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2022年1月

2022年1月31日 (月)

ネギ

ネギが安いらしい。
安いと困る人もいる。
あるサイトをのぞいたら、農家のおばさんが、お願い、ネギを食べてーっと叫んでいた。
スーパーで3本98円で売られていて、これでは農家はたまらないんだとか。
義を見てせざるは勇なきなり。
今夜は焼きネギでイッパイやるのだ。

あいかわらず中身のないブログ記事だけど、沖縄の勉強にてこずってんですよ。

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2022年1月30日 (日)

ボケ防止

今日は何曜日?
日曜日。
今日のお風呂は追い焚き何回目?
2回目。
今日延長してきた本の返却日はいつ?
来月の9日。
うん、大丈夫、まだボケてない。

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2022年1月29日 (土)

いまの事情

いま事情があって沖縄の勉強をしてるんだけど、そういうわたしの気持ちを先取りするように、ここんところBSで沖縄関連の番組が目立つねえ。
いちおうかたっぱしから録画してるんだけど、民放の番組を除外しても、先週は「ブラタモリ」で石垣島、今日はその続編で竹富島、ほかにもグレイトネイチャー・シリーズで「沖縄・幻の巨大島」、「美の壺」というシリーズで奄美大島をやっていた。
さらに「沖縄・迷子の50年」というドキュメンタリーもあって、これは沖縄県民の考えを知るのにすごく参考になった。

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いったい参考にしてなにをしようってのかと聞く人がいるかも知れぬ。
つまり、つぎのブログ連載のネタにするつもりなんだけど、そのために本も読まなきゃならない。
いま読んでいるのは笹森儀助の「南嶋探検」という本だけど、これが明治時代の古風な文体の本で、ひらがなの部分はみんなカタカナだ。
えらいものに鼻をつっこんだなという気持ちだけど、それでも読まなけりゃ先に進めない。
いくら本を読んでもけっきょく結論をまとめられず、アイディアがアイディアだけで終わってしまう可能性もあるので、これ以上はベラベラ喋りません。

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2022年1月28日 (金)

ココログ列伝06

ひさしぶりにココログ列伝だ。
毎日せっせとブログの更新をしている川村裕子さんという女の人がいる(本人の名前を出すのは憚れるけど、本人がどうどうと自分の名前でブログをしているからいいんじゃないか)。
この人のブログは「川村裕子の王朝と猫」といって、書いていることは他愛ない、分量もせいぜい数行の、その日の日記の断片みたいなものだ。
それを一日に何度も更新しているから、わたしみたいに文章を書くのが生きがいの人なんだろう。
けっして列伝で紹介したくなるほど読み応えのあるブログじゃないんだけど、そのほんわりした文章になんとなく惹かれてしまう。
写真を見たら(これが最近のものなら)ぽっちゃりしたきれいなおばさんで、かりにこの人が独身なら、さぞかし男やもめから再婚の売り込みが多いんだろうなあと思わせる。

そういう勝手な想像は別にして、プロフィールを読んでみると、経歴は大学の教授、名誉教授、客員教授の肩書きをずらりと並べ、専門は古典らしく「平安男子の元気な生活」だとか、「平安女子の楽しい生活」などという本を何冊も出版している才女らしい。
もっとも本はあまり売れないみたいで、裕福な人でもないみたいだ。
アクセス数をみると(最近これがわたしのクセなのだ)、わたしといい勝負。
けっして再婚の申し込みはしないけど、こういう人と縁側で日向ぼっこをしながら、渋茶でもすすりつつ、文学談義でもしてみたいもんだねえ。

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2022年1月27日 (木)

男と女

ネットを閲覧していたら、日本は自転車天国という記事を見つけ、もとネタをたどってみたらサイモンとマルチナの YouTubeコンビが出てきた。
2人がにこやかに日本の事情を説明しているのを見て、これってそうとう古い映像だろうと思う。
たいていの人が知ってるはずだけど、彼らが別れてからもうだいぶ経つ。
かっては人気ユーチューバーとして飛ぶ鳥落とす勢いだった2人だったのに、どうも女のほうから三行半を叩きつけたようで、別れたあと、女の方は元気いっぱい。
男はがっくり頬がこけちゃって、やつれた表情で、未練たらしいことをつぶやいている映像が YouTubeに乗っていた。
この世には男と女しかいないのだから、互いに相手がいなけりゃやってられないってのはわかるけど、それにしてもだらしない男だ。
ひとりじゃ飯も作れないのか。
マザコンなのか。
いやいや、これはわたしのほうが悪い。
ひとりで炊事洗濯買い物までなんでもやって、気楽でいいなんてほざいているのはわたしぐらいだろう。

そういえばネットに「サラリーマン川柳」の優秀作が決まったという記事もあったな。
今年はコロナ・ワクチンやテレワークや、流行語の「うっせえわ」がお題だったらしく、思わずニヤリとする傑作がたくさん並んでいた。
ヒマだからわたしもやってみた。
  ワクチンを ウイルスどうやら 克服し
  定年で あとは死ぬまで テレワーク
  うっせえわ 部屋にこもって なにわるい

女房がやることを全部こなし、日がな1日パソコンに向かう根性がなければ独身なんて勤まらんよ。

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2022年1月26日 (水)

政治と対立

ちと気になるのは、アメリカと中国の対立だと絶対的にアメリカが正義、アメリカとロシアが対立すると、絶対にロシアが悪という人が多いことだ。
政治というのはそんなに単純なものだろうか。
わたしは現在の中国が、毛沢東の時代のように反体制派を問答無用で粛清する国ではないことを知っているし、香港や台湾の民衆をいっぺんに敵にまわすことはないだろうと信じている。
ウクライナにはすこしまえにすっごい美人の首相がいたけど、じつは彼女は顔に似合わず汚職で腐敗した政治家で、ロシアとEUを天秤にかけるような政治をしていた。
そんなだらしないウクライナの指導者に比べれば、数々の難問をくぐり抜け、国民に以前よりずっとめぐまれた生活を保証しているプーチンのほうが、はるかにすばらしい政治家だと思う。

こんなことを書いたからといって、中国やロシアの味方をするわけじゃないけど、ネットで付和雷同して喜んでいる諸君は、そういう点も考えてほしいものだ。
現在の米国との対立だって、中国やロシアが一方的に悪だと決めつけられるだろうか。
まあ、どちらの国も大人だから、早くバイデンさんの権力が安定して、まわりにケンカを吹っかけないですむようになることを願っているんだろうけどね。

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2022年1月25日 (火)

憂国サン

ネット上には政府を責める意見、左翼をけなす発言など、自称憂国の士サンの意見が入り乱れていて、なにがなんだかわからない。
最近わかってきたことがある。
みんな言いたいことをぶちまけて気持ちいいなあと思っているだけで、発言の責任などまったく認めていないこと。
つい先日、とあるサイト(ココログのもの)に、日本の岸田総理のことを、ダメ総理だ、指導力に乏しい、中国に弱腰すぎる、米国ともっと強固な関係を結ぶべきだ、安倍総理の功績をひっくり返そうとしている、なんて憂国サンの意見が載っていたけど、その後の報道によると、岸田クンはバイデンさんとテレビ会談をしたそうだ。
そこでは両首脳はおたがいに、ジョー、フミオと親しく呼びあい、時間をオーバーして語り合ったという。
弱腰どころか、米国は日本に頼りっぱなしではないか(トランプさんのころから)。
韓国のほうではこのせいで、米国に相手にされないことに危機感や焦燥感が広がっているとか。
この憂国サンはいったいどこでなにを見ていたのだろう。

わたしは見た目が頼りないと書いたことはあるけど、岸田クンは自民党政治のまぎれもない後継者であり、それをひっくり返せるはずがないと確信していた。
歴史の流れを冷静にながめれば、日本が戦争のできる国になりつつあることは明白で、共産党が政権を取りでもしないかぎり、この流れを止めたり逆流させることはできっこない。
岸田総理もそんなことはよく承知していて、韓国には容赦がないままだし、アメリカのいいなりになるような顔をして、かげでは中国とも仲良くするという、自民党の伝統政治を忠実に引き継いでいるわけだ。
つまり憂国サンの意見は、外野から権力者を揶揄して満足というだけで、まるっきり的ハズレなんだけど、彼がその誤りを訂正したということを聞いたことがない。
あとはまたべつのいちゃもんをでっち上げ、それまでの自分の発言は忘れてほしいというのが、たいていの憂国サンのやり方だ。
ネットにあふれているしろうとの政治的発言は、右も左もたいていこんなものである。

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2022年1月24日 (月)

底流

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あああ、タノシイ事がないねえ。
特別にやることもなしに日々がむなしく過ぎていくよ。
ヒマつぶしに水中カメラで、水草の繁茂する川の底をのぞいてみたけど、川の中って上から見るほどきれいじゃないなあ。
こんなノーテンキなことばかり書いているから、世間の人はわたしのことをお気楽で平和な人と思っているかもしれない。
しかし人生の機微にくわしい人なら、こういうのは苦悶の裏返しだということを知っているだろう。
起き抜けにベッドのなかでいろんなことを考えるんだけど、思い出すのは思い出したくないことばかりだ。

たとえば今日思い出したのは、中、高校時代に同級生だったひとりの男のこと。
わたしと頭の出来はそう変わらなかったのに、まだ自家用車が珍しかったころ、家には車があり、本人も18歳になるとすぐに免許を取得していたから、恵まれた家庭の子だったのだろう。
高校を卒業して東京にある、そこそこ名門の大学に進学したことは知っていたものの、それっきり音信不通になったので、彼のその後についてはなにも知らない。
まわりを困惑させるほど変人ではなかったし、おそらくふつうに出世して、ふつうに家庭を持って、まあまあ幸せな生活をまっとうしたんじゃないか。
本人が幸せというのはそういうものだと信じているなら、彼ほど幸せな人間はいなかったといえる。

わたしの場合、むかしから性格がひねくれていたから、当然の帰結として、そんな幸せには縁も興味もなかった。
人生が不公平なのは、ひねくれたのが先か、幸せに生まれなかったのが先かと、若いころは哲学的に悩んだこともあり、それが神も仏もないという結論を導き出して、いまみたいな不神論者になってしまったのだろうと思う。
わたしだってノーテンキにスポーツに打ち込み、呑気にカラオケで歌をうたっていたかったけれど、生まれたときからそんな資質はまったくなかったのだ。

わが草木とならむ日に、と謳ったのは郷里の詩人・萩原朔太郎だけど、郷里が同じだと性格や考え方まで遺伝するってことがあるのかしら。
この詩の末尾は過失を父も許せかしという悲痛なもので、わたしにもその気持ちはよくわかる。
ただ、かろうじて救われたのは、わたしには世間への反発や不平不満を、皮肉と諧謔でまぎらわすという手段があったこと。
それが飽きもしないでブログを更新し続ける原動力になっているのだ。
わたしをノーテンキと思うのはみなさんの勝手だけど、その心境の底にはこんなアンダーカレントも流れているのだと、たまには思ってくれる?

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2022年1月23日 (日)

ストリートシェフ

あいかわらずNHKは食欲を誘う番組を作るのがうまいねえ。
今度見つけたのは「ストリートシェフ」って番組。
これは最近日本でも流行っている車を使った移動食堂や、屋台で営業しているお手軽な街の食堂を紹介するもので、以前やっていた「世界・入りにくい居酒屋」と同じ範疇に入るもの。
ポーランドのクラクフや四川省の成都なんかを取り上げたこともあったけど、いちばん最近やったのはスペインのバルセロナが舞台。
旅行に行ってもコンビニの弁当で満足してしまうわたしのこと、あまり美食には興味がないんだけど、番組を観ていたら海鮮やトマトを使ったこってり料理がじつにおいしそう。
考えたら今日はまだろくな食事をしてなかったよ(わたしは徹夜することが多いので、夜中に晩飯を食うのだ)。
決めた、明日はひさしぶりにホタテ飯をつくろう。

ホタテ飯の写真は明日以降に載せます。

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2022年1月22日 (土)

茫然自失

ああっ、先月の電気料金の明細が届いたよ。
ここんところ気がゆるんで、ブレーカーが落ちるまで電気器具を使いっぱなしだったから、おかげで先月は電気代もハンパじゃないね。
すこし反省して締めなくちゃいかんな。
なあに、使い過ぎの自覚はあるんだから、今月は先月の半分に下げる自信はある。
それにしても早く春になってくれんものか。

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どうもここ数日は思考がフラットになっちゃってる感じ。
ポール・セローのアフリカ紀行が終わったら、ほかにすぐにやりたいこともないので、茫然自失というところか。
老人にふさわしい静かな晩年を過ごそうと、ひたすらひきこもり。
花なんか咲いてない季節だから草むしりをしようって気にもなれないし、冷蔵庫にあった肉マンを食ったら腹もへらないから、飯を作ろうって気にもなれない。
水中カメラで近所の川底を撮影してみたけど、おもしろくもなんともないね。

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2022年1月21日 (金)

アフリカ/総括

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ポール・セローの「ダーク・スター・サファリ」をなぞるブログの連載が終わったけど、これの総括をしないことには、尻尾の切れたトンボみたいでしめしがつかない。
アクセス数を数えてみるまでもなく、わたしの連載を完読した人は多くないみたいだから、無理にこだわる必要もないんだけど、最後に書いておきたいこともあるので、とりあえずきちんと総括しとこう。

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書いているわたしにとってもいろいろ発見のあった旅だった。
まず思ったのが、アフリカはのんびりながら着実に進歩しているなということ。
しかし作者のセローはそうは思ってなかったようだ。
若いころアフリカで教師をしたことのある彼は、あっちこっちでむかしのほうがよかった、発展はアフリカ人にとってろくでもないことばかりだったと書いている。
外国が支援するからいけないのだとも書く。
支援をするから彼らには、それをあてにする甘えの構造が生じるのだと。
セローという作家はもともとペシミストで(本人がそういっている)、人間であふれる都会に嫌悪感を、荒廃した自然環境に絶望しか示さない人だから、よけいそう思ったのだろう。

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セローのこの旅は2001年のことで、わたしはそれより20年もあとに現地を見ているわけだから、セローには見えなかったことまで見えたことになる。
わたしの見たところでは、アフリカ各国の首都のほとんどが、高層ビルの建ちならぶ大都会になっていて、外国からの援助もムダにばかりなったわけではなさそうだ。
もちろんつぎこんだ金のほとんどが政治家のふところに消えたということは、かって援助大国だった日本人ならよく知っているハズ。
しかし世界的にみても、まじめな政治家はけっして多くないし、あるていどの損切りはやむを得ないんじゃないか。
時間はかかっても、人々が過去よりも現在のほうが豊かになっているなら、他人が文句をいっても仕方がない。
豊かさの解釈はむずかしい。
しかし電気も水道もない生活より、だれだってそういうものがひねるだけで出る生活のほうがいいに決まっているので、原始的で素朴な生活のほうがよかったというのは先進国のおごりなのだ。

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どうもセローはせっかちすぎたようである。
さんざんセローがこきおろした海外の支援団体の努力は、ようやく実を結んできたようにわたしには見える。
人間も野生動物もグローバル化を受け入れざるを得ないものなら、アフリカ人は先進国の下請けとして、動物たちは観光資源になることで、その責務を果たしているように思う。
“下請け”というのはひどい言い方かもしれないけど、どんな途上国でもいちどは通過しなければならない関門だと思えばいい。
アフリカを舞台にしたスポーツ・ハンティングなんてものは、とっくに廃れたようであるし、これもセローの悲嘆は過去のものになった。
動物たちだって自分の糧は自分で稼がなければいけない時代なのだから、先進国から大勢が見物に来て、お金をどんどん落としてくれるのは大歓迎だろう。

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つい最近米国では、走行中の列車が強盗団に襲われるという、ジェシー・ジェイムズ時代のような事件が起こった。
アメリカが零落していくさまを、わたしたちはいまリアルタイムで目撃しているところだ。
セローに負けずおとらずのペシミストであるわたしの目には、相対的ではあるけど、アフリカのほうが現在のアメリカよりよほど未来があるように思える。
アフリカ人はたくましい。
アフリカで生まれた人類は、「2001年宇宙の旅」のヒトザルのごとく(お互いの脳天をぶちのめしつつ)、着実に進化を続けており、老衰死が遠くないわたしは彼らのことをまったく心配していないのである。

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周囲に対する見方はセローとくいちがっても、真似できないのは彼の作家としての才能だ。
彼の文章には随所で感服させられた。
わたしならヒマでどうしようもない国でも、彼はまるで惰性で書いているように、すらすらと美文を連ねてしまう。
わたしも負けずにセローなみの紀行記を書いてやろうと、沖縄でネタを仕込んできたけど、それを右から左に忘れる弱点をかかえたわたしは、とてもじゃないけど彼の足元にも寄れない。
紀行記は小説よりラクだと考えている人に、セローからのアドバイス。
「あなたは一人になってリスクを取る必要があります」
「あなたは孤独でなければならない」
「孤独で居心地がわるくても、そういうときにこそ事件は起こります」
「まわりに流されていては何も起こりません」
わたしにも共感できる部分はあるけど、いかんせんドキュメンタリーを実践するには年を食いすぎた(若いころ大陸中国をさまよったことはあるんだけどね)。
読書家としては、退屈な冬の夜の時間をおおいに短縮してくれる、こんな楽しい本に出合えたことに感謝しよう。

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インターネットを駆使したバーチャル旅行という試みについてはどうだろう。
人間がますます怠け者になるだけじゃないかと文句をいわれそうだけど、オリンピックだってゲームが競技に取り入れられる時代だ。
こればっかりはもうすこし長生きをして、バーチャルの未来を見てみたい。
ずるいかねえ、わたしって。

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2022年1月20日 (木)

しがない生活

ポール・ニューマンの映画に「動く標的」という傑作ハードボイルドがあって、その冒頭に、起きたばかりのニューマン扮するしがない私立探偵が、コーヒーを飲もうとしたらそれが切れていたことに気がつくシーンがある。
うーんと考えた彼は、あ、そうそうと、前夜に使ったコーヒーのペーパーフィルターをゴミ箱から拾い上げ、それでもういちどコーヒーをいれるのだ。
なんでそんなことを書いたかというと、そう、今朝のわたしも同じようなことをしたからなのだ。

わたしはコーヒーが好きではない。
それでも慣習というか、お決まりのルーチンというか、あるいは癖、なりゆき、アホらしい流行というかに乗って、起き抜けにインスタントのコーヒーを飲む。
見たら昨夜飲んだコーヒーが、マグカップのなかに半分以上残っていた。
もったいない。
わたしはいま流行りのSDGsの信奉者で、持続可能な繁栄をめざすべきという信念の持ち主でもあるのだ。
マグカップを電子レンジでチンすればまだ飲める。
というわけで朝からまずいコーヒーを飲んでいるのだ。

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2022年1月19日 (水)

忙しい

わたしはブログで政治的な発言もするし、脂ぎったなまぐさ坊主みたいな記事を書くこともある。
昨日は硬い政治の話を書いて世間のカタブツを身構えさせ、今日はイヤらしい話題で世の女子高生たちを震撼とさせる(なんでそこに女子高生が出てくるんかね)。

こういうふうに終始一貫してないから、いつになってもアクセスが向上しないのかもしれない。
はばかりさまだ。
わたしはまじめな文章ばかり書きたいわけじゃないのだ。
おもしろくなければ、そんなものを読む人はいないだろうし、読んでもらえなければせっせと書いても意味がない。
もちろん難しいことを書くだけの脳みそがないということもあるけど、しょっちゅう無責任でふざけた文章をはさむのは、わたしがユーモアを愛する人間で、他人をあげつらう風習につかったこのヤバイ社会に、一滴のうるおいをもたらそうと考えているわけなんよ。

ふざけた記事がある理由はもうひとつあって、なにかほかの仕事に追われているとき。
たとえば今日はまたビデオの編集にかかりっきりだった。
つくづく自分の要領のわるさにうんざりだけど、手作りビデオでいろいろ効果を試しながら作っているので、行ったり来たりばっかり、すっごく時間がかかるのだ。
他の仕事があるときはどうしてもふざけた、お手軽な話題ですませることになっちゃうのよね。

ふざけたことを書くくらいなら、たまには休んだらどうだという人がいるかもしれない。
しかしあちこちで触れているように、わたしのブログはわたしの安否情報も兼ねているので、更新を無断で3日も休めば、それっとばかりに友人たちが祝杯をあげることはわかりきっている。
やつらを喜ばせないためにも、おいそれと休むわけにはいかんのだ。

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2022年1月18日 (火)

泡盛

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去年の暮れに沖縄のあたりをうろうろしていたけど、そのとき買った泡盛が、ひじょうに複雑な経路を通っていまごろ部屋に届いた。
複雑な経路というのはこういうことである。

わたしはこれを沖縄から宅配で、いつも世話になってる隣りの部屋のおじさんに送ったんだけど、おじさんはひとりで呑んでもつまらないというので、ずっとそのまま部屋に置いていたらしい。
しかしわたしはこっちから呑みましょうはいうほど付き合いのいい男ではないから、そのままえんえんと1カ月半も部屋に置きっぱなし。
ついに意を決したおじさんは、昨夜また缶ビールとおつみを持って、わたしの部屋にやってきた。

わはは、大作サン(池田)は元気ですかとおおいに盛り上がって、ご機嫌になって、部屋に帰るときおじさんは泡盛を忘れていった。
忘れてますよといったけど、おじさんには強すぎるのか、あなたが呑んでくださいといって、とうとう置いたまま帰った。
こういうときジョーシキのある人なら、いったん土産としてあげたものを返してらおうとは思わないらしい。
しかしわたしは夏目漱石といっしょで、要らないというなら返してもらって平然としている男である。
あ、このエピソードは「吾輩は猫である」のなかにある。

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なにしろ度数が60度もある酒だ。
今夜は部屋で火がつくか実験してみた。

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2022年1月17日 (月)

また聖教新聞

さっきまで隣りの部屋のおじさんが部屋に飲みに来ていた。
すると、なにがどうなったのか、わたしは来月また聖教新聞をとることになってしまった。
知らんぞ。
金は払いませんからね、月末になったら「もう要りません」の張り紙をしますからねと念を押しておいた。
なんとか読ませればわたしを折伏できると信じているようだけど、あいにくわたしは一度だけ目を通したことがある。
そのうえでますます嫌悪感をもよおしただけだということを知らんのか。
ま、隣りのおじさんのポイントになるなら我慢しよう。
いつも缶ビールとおつまみを持ってきてもらって、わたしも申し訳ないと思ってんのだ。

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2022年1月16日 (日)

アメリカの落日

アメリカの落日は思っていたより早いかも。
カザフスタンの独裁者がデモ隊を武力で鎮圧するといきまいているのに何もできない。
カザフだけじゃない、ミャンマーも北朝鮮もここんところやりたい放題だ。
いずこの独裁者も、バイデンは中国にケンカをふっかけるのに忙しいから、どうせ何もできないと足もとを見ているのだ。
売られたケンカだし、むしろこういうときは味方を増やすいい機会だって、中国は高みの見物だ。
ロシアだってオレんちは関係ないもんね、世界の警察なんでしょ、勝手におやりなせえと傍観のかまえ。

みんなバイデンさんが自ら撒いた種だ。
もっともそれ以前にトランプさんという鬼っ子がいたのが彼の不運かもしれない。
国民の分裂をふせぐには、むりやり敵を作ってケンカをふっかけるしか方法がなかったのだ。
べつにケンカをしたいわけじゃないのに、時代は彼の望まない方向へどんどん流れていく。
こんなていたらくなのに、いまでもアメリカ頼りという人がいるのにおどろく。

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2022年1月15日 (土)

アフリカ/エイミー

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ケープタウンに到着するとだれでも、街の背後にそびえるテーブルマウンテンの異様な光景に目を見張るだろう。
そ、ここは地の果て、アフリカの果て、日がな1日強風が吹き荒れて、景色がディストピアなのも当然な土地。
それでも街はこじんまりとして、海は輝いており、空気は新鮮で、いろんな顔が勢ぞろいしたケープタウンは、南アフリカでもっとも住みやすい場所だった。
と書いたすぐあとに、セローは犯罪の多さは、この旅で通過してきた場所でダントツだったとも書く。
ようするにうわべだけで判断はできないということである。

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セローは海辺のホテルに荷物を下ろしたあと、ぶらぶらと街に散策に出た。
カンパニーガーデンというものがあったので覗いてみた。
わたしも覗いてみた。
オランダ人が植物を植えたのが始まりだという植物園で、地図を見てみると小さな公園である。
いちいち彼のあとにくっついて歩くのは、わたしのほうはとりたてて目標がないからで、この項ではセローが見たものを重点的に見ていく。

タンザニアで乗った列車でセローの「わが秘めたる人生」を読んでいた娘と、その彼氏が先にケープタウンに滞在していたので会ってみた。
彼らの体験はドタバタでおもしろいけど、ここで触れるほど重要ではない。

ある日セローは、列車に乗ろうとしてそれに乗り遅れ、たまたま発車直前だったべつの町行きの列車に乗ろうとした。
やめたほうがいいです、そこはものすごく危険な場所ですと車掌はいう。
それでも翌日、セローが危険といわれるスラムに乗り込んだのは、止められるとよけい行きたくなる性分なのか、たんなるジャーナリスト精神だったのかわからない。

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わたしのテレビ番組録画コレクションのなかに「ケープタウン・銃弾のスラム」というものがある。
暴力や犯罪の多発する南アフリカのケープタウンで、ギャングの卵である若者たちのあいだに飛び込んで、なんとか彼らを更生させようと奮闘する白人牧師をとらえたドキュメンタリーだ。
あるスラムでは映画「ウエストサイド物語」のように、若者たちのふたつの勢力が対立して、しょっちゅうだれかが殺されていた。
牧師は命の危険をかえりみず、両者のあいだに割って入って、両者を和解させようと試みる。
ポール・セローの旅ではこれまでもあっちこっちで、アフリカ人を救済しようとする白人を見てきたけど、いったい彼らの情熱はどこからくるのかと、これは奴隷制度を持ったこともなく、歴史的にもアフリカに深く関わったことのない日本人にはわからないことかもしれない。

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ケープタウンのスラムはどのへんにあるのだろう。
テレビ番組のなかに、牧師さんの活動域としてGoogleの地図が出てくる。
それによると空港から海に向かう高速道路の左下で、セローの本でも同じあたりが危険なところだと書いてあった。
わたしのブログはなんでも見てやろう精神が充溢したものだから、ストリートビューやネットの画像で具体的にスラムを見てみよう。
ここに載せた衛星写真と高速道路のわきの写真は、あとでセローが見物することになるニューレストというスラムで、写真で見ると赤い屋根の並んだふつうの住宅街に見える。

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まだアパルトヘイトがかろうじて存在していた1993年、ひとりのアメリカ人女性がスラムに出かけていって、住人に惨殺されるという事件があった。
彼女の名前はエイミー・ビールで、日本人でその名を知っている人はあまりいないと思われる(わたしが知っていたと思われちゃ迷惑だ)。
どうして彼女はそんな危険なところへ乗り込んだのだろう。
じつは彼女は反アパルトヘイトの活動家で、つまりアフリカ人の味方のはずだから、という自負のようなものがあったようである。
しかもアフリカ人の友人たちも一緒にいたのに、だれも彼女が殺されるのを止められなかった。
この世界には白人を見ただけでいきりたつ人々がいて、とくに中東やアフリカにはアメリカ人はキライという人も多いのだから、見た目が金髪なんて人は注意をしたほうがいい。
日本でも知り合いを救おうと、イスラム国の巣窟に飛び込んで首を切断された後藤健二さんの前例がある。
崇高な精神が、無知蒙昧の徒のまえではまったく役に立たないこともあるのだ。

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この事件が人々の記憶に残ったのは、犯人の少年4人が検挙され、その後の裁判が特殊だったせいである。
裁判にエイミーの両親も出席して、ふたりとも犯人を許す、懺悔して罪をつぐなってほしいといったのである。
殺された娘は危険なスラムにわざわざ出かけていったくらいだから、両親も慈悲深いカトリック教徒だったのかもしれない。
おかげで犯人らは無罪放免ということになり、犯人のなかには両親がエイミーを記念して設立した財団から給料をもらっていた者もいたそうで、いろいろ物議をかもした。

怒り狂ったのがポール・セローだ。
ひとりの人間を惨殺しておいて無罪ってことはないだろうと、本のこの部分でセローのトサカに来具合はそうとうに過激である。
そんなやつらは厳罰が当然だと、セローは旅好きで、無神論者で、ペシミストであるところはわたしによく似ているけど、死刑廃止論を容赦しないところまでわたしに似ていた。
しかしエイミーの家族でさえ丸く収めようという問題に、他人がいつまでもいちゃもんをいっても仕方がない。
彼女の死は忘れられたわけではなく、ネルソン・マンデラは演説のなかで彼女を讃え、アメリカには彼女を記念してその名前を冠した高校もあるという。

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セローがケープタウンにやってきたのは、エイミー・ビールが虐殺されてから8年も後のことだった。
彼はエイミーが殺された場所も見て、そこに立てられた記念碑の彼女の名前のスペルが間違っていると、そのぞんざいぶりに怒りを表明している。
しかしエイミーの死もアパルトヘイトも、セローの怒りも、いまはすべて歴史の彼方だ。
ヨハネスブルグやケープタウンのツアーには、いまでもスラム見学というオプションがあるらしい(戦車にでも乗って行くんだろうか)。
ネットの記事のなかには南アフリカは素敵なところだと書いたものもあるけど、ほんとうに素敵なところなのか、書いた人が素敵なところしか見てこなかったのではないか。
んならばオレも行って、YouTubeに探訪の映像を上げて儲けようという人がいるかもしれないけど、くれぐれも自己責任で。

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セローはあいかわらずケープタウンに滞在している。
ワイン工場へ行ってブドウ園を見学したり、できたてのワインの試飲をしたりする。
グランド・ロシェという豪華ホテルのレストランで、なんとかかんとかという贅沢な料理を食う。
もう旅の終わりだというわけでタガがはずれちゃったのか、セローは矢でも鉄砲でも持ってこいと大判ぶるまいだ。

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テーブルマウンテンのふもとにあるカーステン国立植物園の見学もした。
南方の植物には変わったかたちのものが多くておもしろいので、わたしもまえのアパートにいるときは、よく深大寺植物園の大温室まで見学に行ったものだ。
セローの本にフィンボスという灌木の名前が出ていたから紹介しておこう。

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セローは列車でケープ半島の先にあるサイモンズタウンまで行ってみた。
終点で下りると駅からせいぜい2キロのところに、ペンギン見物で知られたボールダーズ・ビーチがある。
ペンギンはアフリカにもいるのだ。
彼はペンギンを見たあと、さらにバスに乗り、ケープタウン国立公園まで行き、終点から歩いて岬のとっつきまで行ってみた。
長く危険な旅をようやく終えたということで、このあたりのセローの文章にはいささか感傷的なところがある。

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岬の先端は絶壁になっており、「この先行き止まり」「石を投げるな」「終点」という看板があったという。
これはわたしが見つけた看板で、Good Hope Capeは希望峰、つまりポール・セローの旅の終着点ということである。

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2022年1月14日 (金)

メンチ

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昨日はめずらしく街に出てビフテキを食べてきた。
わたしの世代がちょっとでも見栄を張ろうとすると、すぐビーフステーキだ。
肉料理の名前なんかあまり知らないし、だいたいわたしって、どっちかというとベジタリアンだもんね。
いつも(たまに)行くステーキ専門店に行こうとしたら、いっしょに行った知り合いがCOCOSでもステーキやってるよだって。
へつにCOCOSを貶めるつもりはないけど、おかげでだいぶ安上がりに済んだ。
ついでに近くにある肉屋のメンチ(いつも行列ができているので有名な)が、たまたま行列が少なかったので、それもゲット。
ふだんのわたしはメンチなんてものもめったに食わないんだけど、帰宅してながめたら、カノン砲の弾丸みたいなまん丸なメンチで、まだ冷蔵庫に入れっぱなしだから、食べるのは今日の昼メシかな。

そんなわけで帰宅してバッタリで、夜中に起きて、またぬかみそをひっかきまわす姑息な手段でごまかそうとしたものの、くたびれていたし、もうなにもかもアホらしくなって、更新を休んだ次第。

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2022年1月12日 (水)

アフリカ/ケープタウンへ

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ヨハネスブルグにもどってきたポールセローは、列車でアフリカ最南端、つまりこの旅の最終目的地であるケープタウンに向かった。
南アフリカは白人の国、もしくはかっては白人の国だったといえるところなので、交通のインフラは充実していて、たまたまセローが旅をしたころ、プレミアクラスという豪華な列車が走っていた。
豪華列車はセローらしくないけど、もはやアフリカらしいポンコツ列車など、探しても見つからない国に来ていたのだろう。

この列車はトランスカルー号といって、ヨハネスブルグからケープタウンまで1300キロを27時間かけて走っており、個室で食事がついて140ドル(13,000円ぐらい)。
セローはボストンからシカゴまでと同じ距離というんだけど、これでは日本人にはピンと来ないから、日本の鉄道で比較すると、東京から熊本あたりまでの距離だ。

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出発の駅は「ヨハネスブルグ・パーク・ステーション」といって、セローがこの街へ深夜に到着したとき、危険なので朝までひきこもっていたところである。
列車が発車すると、セローはまた紀行作家らしい丹念さで、窓外につぎつぎと現れる景色を描写するけど、これは移動しながら目に映る景色をかたっぱしから詩に詠んだ宮沢賢治の「小岩井農場」のようだ。

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ヨハネスブルグを出てまもなく、アヴァロン墓地という南アフリカ最大の墓地がある。
そういえばロシアのサンクトペテルブルクも、駅を出るとすぐに線路のわきに大きな墓地があったな。
わたしは墓地を見物するのが好きだから、ここでは葬られている有名人で、セローがわざわざ名前をあげているジョー・スロヴォとヘレン・ジョセフの墓を見ていこう。
作家のナディン・ゴーディマと同じように、彼らも非人道的なアパルトヘイトに抗議し続けた白人である。

列車の進行とともに、ローデポールト、クルーガーズドーブ、ポチェフトルームなどの駅がつぎつぎと現れ、さらに目をこらせば、学校、教会、ラグビー場、鉱山労働者の住まい、みすぼらしい男、頭に大きな荷物を乗せた女、ブリキの屋外トイレ、トウモロコシ畑、柱にとまっためずらしい鳥、軍のキャンプ、金網、有刺鉄線、番犬など、セローの描写する風物はきりがない。
わたしも異国で列車に乗れば外の景色に首ったけだ。
そういうものをかたっぱしから記録したくて、そのくせ文字を書くのがニガ手で、右から左へと忘れることも早いわたしの旅では、カメラ以外にメモ機能のついた電子機器が欠かせない。
メモに加えて、旅先でも調べもののできる iPadは、広辞苑をかついで旅しているみたいで、ホント便利。

美しい風景だけではなく、ここは南アフリカだから、あっちこっちで容赦ない現実も見えてしまう。
ローデポールト駅では、食堂車で食事しているとき、ホームにいる大勢のアフリカ人がのぞきこんできたそうだ。
自分は特権階級で、ガラス窓1枚へだてた向こうは貧乏人の国だというような状況のとき、人はどんなことを考えるだろう。
わたしにも経験がある。
わたしが中国ではじめて西域行きの列車に乗ったとき、当時もわたしは日本の代表的な貧乏人だったのに、いちおう特権階級が乗るような個室寝台車に乗っていた。
窓外の景色はちょうど、ポール・セローがアフリカで見たような貧しいものだった。
そんな国が20数年後には世界の大国になったことについて、わたしは驚きとともにすなおに称賛する。

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アパルトヘイトは廃止されたけど、その影はまだ南アフリカの至るところに残っていた。
わたしの部屋には各国から集まった若者たちが、エジプトから南アフリカまで貸切バスで旅をするという、「アフリカ縦断114日の旅」というテレビ番組が録画してある(このブログでも画面をキャプチャーして使ったことがある)。
南アフリカにさしかかると、この番組の旅行者たちはバンジージャンプをしたり、サンドスキーをしたり、もう目いっぱい遊ぶぞという輩ばかりで、これではとてもアフリカの影の部分には気がつきそうもない。
でもそんな旅もアフリカの一面だ。
ペシミストのセローはアフリカの暗い部分を語り、ノーテンキな若者たちは能天気な部分を見せつけるから、わたしみたいに両方を見てバランスをとるのがヨロシイ。

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クラークスドープという大きな街の駅に着いた。
セローは駅の北側に貧民街があると書いていたから、ストリートビューで探してみたけど見つからなかった。
街のなかにブルドーザーで更地にしたような空き地が目立ち、郊外にプレハブの仮設住宅のような建物が多かったから、セローの旅のあとで一変したのかも。

同じ列車に乗っていた英国人が、ここはテレブランシュの街ですよという。
聞いたことのない言葉だけど、これは極右の政治家ユージン・テレブランシュに語源をもつ、超保守主義という意味で、南アフリカではアパルトヘイトを死守しようとする差別主義者のことになる。

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ついでだからテレブランシュさんがどんな顔をしてるのか見てみよう。
ヘミングウェイみたいな顔をしたヒゲだらけのおじさんで、セローが旅をしたころは刑務所に入っており、釈放されたあと、給料支払いのトラブルから、自分の農場で働くふたりの黒人に殺害されたという。
南アフリカの複雑な歴史を物語るように、同じ白人でも、アヴァロン墓地に眠るジョーとヘレンのように、人種差別に反対した人間もいれば、彼のように支持した者もいる。
ここに見つけたのは、ある人が骨董市場で見つけたアパルトヘイト時代の看板だそうだけど、「立ち入り禁止・アジア人」の表記のなかに日本人は含まれなかった(まちがえて追い出されることはあっても)。

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クラークスドープの街から、セローは100キロほど離れたマクワシーの町までやってきた。
そのへんの景色をながめて、彼は1930年代のミシシッピーみたいだなと思う。
わたしはそのころのミシシッピーを知らないから、似てるといわれればハアというしかない。
高層ビルなんかひとつもなく、そこそこ樹木の多い平野が続いていて、もはや乾燥したサバンナとはいえない景色ばかり続くから、大きな川が流れていてショウボートでも浮かんでいれば、映画好きなわたしも納得したかもしれない。
ライオンもゾウもいそうにないけど、セローはこのすこし先でカモシカの1種であるエランドを見たと書いているから、やはりここはアフリカだ。
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トウスリフィールの駅では、セローが窓から見ると近くにダチョウがいた。
ダチョウやグアナコやカピバラやマヌルネコなどがうろうろしている駅があるなら、わたしも見たい。

食堂車で夕食をとるとき、セローはクリスというスキンヘッドの男性や、英国人夫婦と同席した。
スキンヘッドはバイク愛好家だというから、なんとなく全身タトゥーの粗暴な暴走族を連想してしまうけど、禅坊主のような意外と確かな世界観を持っていた。
事故で死んだら臓器提供者になるよ、ただしタバコを吸うから肺はもらい手がいないだろうな。
英国人の話には「ジョバーグ」という地名が出てきた。
どこかでよく聞く地名で、セローはふつうに使っていたけど、わたしは知らなかったから調べてみたら、これはヨハネスブルグの愛称だそうだ。

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英国人夫婦はケープタウンの手前のウェリントンで降りた。
このあたりは南アフリカ・ワインの有名な生産地である。
フランスにはワイン作りの上手なユグノー教徒という人々がいて、彼らが南アフリカにワインを持ち込んだおかげで、ボーア人の呑ん兵衛たちはおおいに安堵したそうである。
わたしもフランスやチリばかりでなく、機会があったらアフリカ・ワインを飲んでみようと思い、ちっとばかりネットで勉強してみた。
販売店の宣伝サイトだからすべて信用するわけにいかないけど、フェアトレードの割合がいちばん多いワインなんて書いてあった。
これを飲んで公平な世界観を持っていることを見せつけられれば、一石二鳥ではないか。

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2022年1月11日 (火)

偏執者

あー、ひさしぶりだねえ、ネタと時間がないよって悩むのは。
そういうぼやきを書いて更新したことにすると、またアクセスが伸びないよな。

じつはせんだって沖縄に行ったときのビデオ、知り合いのために編集をして、相手に渡したのはいいんだけど、あとで完成した作品をにらんでいるうち、時間をかければもっとよくなるなと思いついた。
そこで同じ映像をまたいじくり始めたものの、これってとにかく時間がかかるのよね。
そんなに時間をかけても一文になるわけでもないから、ふつうの人にはとても務まらない。
しかしわたしは編集者ならぬ偏執者なのだ。
こういうことにかけてはしつこいのだ。
老人ボケの予防にしようってんで、そんなに急ぐ必要はないんだけど、完璧な作品に仕上げようと奮闘中なのだ。
ふと気がつくと、もう今日は時間切れが間近ではないか。
いまからほかのネタをひねくる時間もないから、仕方がない、こんな事情をつぶやいて今日の更新にしてしまうのだ。

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2022年1月10日 (月)

いい加減にしろ

もういい加減にせんか!
冬の孤独な夜をなぐさめてくれるYouTubeなんだけど、最近は中身とサムネイルの一致しないものが目立つよな。
なんとかファンや「いいね!」を増やそうと悪戦苦闘なのはわかるけど、若い女の子はサムネイルに下ネタを使うのが多すぎる。
お、これはと胸をときめかせて見てみるんだけど、中身はおもしろくもなんともないのが多い。
ケシカランじゃないか。
中身と関係ないサムネイルは誇大広告ということで、禁止にしろとYouTubeにハッシュタグ運動でもしてくれる人いないか。
え、そんなものにひっかかるほうが悪い?
わたしの想像では、これは全世界の男性がひとしく怒りを感じていることだと思う。

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2022年1月 9日 (日)

本日のいやみ

日本はアメリカに追従しなくちゃいけない国だろうか。
岸田首相がバイデンさんとの会談を断られたなんてニュースが散見されるけど。
ようするに米国に追従して中国を叩かなければいけないのに、日本が曖昧な態度をとるから相手にしてもらえないのだといいたいらしい。
そんな踏み絵を強いられるくらいなら、日本だって無理に会いたいわけじゃあるまい。
うちにはうちの事情があるんです、おたくの都合のケンカにつきあっちゃいられませんと、たまには米国にいってやればいい。
がつんと断られてショックなのはアメリカのほうだから、あまりはっきりいったら気のドクだけどね。

岸田クンの顔を見ると頼りない人だという感じだけど、日本の政治はそういうものさ。
やたらに敵を作ってありがたいことはひとつもない。
アフガニスタンでも、曖昧な態度をとってきたおかげて、タリバンからさえ頼りにされるじゃないか、日本は。
あ、そうそう、オリンピックは政治的対立を持ち込む場じゃないからね。

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2022年1月 8日 (土)

アフリカ/宣教師の娘

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ポール・セローの旅はエジプトからアフリカ大陸をまっすぐ南下して、南アフリカのケープタウンまで行くはずのものだったから、そろそろ終わりのはずだけど、ヨハネスブルクあたりをうろうろしているとき、彼はそこからモザンビークの首都マプトまでたいした距離でないことに気がついた。
モザンビークはセローがシレ川の川下りをしたとき、いちど通った国である。
しかし通過したというだけで、じっくり国の内部を見たわけではないから、いい機会だと思ったセローは、ちょいとマプトまで往復してくることにした。

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マプトは海に面した街で、セローはあまりほめてないけれど、カーレース場まであり、ストリートビューで見たかぎりではきれいなところである。
ここでは1910年ごろ建てられたという鉄道駅の記述が長い。
アフリカでもっとも美しい建物と書いてあるから、もちろんわたしは写真を探してみた。

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これがそうで、設計はセローの文章によると、エッフェル塔で知られたギュスターヴ・エッフェルだというけど、じっさいは別人という説もあり、セローが見たときは低賃金労働者の宿舎になっていたという。
アフリカでは植民地時代の建物は抑圧の象徴とされて、いい印象をもたれてないから、モザンビーク独立ののちはさっさと破壊されてもおかしくない建物だった。
しかしなんとか破壊されず、いまでも新古典主義の名建築として、アフリカでいちばん美しい駅とたたえられているそうだから、日本のものはすべて日帝残滓といって破壊しまくった韓国より、モザンビークのほうが文明的といえる。

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駅まえ広場に「キオンガの戦い」の記念碑があった。
この戦いはドイツとポルトガルの植民地争いで、兵士として利用されただけのアフリカ人が記念碑にするほど誇れるものではない。
それでもアールデコ様式の女神像といわれると見てみたい。
というわけで、これがその像。
モダーンすぎてアフリカ人に見えないかも。

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べつの場所にはモザンビークの初代大統領だったサモラ・マシェルの像もある。
独立が盛んなころ、アフリカの新しい指導者はマルクス主義に傾倒するものが多く、マシェルさんもそのひとりだった(残された写真で見るとアフリカのカストロといった感じ)。
まだソ連や中国が西側に対抗していたころだから、資本主義に搾取されてばかりいたアフリカ諸国が、その反動として左傾化したのはやむを得ない。
日本だってまだ海のものとも山のものともわからないころは、北朝鮮を賛美する左翼の著名人がたくさんいたのだ。
そうやって社会主義国の支援を仰いだものの、冷戦時代の複雑な国際関係の犠牲になったのか、それともただの航空機事故だったのか、マシェルさんは乗っていた飛行機が墜落して亡くなった。
あとはミステリー・ファンがおもしろがるだけで、あいにくわたしはそんな事故があったことも知らなかった。

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セローはモザンビークについてあまりいいことを書いてないけど、海辺のホテルでのんびり執筆をしていたというから、それほどひどい国とも思えない。
むしろマプトから少し先のサイサイあたりは、風景もよく、欧米人が見つけたリゾート地に見える(この3枚組の写真はサイサイ)。
彼はサイサイでくつろぐつもりでリンポポ線という鉄道に乗った。
惨憺たる列車で、80キロ行くのに午前中いっぱいかかったそうだ。
アフリカでは惨憺たらない列車のほうがめずらしいようだけど、とりあえずその鉄道も紹介しちまおう。

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ネットで見つけたのでいつごろのものかわからないけど、3番目の写真はレールが泥棒に盗まれた跡だそうだ。

列車の客はほとんどがアフリカ人で、そんな中にひとりだけ白人娘がいた。
男の子みたいなやせっぽちの娘で、その中性的なところがセローにはなかなか魅力的に見えたらしい。
そういうタイプの女の子なら、わたしは何人も想像できるんだけど、むかし観た映画のヒロイン、ミレーユ・ダルクみたいな子だったのかもしれない。
で、彼はとなりに座っていろいろ話をする。
さすがに若いころ、黒人・白人問わずアフリカ中の女をくどきまくったセローらしい。

ところが彼女はこれまでもあちこちで見かけた、アフリカ人を救済するんだという使命感に燃えた、とある宗教団体の宣教師だった。
そういうものが大キライなセローは、またねちねちと、なかばからかい半分でいびり始める。
仕事は順調なの?
ここには仕事がたくさんあります。
アフリカ人を救済するのはジミー・スワガード(なんでもテレビ伝道師という人だそうだ)の仕事じゃなかったのかな。
彼はここではとても人気があるのよ。
へえ、ただのいかさま師だと思っていたけど。
セローはずけずけといい、相手は教条主義的で、杓子定規に答えるのはいつものパターンだ。

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同性愛をどう思う?
同性愛は忌むべきものです、レビ記にそう書いてあります。
きみはズボンをはいているから聖書の教えに反しているけど、それはかまわないの?
セローはかって書いた小説のうらづけをとるために、聖書を徹底的に研究したことがあったから、それが同性愛や、女性が男物の服を着ることなどを禁止していることを知っていた。
しかし彼女は、やむを得ないときは聖書を状況にあわせて解釈しなければないないこともありますと頑固で、そつがない。

だいたい人間はいつごろ誕生したんだろう、と彼は訊いてみた。
聖書の信奉者(狂信者?)は、人間はアダムとイヴから始まったという話のつじつまを合わせるために、たいてい科学を無視した考えにとりつかれているからで、セローもそのへんを突いてみたのである。
だいたい4000年から6000年前ごろです。
そのころすでにメソポタミア文明は始まっていたんだけどね。
それはぜんぶデタラメです、聖書にそんなことは書いてありません。

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こういう相手と話しても時間のムダなんだけど、相手がかわいい娘だったせいか、セローのいびりはまだ続く。
そのうち彼女は自分がバツイチであると口をすべらせた。
離婚は大罪じゃなかったっけとセローはとぼける。
だって夫はわたしに暴力をふるったんだものと、彼女ははじめて人間らしいことを言い出した。
そういうことはよくある。
宝くじに当たったこともない亭主にしてみれば、女房がどこの馬の骨かわからない神さまに熱中し、あなたに加護がありますようにと上から目線でいわれておもしろいわけがない。
妻が新興宗教に狂うと、たいていの夫婦が不仲になるのはこれが原因なのだ。
神さまはまず信者の女性が離婚などしないように仲をとりもたなければいけないはずなのに、これも宗教の欺瞞のひとつ。
それは神の与えたもうた試練ですなんていわれたって、女性がほんとうに天国に行ったかどうか確認するすべはないんだし。

それでも彼女はこう矛盾を告白することで、ようやく人間であることをセローに証明してみせたことになる。
気が楽になったのか、彼女は奉仕の実態についても語るようになった。
彼女は以前、施設で孤児たちの世話をする仕事をしていたそうだけど、ある日街で強盗に襲われた。
襲ったのは彼女が施設で世話をしていた浮浪児のひとりだったという。
こういうとき神さまはいったい、どこでなにをしているのだろう。

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景色のいいところで執筆でもしようと考えたセローは、マニサという町でサイサイ行きのバスに乗り遅れ、またマブトにもどった。
マプトでは初代大統領を記念する祝日だったから、サモラ・マシェルさんはいまでもキューバのカストロと同じように、祖国では人気があるらしい。
これは独立広場にあるマシェル像。

セローはヨハネスブルグにもどって、いよいよこの旅で最後になる鉄道に乗ることにした。

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2022年1月 7日 (金)

本日のぬか漬け

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見よ、これが本日のわが家のぬか漬けの現状。
ナスがだいぶ茄子らしい色になってきた。
問題があるとすれば、自分でいうのもナンだけど、美味しいもんでつい食べすぎちゃうことか。
森鴎外もナスが好きだった・・・・

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2022年1月 6日 (木)

雪の記憶

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なんかロシアのホテルで見た雪景色を連想してしまうな、今日の雪。
ということで当時の写真と今日の写真をならべてみた。
ロシアの写真は2013年1月27日、エカテリーナの夏の離宮から近いサンクトペテルブルクのナタリー・ホテルにて。

わが家の花壇にもしんしんと雪が積もる。
もう春は遠くない。
まだ冬になっばかりじゃんという馬鹿者。
1月の雪というと、もはや春は遠くないというのが詩人のジョーシキ。
きみはまだ修業が足らんよ。

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2022年1月 5日 (水)

オリンピック?

ええ、またオリンピック?
といいたくなるよな、ちょっとまえに日本でああだこうだと騒がれてたのを見てるから。
もう来月が中国のオリンピックだって。
中国ってアレでしょ。
コロナを流行らせたおおもとの国でしょ。
いいのか、そんな国がオリンピックだなんて。
そうか、開催国に決まったのはコロナより前だったよな。
なんでもいいけど、日本と同じように立派な五輪にしておくれ。
わたしは女子大滑降が好きだ。
フィギュアスケートもいいけど、あのむっちりしたボディを、ぴったりスーツでつつんで・・・・

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2022年1月 4日 (火)

また白熱教室

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サンデル教授の「白熱教室」、いや、おもしろかったねえ。
これは米国と中国と日本の、3カ国の名門大学に通う学生を集めて、最近の中国政府の政策について議論してもらう番組だった。
3カ国の政治の比較ではなく、あくまで中国の最近の政策についてということなので、[米国と日本]対[中国]の変則マッチというべきもの。
こういう番組だと、どうせ中国の意見は上から言わせられているんだろうという人がいるかもしれない。
じっさいに中国の学生の中には、番組の中で手もとの用紙にしきりに目をやって、書かれた文章を棒読みしているような者がいた。
しかしこれは番組の進行にとどこおりが出ないよう、あらかじめ質問の内容を告げ、答えをまとめておいてもらったからじゃないか。
なぜなら中国の学生たちのあいだでも意見が異なることがしばしばあったからである。
そう書いて、中国のことはなんでもけなそうという人たちにまず釘をさしておく。

最初に中国政府の最近の政策として、コンピューターゲームの規制ということが俎上に乗せられた。
子供は週に3回、それも1日1時間しかゲームをしてはいけないという規則だそうだ。
いいことではないか。
じつはわたしはこの歳までコンピューターのゲームというものを、いちども、ほんとうインベーダーのころからいちどもやったことがない。
ゲームのやりすぎでアホな子供たち(大人も)がますますアホになるのを見ているから、じっさいのわたしは、あんなものは絶滅しちまってかまわないと乱暴な意見の持ち主である。
しかしこれでは時流に取り残された年寄りのネゴトみたいだから、ゲームに関しては口を出さないことにしよう。
わたしの人格には欠陥があるけど、それはゲームをやらないことが原因じゃない。

つぎに子供たちへの宿題の禁止、塾通いも禁止、すべての塾は国の管理下に置くという政策が取り上げられた。
教育熱が加熱して、子供たちは遊ぶヒマもないというのはどの国でも問題になっているらしい。
この政策については日本人は全員が反対、中国人は全員が賛成と、まったく逆の結果が出た。
中国に比べると、日本のほうはまだまだ規制しなくちゃいけないほど受験競争はきびしくないようだ。
子供のことは親が責任を持つべきで、国が口を出すのはケシカランという米国学生もいた。
親にまかせて出来るくらいなら問題ない。
それが出来ないから国がやろうというのが中国だ。
じつはこの番組を観て思ったのは、中国は徹底的にアメリカを反面教師にしているなということ。
子供たちを健全に育成するにはどうしたらいいかということを、中国はアメリカを参考にしていっしょうけんめい考えたのだろう。
それは国家による愚民化政策だという人もいるかもしれない。
バカいってんじゃない。
愚民化ならゲーム依存症にしておくほうがずっと効果的さ。

いったいなんでそんなに勉強しなくちゃいけないのか。
もちろんそれで社会的地位や収入が決まってしまうから、というのは米国や中国、そして日本も少数派の意見。
そういう学歴偏重システムを根本的に変えなければいけないという学生もいた。
しかしここでは日本がきわだつ。
日本は職人を大切にする国であり、大工や植木屋や調理師などが、ヘタな大学出よりも稼いだり、尊敬を勝ち得たりできる国なのだ。
親がどんなに詰め込み教育をさせようとしても、勉強のキライな子供には別の選択肢があるというのが日本なのである。
米国や中国では落ちこぼれは、安月給の労働者かホームレスにでもなるしかない。
日本の学生はそのくらいのことを米中の学生に言ってやってほしかったねえ。

そもそも受験競争というのは、金持ちが有利だという側面がある。
金持ちは子供の教育に金をかけられるのに、貧乏人は塾にも行けない。
だから国民に平等な教育を受けさせるというなら、格差を少なくするのが早道ではないか。
日本はこの三つの国のなかではいちばん格差の少ない国だからいいとして、米国は格差を野放し、中国はそういう米国を半面教師にして、なんとか格差を少なくしようと苦闘中であるみたいだ。

人間の欲望には限りがないものだということを、上位1パーセントの人間が大半の富を独占するアメリカが教えてくれる。
金持ちは世の中のしくみにさえ手を加えることができる。
だから国家が介入しなければならない場合もあるだろう。
人間の自由を束縛することには反対だという米国学生に対して、コロナ騒動でマスクをしなかった人間を引き合いに出して、自由には義務も生じるというのは中国の学生。
これだけ聞くと、中国人学生のほうが説得力があるし、義務に忠実な日本人ならたいていの人が同感かもしれない。
しかしまあ、理想論にすぎないと思える発言は無視して先に進もう。

最後に出てきたのが「共同富裕」という中国政府の方針。
儲けている企業から寄付をさせて、つまり余分な税金を収めさせて、格差の増大を抑制し、人民をひとしく豊かにしようという政策だそうだ。
聞いてると立派だけど、これは単純な問題じゃない。
たとえば日本ではトヨタ自動車が儲けているけど、これはよい車を、できるだけ安く供給しようという企業の努力のたまもので、トヨタが悪らつにボロ儲けをしているわけじゃない。
しかも儲け続けるためには先行投資も必要だし、トヨタの正社員になりたいという人が多いくらいだから、社員の給料を値切っているわけでもなさそう。
中国ではさっそくアリババやIT企業テンセントなど、寄付に応じる企業も出てきたそうだけど、連中はたぶん悪らつに儲けていることを自覚しているのだろう。

中国の学生が、中国は性善説をモットーにしていて、政治家は汚職をしないというのには耳を疑った。
中国はずっと権利と義務のバランスをとってきたというには愕然とした。
汚職で成り立ち、国民を踏みにじるギャングが政権をとっていたのが、まだほんの7~80年まえの中国だ。
中国人は伝統的に国家を信頼してきたそうだけど、これはいったいどこから出てきた発言なのだろう。
ほとんどの歴史を通じて中央集権国家であり、いつの時代も政府と役人は国民を搾取するだけの存在だったのが中国で、“伝統的に”という言葉が蒋介石のころ、清のころ、歴代王朝のころをいうなら、おヘソがお茶を沸かすワ。
これじゃやっぱりいわせられてるなと思いたくなる。

1974年には早くも政府の施政方針として、格差をなくし、国民を平等に豊かにするということがうたわれていたという学生がいたけど、それは共産党の、なかば理想の党是をうたっただけで、毛沢東の時代でさえ政府は信頼に値するものではなかった。
だからこの番組で中国人学生が、中国政府はといった場合、それは新中国になってからの、それも鄧小平よりあとの政府のことだと思わなければいけない(善意で解釈することもたまには必要だ)。
国民は政府を信頼しているというのは、うるさくいわなくても自主的にマスクをする日本の学生がいうべきことなのに、残念ながら6人参加していた日本人学生の全員が、政府は信頼できないとの返事だった。
いやいや、そういうふうにテレビでどうどうと、国家に異議をいえるのが日本のいいところかもしれない。

それでも中国政府があの手この手で、なんとか格差を是正させようと努力をしていることは認めなくちゃなるまい。
アメリカが放任主義の実験なら、それを見てきた中国は正反対の実験をしているところだ。
この実験の結果、ほんとうに中国が大人にふさわしい国になれるかどうか、そしてアメリカが覇者としての地位を守れるかどうかは、わたしが老衰で死んだあとの20年、30年後にはわかるだろう。
この番組を見ると、やっぱり日本はいい国だなと、わたしはあらためて考えてしまう。

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2022年1月 3日 (月)

寅さん

今年は寅年でしょ。
わたしんところに来た年賀状は、印刷所に注文した、まともすぎておかしくもなんともないものだった。
いまは年賀状だって自分でプリントできる時代じゃないか。
「男はつらいよ」の寅さんをあしらおうって程度のセンスもないのかねえ。

うーんと考えて、寅さんの映画を観ることにした。
わたしの部屋にはテレビで放映された「男はつらいよ」が、何枚かDVDに焼いて保存してあったはず。
つい最近行ってきたばかりだから、そんな中から作品25作目の沖縄が舞台のものを観てみた。
わたしが日本映画を観るのはめずらしいけど、こういう人情劇だと、八代目林屋正蔵の落語を聞いているみたいで、安心して観ていられるのはいい(たまに1本だけ観るなら)。
でもあまりおもしろくなかった。
うちにあるものでは第1作がいちばんいいみたい(寅さん映画は3本しか録画してないけど)。
夜になったらBSでサンデル教授の「白熱教室」をやっていて、そっちのほうがよほどおもしろかった。

映画を観ていてうらやましいと思ったことも。
わたしは吃音の傾向があるので、寅さんの威勢のいいべらんめえ口調は、ホントうらやましい。

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2022年1月 2日 (日)

アフリカ/2人のマイク

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いや、ひどいもんだね。
前項でわたしならサッカーよりラグビーを見に行くなんて呑気なことを書いたけど、そんなことをしていたら、いまごろわたしは見ぐるみはがされ、ペニスを切断され、睾丸を抜かれて穴埋めにでもされていたんじゃないか。
調べてみたら、現在のヨハネスブルグの犯罪率は想像を絶するほどで、それはもはや伝説になっているらしい。
市内で強盗に遭う確率は150%だという。
これは100%強盗に襲われ、その帰りにもまた襲われるから150%なんだそうだ。
これではポール・セローが旅をしたころより悪くなっているかもしれないし、白人に支配されていたころのほうがよかったと、なげく人が多いのもうなづける。

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前項ではヨハネスブルグの陽の当たる場所を重点的に見てきたけど、この項では影の部分を見ていこうと、“ヨハネスブルグ”と“スラム”というキーワードで画像を検索してみたら、いやもう、出てくるわ、出てくるわ。
ここにあるスラムで有名なのはソウェト(Soweto)地区といって、それを見る観光ツアーまであるという。
わかるような気がする。
これだけ貧富の差が激しく、まったく明日の希望のない生活を強いられたら、誰だってヤケッパチになり、殺すなら殺せ、オレは強盗をするぞーという気になるんじゃないかね。
ということで、この記事の前半はスラム特集だ。

行ったことのないわたしが案内するより、ここではまだ最近スラムをルポしたネット記事をふたつ紹介しておこう。
ヨハネスブルグ探訪ルポその1
ヨハネスブルグ探訪ルポその2

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ポールセローはなんとか無事でナディン・ゴーディマと会ったあと、友人の紹介で化石遺跡の案内人マイク・カーキニスと知り合った。
化石案内人というのは、人類の起源にまつわる発見が多いアフリカで、それについていろいろ説明するものらしい。
原生人類の祖先はアフリカで誕生したというのが現代の定説で、「2001年宇宙の旅」でモノリスが降り立ったのはアフリカのどこかということになっとるのだ。
カーキニス君が映画の説明までしたかどうかは知らないけド。

カーキニス君の友人に獣医をしているドイツ人のシビラという女性がいて、彼女は身長が185センチもあり、自分でヘリコプターを操縦する女傑といっていい人だった。
ゾウに麻酔をかけたら、それがあまり効かず、踏みつぶされて重症を負い、1年も入院していたそうだけど、セローと知り合ったときには、よっぽどじろじろと眺めないと足の傷も目立たず、ロングのヘアが風になびいて、思わず見とれるくらいの美人だったという。
そういわれると顔が見たくなるのは(これを読んでいるあなたもそうだろう)人情だ。
で、ネットで該当する女性を探してみた。
セローの旅から20年も経っているし、たんなる獣医兼ガイドなので、ちょっとむずかしいかなと思ったけど、“南アフリカ” “獣医” “シビラ”という言葉で探してみたら、下記のサイトがヒットした(写真の上でクリック)。

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これは獣医のシビラ・クアントさんを紹介するサイトで、経歴や体の特徴などをみるとセローが会った獣医さんに間違いないようだ。
美人かどうかは見る人による。

彼女のサイトの末尾にいいことが書いてあり、むずかしい英語ではないから、興味のある人は自分で訳してみて。
We are not african because we are born in Africa
but because Africa was born in us.

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セローは彼女の操縦するヘリコプターで、上空からヨハネスブルグを見てまわり、裕福な白人たちが郊外に逃げ出し、残されたスラムに貧しいアフリカ人たちが住み着いている景色を見て、いいようのない感情をもつ。
わたしは空からスラムというものを見たことがないからわからないけど、延々と連なるほったて小屋やうごめく人間たちは、見ようによっては壮絶ともいえる景色かもしれない。
住人たちのほとんどが、かってはアフリカの原野で、素朴で原始的で、それでも先祖伝来の平和な生活をしていた人たちだということをセローは知っていた。
それが吸い寄せられるように大都会に集まる。
アフリカでは街が大きくなるとかならず悲惨な場所になるということを、セローはあちこちで書いていて、そんな自説の正しさを、ヘリコプターからはっきり確認したに違いない。

つぎにセローはカーキニス君の紹介で、ウィットウォーターズランド大学・古人類学研究チームのリ・バーガー教授を知った。
こちらの教授さんは名前も勤務する大学名もわかっているから、シビルさんより探すのは楽そうだったけど、その学説にアダムとイブまで出てきて、どうも納得しにくいものだったらしく、セローの文章には揶揄する調子がある。
それでわたしも彼のことは探さないことにした。

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セローがヨハネスブルグで知り合ったマイクはもうひとりいる。
こちらはマラマラ動物保護区(すぐ上の3枚の写真)のオーナーであるマイク・ラトレイで、もともとはそのあたりのの地主だった人である。

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マラマラ保護区は有名なクルーガー国立公園に隣接しており、南アフリカでは野生動物がたくさん見られる貴重な地域で、ラトレイさんはもともとここで欧米からやってくるハンターたちに狩猟をさせる仕事をしていた。
そのうち動物を撃たせるより、見物させるほうが長期的に商売になるというもっともなことに気づき、それ以来動物の保護者をもって任ずることになった。
どうしても狩猟がしたいという客には、できるだけ群れのなかの弱そうで、のろまな動物だけを撃たせるのだそうだ。
自然界でそういう動物はどうせ長生きできないし、強くかしこいものだけが残って、遺伝子プールが汚れる可能性も低くなる、というのがラトレイさんの考えだそうだ。
環境保護派のセローと考えが一致したことはいうまでもない。

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いわずもがな、最近では狩猟は禁止されていることが多く、反面ゾウやライオンを見たいという観光客は増えているので、マラマラ保護区のなかには豪華なロッジもある。
セローの考えとは一致しないけど、ワインつきの豪華な食事を味わいながら、近くでライオンがカモシカをむさぼり食うのを眺められるわけだ。
現場では観光の車が無線で連絡を取り合っていて、どこそこでライオンがイボイノシシを食ってるぞ、チーターがインパラを追っかているぞなんて情報はすぐに全車に伝わり、生々しい食事風景を見逃すことはないという。
こういうスタイルはヘタな動物園よりおもしろいかもしれないし、行け行けどんどんで、観光客が増えるのは大歓迎だ。
日本人はシルクロードが好きで、現地の人からどうしてかと不思議がられるらしいけど、欧米人はアフリカで野生動物を見るのが好きらしい。

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後半はマラマラ保護区の動物たち。
ポール・セローのアフリカ紀行で、人間以外の動物を紹介するのはこれが最後になるので、思い切り紹介してしまう。
モノクロ写真は「マラマラ保護区の歴史」というサイトから。

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2022年1月 1日 (土)

初もうで

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初詣に行く。
うちの近所の氏神さまというと下里の氷川神社だろう。
この杜は、いまでこそまわりに新しい住宅が出来てしまったものの、見る位置によっては、畑のなかにぽつんと浮かんだ森のようすが、宮沢賢治の童話に登場する東北の農村の森を連想させて、以前から気になっていたところだ。

しかしバチ当たりのわたしがお参りしても、神さんが喜ぶとは思えないので、昨夜は日が改まると同時に偵察に行ってみただけ。
さすがは東京の農村というべき東久留米だけあって、信心深い人が多いようで、境内に火が焚かれ、この寒いのに大勢の善男善女がくり出していた。
お参りというあらたまった行為がニガ手のわたしは、写真を撮っただけでそそくさと引き上げたけど、気分としては、まっ黒い顔をしてミノをまとった土着の神さんに、ヨッと挨拶してきただけのようなもの。
あまり功徳のありそうな神さんじゃないけと、ま、これからもヨロシクってなもん。

添付したのは、沖縄に行ってきたばかりのわたしには、南の島だって初詣をしてるんだろうなあという感慨をこめて。

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