アフリカ/総括
ポール・セローの「ダーク・スター・サファリ」をなぞるブログの連載が終わったけど、これの総括をしないことには、尻尾の切れたトンボみたいでしめしがつかない。
アクセス数を数えてみるまでもなく、わたしの連載を完読した人は多くないみたいだから、無理にこだわる必要もないんだけど、最後に書いておきたいこともあるので、とりあえずきちんと総括しとこう。
書いているわたしにとってもいろいろ発見のあった旅だった。
まず思ったのが、アフリカはのんびりながら着実に進歩しているなということ。
しかし作者のセローはそうは思ってなかったようだ。
若いころアフリカで教師をしたことのある彼は、あっちこっちでむかしのほうがよかった、発展はアフリカ人にとってろくでもないことばかりだったと書いている。
外国が支援するからいけないのだとも書く。
支援をするから彼らには、それをあてにする甘えの構造が生じるのだと。
セローという作家はもともとペシミストで(本人がそういっている)、人間であふれる都会に嫌悪感を、荒廃した自然環境に絶望しか示さない人だから、よけいそう思ったのだろう。
セローのこの旅は2001年のことで、わたしはそれより20年もあとに現地を見ているわけだから、セローには見えなかったことまで見えたことになる。
わたしの見たところでは、アフリカ各国の首都のほとんどが、高層ビルの建ちならぶ大都会になっていて、外国からの援助もムダにばかりなったわけではなさそうだ。
もちろんつぎこんだ金のほとんどが政治家のふところに消えたということは、かって援助大国だった日本人ならよく知っているハズ。
しかし世界的にみても、まじめな政治家はけっして多くないし、あるていどの損切りはやむを得ないんじゃないか。
時間はかかっても、人々が過去よりも現在のほうが豊かになっているなら、他人が文句をいっても仕方がない。
豊かさの解釈はむずかしい。
しかし電気も水道もない生活より、だれだってそういうものがひねるだけで出る生活のほうがいいに決まっているので、原始的で素朴な生活のほうがよかったというのは先進国のおごりなのだ。
どうもセローはせっかちすぎたようである。
さんざんセローがこきおろした海外の支援団体の努力は、ようやく実を結んできたようにわたしには見える。
人間も野生動物もグローバル化を受け入れざるを得ないものなら、アフリカ人は先進国の下請けとして、動物たちは観光資源になることで、その責務を果たしているように思う。
“下請け”というのはひどい言い方かもしれないけど、どんな途上国でもいちどは通過しなければならない関門だと思えばいい。
アフリカを舞台にしたスポーツ・ハンティングなんてものは、とっくに廃れたようであるし、これもセローの悲嘆は過去のものになった。
動物たちだって自分の糧は自分で稼がなければいけない時代なのだから、先進国から大勢が見物に来て、お金をどんどん落としてくれるのは大歓迎だろう。
つい最近米国では、走行中の列車が強盗団に襲われるという、ジェシー・ジェイムズ時代のような事件が起こった。
アメリカが零落していくさまを、わたしたちはいまリアルタイムで目撃しているところだ。
セローに負けずおとらずのペシミストであるわたしの目には、相対的ではあるけど、アフリカのほうが現在のアメリカよりよほど未来があるように思える。
アフリカ人はたくましい。
アフリカで生まれた人類は、「2001年宇宙の旅」のヒトザルのごとく(お互いの脳天をぶちのめしつつ)、着実に進化を続けており、老衰死が遠くないわたしは彼らのことをまったく心配していないのである。
周囲に対する見方はセローとくいちがっても、真似できないのは彼の作家としての才能だ。
彼の文章には随所で感服させられた。
わたしならヒマでどうしようもない国でも、彼はまるで惰性で書いているように、すらすらと美文を連ねてしまう。
わたしも負けずにセローなみの紀行記を書いてやろうと、沖縄でネタを仕込んできたけど、それを右から左に忘れる弱点をかかえたわたしは、とてもじゃないけど彼の足元にも寄れない。
紀行記は小説よりラクだと考えている人に、セローからのアドバイス。
「あなたは一人になってリスクを取る必要があります」
「あなたは孤独でなければならない」
「孤独で居心地がわるくても、そういうときにこそ事件は起こります」
「まわりに流されていては何も起こりません」
わたしにも共感できる部分はあるけど、いかんせんドキュメンタリーを実践するには年を食いすぎた(若いころ大陸中国をさまよったことはあるんだけどね)。
読書家としては、退屈な冬の夜の時間をおおいに短縮してくれる、こんな楽しい本に出合えたことに感謝しよう。
インターネットを駆使したバーチャル旅行という試みについてはどうだろう。
人間がますます怠け者になるだけじゃないかと文句をいわれそうだけど、オリンピックだってゲームが競技に取り入れられる時代だ。
こればっかりはもうすこし長生きをして、バーチャルの未来を見てみたい。
ずるいかねえ、わたしって。
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