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2021年12月

2021年12月31日 (金)

大みそかの辞

次回分のP・セローのアフリカ紀行の原稿は出来上がってるんだけど、大晦日と正月1日にはべつに書きたいことがあるので、3が日まで掲載はしない。

今月はずらりと2桁が並んだ。
もちろんブログのアクセスのこと。
以前は月に2、3回は3桁に届いたもんだけどねえ、とぼやいても仕方がない。
それよりいまでもアクセス数を励みにやっている人がいるとしたら、アカデミー賞や芥川賞と同じくらい、信用できないのがブログのカウンターだといっておこう。

アクセス数を見るかぎり、あまり人気のないわたしのブログだけど、それでも奇特な固定ファンが50人くらいはいるらしい。
それを励みに来年も(さ来年も、死ぬまで)頑張るつもりである。
ココログにはねちねちとイヤミをいうつもりである。
乞うご期待ってところ。

わたしのブログを注意して読めば(イヤらしい記事もあるけど)、時事問題に関してはそこらへんの有名な評論家より的確なことがある。
今年はバイデンさんに右へならえで、中国叩きが激しかった年だった。
わたしはそんなもの一顧だにせず、自分の信念をつらぬいた。
中国は大国になることに専念しており、いま台湾に侵攻することなどゼッタイにあり得ないと断言する。
中国叩きも年末とともに沈静化して、いくら笛を吹いても踊らない国民にネトウヨ諸君もがっくりだろう。
日本は韓国やミャンマーのように、扇動で国民が鼻づらをひきまわされる国ではないのだ。

日本政府に文句ばかりいう病的な人は依然として多い。
今年開催されたオリンピックはその点で壮観だった。
最初からやめちまえなどという人もいたけど、結果はとっくに出た。
いまでもオリンピックが失敗だったといえる人がいるだろうか(いたってかまわないけど)。
今年は五輪とコロナ防疫と大谷翔平で日本が輝いた年だった。
イデオロギーに左右されることなく、自民党でも野党でも、誉めるべきはきちんと誉めるのがわたしのブログだ。
来年の抱負はアクセスが常時3桁に行くことなんだけど、ココログにねちねちじゃ難しいかなあ。

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2021年12月30日 (木)

有言実行

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有言実行のヒト。
言ったことの証明のために、わたしが漬けたぬか漬けと、ストーブの上の石焼き芋を見せる。
ぬか漬けはわたしの好物のナスとカブとニンジンだ。
ナスの色が気に入らない人がいるかもしれないから、弁解しておくけど、自分で食べるんだから手間ヒマかけても仕方がないってんで、あまり工夫しなかったのだ。
しかし色がわるくてもぬめぬめっとして美味しそう。
つぎは焼きミョウバンや鉄くぎでも使い、きれいな紫色に仕上げるつもり。

もうひとつは石油ストーブの上の石焼き芋。
アルミホイールにくるんで、30分ぐらい放置しておけば、ホッカホカの焼き芋の出来上がりだ。
こういう生活がうらやましくない年寄りっているだろうか。

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2021年12月29日 (水)

石油ストーブ

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書斎というか、ひきこもり部屋というか、夜中に起きていることの多い部屋では、人からもらったハロゲンヒーターを使っていた。
しかし去年買ってそのままにしてあった灯油を、あまり古くならないうちに使い切ってしまおうと、今日は今年はじめて石油ストーブをひっぱり出した。
比べてみてはじめてわかったけど、石油ストーブって強力だね。
ハロゲンのほうがスイッチひとつで簡単に点く(石油のほうは乾電池の部分が壊れていちいちマッチで点ける)ので、今年はハロゲン一本で行くつもりだったけど、暖房効果は石油のほうがダントツ。
しかもうちの石油ストーブは温風式ではなく、その上でサツマイモが焼ける式だから、冬の夜は石焼き芋用のオーブンにもなるのだ。
問題はいちいち灯油を買いに行かなくちゃいけないことだけど、それもわたしの部屋から3、400メートルほどのところに24時間営業のGスタンドがあるので、徒歩で買いに行けて、たいして痛痒を感じない。
換気に気をつけなければいけないけど、それだってわたしの部屋くらい、あちこちからすきま風が入ってくる部屋はないというわけで、ほんとうにこの団地に越してから環境に恵まれているのだ。
こんなに幸せな年寄りってほかにいるだろうか。

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2021年12月28日 (火)

今日のできごと

バシッという音がして部屋がまっ暗になった。
ブレーカーが落ちたのだ。
エアコンとハロゲンヒーターをつけて、テレビを見ながらパソコンで仕事をし、ついでにポットでお茶を沸かし、そのほかあれもこれもと、ありったけの電気器具を使用中だったのがいけなかったらしい。
でもいまのご時世にこんな生活ができるなんて、ほんと贅沢な年寄りだよな。

ところで来年はナニ年だ?
先日「ダーウインが来た!」ってテレビを観ていたら、次回は来年の干支の虎がテーマですなんていっていたから、そうか、トラ年かと思い当たった。
呑気なもんだけど、年賀状も書いてないし、新しい団地の住所を広報するようなこともしてないので、この正月はこころ静かに、あの世からのお迎えについて考えることができるだろう。
べつにガンに侵されたわけでもないし、近いうちに首を吊ろうっていう予定もないんだけど、あいかわらず渾身のイヤミ老人だこと。
死にたくないと願っている人にはもうしわけないけど、わたしは好奇心の強い旅行愛好家だ。
あの世ってのはどんなところなのかと、楽しみにしている部分もあるのだ。

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2021年12月27日 (月)

アフリカ/ヨハネスブルグ

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南アフリカ共和国の首都というとどこだ?
ヨハネスブルグと答える人が多いかもしれないけど、それでは1/3しか正解ではない。
現在の南アフリカは首都機能を三つの都市に分散させていて、その中でも各国の大使館が置いてあるところから、いちおう「プレトリア」という街が首都の代表ってことになっているらしい(わたしもこのブログを書くまで知らなかった)。
セローは他のふたつの街には目もくれず、まっすぐヨハネスブルグに向かっているから、やはりこの街が歴史的な、あるいは文学的、象徴的な首都であるようだ。

ポール・セローは夜中にヨハネスブルグにやってきた。
この街のおそるべき評判を聞いていたセローは、とりあえず明るくなるまで駅ビルでじっとしていることにした。
ここは犯罪多発都市で、新聞を見ると「殺された」、それも「殺されて睾丸を奪われた」なんて事件がてんこ盛りだ。
これまでかなり豪胆な旅を続けてきたセローも、さずがにビビっちゃったらしい。

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わたしの旅はバーチャル旅行で、そういう災難にまきこまれる恐れはまずないのだから、安心してこの街を見ていこう。
ヨハネスブルグを検索すると、日本のレインボウ・ブリッジのような、派手に電飾された橋の写真によく出くわす(冒頭の写真)けど、これはネルソン・マンデラ橋といって、昼間見ると下は川や湖ではなくただの線路(2番目の写真)だから、とくべつに感心するようなものではない。
それ以外は、さすがに南アフリカ随一の都会で、高層ビルが乱立するところは東京やニューヨークに匹敵するのではないか(と一見さんには見える)。

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ヒトのわるいわたしは、郊外を見てまわって欠点を探すことにした。
とくに興味があったのが、中南米や東南アジアに多いスラム化した区域だったけど、ヨハネスブルグはグローバル化された先進国の都市なので、ストリートビューも街を網の目のように網羅していて、そういう場所を探すほうがくたびれてしまう。
それでスラムはこのあとケープタウンに行ったときまた探すことにして、ここではセローのわたくし事にもどろう。

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アフリカを第二の故郷のようにしているセローとしては、ちょっと意外だけど、彼はこの街に初めて来たという。
ここには彼の旧知の作家で、アフリカ大陸出身の女性作家としては、初めてノーベル賞を受賞したナディン・ゴーディマがいた。
著名な作家の名前が出てくると、実証主義派のわたしとしては、いちおうその作品に目を通さないわけにはいかない。
参考のために読むだけだから枕の代わりになるような大書物でも困るんで、わたしが図書館で借りてきたのは彼女の短編集。

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これを読んでみたものの、べつにおもしろいとも思わなかった。
南アフリカやアパルトヘイトに関心があるならともかく、現在ではこの制度が撤廃されてから25年も経っているのだ。
アフリカにかぎってみても、ルアンダのジュノサイドや、チュニジアのジャスミン革命に端を発したアラブの春のような、新しい事件がつぎつぎと発生しているので、アパルトヘイトは考古学者が扱う化石標本のようなものになってしまった(とわたしは思っている)。
時代はどんどん変化しており、現在はネットを使った国家や個人への新しい差別さえ生じているので、通りすがりのわたしがいまさらアパルトヘイトに関わっているわけにはいかないのである。

ただ気になるのは、セローも書いているけど、白人に支配されていたころのほうが住みやすかったというアフリカ人がけっこういたことだ。
アパルトヘイトから解放されて、自由を手にしたはずなのに、これはいったいどういうことだろう。
これはつきつめればアフリカ人の本質にかかわることかもしれないし、あらためてアパルトヘイトについて考察するよすがになるかもしれない。
しかしわたしのブログはそこまで社会的なものではないのだ。
ずるいようだけど、わたしはアフリカを旅したい(バーチャルでも)というだけで、南アフリカの運命に口をはさむつもりはないのである。

セローはゴーディマの家を訪問した。
彼女の部屋にはナポレオンの肖像画が飾ってあって、ロートレックの描いたものだという。
ロートレックにそんな作品があったかいと、これも初耳だったので調べてみた。

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これがそうだ。
踊り子ばかり描いていたわけじゃなかったのだ。

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ナディン・ゴーディマは南アフリカ生まれの白人で、写真でご覧のとおり、若いころはなかなかの美人だった。
そして大麻をやったり、中学生で処女を失ったりと、ずいぶん飛んでいる女性だったようだけど、南アフリカではこれがふつうなのかもしれない。
彼女はその生涯にわたって、しいたげられたアフリカ人たちに同情し、非人道的なアパルトヘイトに抗議し続けた。
ノーベル賞は時代の動きに敏感なところがあるから、こうした姿勢が評価され、受賞につながった、というのは正しいだろう。
そんなアフリカ人びいきの彼女は結婚を二度している。
ひょっとすると旦那のひとりくらいはアフリカ人だったのかなと思ったけど、アパルトヘイトの下には雑婚禁止法なんて法律もあって、白人のゴーディマが黒人と結婚することはできなかったようだ。
二度目の旦那はこのときまだ健在で、セローがこの旅を終える直前に亡くなった(彼女自身も2014年に亡くなっている)。

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ゴーディマの家でセローは詩人だというアフリカ人や、新聞社の文芸局編集長に紹介された。
この詩人もアパルトヘイトが盛んなころは、そうした制度に反抗して、ケープタウンの沖にあるロベン島という刑務所に放り込まれた活動家で、南アフリカの大統領になるネルソン・マンデラとも、同じ屋根の下でクサい飯を食わされた同期の囚人だったそうである。
ロベン島はいまでは、かっての囚人が案内役を勤めている観光名所になっているらしいから、どれどれと調べてみた。
いまわしい思い出を秘めた場所が、そのいまわしさを記念する観光地になっていることは、ドイツのアウシュビッツやカンボジアのトゥールスレン虐殺博物館のように、よくある。

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作家や詩人との懇談の最中、セローのマラウイ教師時代の同僚だったV・S・ナイポールの話題が出た。
彼についてはセローのアフリカ紀行のあちこちで名前が出てくるんだけど、あまり好意的に書かれてなかったので、わたしはここまで無視してきたのである。
じつはナイポールもその後作家をこころざし、ということはセローと同じような道をたどったわけで、しかもまもなくノーベル文学賞をもらうのである。
実証主義派のわたしとしては、ここでとうぜんナイポールの本も読んでみるべきだけど、あ、もう勘弁して。
セローは平静をよそおっているものの、彼もじつはノーベル賞に色気があったようで、少しばかりうらやましそうなことを書いていた。
わたしのほうは、セローも人間だったなと変なところに感心したりして。

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その晩はサッカーの試合があると聞いて、いちどはそれを観に行こうと思ったセローだけど、けっきょく知り合ったばかりの詩人の朗読会のほうに行くことにした。
個人的なことになるけど、わたしはあまりスポーツに関心のあるほうではないから、わたしもサッカーなら観に行かなかったと思う。
南アフリカに行くなら、日本で開催されたからラグビーの2019年ワールドカップを観て、南アフリカ・チームの短躯・金髪のデクラーク選手の活躍に感心したわたしは、むしろラグビーに行きたいと思う。
セローは詩人の朗読会のほうに行って正解だった。
この晩のサッカーは大荒れに荒れて、スタンド出口で観衆が将棋倒しになり、大勢の死者が出たそうである。

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2021年12月26日 (日)

今日のできごと

手抜きというか、メンドくさいというか、「今日のできごと」の3回目。
アフリカ紀行が今日中に間に合いそうもないので、その埋め合わせ。

テレビを観ていたら茶碗蒸しを作るシーンが出てきた。
とたんにそれが食べたくなり、簡単そうだから作ってみたんだけど、もののみごとに失敗した。
いちおうレシピに目を通したものの、たいていは最後まで読まずに始めてしまうからで、思い立ってすぐに始めて、成功したってことはわたしの場合ほとんどない。
いまかろうじて茶碗蒸しの香りのするナニカを、無理に食べ終えたところ。

ぼさっとしていたら、今日はもう今年最後の日曜じゃないか。
今年も日本に生まれた幸運をかみしめつつ、ひとりで除夜の鐘を聴くことになるのか。

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2021年12月25日 (土)

今日のできごと

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今日のぬか漬け。
正直いうと種ぬかは市販されているものを使ったんだけど、その上に新たにぬかを2袋ばかり足してある(塩は「赤穂の塩」というブランド塩だ)。
そういうわけで、もうかなり本格的な漬け物ができてしまうのだ。

以前やはりぬか漬けをしていたころは、ゴーヤやオクラなどいろんなものを漬けて嬉しがっていたもので、おかげて自分の嗜好もわかってきた。
わたしの好物はカブとナスとニンジンで、この三つだけは切らさないようにするつもりだ。
右下の写真はまだぬかまみれの、今日樽から出したばかりのカブ。
美味しいので食べ過ぎないよう気をつけなくちゃ。

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2021年12月24日 (金)

今日のできごと

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今日のぬか漬け。

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2021年12月23日 (木)

ぬか漬け

その日にあったことを書くだけなら、ブログの更新なんて楽なものだ。
楽なかわり、そんなブログを読んでくれる人なんているわけがない。
若い娘でもあれば思わせぶりなことを書いて、世の好きモノを惹きつけることができて、しかもいまは YouTube などというお手軽にお金を稼ぐ方法もある。
まことに現代は若い娘に便利な時代になったものだ。
なんの取り柄もないおじさんにとっては、まことに不公平な時代になったものである。

それでもアフリカ紀行の連載が間に合わないときなど、その日の出来事を適当に書いて間をもたせることができる。
今日からまたぬか漬けを始めた。
ぬかの発酵はまだこれからだけど、干しシイタケやカツオブシや昆布や唐辛子も混ぜ込んだし、毎日せっせと面倒をみて、将来はわたしだけの美味なぬか漬けを作るのだ。
つい食べ過ぎて、塩分をとり過ぎて、高血圧が悪化しそうなのが難点だけど、もう自爆覚悟さ。

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2021年12月22日 (水)

寿司とタイ焼き

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今日は渋谷まで出かけた。
新しい渋谷スカイの展望台から写真を撮って、ブログで公開しようと思ったんだけど、入場料が2000円だそうだ。
ドリンクの一杯でもつくならと思ったら、そんなものはないという。
2000
円あったら晩飯が間に合ってしまう。
バカにするなと怒って、そのまま吉祥寺で回転寿司を食って帰ってきた。
ついでにタイ焼きを5コも買ったから、どっちが充実した日かというと、これはもちろん寿司とタイ焼き。

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2021年12月21日 (火)

ぽっくり

昨日はひさしぶりに新宿まで出た。
なんだか浦島太郎になったような気分。
そんなご無沙汰したわけはないのに、世間のほうがわたしを置いて怒涛のように流れているというか。

沖縄からもどってまだ頭がぼんやりしている。
そろそろ以前の状態にもどって、ポール・セローのアフリカ紀行の続きでもやらなけりゃいけないのに、あまり本を読む気がしない。
ずっとむかし、わたしの知り合いは布団のなかでうつぶせで新聞を読んでいて、そのままぽっくり逝った。
で、わたしもベッドのなかで、できるだけうつぶせで本を読むようにしてるんだけど、なかなかしぶとくて。

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2021年12月19日 (日)

沙也加ちゃん

神田沙也加って子が亡くなったってね。
知ってますよ、見たことがありますよ。
ぜんぜんわたしには縁のない女の子だったけど、ずっとむかし知り合いのオンナの人に拉致されて、強引に日生劇場まで「紫式部ものがたり」というミュージカルを観に行ったことがあって(このブログにも書いたことがある)、そのとき知り合いが、ほら、あれが松田聖子の娘だよって教えてくれたのだ。
母親のほうでさえまだ子供だと思っていたのに、その子供の娘がもうあんな大きくなったのかって、すこしだけ感慨があったねえ。

でも母親にも興味はなかったし、沙也加ちゃんとの縁もそのていど。
どうやら自殺らしいから、その心中を推し量ることはできないものの、えらいもんだねえ、勇気が要っただろうねえと尊敬する気持ちはある。
わたしのようになんのために生きているのかわからないじいさんが、ビルの高層から飛び降りる勇気があるだろうか。

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2021年12月18日 (土)

イデス・ヘッド

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「刑事コロンボ」もたまに観ると傑作だと思うけど、こうしょっちゅう観せられると、なかには感心しないものもある。
というわけで、最近はBSのコロンボ・シリーズはあまり熱心に観ない。
今日の放送分(もちろん過去の再放送だけど)をちらりと観たら、どこかで観たような俳優がゲストスターとして出ていた。
誰だっけ?
最初はマーティン・バルサムかと思ったけど、顔が面長すぎるので、調べてみたらメル・ファラーだった。
この人、オードリー・ヘプバーンの旦那じゃなかったっけか。
いやいや、ヘプバーンなんていったっていまどきの若者にはわかんないだろうなあ。
いやいや、いやいや、ハリウッドという言葉もわかんなくなる時代がもうすぐだ。
現代はネットフリックスっていわないとだめか。
あー、ホント、断絶の時代、死にたい。

そんなことはどうでもいいけど、調べついでにコロンボのこの回に、ハリウッドの衣装デザイナーのイデス・ヘッドが、本人役で出ていることがわかった。
彼女は1981年に亡くなっているけど、このブログにアカデミー賞を8回も受賞した名デザイナーであると書いたことがあり、ピクサーのアニメ「Mr.インクレディブル」にも出ていたと書いたこともある。
あわてて録画して、イデスおばさんの出番シーンだけゆっくり観た。
むかし読んだ本によると、彼女はコロンボに「その古いコート、お捨てになったら」ということだったけど、そんな皮肉はいってなかったねえ。
いかにも皮肉をいいそうな人なので、翻訳者の川本三郎さんが勘違いをしたらしい。

添付したのはイディス本人と、アニメの中の彼女。
彼女の偉業も歴史のなかに埋もれるまで、あとほんの少し。

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2021年12月17日 (金)

よそさまの事情

バイデンさんが中国につらく当たるのは、そうしなければ政権を維持できないからだ。
ということぐらい素人のわたしでさえ知っている。
とうぜん中国の政治家にもわかっているだろう。
だからといって無視なんかして、またトランプさんみたいなのに出て来られても困るし、それじゃバイデンさんが気のドクだ。
そこはそれ、なにか適当に話を合わせておけということで、中国も怒り狂ったようなポーズをとる。
どっちにしたって選手の派遣禁止にまで踏み込めるわけがないし、むしろ政治家がしゃりしゃり出てこない五輪のほうがスポーツの祭典にふさわしい。
五輪について中国の心配はコロナのほうに決まっている。

わたしのいうナアナアじゃないかというのは上に書いたようなことだ。
なにも知らないのは、ここぞとばかりに大騒ぎして、選手の派遣までやめちまえなどと叫んでいる一般大衆ってことになる。
そういえば大衆に人気のある高市嬢も騒いでいたけど、彼女は聡明な人だから、みんなわかっていて、人気とりのための政治ショーをしているのかもしれない。
日本政府はいまこの政治ショーをどう扱うか苦慮しているところだろう。

わからないのは本気で制裁に加担しようという英国、カナダ、オーストラリアだ。
でも考えてみると、この連中はみんな米国の家族みたいな国で、英国を母親とすれば、米国、カナダは長男・次男で、オーストラリアは三男坊ってことになるか。
はからずも家族の結託の強さを見せたってわけね。
もちろん親戚でもないドイツやフランス、日本がそれに協力しなくちゃいかん義務はない。
そんなことよりオリンピックで選手たちの競技をすなおに楽しんだほうがいいともサ。

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2021年12月16日 (木)

お茶をにごす

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いま先日の沖縄旅行に行ったさい、知り合いの家族から頼まれたショート・ビデオの制作が佳境に入ったところ。
ブログの更新をしているヒマがないので、そのさいに撮った水中写真でお茶をにごしておく。
これは世界一とも称される西表島のサンゴだけど、どうも将来は明るくない。

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2021年12月15日 (水)

ゴーディマさん

いま本を読んでいるところ。
今夜はもうまともなブログの更新はできそうもないって、いまからギブアップ。
なにを読んでいるのかというと、ナディン・ゴーディマさんという南アフリカの作家(女性)。
調べりゃわかるけど、アフリカ大陸出身者としては初のノーベル賞作家。
といっても黒人じゃない。
いまわたしのブログで連載中のアフリカ紀行に、ポール・セローの重要な知り合いってことで登場する人なんだけど、まあ、なんというか。
図書館で彼女の短編集を借りてきたものの、とくに大騒ぎするほどおもしろくもない。
過去にいろいろ問題をかかえた南アフリカだけど、わたしって問題意識の欠如した人間だから。

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2021年12月14日 (火)

アフリカ/南アフリカへ

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アフリカ大陸を、エジプトから最南端の南アフリカ・ケープタウンまで、可能なかぎり不便な方法で縦走しようというポール・セローの旅は、わたしの事情でジンバブエのあたりで停滞を余儀なくされていた。
わたしの事情というのは、わたしもセローに負けないような紀行記を書いてみたくて、そのネタ探しだったんだけど、それはこのアフリカ紀行を終えないと始められないので、あまりアテにしないで待つこと。

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セローは南アフリカのヨハネスブルクに行くためにバスに乗った。
出発するとすぐに運転手のお祈りの声が聞こえてきた。
ただの交通安全の祈願だったけど、相手が馬鹿正直な宗教信奉者であればあるほど、からかってみたくなるのはわたしといっしょで、この点セローとわたしは一卵性双生児ではないかと思うくらいよく似ている。
セローはついむふふと笑ってしまった。
となりにいたアフリカ人の宣教師がそれを聞きとがめて、あなたは神を信じないのですかと話しかけてきた。
天気はいいし、道路も車も快調なんだけど、国境まで先は長いから、これはいいヒマつぶしというわけで、セローは相手に応じることにした。
無神論者とはいえ、著名な国際的作家のセローのことだから、いっかいの宣教師ごときが歯の立つ相手ではない。
逆にセローのほうから、旧約聖書の申命記や新約聖書の使徒行伝(こういう本があるらしい)など、ムズカシそうな書物を持ち出し、迷信や旧弊なしきたりの弊害についていろいろ質問をすると、わたしは簡単な質問をしたのにあなたはむずかしい質問ばかりしますねと相手は困惑してしまう。

わたしにも経験がある。
むかしわたしを口説き落とそうと、とある宗教団体の若い娘が押しかけてきたことがあった。
彼女の目的が宗教がらみでなければ、わたしもたいていのことは応じたであろうに、なにやら教祖サマが書いたといううすっぺらな冊子を持ち出して、わたしを勧誘だか折伏だかしようとした。
アノネと、わたしが迷信や伝説のたとえとして、海に剣を投じた新田義貞の故事を持ち出すと、彼女は新田なにがしって誰ですかといいだした。
宗教に狂うような人間はたいてい知識が偏向していて、自らが信じる神さまのこと以外はなにも知らないのが多いから、他の分野の質問をするとたいていボロを出す。

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宣教師をからかっていいヒマつぶしをしたセローは、ヨハネスブルクに向かう途中マシンゴという町に寄った。
ジンバブエの首都ハラレやヨハネスブルクなどに比べると、このあたりはまだ高層ビルも少なく、空が広くて、古い写真でながめるとまるで米国の中西部の町のようであり、セローもここなら住めると書いている。
この町にはジンバブエという国名の由来となった「グレート・ジンバブエ」という遺跡があるそうで、寄るかと思ったセローは、自分がからかった宣教師がここでバスを降りたのを見て、下車するのをやめてしまった。
せっかくだからわたしのブログではこの遺跡を見ていこう。

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なんでも10世紀から14世紀にわたって繁栄した王国の遺跡だそうである。
この時代は、日本では平安時代の末期から室町時代にかけてのころだから、ピラミッドのように古いものではない。
時代を考えると、アフリカに進出してきたポルトガルのような西欧国家の影響で、つまり“文明の衝突”で衰退したアフリカ人の王国だったのではないか。
ユネスコの世界遺産に登録されて、そのせいかよく整備されており、近くには遺跡の名前を冠したホテルまであるらしい。

マシンゴでバスはしばらく停まった。
べつに急ぐ必要のないセローは、バスの乗客をじっくり観察して、それがさまざまな人種の寄り集まりであることを知った。
まえに書いたけど、南アフリカやジンバブエあたりになると、白人対白人の紛争もあったくらいだから、アフリカ人以外の人種も多いのである。
インフラもほかのアフリカ諸国よりマシなようで、バスの旅もケニアやタンザニアあたりに比べると、すこぶる快適なようだった。
セローはあまりアフリカらしくないなと思い、アフリカについて一種の固定概念があったのか、不思議な惑星に迷い込んだようだと書いている。
現代のわたしたちがパリに行って、あまり黒人が多いのに面食らうのといっしょかも。

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セローはようやく南アフリカとの国境までやってきた。
ザンジバルと南アフリカの国境にはリンポポ川が流れていて、国境の検問所はこの橋のたもとにあるけど、入国、出国の手続きはあまり効率的に行われていないようで、ここではしょっちゅう車が渋滞していた。
セローの旅のあとで新しい橋ができたようだけど、渋滞の写真はまだ最近のものだから、手続きの非効率さはいまでも続いているようである。

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バスのなかで彼のとなりにアフリカ人女性が座った。
相手が宗教と無縁の女性である場合、セローがからかうことはめったにない。
彼女はヨハネスブルクよりもまだ先にあるレソト王国のマセルまで行くという。
王国なんていわれると遺跡がふさわしい古めかしい名前なので、そういう国がいまでもあるのかと調べてみた。
南アフリカという大海に浮かんだ小島のような国で、最近のグーグル・マップにもちゃんと載っており、このあいだの東京オリンピックにも出場していて、国土の大半が海抜1800メートル以上の高地にある国と紹介されていた。
となりのアフリカ人女性にいわせると雪が降ることもあるそうである。
そういわれてあらためて地球儀をながめたら、南アフリカあたりまで来ると、南緯、北緯の違いはあっても、緯度的にはすでに日本の鹿児島あたりに近い。
鹿児島はつい最近わたしが行ってきたばかりだけど、屋久島や霧島連山には雪が降るよな。

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レソト王国の首都はマセルという町で、やけにストリートビューが充実していたから、ぜんぜん本文に関係ないものの、その景色を紹介してしまう。
アフリカ人女性はしきりにこの国から脱出することを願っていたけど、どこを探しても高層ビルはなく、まるで国全体が信州の野辺山あたりのようで、わたしにはとても素敵な国に見えた。
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ここには「マレツニャーネ滝」という観光ポイントがあるというので、それも観ていこう。
わたしのこのブログはバーチャル旅行なので、つまり事実をもとにした空想旅行なので、セローの本から脱線して、見たいところにはみんな寄ってしまうのだ。

深夜というか、早朝というか、セローはヨハネスブルクに着いた。
となりのアフリカ女性にいわせると、ここはとても危険な街だそうである。
セローの旅はいまから20年もまえのことだから、いまでも危険なのだろうか。
外務省の海外安全情報というのを見てみたら、ヨハネスブルクは「レベル3:渡航は止めてください。(渡航中止勧告)」になっていた。

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2021年12月13日 (月)

投資は投機

昨日、BSでクール・ジャパン(Cool Japan)という番組を観ていたら、中国人女性が、日本人は貯蓄熱がすごいけど、中国人は貯蓄するくらいなら投資をするといっていた。
どっちがいいという話じゃないけど、彼らは資本主義や株のしくみをほんとうに理解してやっているんだろうかと心配になる。
株が儲かると聞けば我も我もで、損をするまでその危険性に気がつかないのが中国人みたいだし。
だいたい国の経済が上り調子のときは、だれが株をやっても儲かるし、下がり調子になるとだれがやっても損をする。
一般投資家を食い物にするトレーダー以外は、そういうものじゃないかとわたしは思ってるんだけどね。

最近まで中国は飛ぶ鳥落とすような好景気だった。
それがアメリカの締め付けが始まって、恒大グループの凋落あたりから潮目が変わってきた。
これで国が傾くとまでは思わないけど、そのへんの投資家たちはかなりイタイ目に遭ってるところじゃないか。

じつはわたしにときどきメールをくれる中国人の知り合いだけど、車の免許は取る、新車の購入は考える、やたらに旅行はする(日本にも来たことがある)で、いったいどんな仕事をしているのかと不審に思っていた。
どうやら株をしていたらしい。
それだけ金が儲かったということは、そうとう派手に、全財産をつぎ込む勢いでやっていたんじゃないか。
それがここ1、2カ月、さっぱり音沙汰なしだ。
いまごろ路頭に迷ってなければいいけど。

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2021年12月12日 (日)

英雄たち

最近は若いころほど熱意があるわけじゃないけど、今日はF1レースの最終戦じゃないか。
しかも今年は勝敗が最終戦までもつれて、ホンダのフェルスタッペンとメルセデスのハミルトンの、どっちが勝っても勝ったほうが年間の総合勝者だ。

わたしの若いころはカー・レースというとドライバーがよく死んだ。
いやいや、セナのことをいってるわけじゃない。
わたしのいうのはジム・クラークやバンディーニ、マクラーレン、リント、スカルフィオッティ、ロドリゲス、シフェールなど、もっとむかしのドライバーたちだ。
最近は安全対策が進歩したのか、めったに死なないね。
そればっかりか、車の故障もスマホなみに少なくなった。
むかしはレース中にエンコする車も多くて、トップを走っていた車がゴール直前でリタイヤなんてこともよくあった。
タイヤとタイヤがからむと、たいていはそれだけでどっちかの車が空を飛んだものだ。
最近のレースではタイヤの接触なんて日常茶飯事、ややもすると相手を体当たりでふっ飛ばしているんじゃないかとさえ思ってしまう。

そんな乱暴なレースが多いものの、最終戦までフェルスタッペンもハミルトンも生き永らえていて、今夜を迎えたってのはおみごと。
はたして総合優勝はホンダか、メルセデスか。
若いころほど熱意はないと書いたばかりだけど、今夜のレースばかりは見逃せないってんで、YouTubeの実況が始まるのを、眠い目をこすりながら待っているところ。

深夜の12時ちかくになってレースが終了したけど、なにがなんだわからん結果になった。
残り数周までハミルトンがだんぜん有利だったのに、あいだに他車のクラッシュがはさまって、なぜか優勝はフェルスタッペンとホンダで決まり。
なんだ、これ。
YouTubeだけじゃ原因がわからん。
明日になれば詳しい解説がニュースに載るだろうから、それを見るしかない。

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2021年12月11日 (土)

アメリカの事情

米国はいったい自分たちをナニ様だと思っているのか。
中国のことでゴタゴタいうだけでは収まらず、ウクライナでもロシアを牽制するようなことを言っている。
日本じゃロシア美人がウクライナ美人と仲良く寿司を食ってるというのに。
腕力にものいわせて相手を恫喝するより、仲をとりもとうって気になぜならんのか。
美人ならどこの国の女性も大歓迎という日本の姿勢をちっとは見習え。

民主主義をいうのはいいけど、それなら大統領が国民の支持を得るために、必死になって他国にケンカを売りまくらざるを得ないという、自国の現状について考えるべきだよな。
中国のどこが気にいらないのかと訊けば、返ってくるのは人権無視の国だからということ。
人権無視の根拠はといえば、つねに出てくるのがウイグル人への迫害ってこと。
それがでっち上げだということは、わたしのブログを読めばわかるのに。
一般のウイグル人が迫害されているかどうかを知る方法だっていくらでもあるのに(たとえば最近ウイグル自治区に行ってきた人のブログを読めばよい)、知ろうともしないで無闇にアメリカの肩をもつ人が多すぎる。

先日、中国の有名な美人テニス・プレイヤーが、共産党の幹部に口説かれたことを暴露したことがあった。
彼女はその後いちじ消息不明になったけど、これだって人権無視といえるような問題かと疑問に思う。
これが国際的問題になって、おそらく口説いた幹部は同僚たちからたしなめられているだろうし、奥さんから離縁状でも叩きつけられているかもしれないし、口説かれた方はそのうちまた平然と国際試合に出てくるだろう。
彼女が問答無用で粛清されたとでもいうならともかく、なんかどこにでもある芸能人のスキャンダルみたいなものじゃないか。

ウイグル自治区についていえば、ちょっとまえまで米国は、イスラムのテロ組織の浸透を防いでいると、中国に感謝していたこともあるのである。
独裁政権に文句をいうなら、ミャンマーのように一刻を争う国もあるのに、米国のその時々でころころ変わる方針は、ますます世界を混迷に陥れるだけだ。
アメリカが中国のほうだけを向いているおかげで、ミャンマーの軍は安心して国民を弾圧できるし、身勝手な米国にイヤケがさして、これなら中国のほうがマシと、離反するニカラグアのような国もある。
正直いって、国民の対立が韓国なみになってきたいまのアメリカには、他国のことをゴタゴタいう資格も余裕もないだろう。

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2021年12月10日 (金)

肩こり

あー、肩がこる。首がこる。
べつに旅行の疲れが出たわけじゃないだろうけど、こういうのは気をつけないと。
わたしの知っていたおばさんは、冬のある朝、首がこるとぼやいて、そのまま頭の血管がプッツンしてお亡くなりになってしまった。
そういうことでつい心配になってネットで調べてみたら、冬になると寒さで筋肉が硬くなって、どうしても肩こりや首こりが出る人が多いという。
なんだ、そうか、あはは。
とあいかわらずノーテンキなわたしだけど、先月に受診した無料の健康診断の結果、ちょうど沖縄の旅行とぶつかってほっぽり出してあったのをもらってきた。
封筒に入っているものをあいよ!とくれるのかと思っていたら、けっきょく待合室で1時間以上待たされた。
そんなら最初からそういってくれればタブレットを持参したものを。
タブレットさえあれば、どんなところでもゼッタイに退屈しないのだ、わたしゃ。

結果?
教えません、というか、よくわからないんだよね。
いくつか指摘事項があるにはあったけど、もらった結果にはAとかDとかHなんて記号ばかりで、先生の説明も、せいぜい血圧が高いですねとか、太りぎみですねってことぐらい。
血圧なんざもう30年もまえから高いことはわかってる。
わかっているけど、なにも手当てしないで30年間、食いたいものを食って、好きなときに旅行して、ヤケッパチで生きているんだからおおきなお世話。
太りぎみだって、まわりを見ればわたしより腹の出た知り合いばかりだ。
やつらが無事に生きているのに、スマートなわたしが何をどうしろっていうのさ。

いま忙しいのだ。
ブログにこんなつまらないことしか書いているヒマがないのだ。
それでもそこいらのしなびたおじいさんよりは、激しく生きがいを感じてるところである。

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2021年12月 8日 (水)

無理難題

またアメリカの無理難題。
オリンピックをボイコットするのは勝手だけど、まわりの国をまきこむのはやめてくれる?
選手の派遣までボイコットすると2028年のロサンゼルスで仕返しをされるので、政府関係者の派遣をやめるだけらしい(五輪は政府関係者がやるもんなのか)。
自分とこだけでやる勇気がないものだから、なんとか同盟国の日本を引き込みたいんだろうけど、日本はこのあいだの五輪のさい、ボイコットしろと騒ぐ韓国をまったく相手にしなかった中国には借りがある。
次回の五輪をひかえた中国としては、いろいろ日本のやり方を参考にしようというおもわくがあったにせよ、日本はそういう恩義を終わればすぐに忘れるほどあこぎな国ではないし、中国ともまあまあうまくやっているところだし。
アメリカと中国の対立を見ていると、お互いナアナアでやってるように感じて仕方ないんだよね。

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2021年12月 6日 (月)

ネコの手

1072

究極の自由旅行というか、無駄遣い旅行というか、それからほうほうの体で帰ってきて、いま写真や映像の処理に追われている。
撮った写真は1750枚にのぼり、撮影した映像だって1時間以上ありそう。
これだけでYouTubeの5回分や6回分は作れる分量だ。
もちろん全部わたしが撮ったわけじゃないけど、知り合いの撮った写真・映像もすべてわたしのところに集め、わたしが一括管理し、それで今回の旅のショートビデオでも作ろうというのだ。

そればっかりじゃない。
たびに出るまえにブログに連載していたポール・セローのアフリカ紀行も、南アフリカを目前にして足踏み状態なので、あれも仕上げてしまわなければならない。
団地のまわりの草むしりもしなくちゃならないし、買い物も食事の支度もせにゃならん。
ほんとうにネコの手も借りたいくらいなのだ。
とうぶん、まじめにブログに関わっちゃいられませんので、沖縄のサンゴの写真でお茶をにごしておきませう。

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2021年12月 5日 (日)

沖縄便016

1071

いやあ、帰ってきましたよ、昨日、沖縄の旅から。
ぐっすり寝て、これからは写真や映像の処理で、またしばらく忙しい日が続きそう。
お金はかったけど、わたしみたいなじいさんにとって、めずらしく生きがいを感じちゃうよな。
山登り用のザックをかついで、ひさしぶりの登山気分も味わったし、やっぱり旅行ってのはいろいろ若返り効果もあるもんだねえ。

最後は鹿児島までフェリーで、若いころ何度かながめた桜島をながめてきた。
なんかジャワ島で火山の噴火があったらしいけど、桜島じゃ白い煙がほんのり流れているだけだった。
わたしの記憶にある自衛隊時代(半世紀まえ)にながめた桜島は、ごろんごろんと焼けた岩を転がしていたもんだ。

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2021年12月 3日 (金)

沖縄便015

今日は船の中だ。
那覇〜鹿児島航路のフェリーにはWI-FIがあるらしいけど、うまくつなかるかどうかわからないので、出発まえの待合室で更新してしまう。
わたしの沖縄旅行もいよいよ最終章だ。
残念なことに天気のわるい日ばかりで、およそ沖縄らしくない冷え冷えとした旅になったけど、文句はいわないのだ。
最初の3日間、シュノーケリングを予定していた日はピーカンだったではないか。
これだけ寒い日ばかりが続いているのに、たまたまその日だけが好天だったなんて。
しかも3カ月もまえから計画していたのに、旅に合わせるようにコロナもぴたりと収束した。
これじゃ幸運の女神も、わたしのツキを使い果たしたに違いない。
旅の終わりまで、もっともっと彼女に微笑んでくれというのはわがままじゃないか。

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2021年12月 2日 (木)

沖縄便014

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沖縄本島の本部町までやってきた。
有名な美ら海水族館に行くつもりで、そのまえに弁当でも仕入れようとコンビニに寄ったら、店員の娘が今日は水族館休みですよだって。
なんだなんだなんだ!水族館にも休みなんてあんのか!
どうやらオミクロン株のせいらしいけど、わたしのこの旅の最初の3日間は、ピンポイントの幸運といってよかったのに、それは完全に地に落ちたようだ。
いまのわたしが披露できるのは、瀬底島の海岸に流れ着いた軽石くらい。

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2021年12月 1日 (水)

沖縄便013

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もう八重山、沖縄に来てから何日になるのだろう。
昨夜は沖縄本島の那覇にある牧志市場を見物してきた。
ここの海産物を見るのは美ら海水族館を見るのと同じくらいおもしろい。
でっかいヤシガニが売られていて、階上のレストランで料理してもらえるんだけど、1万円以上の値がついていた。
いいのか、絶滅危惧種の保護動物じゃなかったっけ?
わたしは民族に固有の食生活まで口出しをしようとは思わない。
そのかわりヤシガニは便所バエのようにゴミ溜めを漁ったり、土左衛門や土葬された人間の遺体でもなんでも食べるといっておこう。
え、それでもアンタ、食べたいか?

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