと言い過ぎだけど、これってわたしの本音。
こんなことを書いても、ブログのアクセスはきっと伸びないと思う。

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2021年11月 7日 (日)

どこまで続くぬかるみぞ

試金石の、これが結果か。
1週間まえに吉祥寺まで出かけ、以前にもどったような井の頭公園の人混みに、これでパンデミックが起きなければコロナ終息も本物だなと思ったことがある。
それがどうやら本物みたいだ。
いまのところ感染者が減ったというニュースはあっても、増えたというニュースは見当たらない。
ただこれ日本だけの現象で、ヨーロッパあたりには増えている国もあるそうだし、おとなりの韓国でも終息はまだまだのようだ。
苦し紛れに、日本人の体内にはウイルスを減らす酵素があるのだなんてマスコミまで。

これならただでさえ世界一強力な日本人のパスポートを持ち出す間でもなく、日本人は大歓迎、ノービザで入国を認める国が増えるのではないか。
旅行大好き人間のわたしにはうれしい状況だ。
もっとも、どこの国でも歓迎といったって、帰国したときは、まだウイルスが蔓延中の国から帰るわけだから、ブタ箱のような病院に2週間隔離されることが必至だ。
やっぱり外国に気軽に行けるわけじゃないな。
わたしみたく、国内旅行に精を出しておくのが正解か。
見てろ、今月のわたしはでっかい国内旅行を計画しているのだ。
帰京したらポール・セロー顔負けの紀行記を書くつもりだ。

こうやって元手を掛けているのに、それにしてもアクセスが上がんないな。
と気にすると、ますますココログが嬉しがって、オモチャにされてしまいそう。
でもまあ、わたしもココログにいちゃもんをつけて嬉しがっているんだから、こういうのもウインウインの関係といえるのかも。
はてさて、どこまで続くぬかるみぞ。

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2021年11月 6日 (土)

アフリカ/モザンビークへ

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シレ川のデルタをゆく舟旅は、モザンビークに入り、モルンバラ山のわきをかすめて、まだ続く。
ベテラン漕ぎ手のカルステンは、この先に悪いやつらがいるという。
川のとちゅうには強盗も出没するらしい。
ヤバイというので、セローたちは明るいうちに舟を陸に引き上げて、岸辺の村でまた1泊していくことにした。
村では火をたいてキャンプだ。
村人がめずらしそうにセロー一行を見物にくる。
中には缶詰の空き缶をねらっている者もいたけど、セローは村人や子供たちにクッキーを配って追い払った。

寝るときは、セローは寝袋に入ってそのへんにごろ寝だ。
蚊がたくさんいるけど、それは虫よけスプレーで間に合うとして、気をつけないといけないのは、寝ているあいだにハイエナに足をかじられることがあるそうである。
そのへんが心配で村人に尋ねると、ハイエナはいないけど幽霊がたくさんいるという。
ま、幽霊ならかじられることはないだろうと、この詩的な返事に感心し、セローは安心して寝た。

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ハイエナ以外に、セローはアフリカにいる危険な生物を列挙してみる。
ビジュアル不足の折なので、そのうちの家畜に眠り病を感染させるツェツェバエと、うっかりさわると肌にミミズ腫れを起こさせるバッファロービーンズという植物を紹介しよう。
あまり危険そうでないけど、ほかにも人間の顔に飛び乗ってくるカエルもいるそうで、これは YouTube の人気者であるアフリカウシガエルのことかしら。
それならビジュアル的に強力なアイドルなので、たくさん紹介してしまう。

川下りも三日目になった。
ベテラン漕ぎ手のカルステンは、この先にカバがいるという。
強盗とカバとどちらが危険かは微妙なところだ。
アフリカで年間にカバに殺される人間の数はバカ(親父ギャグ)にできない。
日本の動物園ではカバの歯みがきをして、外国人をおどろかせるけど、それはなれてるから信頼感があるだけで、カバはワニも近づかないくらい気性の荒っぽい動物なのである。
それでも人間にとって食いでがあるから、ザンベジ川流域の市場では、密猟されたカバの肉がよく売られているらしい。
これほどビジュアル的な動物もめずらしいから、これも3枚も紹介してしまおう。

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このあたりに探検に来たリビングストンは、シレ川を“死の川”と書いている。
リビングストンはアフリカでも偉人として知られていたけど、情報の氾濫している現代では、アフリカでも西洋でも評価が変わってきた。
ベルギーのレオポルド二世が、本国では銅像まで建てられる英雄なのに、じっさいは残酷な植民地支配者であったことが知られたようなもので、セローも彼をこきおろす。

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ザンベジ川との合流点の近くで、艀(はしけ)にトラックを載せて川を渡ろうとしているポルトガル人に出会った。
白人に会うのはめずらしいけど、もともとこのあたりはポルトガルの植民地だったところで、彼はアフリカ人を使って近くでトウガラシ農場を経営しているという。
アフリカで農場経営というと、なんとなく危険そうに思ってしまうけど、かって白人が支配していた南アフリカに近づくにつれ、こういう肝ったまのすわった欧米人が多くなる。
彼が使っているアフリカ人はきちんとした作業服を着ているのに、セローの雇った丸木舟の漕ぎ手は穴のあいた自分の服だ。
セローは使用人の服装で雇い主の貴賤が決まるわけではないと、これはおそらく自分を正当化するために言ったにちがいないことを書く。

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ザンベジ川に到達した。
ザンベジ川の映像がないかと、わたしのテレビ番組コレクションを調べてみたら、「ダーウインが来た!」という番組にサンベジ川が出てきた。
ただこれは紀行番組ではなく、野生動物を紹介するものだから、ハサミアジサシという奇妙なくちばしをした鳥しか登場しない。
ついでだからその鳥の写真を載せておく。
くちばしの上下の長さが異なり、これでどうやって餌を捕るのかというめずらしい鳥だ。

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ザンベジ川に入ったあと、セローはカイアというところで丸木舟を下りた。
彼がここに着いたとき、川を渡るにはまだ艀しかなかったそうだけど、彼が旅をしてからすでに20年が経過しているので、2009年にコンクリートの立派な橋ができていた。
地図を見てもらえばわかるけど、カイアはモザンビークの北部と南部をむすぶ交通の要衝なのである。

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ここからセローはトラックをつかまえて、陸路でモザンビークを移動することにした。
モザンビークも内戦のあとが生々しい。
内戦の原因をこのブログに収まるようかんたんに説明するのはむずかしい。
内戦の当初は植民地からの独立をめぐる争いで、宗主国のポルトガルに対する抵抗運動が起こり、独立が達成されたあとは、この抵抗組織に対する抵抗組織の抵抗運動だったそうだ。
ややっこしいけど、つまり御多分にもれない抵抗組織内部の勢力争いである。
日本には関係ないけど、セローの本によると何百万人も殺されたというから、ホントならカバに殺される人間なんてカワイイもんだ。
トラックでの移動中に、道路のはじでオシッコをしようとしたセローは、道をはずれると地雷があるぞと注意される。

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この地雷は内戦中におきた大洪水で、みんなどこかに流れて行方不明になってしまったそうで、モザンビークではいまでもたまに、裏庭で洗濯をしていたおばさんが爆発でふっ飛ばされることがあるそうだ。

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セローの文章を読むと、道路や橋はいたるところで破壊されていて、内戦の傷跡ははっきり残っていたという。
しかし彼の旅は2001年のことなので、すでに20年の歳月が流れている。
ここで20年という時間について考えてみよう。
わたしはむかし海上自衛隊にいて、広島の呉に派遣されていたことがあり、そのころ何度か広島市まで遊びに行ったことがある。
原爆投下はそれより20年ほどまえのことだった。
しかし、すでに原爆ドーム以外に原爆の惨禍をとどめるものはひとつもなく、街にはほぼ完全に市民生活がもどっていた。
戦争の痕跡なんてものは、20年もあったらきれいに消えてしまうものらしい。
ストリートビューで眺めたくらいでは、現在のモザンビークにそういうものを見つけるのはむずかしい。
わたしの歳になると20年はあっという間だ。
これは人間の未来にもまだまだ希望を持てるということだろうか。

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トラックで海辺の街ベイラに着いた。
ここに載せたのはセローの旅から20年後、つまり現在のベイラの街のスナップ。
行方不明の地雷もなんとか処理がすんだように見える。

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セローはここから、つぎの目的地ジンバブエの国境までタクシーをつかまえた。
外国人が知らない土地でタクシーをつかまえるのは危険なのだが、彼はこれまでが順調だったせいか、ついその原則を破り、運転手にとんでもないところで車を停められ、追加の金を出さなければこれ以上行かないとごねられ、しかもそれを何度も繰り返され、さんざんぼったくられる。
わたしにも経験がある。
ということを詳しく話そうと思ったけど、思い出すだけで腹が立つから止めておく。
途上国でタクシーをつかまえるときは、どちらさんもくれぐれもご注意を。

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2021年11月 5日 (金)

校正

今日は健康診断の日だ。
悠々でもないけど自適の身分なので、以前のように職場でいっせいの健康診断をしないから、市役所で提供される無料の健康診断ぐらいはしなくちゃならんのよ。
自覚するほどワルイところはないものの、いちおう前日の夜から食事は抜きだ。
それなのに、いつも夜中にゴソゴソしてるもので、夜中の3時に目がさめてしまった。
外はまだまっ暗だから、散歩ってわけにもいかないし、運動なんかした日にはよけい腹がへる。
こういうときはどうすればいいだろう。

仕方ないからベッドに横になったまま、以前書いたブログ記事の校正をしていた。
わたしのブログなんて読み捨てみたいなもので、校正をするほど価値があるわけでもないんだけど、わたしには変に凝り性のところがあって、古い記事にも訂正したい箇所があると気にさわるのである。
そんなブログでも、読み始めるとおもしろいので、いじくっているとすぐに時間が経つから、それはまあいいとして。
いったいなんでアクセスが伸びないのかと・・・・あ、またグチになっちゃうな。

古い記事を読み返すと、なんせしろうとがやっていることだから、誤字脱字、訂正したいところ、書き直したいところがいくらでも見つかる。
この程度ならエネルギーは消耗しないし、時間つぶしには最適だ。
見てろ、いつかきっとわたしのブログがブレークして、わたしも著名文化人の仲間入りをする日が来る。
そのときに備えて、文章を完璧なものにしとくのだ。
あー、腹がへった。

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2021年11月 4日 (木)

経済法則

経済というものに無関心なわたしとしては、大胆なタイトルで、あまり信用されても困るけど

ときどき日本は給料がぜんぜん上がらない、上がらないことにかけては、世界でも上から何番目だなんて文句をいう人がいる。
うーむと考えてしまう。
むかし銀行の金利は低いから、お金を銀行に預けておくより、投資でもしたほうがいいという声が、これはもっぱら素人をダマそうという投資会社のほうから聞こえてきたことがあった。
わたしは投資なんてものに興味がないし、興味のないものに金をつぎこむと、有り金残らずむしられるだけだろうと考えて、そんな声にいっさい耳を貸さなかった。
おかげで乏しい貯金はそのままだし、まあ、なんとか平穏に(カツカツだけど)その日を暮している。

当時テレビで、ある経済評論家かぽろりとつぶやいた言葉が忘れられない。
銀行の金利が上がらないときは、家のローンの金利も上がらないから、あまりじたばたすることはないということ。
給料も似たようなものじゃないか。
いくら給料が上がっても、同時に物価も上がっていたのではなんにもならない。
給料が上がらなくても物価が安定していれば同じこと。
給料だけが上がって、その他はぜんぶ据え置きなんて、経済法則を無視しているんじゃないかね。

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2021年11月 3日 (水)

エリナー・リグビー

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YouTubeでビートルズについて調べたら、それ以来ビートルズに関する映像がぞろぞろ出てくる。
そのほとんどはユーチューバーが勝手に自分の考えを映像にしたものだけど、あらためて彼らの人気ぶりにおどろいた。
といっても誰もおどろかない。
それほどビートルズというのは、あらゆる世代を通じて、まだ生まれていなかった子供たちも、じいさんばあさんから話を聞いて、また新たなファンになっているのだから。
彼らが忘却の彼方に消える日が、そんな日が生きているあいだに来るのがどうか、わたしにはわからない(残りの人生を数えるとそりゃなしだな)。
こういうグループと青春を共にしたわたしの、ピンポイントのごとき幸運に感謝するばかりだ。

YouTube 
の映像の中に、わたし(あるいはボク、もしくはオレ)の選んだビートルズのベスト10なんていうものもあった。
たいていの音楽にいえることだけと、これこそ本人の主観であって、その人の選んだ曲が他人にもベスト10であるとは限らない。
人間が百人いれば百のベスト10があるわけだ。

そう断ったうえで、これはわたしの主観だけど、「エリナー・リクビー」という曲が出てこないベスト10というのは、わたしにはどうも信用できないのである。
ビートルズの曲の中で、「I Am the Walrus」という曲があって、これは何度も聴いているうちに、じわじわとその良さが伝わってきて、最終的にベストに加えたくなった曲だけど、「エリナー・リグビー」は、アルバム『リボルバー』で初めて聴いた瞬間から、素晴らしいと思った作品である。
わたしは長調と短調の区別もつかない音楽オンチだから、これは直感としかいいようがない。

しかるに他人の選んだベスト10を眺めると、この曲が取り上げられているものは少ないような気がする。
なぜかというと、ポールの独演会であるところへ持ってきて、オーケストラのストリングスなんか使ったその曲調が、どうも万人が認めるところのビートルズらしくないからじゃないか。

残念に思っていたけど、この曲はアニメ映画「イエロー・サブマリン」で、いちばん目立つところに使われていた。
社会の不条理を告発するような、シルクスクリーンを多用したきわめて印象的な場面だった。
映画を作ったのはアニメの詩人といわれたジョージ・ダニング(故人)である。
やっぱりわかる人にはわかるんだねと、同調者に出会ったような気分でホッとしたものだ。

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2021年11月 2日 (火)

海の不思議

11月になった。
万年道楽者のわたしは、今月は沖縄に行く予定だけど、最近の沖縄のニュースに軽石騒動というものがある。
小笠原のほうの噴火で生じた軽石が、沖縄の海岸に押し寄せているとか。
海流の流れからすると、南下より北上のほうがふさわしいような気がするんだけど、なぜかそれが南の沖縄に集まっているらしい。
でもまあ、このトシになってから、わたしには不思議なくらいツキがあるので、あまり心配はしていない。
それに火山の噴火というのは天然現象で、過去にも何度かあったはずだから、産業廃棄物や温室ガスに比べりゃ害は少ないだろう。

海の上というのはほんとうに人間の想像を絶することが多い。
むかし北海道に流氷を見に行ったことがある。
2月にオホーツク沿岸の紋別という、これ以上ないくらい流氷にふさわしい時期と場所だったんだけどね。
いまでは廃線になっている鉄道を乗り継いで、ようやく目的地について、さあ、流氷を見るぞと意気込んだら、そんなものひとつもなかった。
地元の人に流氷ありませんねとぼやいてみた。
ああ、今日は陸からの風だからな、流氷はみんな沖に去ってしまったよとのこと。
なんだなんだなんだ。
わたしは流氷というものは冬になると北のほうから寄せてきて、冬のあいだ中いすわって、春になって暖かくなると、またじりじりと北に帰っていくものと思っていた。
そうではないという驚きの真実。
昨日まで張りつめていた氷が、一夜にして沖に去ってしまうという仰天の事実。

だから軽石が一晩のうちにどこかに消えても、海ならそういうこともあるだろうと思う。
たぶんコロナといっしょで、わたしの行く先々で障害物は消え失せることになってんだろう。
聖教新聞をやめたくらいで天罰が当たるわけがない。
飛行機が落ちれば、むしろ幸せだと思っているのだ、老醜をさらしているわたしとしては。

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2021年11月 1日 (月)

聖教新聞

聖教新聞をとっている(とっていた)。
となりの部屋の住人がそのスジの人で、無料でいいから1カ月だけでもとってくれと、缶ビールや缶チューハイを持って飲みに来たので。
タダ酒を飲むんだから、そのていどで相手の顔が立つなら、ま、いいんじゃないかと。

宗教ギライのわたしに聖教新聞とは、またいい根性だ。
でもヒマだからいちど目を通してみた。
いちばん目立つ1面トップ記事が「米ミシガン州に新デトロイト会館」だって。
そのとなりに「SDGs行動の10年」という記事があって、赤十字国際委員会のレジス・サビオさんという人がなにか話しているけど、これは寄稿ではなく、インタビューを文章に起こしたものだった。
こういうのは起こす人の腹づもりひとつで、いかようにも内容を曲げられるから、注意して読まなければいけない。
この下に小さく「正しく知ろう新型コロナ」という記事。
新型コロナより新しく米国にできた創価学会の会館のほうがニュースになるらしい。
こういうのをプロパガンダというんじゃなかったっけ。

いちばん下に朝日新聞の天声人語みたいな「名字の言」というコラムがあった。
今日のそれは世界翻訳の日について、古今東西の文学や映画を楽しめるのは翻訳のおかげと、ここまではしごくまっとうだけど、そのあとに池田先生(大作サンのこと)の本が外国でも読まれているとかなんとか。
師が魂魄をとどめた一書を、とはまたなんておおげさなと思ったけど、ま、読んだことがないからけなすのは止めときましょ。
大作サンてまだ生きてんのかしら。

2面に行ってみたら、1面から続くのはレジス・サビオさんのインタビューの続きだ。
ここにも創価学会の牧口なんとかいう初代会長さんのことがつけ加えてある。
地域の宗教リーダーの言葉のほうが紛争の被害を食い止めるのに効果があるというんだけど、それがホントなら、なして大作サンが出ていってまあまあと割って入らないのか。
アフガンでもイラクでも紛争なんかさっさと止まっていそうじゃん。

全体として言っていることは常識を絵に描いたみたいで、あくびが出るようなことばかりだから、他人のものを取ってはいけませんよと、幼稚園の先生にいわれているみたいな気分になる。
聖教新聞が低脳児向けの新聞であることがよくわかった。
腹が立つから、約束どおり1カ月経ったら解約だ。

と思っているうち、昨日がその1カ月目だ。
もちろん最初の1カ月は無料ですという約束は守ってもらう。

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