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2021年12月27日 (月)

アフリカ/ヨハネスブルグ

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南アフリカ共和国の首都というとどこだ?
ヨハネスブルグと答える人が多いかもしれないけど、それでは1/3しか正解ではない。
現在の南アフリカは首都機能を三つの都市に分散させていて、その中でも各国の大使館が置いてあるところから、いちおう「プレトリア」という街が首都の代表ってことになっているらしい(わたしもこのブログを書くまで知らなかった)。
セローは他のふたつの街には目もくれず、まっすぐヨハネスブルグに向かっているから、やはりこの街が歴史的な、あるいは文学的、象徴的な首都であるようだ。

ポール・セローは夜中にヨハネスブルグにやってきた。
この街のおそるべき評判を聞いていたセローは、とりあえず明るくなるまで駅ビルでじっとしていることにした。
ここは犯罪多発都市で、新聞を見ると「殺された」、それも「殺されて睾丸を奪われた」なんて事件がてんこ盛りだ。
これまでかなり豪胆な旅を続けてきたセローも、さずがにビビっちゃったらしい。

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わたしの旅はバーチャル旅行で、そういう災難にまきこまれる恐れはまずないのだから、安心してこの街を見ていこう。
ヨハネスブルグを検索すると、日本のレインボウ・ブリッジのような、派手に電飾された橋の写真によく出くわす(冒頭の写真)けど、これはネルソン・マンデラ橋といって、昼間見ると下は川や湖ではなくただの線路(2番目の写真)だから、とくべつに感心するようなものではない。
それ以外は、さすがに南アフリカ随一の都会で、高層ビルが乱立するところは東京やニューヨークに匹敵するのではないか(と一見さんには見える)。

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ヒトのわるいわたしは、郊外を見てまわって欠点を探すことにした。
とくに興味があったのが、中南米や東南アジアに多いスラム化した区域だったけど、ヨハネスブルグはグローバル化された先進国の都市なので、ストリートビューも街を網の目のように網羅していて、そういう場所を探すほうがくたびれてしまう。
それでスラムはこのあとケープタウンに行ったときまた探すことにして、ここではセローのわたくし事にもどろう。

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アフリカを第二の故郷のようにしているセローとしては、ちょっと意外だけど、彼はこの街に初めて来たという。
ここには彼の旧知の作家で、アフリカ大陸出身の女性作家としては、初めてノーベル賞を受賞したナディン・ゴーディマがいた。
著名な作家の名前が出てくると、実証主義派のわたしとしては、いちおうその作品に目を通さないわけにはいかない。
参考のために読むだけだから枕の代わりになるような大書物でも困るんで、わたしが図書館で借りてきたのは彼女の短編集。

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これを読んでみたものの、べつにおもしろいとも思わなかった。
南アフリカやアパルトヘイトに関心があるならともかく、現在ではこの制度が撤廃されてから25年も経っているのだ。
アフリカにかぎってみても、ルアンダのジュノサイドや、チュニジアのジャスミン革命に端を発したアラブの春のような、新しい事件がつぎつぎと発生しているので、アパルトヘイトは考古学者が扱う化石標本のようなものになってしまった(とわたしは思っている)。
時代はどんどん変化しており、現在はネットを使った国家や個人への新しい差別さえ生じているので、通りすがりのわたしがいまさらアパルトヘイトに関わっているわけにはいかないのである。

ただ気になるのは、セローも書いているけど、白人に支配されていたころのほうが住みやすかったというアフリカ人がけっこういたことだ。
アパルトヘイトから解放されて、自由を手にしたはずなのに、これはいったいどういうことだろう。
これはつきつめればアフリカ人の本質にかかわることかもしれないし、あらためてアパルトヘイトについて考察するよすがになるかもしれない。
しかしわたしのブログはそこまで社会的なものではないのだ。
ずるいようだけど、わたしはアフリカを旅したい(バーチャルでも)というだけで、南アフリカの運命に口をはさむつもりはないのである。

セローはゴーディマの家を訪問した。
彼女の部屋にはナポレオンの肖像画が飾ってあって、ロートレックの描いたものだという。
ロートレックにそんな作品があったかいと、これも初耳だったので調べてみた。

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これがそうだ。
踊り子ばかり描いていたわけじゃなかったのだ。

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ナディン・ゴーディマは南アフリカ生まれの白人で、写真でご覧のとおり、若いころはなかなかの美人だった。
そして大麻をやったり、中学生で処女を失ったりと、ずいぶん飛んでいる女性だったようだけど、南アフリカではこれがふつうなのかもしれない。
彼女はその生涯にわたって、しいたげられたアフリカ人たちに同情し、非人道的なアパルトヘイトに抗議し続けた。
ノーベル賞は時代の動きに敏感なところがあるから、こうした姿勢が評価され、受賞につながった、というのは正しいだろう。
そんなアフリカ人びいきの彼女は結婚を二度している。
ひょっとすると旦那のひとりくらいはアフリカ人だったのかなと思ったけど、アパルトヘイトの下には雑婚禁止法なんて法律もあって、白人のゴーディマが黒人と結婚することはできなかったようだ。
二度目の旦那はこのときまだ健在で、セローがこの旅を終える直前に亡くなった(彼女自身も2014年に亡くなっている)。

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ゴーディマの家でセローは詩人だというアフリカ人や、新聞社の文芸局編集長に紹介された。
この詩人もアパルトヘイトが盛んなころは、そうした制度に反抗して、ケープタウンの沖にあるロベン島という刑務所に放り込まれた活動家で、南アフリカの大統領になるネルソン・マンデラとも、同じ屋根の下でクサい飯を食わされた同期の囚人だったそうである。
ロベン島はいまでは、かっての囚人が案内役を勤めている観光名所になっているらしいから、どれどれと調べてみた。
いまわしい思い出を秘めた場所が、そのいまわしさを記念する観光地になっていることは、ドイツのアウシュビッツやカンボジアのトゥールスレン虐殺博物館のように、よくある。

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作家や詩人との懇談の最中、セローのマラウイ教師時代の同僚だったV・S・ナイポールの話題が出た。
彼についてはセローのアフリカ紀行のあちこちで名前が出てくるんだけど、あまり好意的に書かれてなかったので、わたしはここまで無視してきたのである。
じつはナイポールもその後作家をこころざし、ということはセローと同じような道をたどったわけで、しかもまもなくノーベル文学賞をもらうのである。
実証主義派のわたしとしては、ここでとうぜんナイポールの本も読んでみるべきだけど、あ、もう勘弁して。
セローは平静をよそおっているものの、彼もじつはノーベル賞に色気があったようで、少しばかりうらやましそうなことを書いていた。
わたしのほうは、セローも人間だったなと変なところに感心したりして。

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その晩はサッカーの試合があると聞いて、いちどはそれを観に行こうと思ったセローだけど、けっきょく知り合ったばかりの詩人の朗読会のほうに行くことにした。
個人的なことになるけど、わたしはあまりスポーツに関心のあるほうではないから、わたしもサッカーなら観に行かなかったと思う。
南アフリカに行くなら、日本で開催されたからラグビーの2019年ワールドカップを観て、南アフリカ・チームの短躯・金髪のデクラーク選手の活躍に感心したわたしは、むしろラグビーに行きたいと思う。
セローは詩人の朗読会のほうに行って正解だった。
この晩のサッカーは大荒れに荒れて、スタンド出口で観衆が将棋倒しになり、大勢の死者が出たそうである。

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