底流
あああ、タノシイ事がないねえ。
特別にやることもなしに日々がむなしく過ぎていくよ。
ヒマつぶしに水中カメラで、水草の繁茂する川の底をのぞいてみたけど、川の中って上から見るほどきれいじゃないなあ。
こんなノーテンキなことばかり書いているから、世間の人はわたしのことをお気楽で平和な人と思っているかもしれない。
しかし人生の機微にくわしい人なら、こういうのは苦悶の裏返しだということを知っているだろう。
起き抜けにベッドのなかでいろんなことを考えるんだけど、思い出すのは思い出したくないことばかりだ。
たとえば今日思い出したのは、中、高校時代に同級生だったひとりの男のこと。
わたしと頭の出来はそう変わらなかったのに、まだ自家用車が珍しかったころ、家には車があり、本人も18歳になるとすぐに免許を取得していたから、恵まれた家庭の子だったのだろう。
高校を卒業して東京にある、そこそこ名門の大学に進学したことは知っていたものの、それっきり音信不通になったので、彼のその後についてはなにも知らない。
まわりを困惑させるほど変人ではなかったし、おそらくふつうに出世して、ふつうに家庭を持って、まあまあ幸せな生活をまっとうしたんじゃないか。
本人が幸せというのはそういうものだと信じているなら、彼ほど幸せな人間はいなかったといえる。
わたしの場合、むかしから性格がひねくれていたから、当然の帰結として、そんな幸せには縁も興味もなかった。
人生が不公平なのは、ひねくれたのが先か、幸せに生まれなかったのが先かと、若いころは哲学的に悩んだこともあり、それが神も仏もないという結論を導き出して、いまみたいな不神論者になってしまったのだろうと思う。
わたしだってノーテンキにスポーツに打ち込み、呑気にカラオケで歌をうたっていたかったけれど、生まれたときからそんな資質はまったくなかったのだ。
わが草木とならむ日に、と謳ったのは郷里の詩人・萩原朔太郎だけど、郷里が同じだと性格や考え方まで遺伝するってことがあるのかしら。
この詩の末尾は“過失を父も許せかし”という悲痛なもので、わたしにもその気持ちはよくわかる。
ただ、かろうじて救われたのは、わたしには世間への反発や不平不満を、皮肉と諧謔でまぎらわすという手段があったこと。
それが飽きもしないでブログを更新し続ける原動力になっているのだ。
わたしをノーテンキと思うのはみなさんの勝手だけど、その心境の底にはこんなアンダーカレントも流れているのだと、たまには思ってくれる?
| 固定リンク | 0
« ストリートシェフ | トップページ | 憂国サン »
コメント