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2022年1月 8日 (土)

アフリカ/宣教師の娘

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ポール・セローの旅はエジプトからアフリカ大陸をまっすぐ南下して、南アフリカのケープタウンまで行くはずのものだったから、そろそろ終わりのはずだけど、ヨハネスブルクあたりをうろうろしているとき、彼はそこからモザンビークの首都マプトまでたいした距離でないことに気がついた。
モザンビークはセローがシレ川の川下りをしたとき、いちど通った国である。
しかし通過したというだけで、じっくり国の内部を見たわけではないから、いい機会だと思ったセローは、ちょいとマプトまで往復してくることにした。

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マプトは海に面した街で、セローはあまりほめてないけれど、カーレース場まであり、ストリートビューで見たかぎりではきれいなところである。
ここでは1910年ごろ建てられたという鉄道駅の記述が長い。
アフリカでもっとも美しい建物と書いてあるから、もちろんわたしは写真を探してみた。

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これがそうで、設計はセローの文章によると、エッフェル塔で知られたギュスターヴ・エッフェルだというけど、じっさいは別人という説もあり、セローが見たときは低賃金労働者の宿舎になっていたという。
アフリカでは植民地時代の建物は抑圧の象徴とされて、いい印象をもたれてないから、モザンビーク独立ののちはさっさと破壊されてもおかしくない建物だった。
しかしなんとか破壊されず、いまでも新古典主義の名建築として、アフリカでいちばん美しい駅とたたえられているそうだから、日本のものはすべて日帝残滓といって破壊しまくった韓国より、モザンビークのほうが文明的といえる。

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駅まえ広場に「キオンガの戦い」の記念碑があった。
この戦いはドイツとポルトガルの植民地争いで、兵士として利用されただけのアフリカ人が記念碑にするほど誇れるものではない。
それでもアールデコ様式の女神像といわれると見てみたい。
というわけで、これがその像。
モダーンすぎてアフリカ人に見えないかも。

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べつの場所にはモザンビークの初代大統領だったサモラ・マシェルの像もある。
独立が盛んなころ、アフリカの新しい指導者はマルクス主義に傾倒するものが多く、マシェルさんもそのひとりだった(残された写真で見るとアフリカのカストロといった感じ)。
まだソ連や中国が西側に対抗していたころだから、資本主義に搾取されてばかりいたアフリカ諸国が、その反動として左傾化したのはやむを得ない。
日本だってまだ海のものとも山のものともわからないころは、北朝鮮を賛美する左翼の著名人がたくさんいたのだ。
そうやって社会主義国の支援を仰いだものの、冷戦時代の複雑な国際関係の犠牲になったのか、それともただの航空機事故だったのか、マシェルさんは乗っていた飛行機が墜落して亡くなった。
あとはミステリー・ファンがおもしろがるだけで、あいにくわたしはそんな事故があったことも知らなかった。

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セローはモザンビークについてあまりいいことを書いてないけど、海辺のホテルでのんびり執筆をしていたというから、それほどひどい国とも思えない。
むしろマプトから少し先のサイサイあたりは、風景もよく、欧米人が見つけたリゾート地に見える(この3枚組の写真はサイサイ)。
彼はサイサイでくつろぐつもりでリンポポ線という鉄道に乗った。
惨憺たる列車で、80キロ行くのに午前中いっぱいかかったそうだ。
アフリカでは惨憺たらない列車のほうがめずらしいようだけど、とりあえずその鉄道も紹介しちまおう。

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ネットで見つけたのでいつごろのものかわからないけど、3番目の写真はレールが泥棒に盗まれた跡だそうだ。

列車の客はほとんどがアフリカ人で、そんな中にひとりだけ白人娘がいた。
男の子みたいなやせっぽちの娘で、その中性的なところがセローにはなかなか魅力的に見えたらしい。
そういうタイプの女の子なら、わたしは何人も想像できるんだけど、むかし観た映画のヒロイン、ミレーユ・ダルクみたいな子だったのかもしれない。
で、彼はとなりに座っていろいろ話をする。
さすがに若いころ、黒人・白人問わずアフリカ中の女をくどきまくったセローらしい。

ところが彼女はこれまでもあちこちで見かけた、アフリカ人を救済するんだという使命感に燃えた、とある宗教団体の宣教師だった。
そういうものが大キライなセローは、またねちねちと、なかばからかい半分でいびり始める。
仕事は順調なの?
ここには仕事がたくさんあります。
アフリカ人を救済するのはジミー・スワガード(なんでもテレビ伝道師という人だそうだ)の仕事じゃなかったのかな。
彼はここではとても人気があるのよ。
へえ、ただのいかさま師だと思っていたけど。
セローはずけずけといい、相手は教条主義的で、杓子定規に答えるのはいつものパターンだ。

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同性愛をどう思う?
同性愛は忌むべきものです、レビ記にそう書いてあります。
きみはズボンをはいているから聖書の教えに反しているけど、それはかまわないの?
セローはかって書いた小説のうらづけをとるために、聖書を徹底的に研究したことがあったから、それが同性愛や、女性が男物の服を着ることなどを禁止していることを知っていた。
しかし彼女は、やむを得ないときは聖書を状況にあわせて解釈しなければないないこともありますと頑固で、そつがない。

だいたい人間はいつごろ誕生したんだろう、と彼は訊いてみた。
聖書の信奉者(狂信者?)は、人間はアダムとイヴから始まったという話のつじつまを合わせるために、たいてい科学を無視した考えにとりつかれているからで、セローもそのへんを突いてみたのである。
だいたい4000年から6000年前ごろです。
そのころすでにメソポタミア文明は始まっていたんだけどね。
それはぜんぶデタラメです、聖書にそんなことは書いてありません。

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こういう相手と話しても時間のムダなんだけど、相手がかわいい娘だったせいか、セローのいびりはまだ続く。
そのうち彼女は自分がバツイチであると口をすべらせた。
離婚は大罪じゃなかったっけとセローはとぼける。
だって夫はわたしに暴力をふるったんだものと、彼女ははじめて人間らしいことを言い出した。
そういうことはよくある。
宝くじに当たったこともない亭主にしてみれば、女房がどこの馬の骨かわからない神さまに熱中し、あなたに加護がありますようにと上から目線でいわれておもしろいわけがない。
妻が新興宗教に狂うと、たいていの夫婦が不仲になるのはこれが原因なのだ。
神さまはまず信者の女性が離婚などしないように仲をとりもたなければいけないはずなのに、これも宗教の欺瞞のひとつ。
それは神の与えたもうた試練ですなんていわれたって、女性がほんとうに天国に行ったかどうか確認するすべはないんだし。

それでも彼女はこう矛盾を告白することで、ようやく人間であることをセローに証明してみせたことになる。
気が楽になったのか、彼女は奉仕の実態についても語るようになった。
彼女は以前、施設で孤児たちの世話をする仕事をしていたそうだけど、ある日街で強盗に襲われた。
襲ったのは彼女が施設で世話をしていた浮浪児のひとりだったという。
こういうとき神さまはいったい、どこでなにをしているのだろう。

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景色のいいところで執筆でもしようと考えたセローは、マニサという町でサイサイ行きのバスに乗り遅れ、またマブトにもどった。
マプトでは初代大統領を記念する祝日だったから、サモラ・マシェルさんはいまでもキューバのカストロと同じように、祖国では人気があるらしい。
これは独立広場にあるマシェル像。

セローはヨハネスブルグにもどって、いよいよこの旅で最後になる鉄道に乗ることにした。

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