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2021年11月 6日 (土)

アフリカ/モザンビークへ

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シレ川のデルタをゆく舟旅は、モザンビークに入り、モルンバラ山のわきをかすめて、まだ続く。
ベテラン漕ぎ手のカルステンは、この先に悪いやつらがいるという。
川のとちゅうには強盗も出没するらしい。
ヤバイというので、セローたちは明るいうちに舟を陸に引き上げて、岸辺の村でまた1泊していくことにした。
村では火をたいてキャンプだ。
村人がめずらしそうにセロー一行を見物にくる。
中には缶詰の空き缶をねらっている者もいたけど、セローは村人や子供たちにクッキーを配って追い払った。

寝るときは、セローは寝袋に入ってそのへんにごろ寝だ。
蚊がたくさんいるけど、それは虫よけスプレーで間に合うとして、気をつけないといけないのは、寝ているあいだにハイエナに足をかじられることがあるそうである。
そのへんが心配で村人に尋ねると、ハイエナはいないけど幽霊がたくさんいるという。
ま、幽霊ならかじられることはないだろうと、この詩的な返事に感心し、セローは安心して寝た。

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ハイエナ以外に、セローはアフリカにいる危険な生物を列挙してみる。
ビジュアル不足の折なので、そのうちの家畜に眠り病を感染させるツェツェバエと、うっかりさわると肌にミミズ腫れを起こさせるバッファロービーンズという植物を紹介しよう。
あまり危険そうでないけど、ほかにも人間の顔に飛び乗ってくるカエルもいるそうで、これは YouTube の人気者であるアフリカウシガエルのことかしら。
それならビジュアル的に強力なアイドルなので、たくさん紹介してしまう。

川下りも三日目になった。
ベテラン漕ぎ手のカルステンは、この先にカバがいるという。
強盗とカバとどちらが危険かは微妙なところだ。
アフリカで年間にカバに殺される人間の数はバカ(親父ギャグ)にできない。
日本の動物園ではカバの歯みがきをして、外国人をおどろかせるけど、それはなれてるから信頼感があるだけで、カバはワニも近づかないくらい気性の荒っぽい動物なのである。
それでも人間にとって食いでがあるから、ザンベジ川流域の市場では、密猟されたカバの肉がよく売られているらしい。
これほどビジュアル的な動物もめずらしいから、これも3枚も紹介してしまおう。

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このあたりに探検に来たリビングストンは、シレ川を“死の川”と書いている。
リビングストンはアフリカでも偉人として知られていたけど、情報の氾濫している現代では、アフリカでも西洋でも評価が変わってきた。
ベルギーのレオポルド二世が、本国では銅像まで建てられる英雄なのに、じっさいは残酷な植民地支配者であったことが知られたようなもので、セローも彼をこきおろす。

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ザンベジ川との合流点の近くで、艀(はしけ)にトラックを載せて川を渡ろうとしているポルトガル人に出会った。
白人に会うのはめずらしいけど、もともとこのあたりはポルトガルの植民地だったところで、彼はアフリカ人を使って近くでトウガラシ農場を経営しているという。
アフリカで農場経営というと、なんとなく危険そうに思ってしまうけど、かって白人が支配していた南アフリカに近づくにつれ、こういう肝ったまのすわった欧米人が多くなる。
彼が使っているアフリカ人はきちんとした作業服を着ているのに、セローの雇った丸木舟の漕ぎ手は穴のあいた自分の服だ。
セローは使用人の服装で雇い主の貴賤が決まるわけではないと、これはおそらく自分を正当化するために言ったにちがいないことを書く。

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ザンベジ川に到達した。
ザンベジ川の映像がないかと、わたしのテレビ番組コレクションを調べてみたら、「ダーウインが来た!」という番組にサンベジ川が出てきた。
ただこれは紀行番組ではなく、野生動物を紹介するものだから、ハサミアジサシという奇妙なくちばしをした鳥しか登場しない。
ついでだからその鳥の写真を載せておく。
くちばしの上下の長さが異なり、これでどうやって餌を捕るのかというめずらしい鳥だ。

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ザンベジ川に入ったあと、セローはカイアというところで丸木舟を下りた。
彼がここに着いたとき、川を渡るにはまだ艀しかなかったそうだけど、彼が旅をしてからすでに20年が経過しているので、2009年にコンクリートの立派な橋ができていた。
地図を見てもらえばわかるけど、カイアはモザンビークの北部と南部をむすぶ交通の要衝なのである。

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ここからセローはトラックをつかまえて、陸路でモザンビークを移動することにした。
モザンビークも内戦のあとが生々しい。
内戦の原因をこのブログに収まるようかんたんに説明するのはむずかしい。
内戦の当初は植民地からの独立をめぐる争いで、宗主国のポルトガルに対する抵抗運動が起こり、独立が達成されたあとは、この抵抗組織に対する抵抗組織の抵抗運動だったそうだ。
ややっこしいけど、つまり御多分にもれない抵抗組織内部の勢力争いである。
日本には関係ないけど、セローの本によると何百万人も殺されたというから、ホントならカバに殺される人間なんてカワイイもんだ。
トラックでの移動中に、道路のはじでオシッコをしようとしたセローは、道をはずれると地雷があるぞと注意される。

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この地雷は内戦中におきた大洪水で、みんなどこかに流れて行方不明になってしまったそうで、モザンビークではいまでもたまに、裏庭で洗濯をしていたおばさんが爆発でふっ飛ばされることがあるそうだ。

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セローの文章を読むと、道路や橋はいたるところで破壊されていて、内戦の傷跡ははっきり残っていたという。
しかし彼の旅は2001年のことなので、すでに20年の歳月が流れている。
ここで20年という時間について考えてみよう。
わたしはむかし海上自衛隊にいて、広島の呉に派遣されていたことがあり、そのころ何度か広島市まで遊びに行ったことがある。
原爆投下はそれより20年ほどまえのことだった。
しかし、すでに原爆ドーム以外に原爆の惨禍をとどめるものはひとつもなく、街にはほぼ完全に市民生活がもどっていた。
戦争の痕跡なんてものは、20年もあったらきれいに消えてしまうものらしい。
ストリートビューで眺めたくらいでは、現在のモザンビークにそういうものを見つけるのはむずかしい。
わたしの歳になると20年はあっという間だ。
これは人間の未来にもまだまだ希望を持てるということだろうか。

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トラックで海辺の街ベイラに着いた。
ここに載せたのはセローの旅から20年後、つまり現在のベイラの街のスナップ。
行方不明の地雷もなんとか処理がすんだように見える。

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セローはここから、つぎの目的地ジンバブエの国境までタクシーをつかまえた。
外国人が知らない土地でタクシーをつかまえるのは危険なのだが、彼はこれまでが順調だったせいか、ついその原則を破り、運転手にとんでもないところで車を停められ、追加の金を出さなければこれ以上行かないとごねられ、しかもそれを何度も繰り返され、さんざんぼったくられる。
わたしにも経験がある。
ということを詳しく話そうと思ったけど、思い出すだけで腹が立つから止めておく。
途上国でタクシーをつかまえるときは、どちらさんもくれぐれもご注意を。

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