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2022年2月

2022年2月28日 (月)

沖縄/神さまたち

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那覇市の久米村というところに孔子廟があって、そこに学校があるというので、儀助は県の役人である柳原保太郎、謝花(じゃはな=沖縄に多い名前)寛顕という人を案内人にして、授業参観に行ってみた。
日本では儒教が根づかなかったけど、その精神を尊重する人たちはいて、たとえば神田には湯島の聖堂がいまでもある。
那覇市の孔子廟はなんとかいう学校のそばにあって、(儀助が旅をした明治26年より)320年もむかし、中国の影響が強かったころ建てられたものだという。

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ここでわたしは強国にはさまれた、弱小国の運命について思いを馳せなければならない。
むかしシルクロードに興味をもっていろいろ書籍をあさっていたころ、タクラマカン砂漠にあった楼蘭という都市について知った。
わたしは大陸を旅行中に有名な楼蘭の美女に対面してきて、彼女の写真もパソコンに入れてあるけど、子供がひきつけをおこすとまずいから、ここでは紹介しない。
この国はつねに西方の匈奴におびやかされていて、東方の唐が強大になるとその庇護下に入り、また匈奴が強くなるとそっちになびくを繰り返した。

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沖縄にあった琉球王国も、中国の貢献国であった時代もあれば、日本の薩摩藩に暴力で犯された時代もある。
だから大変だ。
中国から冊封使が来ると、大急ぎで和服を漢服に着替えて日本の掛け軸や美女を隠し、薩摩藩の侍が来るとあわてて逆のことをしていたという。
それでもちゃっかり双方から実利を得ていたこともあったらしく、久米村の孔子廟も中国(清の)の支援で建てられたものだった。
儀助はあとで織物工場に視察に行って経営状況を尋ねてみたけど、あいまいな返事ばかりするのは、中国と日本のあいだにはさまって、両方にいい顔をしていたころの名残であろうと看破する。

孔子廟の門前に石碑があって、漢文で長ったらしい説明が刻んであった。
儀助はこれを全文引用してるけど、漢文の碑にありがちな、重みはあるけど中身はないという形式主義的なものなので、わたしのブログではいちいち紹介しない。
孔子廟や関帝廟ならわたしは本場の中国で見たことがある。
たいてい内部に赤い顔をした本人の大きなハリボテが飾ってあって、その幼児性と悪趣味にへきえきしたものだった。
明治維新になると、中国が建てた孔子廟をうやまうのはケシカラン、そんなものはぶっ壊してしまえという、現在のネトウヨみたいな人間が現れたけど、いちじは廃仏毀釈を熱心にやった明治政府は、すでに冷静になっていて、儒教の学堂でも保護の対象とする政策に切り替えていた。
国粋主義傾向のある儀助も、壊されなくてヨカッタと書いている。
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この孔子廟は現在ではべつの場所に移されて、今度は政治と宗教のからみで批難されているけど、孔子というのはキリストやマホメッドよりも、どっちかというとマルクスやニーチェと似た人だと思うので、わたし的にはどうでもエエ。

儀助が孔子廟に行ってみたら、大勢の生徒が漢籍なんかを読んでいた。
これだけ見るとまじめそうだけど、廟の建物のまわりは草ぼうぼうで、教室はゴミ屋敷のようだったそうである。
儀助は教師をつかまえて、こんなだらしない状態で勉強したってムダだ、まず生徒に掃除を教えなさいと叱責する。
生徒は80人ぐらいいたのに、公立学校に入れる者はひとりもなく、素行もわるかったというから、生徒が率先して教室を掃除をする日本の学校ではなく、自由放任主義で、たまに銃をぶっ放すアメリカの学校みたいだったらしい。

ここでひとつ断っておくけど、だいたい那覇の周辺で太平洋戦争の戦渦に遭わなかった建物や施設はほとんどないのだから、現存する神社仏閣もまず復興されたか移転されたものと思って間違いない。
このブログに載せた写真は戦後のものが多く、かならずしも儀助の見たままの寺社ではないのである。

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戦争で孔子廟もサラ地になり、現在のそれは別の場所に移転していた。
移転するまえの孔子廟は沖縄県庁から近い道路ぞいにあって、地図を見たら、わたしが11月に泊まったアパホテルの並びで、距離も500メートルぐらいしか離れてないじゃないか。
いまそこには記念碑のようなものが建っているそうだけど、ま、知っていたとしてもわたしは行かなかっただろうなあ。
水族館でジンベエザメを見ることに情熱をもやすくせに、神さま仏さまには興味がないもんでね、わたしって。

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儒教ばかりではなく、那覇には真言宗の護国寺もあったので、儀助はそっちも行ってみた。
宗教や観光名所に関心のうすいわたしは、そんなものを見物しようという気はさらさらなかったけど、この文章を書くためにあらためてストリートビューで確認してみたら、護国寺のすぐとなりに波上宮という神社があって、奈良の春日大社と興福寺みたいに、神仏が合体した神域になっているらしかった。
ちなみに沖縄には琉球八社というものがあって、それは波上宮から始まって、末吉宮、安里八幡宮、天久宮、沖宮、識名宮、普天間宮、金武宮の八つだそうだ。

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儀助は護国寺で高野山から出張してきた坊さんに話を聞いてみた。
どうですか、布教の具合は、調子いいですか。
いやあ、数年間いろいろと努力してみたんですけど、ここは信者を増やすのがむずかしい土地ですねえ。
となりでプロテスタントの牧師さんも頑張ってますが、あちらも信者は神学校の生徒がちょぼちょぼいるだけですし、うちの総本山では、信者が50人も増やせればオンの字といってますわ。
あまり景気のいい話はないようだ。

布教がむずかしい原因は、沖縄にはもともとノロクモイ、ヨタなどという、地域密着型の占い師みたいな神さまがいたせいである。
あとで北部沖縄の国頭(くにがみ)村に行ったとき、儀助がそのへんの事情を聞いてみたら、ノロクモイのほかに地域密着型の神さまとして、アシヤゲ、アシビタムト、イタムト、さらに火の神、根神屋、地頭神、掟神、人勢頭神、根神、嶋方神など、八百よろずに匹敵するような神さまがぞろぞろいた。
日本型神道の後援者をもって任ずる明治政府は、邪教だ、迷信だといって、何度もこれに禁止令を出しているのに、県民はなかなか自分たちの宗教を捨てないのである。

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この護国寺は那覇市内ではめずらしい、「波の上ビーチ」という海水浴場のそばにあるので、夏になると海水浴客が泳ぎついでにお参りに来そうである。
日本の神さまは水着のオンナの子が好きだから、いい御供物になるんじゃないか。
これほど目立つ場所にありながら、儀助の文章はそのことにふれてないから、これも明治時代にはべつの場所にあったのかと思ったけど、建立当初から波上宮と浅からぬ因縁のあった寺というから、やっぱりむかしから海のそばにあったらしい。
わたしのブログは、お寺ばかり紹介するカタっ苦しいものではないから、ここで海水浴場と、水着のオンナの子を紹介してしまう。

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このビーチは道路の高架橋の下にあるちっぽけなビーチだけど、那覇市内ではゆいいつの海水浴場だそうだ。
水着のオンナの子はわたしのサービス。
他人の写真を勝手にブログに載せるのは問題アリだけど、彼女はネットで見つけたどこのだれともわからない外国娘なので、日本のこんな泡沫ブログに文句をいってくることはまずないと思われる。
自分の写真が拡散されて喜ぶのはたいていこういう娘だし、ハダカは外国人でも日本人でもそんなに変わるわけじゃないし。

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儀助は腰弁当で末吉神社にも行ってみた。
やけに宗教関係の視察が多いけど、ひょっとすると内務大臣から、沖縄にどのくらい日本の神道や仏教が普及しているか、偵察してこいといわれていたのかも。
彼が見たところ、4、500年まえの神社仏閣はほとんど日本から伝わったもので、百数十年まえのものは、孔子廟や天妃宮や関帝廟のように中国から来たものが多かった。
日本の神さまは山や川や岩や樹木、床の間や台所や厠など、そのへんの万物万象に宿ったものが多く、沖縄の神さまと共通点があるから、むかしは布教も楽だったのかもしれない。

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末吉神社は、調べてみたらここも戦渦に遭い、1972年に沖縄新興事業で復興が決まるまで、国や県の補助もなく、崩れかけた悲惨なオンボロ社だったそうである。
現在あるものは、残った基礎石をもとに復興された、高い足場の上の、清水のミニチュアみたいな神社だった。
沖縄県指定有形文化財になっているそうで、写真を探すとうっそうとした森のなかにあり、那覇市内にこんな山があったのかと意外に思うけど、ストリートビューで見ると住宅街のはずれみたいなところだった。
祀られているのはイザナギノミコトだというんだけど、イザナギって日本を最初に作った神さまでしょ。
われのあまりたる部分を、なんじの足りない部分と合体させなくちゃなんて、卑猥なことをいってなかったっけか。
そのときついでに沖縄も作ったのか。

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儀助は天徳山円覚寺にも行ってみた。
ここは琉球王朝の菩提寺で、本殿から山門、鐘楼、仁王像などを備えた荘厳な寺だったらしい。
しかし戦渦ですべての建物が吹き飛び、跡地は琉球大学の敷地として使われ、現在ようやく復興計画が持ち上がったけど、完成は2023年になるのだそうだ。
そういうわけで儀助の寺社巡りもこのへんまで。

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2022年2月27日 (日)

砂ぼこり

昼間、買い物に行こうとして、見ると家々の向こうに茶色の砂ぼこりが。
そうか、もう春はすぐそこだなと思う。
わたしの郷里は群馬県で、赤城山から吹きおろすカラっ風が名物のところだった。
むかしの家の近所は田畑が多く、春先の風の強い日は砂ぼこりが黄砂のように舞い上がった。
まずいことにわたしの家は中学校の校庭の風下にあり、吹き込む砂ぼこりもハンパじゃなかった。
親父が結核で入院していたから、勤めに出ていた母親が疲れて帰宅すると、家のなかは砂まみれになっていて、部屋の掃除は毎日の余分な日課のようだった。
ああ、幼かった頼りない息子のわたし。
死んだ母親ともういちど会うことはできないものか。
謝りたいことは山ほどある。

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2022年2月26日 (土)

ウクライナの運命

わからないな。
わたしの知っているところでは、フィギュアスケートでセーラームーンを踊ったE・メドベージェワや、日本にいる美人ユーチューバーなど、ロシアの有名人の多くが戦争反対の声をあげている。
それなのにどうしてプーチンは強引にウクライナに侵攻したのか。

じっと冷静に考えてみる。
もしも彼がウクライナに侵攻しなかったらどうだろう。
おそらく軍部に突き上げられて、権威失墜、ヘタすりゃ大統領弾劾ということもあり得たのではないか。
ほかに選択肢はなかっただろうか。
やっぱり最初からアメリカの言い分が強引すぎたんじゃないか。
米国が話し合いの余地を残しておけば、プーチンも話し合いに応じるということで顔も立ったのに、侵攻するなら武力も辞さないなんて言い方をすれば、相手もコワくて引っ込んだと思われたくないから、簡単にあとにはひけない。
とくに軍部はそう考えるし、大統領といえどこれを止めるわけにはいかない。
やれるものならやってみろというのが、ちょうどいまの状態じゃないか。

そもそも、それ以前の段階として、ウクライナはどうしてNATOに加盟するなんて言い出したのか。
そりゃウクライナの都合で、他国のロシアが口をはさむほうがおかしいといえるけど、しかし先ごろまでロシアとウクライナは血を分けた兄弟のような国だったのだ。
ウクライナに住んでいるロシア人もたくさんいるし、ウクライナに親戚がいますというロシア人も多い。
わたしみたいにむかしから、ウクライナって地理的にも民族的にも文学的にも、ロシアの一部でしょって人間もいるのである。
これではカナダ人や英国人が、いきなりアメリカに反旗をひるがえしたようなものじゃないか。
ロシアがなぜウクライナにと考えるまえに、ウクライナはなぜいまと考えることも必要だ。
ウクライナはNATOの武力が必要なのか、EUにもロシアにも頼らず、自国だけでやっていけなかったのか。

だいたいウクライナというのはどんな国なのだろう。
日本とあまり縁のない国なのでわかりにくいけど、さいわいいまでは日本に来ているウクライナ人がたくさんいる(ロシア人はもっといるけど)。
彼らのあいだで YouTube が大流行りで、たいていのウクライナ人ユーチューバーが日本とウクライナの違いについて語っている。
そのなかのひとりが、ウクライナ人は日本人のように、すなおに医者の言うことを聞かないといっていた。
なぜかというと、ウクライナの医者はワイロを使って医者になった者が多いから、信用できないのだそうだ。

これだけでもウクライナがどんな国なのか想像できるではないか。
白人の国ということで、とうぜん民主主義国であると考えてしまう日本人が多いけどど、これじゃウクライナは東南アジアのどこかの国みたいである。
いや、世界的に見れば、日本のようにまじめな政治家ばかりのほうがめずらしいのだ。
ロシアがウクライナに侵攻しなかったらと考えられる人なら、ウクライナがロシアの警告を受け入れて、NATO加盟を保留したらと考えられないだろうか。
他国に干渉するのはケシカランことだけど、ロシアにはどうしてもそれを阻止したい理由があるのだとしたら。

ここから先は、ちょっと乱暴だけど、わたしがフィクションをでっち上げよう。
ウクライナの大統領はいまだに政治を金儲けの手段だと考える、第三世界の政治家タイプだったとする。
彼はプーチンのように動かぬ官僚を動かすすべどころか、そもそも国のために働くことがどういうことかも知らない。
彼が考えているのはつねに金、金、金儲けの手段はないかということだけだ。
そんな性格はとっくに西側、とくにアメリカCIAあたりに見抜かれていて、こいつは使えるなと、米国はその機会が来るのをじっと待つ。

機会がやってきた。
トランプさんの影響から抜け出せないアメリカは、国がまっ二つに分裂して、よほどのことがないかぎり新しい大統領が国民をひとつにまとめるのはむずかしい。
こういうとき手っ取り早いのは、すべての国民の共通の敵を作り出すことだ。
まず最初に標的にされたのが中国だけど、こちらは何をされても我慢の一手で、その手は桑名の焼きハマグリ。
そこでウクライナの大統領に甘言をささやく。
ウクライナにはロシアから離脱する必要もないのに、彼はこの楽して儲かる方法に飛びついた。
あとはそのまま現在の状況につなげればよい。

もちろんプーチンにも隣国の大統領の性格はよくわかっていて、なぜ国のために汗水たらして働かないのかとじれったく思っていたけど、他国のことだから差し出がましいことはするまいと自制していた。
しかしウクライナ大統領が西側、とくにアメリカの謀略にのって、NATO加盟ということになると話はべつだ。
ロシア大統領のプーチンには、ロシア国民を守らなければならないという義務がある。
ウクライナが西側のミサイルでも配備するようなことがあれば、ロシアにとっては少しづつ堀を埋められていった、秀頼の大阪城のように思えても不思議じゃない。
いまどき冷戦時代の思考でいるのもおかしいけど、そういいたくなるのはアメリカもいっしょだ。
逆の立場だったら米国だってけっして許さなかっただろう。

冒頭のメドベージェワちゃんなどの心配はごもっともだけど、彼女とプーチンでは立場が異なる。
日本で平和にどっぷりつかった女の子と、国民の安全保障に責任を持たなければならない大統領とでは、責任の重みが違うのだ。
だらしないウクライナ大統領を取っ替えたり、ロシア人の多い東ウクライナにくさびを打ち込むていどのことはするかも知れないけど、わたしは早晩ロシア軍は撤退すると思う。
軍事侵攻というと最悪の結果を想像する人もいるけど、ナチスのように相手国を征服するのが目的ではないし、ボスニアヘルツェゴビナのように異なる宗教対立や、ルアンダのようなおろかしい民族紛争をかかえているわけでもない。
自分の親戚もいる同じスラブ人に、ジェノサイドのような手荒な真似をする理由もないのだ。
つい最近までアメリカが中東でやっていたような、小さな子供まで平気でまきぞえにする無差別爆撃にはならないだろう。
つまりアメリカに対してプライドを見せつければOKということだ。

ここに書いたのは、半分くらいはわたしがでっち上げたフィクションだけど、わたしのヨタ話に、どこそこが間違っていると指摘できる人がいるか。

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免許の更新

昨日はわたしの誕生日(のちょうど1カ月まえの25日)。
免許証の更新に行かなちゃ。
高齢者講習も実習も済ませてあるし。
まだ頭は若者なみだって太鼓判を押してもらってあるし。

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2022年2月25日 (金)

沖縄/水とキニーネ

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儀助は離島につきものの、飲料水や農業用の水は足りているのか、どうやって工面しているのかなどという水道の状況を調査することにした。
那覇市は海にかこまれて、浮島といわれたくらい真水の確保がむずかしい土地だったけど、儀助が視察したころは、港から5、600メートルはなれた小禄村に、岩のすきまから真水の湧き出す泉があって、伝馬船でこの水を運んで売る商売もおおいに盛んだったそうである。

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この3枚の写真は真水を汲んで売り歩く伝馬船で、背景からほんのわずかだけど、まだビルが乱立するまえの素朴な那覇のようすがうかがえる。
この泉は「落平樋(ウチンダ)」という名前で、いまでも琉球八社のひとつ「沖宮」の近くに残っていた。

柳田国男の「海南小記」に、上記の落平樋についての一節がある。
よい井戸のある家は少なく、多くはウチンダ(落平)の泉からはるばると汲んできて用いている。
町をつらぬく堀川に潮が満ちて、カワセミの往来がしだいにまれになるころ、ぎいと音をさせて入ってくるのは、すべて水売りの船である。
酒屋の庫にあるような大桶にいくつも汲み入れて、家々に水を配ってまわるのである。
「海南小記」の文章は美しい散文詩のように、わたしたちを古い時代の沖縄にいざなってくれる。
それは同時に、水に苦労した離島の人々の苦難の歴史でもあったけど。

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儀助はこの泉まで行ってみた。
泉のかたわらに由来を記した碑があった。
長い文章だから要約すると
『かっては水汲み場が一カ所しかなかったので、泉に水を求めてくる人間が多く、争いになったり、手ぶらで帰る者も少なくなかった。
井戸が古くなったので、修理をするついでに、責任者を選んであたりを調査させたところ、それまでの井戸の近くに新しい泉が発見された。
おかげで水に不自由する者もいなくなり、責任者は国王から褒美をいただいた・・・・とかなんとか』
ようするにその誉れを、末代までの語り草にしようという記念碑だった。

しかし記念碑が置かれたのはもう80年もまえのことで、儀助がそれを読んだころ那覇市の人口はもっと増えていて、湧き水だけで市民の需要をまかなうのはむずかしくなっていた。
新しい統治者である明治政府は、現在の人口に見合った新しい水道施設を作るべきであると、儀助は本のなかで提言している。 
ついでに那覇市で年間に必要とする飲料水の量まで、人口が26,455人だから63,510石、料金が2,211円と、細かく調査しているところはエライ。

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中国でもフランスのパリでもトルコのイスタンブールでも、施政者というものは水の確保に頭を悩ませた。
都市の維持と民衆の支持を得るために水はぜったいに必要で、戦争と子種を残すことだけが王さまの仕事じゃなかったのである。
日本は雨にめぐまれていたけど、それでも徳川政権は江戸の街に何本もの上水道を掘り、その苦心の跡はいまでも玉川上水や神田上水として残っている。

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もっと詳しく知りたい人は、両国の江戸東京博物館に行けばジオラマがある(この写真がそれだ)。

沖縄のような離島にとって水はひじょうに貴重なものだったから、個々の民家の軒下にも樋をかけ、下の大壺に雨水を貯めるという仕掛けがあったそうで、軒下の壺の数をみれば、その村が豊かであるかどうかもわかったらしい。
前述した「海南小記」には、雨水をためる工夫が具体的に書かれている。
瓦葺きの家が少なかったころは、庭の木にななめに縄を張ったり、フクギの木にシュロの葉をむすびつけ、雨水がそれらを伝って下の壺に溜まるようにしてあったという。

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これは琉球村というテーマパークにある保存古民家の軒下。
壺がいっぱいになったらべつの壺に貯め、そうやって軒下にいくつもの壺が並ぶと、炎天下でボウフラがわくけど、これは数十日で自然と消滅して、上澄みは炎天の甘露水のごとく、飲んで美味しかったと儀助は書いている。
・・・・・ヤバイね。
これって蚊が孵化して飛んでいったってことじゃないのか。
マラリアが蔓延するわけだ。

沖縄県の奈良原知事は、そんな雨頼りの水道ではなく、もっと文化的な上水設備をと政府に要望しているのに、税金のムダ遣いだとか法律改正が優先だとかいって、自分の選挙区のことしか考えない政治家が多く、なかなか実現しなかったという。
現代の日本と似た雰囲気だけど、儀助が旅をした明治時代は、自由民権運動が盛んになり、国会も開設され、第1回目の総選挙もこの3年まえにあって、国会での議論も盛んになっていたのである。
沖縄県民も陛下の赤子であるのだから、なにとぞ聞き入れてやってほしいと、儀助は天皇にまで訴える文章を書いている。

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ちょっと話がそれるけど、泉のあった小禄村というのは、近くにラムサール条約にも登録された漫湖という湿地帯があるところである。
むかし、知り合いとレンタカーに乗って那覇市内にもどってきたわたしは、高架橋の上から川の河口をなにげなく見下ろして、そこに密集したマングローブの森があるのを見てびっくりした。
沖縄だから条件が整えばマングローブがあっても不思議じゃないけど、ええ、こんな街の真ん中に! なんで、なんで。
地図を見てわかるように、ほんとに街のまん中といっていいところなのである。
今度沖縄に行くときはぜったいここに行ってみることにしよう。

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公務の視察の儀助は、埋め立て地の農地としての将来性や、織物工場、うるし工場なども見てまわり、泉崎村というところでは農業試験場の視察もした。
ここで視察の途中、奇妙な文言が出てきた。
「一、ニ機那・『コヒー』の試植を見る」というのである。
農業試験場というのだから、コヒーはコーヒーのことらしいけど、一、ニ機那とはなんのことだろう。
前後の文脈からして、植物の名前なのか、地名なのか、単位なのか、あるいは当時あるはずもないコンバインのことかしらなどと悩んで、ググッてみたり漢和辞典をひいたりしたけど、ぜんぜんわからない。

やけになってこの部分は宿題にしておいたら、あとで西表島まで読み進んだとき、ようやく意味がわかった。
“機那”はキナで、これはマラリアの特効薬キニーネを取る植物のキナノキのことだった。
当時の日本は南方の風土病であるマラリアを撲滅するために、さまざまな方法を模索していたのだ。
この農業試験場ではほかにも、山藍の試植もしていたというから、明治政府が国のため、沖縄県のために、いかにその土地に適した薬用植物や換金作物の発見に熱心だったかわかる。
徳川幕府のあとを継いだ明治政府は、まじめなところまで前政権の政治を引き継いだのだ。
日本に生まれて、ホント、よかった(とわたしは思う)。

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このころはまだ試植段階だったキナノキだけど、すでにキニーネはマラリアの特効薬として日本でも知られていて、儀助はこのあとの視察では、キナ丸という丸薬をたっぷり用意してもらって出発する。
しかし日本でこの薬がいきわたるようになるのは大正時代になってからで、貧しい島民にはまだまだ手が出ないものだった。
儀助はほかにもマラリア対策をいろいろ聞いて万全を期した。
キナ丸は1日3錠をかならず飲むこと、昼寝はしないこと、暑くてもできるだけフランネル(毛布)生地の衣類を着用すること、さらに雨の日は泡盛を飲むことなんて呑兵衛がよろこびそうな対処方法など。

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キニーネが日本で薬品として出まわるようになると、ほかにも公衆衛生の徹底や、住宅環境の改善、蚊取線香の普及?などで、マラリアはほとんど撲滅状態になった。
その後、太平洋戦争で日本軍が南方に進出するようになると、マラリアの本場だし、戦争中ということもあって、一説によると戦闘で死ぬ人間よりマラリアの死者のほうが多かったといわれる惨状を呈した。
しかし戦後は合成キニーネ、つまり工場で人工的に作られたキニーネが出まわるようになり、文化住宅では蚊の出入りも少なくなって、マラリアなんて聞いたこともないという若者が増えてきた。
わたしは何年かまえに熱帯のボルネオに行って、マラリア対策と称して(泡盛がなかったものだか)ビールをがぶがぶ飲んだ。
無事に帰ってこられたのはビールのせいかどうかわからない。

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薬が売れなくなった製薬会社の陰謀かどうか、最近になってこの薬が脚光をあびる事件が起きた。
なんとキニーネがコロナウイルスに効くというのである。
トランプ元大統領もご推薦というから、わたしなんぞはそれだけで信用しない話だけど、ワラでもつかみたいという溺れる人、世間の健全な情報がキライという人、自分なんかどうなってもかまわないと自暴自棄の人が、あくまで自己責任で使うのを止めはしない。
でも世間にこんなうわさをふりまくのは罪でがんすよ。

なお、儀助は沖縄本島を見てまわったあと、八重山に行くことになるけど、そこで見たマラリアの猛威はまさに酸鼻をきわめたものだった。

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2022年2月24日 (木)

バイデンわるい

わたしはプーチンが本格的に侵攻するとは思ってないと書いてきたけど、どうもウクライナの状況がキナ臭くなってきた。
これはみんなバイデンさんが悪いのだ。
なんでいきなりアメリカに原因を転嫁するのだと文句をいわれそうだけど、わたしはあえて転嫁する。

国家間の交渉でも個人の問題でも、相手には相手の事情があると、その立場を理解することが必要なのに、居丈高になって、落としどころや話し合いの余地をぜんぜん見せなかったらどうなるだろう。
いい機会だから徹底的にロシアを叩きのめして、自分の権威を見せつけよう、そうやって米国をひとつにまとめようと、アメリカ大統領が考えたらどうなるだろう。
アメリカはそれでもいいかも知れないけど、ロシアの軍人たちが大人しく引っ込んでいるだろうか。
いくら剛腕といっても、ロシアの大統領は北朝鮮のように神格化された大統領ではないのだ。
プーチンには軍人たちの意見を無視することはできないはずだ。

そんなら初めからウクライナを脅かすようなことをいわなければよかったのか。
しかしロシアの立場では、のどもとに切っ先を突きつけるようなウクライナの背信を見逃すわけにもいかない。
だからロシア人の多い東部ウクライナだけでも手元に残しておこうとする。
待ってましたとバイデンさんが乗り出してきて、このさいロシアを完膚なきまでにやっつけて、自分の支持を集めようとする。
プーチンも対抗しないわけにはいかず、事態はますますエスカレートする。

わたしがこんなことを書くのは、プーチンが一部で言われているほど無法な大統領ではないと思うからだ。
彼は傾きかけていたロシアを立て直した。
ロシアン・マフィアといわれるオリガルヒたちを追い出し、動かない官僚・役人をたちをどなりつけて経済を軌道に乗せ、ロシアの国民をそれ以前よりずっと豊かにした。
これはけっして楽な道ではなかったはずだ。
彼に比べてウクライナの政治家は一体どんなことをしたのか。
かって美しすぎる大統領というのがいたけど、彼女は札つきの汚職大統領だった。
いまのウクライナの大統領がどんな人だか知らないけど、彼の功績というのはなんだろう。
せいぜいNATOにつくか、ロシアのほうが得かと、秤りの目盛を見比べただけではないか。
NATOにもロシアにもつかずに、自国だけで発展する方法はなかったのだろうか。
彼らがそんな努力をしただろうか。

今朝のニュースをみたら、ロシアではプーチンと閣僚のあいだで、発言にくいちがいがあったと、話題になっていた。
なんでもテレビでそのトラブル場面が中継されたそうだけど、わたしはそんな事件がどうどうとテレビ放映されていたことのほうに驚く。
北の正恩クンなら隠密理に闇に葬って、けっしておもてに出さない事件だ。
わたしたちはプーチンのこれまでの足取りを、かなり具体的に知っているけど、これは彼が開かれたグローバル世界の大統領であって、恥ずかしいことはかくす扉の向こう側の独裁者ではないことの証明ではないか。

繰り返すけど、相手の都合は考えず、落とし所も話し合いの余地も残そうとしなかったバイデンさんが、ゼッタイに悪い。
ああいう一方的な見方しかしない人は、わたしたちのまわりにもゴロゴロしているからご注意。

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2022年2月23日 (水)

客観的

今回のオリンピックでいろんな問題が噴出した。
中国は主催者であり、いま世界中からいびられている最中だから、判定については沈黙がカネだを貫いていて、おそらく当事者としてはこれがいちばん賢い方法だろう。
いびる立場のアメリカは、当然なににつけてもいいことをいうわけがない。
とはいえ、あまり露骨では足もとを見透かされてしまうから、ほかのだれかに代弁してもらうことにする。
アメリカに熱心に足並みをそろえて、その役割を担うのが英国で、ここも中国にはケチをつける立場だから、BBC(英国の公共放送)の意見はそのつもりで聞く必要がある。
客観的な意見を聞きたければ、まだドイツやフランスの意見を聞くほうがいい。
同じ自由主義圏の国でも、彼らにはどちらか一方に加担したくない雰囲気があるからだ。
IOCは、最近では主催国やスポンサーに頭が上がらないので、今回の五輪の場合、中国に苦言をいうことはまずないし、日本が主催した五輪では、日本のことをいっぱい誉めていて、韓国の言い分には耳も貸さなかった。
もちろんいびられるもうひとつの国ロシアが、ドーピング問題で自国の選手を責めるはずはないけど、わたしの好きなロシア人スケーターのエリザベータ・トゥクタミシェアが、ちょいと含みのある意見を吐いていた。
ロシア人コーチに理解を示す一方で、あたしなら別の方法でチャレンジするわというのである。
わたしもコーチがひどすぎるとは思わないし、まあ、彼女の意見が妥当なところだろう。

じつはこういうことはウクライナ問題にもあてはまるのだ。
いろんな意見が錯綜して、どの意見を参考にしたらいいのか悩む人もいるんじゃないか。
アメリカや英国のマスコミだけを参考にする人、逆に中国やロシアのマスコミだけを参考にする人(あまりいそうにないけど)、そのマスコミがどこの国の、どんな立場なのかを注意していれば、真実はおのずとわかるものだ。
ネット上には極左やネトウヨの意見が氾濫しているけど、彼らの意見もどこかの国の意見を参考にしていることが多く、ほんとうに公平・客観的な意見というものはめったにないので、ついおせっかいを焼きたくなってしまう。

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2022年2月22日 (火)

沖縄/首里の墓と城

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笹森儀助は那覇に着いた。
明治26年にはまだ那覇港には大型船が横付けできる桟橋はなく、陸奥丸は沖合に錨泊し、儀助ははしけで陸に向かった。
すると桟橋には若い娘からおばあさんまで、数百人の女性がひしめいていて、それがみんな彼のところへ押し寄せてきてきゃあきゃあいう。
現地の方言らしく、なにをいってるかさっぱりわからないけど、どうやら手間賃をとって荷物を運ぶ、つまり駅の赤帽のような仕事をする女性たちらしかった。
スタイルはたぶんこの写真みたい。

この日の泊まりは内地出身の夫婦がやっている旅館である。
そこでおかみに、手間賃20銭で荷物を運ばせたよと話すと、それは法外ですよ、手間は4銭もやれば十分です、あんたらはと、おかみは赤帽女性たちをどやしつけた。
4銭でも赤帽は喜んで帰っていったから、やれやれ、未開の土人といえどもたくましいこと、地理不案内だとつけこまれるわいと儀助はため息をつく。
ここで儀助は“土人”という言葉を使っているけど、これは明治時代には差別用語ではなかった。
沖縄のヘリパッド建設問題で、機動隊員が「この土人が」と叫んで問題になったことがあるけど、いまどき軽蔑の意味で土人という言葉を使う土地があるとは思えないし、最近ではあまり聞かない言葉だから、この機動隊員はたまたま「南嶋探検」を読んだことがあったのかもしれない。
だとすればなかなか学のある男じゃんか。

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那覇に着いた儀助は、まず沖縄の王族だった尚家の墓を見学に行くことにした。
尚家というのは琉球王朝の直系で、明治維新の琉球処分で国王から格下げになったものの、熊本の細川さんのように、まだ名門として当地では名が知れわたっていたのである。
こういう地元の名士に挨拶し、敬意をあらわしておくことは、新参の政治家なんかもよくやっていることだ。

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お墓は首里城の近くだと聞いて歩くことにした。
現在なら首里城までモノレールがあるけど、当時はもちろんそんものはないから、徒歩で行くとなると距離は4~5キロある。
健脚だった明治時代の日本人には楽勝だと思われた。
こんなところに取り巻きを引き連れて行ったら、えらそうな顔をしてと思われてマイナスだろうと考え、儀助はひとりで出かけた。
いまでこそ道中に住宅が密集しているものの、当時はサトウキビ畑のなかに赤瓦、もしくはワラ葺きの民家があるだけで、ところどころにヤシやパパイヤのまじった、樹木の豊富な土地だったのではないか。
けっきょく墓は見つからず、だれかに尋ねても言葉はわからず、腹はへる、わらじは擦り切れるで、彼は夜中にほうほうの体でもどってきた。

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翌日、儀助は県庁の役人や警護の巡査などの案内で、もういちど琉球王の墓に出かけ、沖縄の上流階級の墓がどんなものか詳しく観察している。
この墓は玉陵(たまうどん)といって、首里城に隣接した敷地内に現在でもあって、2018年に沖縄初の国宝に指定された。
いまでは入場料を払えばだれでも見学できるけど、明治時代には皇室や王族の墓は管理がきびしかったから、よそ者が気楽に入れる場所ではなかった。
儀助は内務大臣の秘書待遇だから、お願いして参詣することができたのである。
巡察官である彼の報告はものさしで計ったように詳しいから、玉陵のサイズやかたちは、わざわざ沖縄まで行かなくても「南嶋探検」という本のおかげで知ることができる。

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「墓地はおよそ20間四方で・・・・」
広さをあらわすのに、古い尺貫法の度量が出てきて、若者(のつもり)のわたしは困惑してしまうけど、1間は1.8メートルだから、20間四方は36メートル平方メートルということになる。
国王の専用だけあって、さすがにでっかいお墓だ。
文章はさらに、墓室は「高さ1丈(3メートルくらい)、厚さ6尺(2メートル弱)の石垣をもって二重に囲み、二重の唐門がある」と続く。
墓室の構造は、上に代々の王さまの墓、中間に洗骨場があり、下が王妃たちの墓だったそうである。
洗骨場とはおだやかじゃないけど、沖縄では人が死ぬとお棺に入れて墓のなかに安置し、3年たったら親族が集まって骨を洗い、骨壺に入れてべつの場所に納めるという風習があった。
わたしの知り合いに、わたしとほぼ同じ歳で、おれも子供のころ洗骨をやったことがあるよという人がいるから、この風習は昭和のなかごろまで続いていたらしい。

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王室にかぎらず、沖縄ではお墓は石組みで、破風屋根つきの立派なものが多く、持ち主が金に困ると高値で売り出されることもあった。
なんか不動産みたいだなと、これは儀助も書いている。
お墓の規模についても、士族はこのくらいの広さ、庶民はこのくらいと、細かい規則があったそうで、そんなしきたりを持ち込んだのは、むかしこの島に流れ着いたどこかの坊さんだったという。
墓や戒名は坊主のメシの種だから、そうであっても不思議ではないし、仏教に出会って感動した尚円王という王さまの寄進で、那覇市内に極楽寺という寺が、琉球征伐で薩摩藩に焼き払われるまではあったそうである。

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首里城には何度も行ってるわたしなのに、玉陵は見た記憶がない。
首里城の近くというと、太平洋戦争の末期に米軍の砲撃によって徹底的に破壊されたところだから、玉陵も戦後になって修復されたものだろうと、調べてみたらその通りだった。
ただ儀助の本では、正面にシックイを塗って陽光にはえる壮観なものだったとあるから、復元されたそれは手抜きがあったようだ。
これはガイドブックではないから、玉陵についてこの程度の紹介しかしないけど、歴史などを詳しく知りたい人にはネットに情報があふれている(那覇市のホームページにも載っている)。
ありし日の、本当の玉陵の姿は、儀助の文章のなかにしか残ってないのかもしれない。

儀助は玉陵だけではなく、琉球王朝の開祖である舜天王という人物の墓にお参りしたかった。
舜天王というのは戦乱の琉球を統一した、秦の始皇帝みたいな王さまで、言い伝えによれば父親は強弓で知られた源為朝(みなもとのためとも)だったそうである。
しかし、あとでこれが為朝の矢ですと宝物を見せられた儀助も、インチキくさいなと疑いの目で見ているくらいだから、その部分はどうせでっち上げだろう。
だいたい為朝って沖縄まで来たことがあんのか。
鎮西八郎の異名でわかるとおり、彼は九州に赴任していたことがあるから、沖縄の女性が出張して種を宿したと言い張るには都合がよい。
明治政府は琉球にしても韓国にしても、みんな日本の皇室と親戚だといいたがったから、同じ種類の捏造と思われる。
笹森儀助は愛国者であると同時に、国粋主義者でもあったらしく、やたらに日本の皇室にゆかりのある人物や、御嶽(ウタキ=神社)などを尊重する人であった。

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舜天王の墓のあり場所を尋ねても、みんなあいまいな返事をするばかりで、さっぱりわからない。
あきらめて彼は首里城の見学に行くことにした。
このとき首里城には熊本の軍隊が駐屯していたので、儀助は隊長に面会を申し込む。
軍隊の隊長と内務大臣の秘書待遇(儀助)ではどっちがえらいかというと、これはむずかしい問題だ。
北朝鮮やミャンマーのような先軍主義の国では軍人のほうがいばっているけど、明治の日本ではまだ軍部の独走は始まっていないから、どっこいどっこいだったのではないか。
この場合、べつに文句もいわれず、中隊長が案内をしてくれたそうである。

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ここでも儀助は、トロイの遺跡を発見した考古学者のシュリーマンのようで、想像力のたくましい人なら、戦災や火災に遭うまえの首里城は、彼の本のなかにありありと姿をあらわすだろう。
城郭の敷地面積は2万坪ちかくあったと、また尺貫法だけど、1坪は3.3平方メートルだから、これは66万平方メートルぐらいで、現代的な表現をするなら後楽園球場の6個分ということになる。
城そのものの周囲は9町で、1町はおおざっぱにいうと百メートルだから、ひとまわりすると900メートルあったそうだ。
ほかにも石垣の厚さが2間(3.6メートル)、高さが2丈(6メートルほど)で、頑丈な石の唐門があったとか、正殿は中央のひときわ高いところにあり、その建物は2階建てで西に向かっていること、南北に八つの柱があり、柱には竜の絵が描かれ、これは中国の明の様式だけど、書院や休憩室は日本式だということなど、儀助の報告は税務署の監査なみに詳しい。

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わたしも首里城にはなんども行っている。
城には門が11個あって、そのひとつには「守禮之邦」の額がかかっていた。
この写真がそれで、礼儀を守る国という意味だ。
額の下に沖縄の華麗な民族衣装を着たモデルさんがいて、観光客とならんで写真を撮らせていたけれど、コロナ禍のもとで、あの商売はいまでもやってるんだろうか。
べつの場所に看板があって、「按司(あんじ)も下衆もここで馬から下りるべし」と書かれており、身分に関係なくそれはちゃんと守られていたから、さすがは礼節を知る国だなと儀助は感心する。
ここで「按司」という言葉が出てくることに注意。
これは沖縄の貴族階級のことで、日本の宮家に相当し、儀助の本のあちこちに出てくる言葉である。

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ご存じのとおり、2018年に首里城は火災で焼け落ちた。
去年の暮れに沖縄に行ったとき、わたしは首里城を見物に行ってみたけど、本殿まえの最後の門である奉神門からのぞき込んだだけで帰ってきてしまった。
何度滅びても不死鳥のようによみがえるこの沖縄県民のこころの拠りどころは、わたしが生きているうちにはたしてまた復興されるだろうか。
もうあまり時間はないんだけどね、わたしのほうは。

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沖縄に不慣れな人が、モノレールの首里駅から首里城まで歩く場合は、沖縄県立芸術大学が近道の目印だ。
このへんの路地を入っていくと、首里城のわきに出る。
それを忘れていたわたしは、去年の暮れの沖縄訪問で、行きは龍潭という堀のそばを通る大まわりをし、汗をたっぷりかいたけど、帰りは芸術大学のわきを通って楽をした。
現在の首里城の堀をバードウォッチャーが見ると、野生化したバリケンというめずらしいカモがいて楽しい。

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2022年2月21日 (月)

これまで

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またウクライナ問題について書こうと思っていた。
いかにアメリカが愚劣かを書こうと思っていた。
わたしの意見はおおかたの時流に反して、ロシアを擁護するものだから、それだけでも横並び一線が尊ばれるこの社会に、一石を投じられるものと思っていた。

ところがネット上の掲示板を閲覧していたら、とあるサイトにわたしとほぼ同じ意見を見つけてしまった。
うん、わたしだけじゃないんだね、この問題を別の角度から見る人は。
安心すると同時に、先に書かれて、わたしの書くことがなくなってしまった。
そういうことで本日の更新はこれまで。

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2022年2月20日 (日)

バカリンピック

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いろんなことの起きたオリンピックだけど、いよいよ終了か。
起きたことのほとんどが勝者をかすませるような不祥事ばかりだ。
中国のオリンピックを泥まみれにしようという勢力がいるなら、もくろみは成功したといえる。
気のドクなのは、自分はなにひとつ悪いことはしてないのに、悪評ばかりが広まった中国だ。
ほんとうに責められるべきは、肥大しすぎた五輪にあるんだろうけど、やめちまえというバカや、勝敗よりもいちゃもんに生きがいを見出すバカ、いたいけな少女をいびって喜ぶバカなどはいても、五輪をもとの簡素で清廉な大会にもどそうという人は多くないな。
でも仕方がないさ。
これだけ誰でもSNSで勝手なことをいえる時代だ。
日本だってコロナにめぐりあわせた不運な五輪で、それでも一生懸命やったのに、やっぱり悪口をいわれていた。
残念なのは、高騰した費用をできるだけ抑えようという、むしろ崇高な精神に対してまで、ダンボールベッドが安っぽいなどというバカがいたことだ。
これからは開催国はすべて、そういうバカの批判にさらされることを覚悟しといたほうがいい。
はたして、このバカリンピックの優勝者は?

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2022年2月19日 (土)

またSF的思索

昨今の世情から、SF作家になったつもりで未来を予想してみよう。
アメリカは将来ナチス・ドイツになる。
いまのロシアに対するやり方を見ていると、徹底的に容赦がない。
プーチンにはロシアの国防を考慮しなければならないという大命題がある。
ウクライナがNATOの一員になったら、のどもとに切っ先を突きつけられるようなもので、落ちついて昼寝もできやしない。
むかしキューバにミサイルが配備されようとしたとき、アメリカが断固反対したのと、立場が逆転しただけで同じ状況だ。
そういうことをけろりと忘れたアメリカは、ロシアの場合はゼッタイに許さないと、いや、これは戦略的な謀略だった可能性もあるけど、ウクライナがロシアに造反するのは大歓迎だ。
プーチンにしてみれば、ウクライナを恫喝してロシア側にひきとめておくだけのつもりだったのに、むしろバイデンさんに乗じられてしまった。
米国はこの機会を逃さなかった。
ここでロシアを完膚なきまでに叩きのめし、つぎは中国だ。
世界でゆいいつの超大国になるための、まさに千載一遇のチャンスではないか。
マスコミやネットなど、ありとあらゆる謀略を駆使して、徹底的にロシアを追いつめよう。

未来は暗い。
いまでさえわがまま勝手な米国が、このままではかってのナチスドイツになってしまう。
そんなことはない。
米国は自由主義の民主国家だ。
という人がいるかもしれないけど、いまでもひとにぎりの金持ちが国家権力をにぎる国ではないか。
どんなことでも自分の思いのままにできるということになれば、米国の権力者たちが、それをさらに徹底的に、長期的に不動のものとしようと考えるのは当然のことだ。
米国のリベラルな人々は反対するかもしれないけど、自分もその恩恵を受けるひとりだと思えば、どうも本気にはなれない。
ということは軍国主義時代の日本も証明しているゾ。
日本は米国と同盟国だからとネゴトをこいている人たちにいっておくけど、米国が日本の敵だったときから、まだ100年も経ってないのだ。
これから100年、200年先まで、日米が安定した平和関係を維持できると思うか。
どんな無理をいわれても抵抗しない従順な国になれば、子分にはしてもらえるかもしれないけど、日本人がそんな境遇にあまんじるだろうか。
日本とドイツ(おまけに中国)が一致団結して、やりたい放題のアメリカに立ち向かう日が来るかもしれない。

それまで米国の屋台骨がもつかどうかも含めて、未来のことはだれにもわからない。
もちろんわたしはとっくに死んでいるから、これはあくまでSF的発想である。
どんなガラガラポンの不確実な状況にでも対応できる覚悟はしといたほうがいい。
えっ、そこで生まれたばかりのアナタ。

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2022年2月18日 (金)

低くなったしきい

どこかのサイトで読んだけど、最近炎上のしきいがずいぶん低くなった気がしない?とのこと。
たしかにそうだねえ。
だれでもSNSでかんたんに発信できるし、世の中には羨ましいもの、気にくわないもの、憎たらしいものが多すぎる。
と思う人が多すぎる。
余計なことに頭を使わず、ひたすら自分の趣味に没入しておれば、他人を中傷しようなんて気にはならんよ。

わたしの家では録画機がこわれた。
修理に出そうと、裏の配線を引っこ抜いたら、あとが大変だ。
外から入っているテレビのケーブルは1本だけなのに、それを部屋のなかでテレビやネットなど、いろんなものに分配しているから、配線も文字どおりネット状態で、あとの復元を考えると頭がイタイ。
これでは自分のカラに没入せざるをえない。
ほんと、他人にいちゃもんなんかつけているヒマがないワ。

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2022年2月17日 (木)

沖縄/薩南航路

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鹿児島湾を出ると、儀助のもとに陸奥丸の1等航海士がやってきて、航路についてあれこれと説明をしてくれた。
この先にある島は、黒島、硫黄島、竹島の口ノ三島と、さらに口ノ島、中ノ島、臥蛇島、平島、諏訪瀬島、悪石島、宝島などですと。
このうち硫黄島というのは、クリント・イーストウッドの映画「硫黄島からの手紙」に出てくる日米の激戦地ではなく、平家物語の俊寛僧都が島流しになった鬼界ケ島のことだろうとされている。
平安時代に九州の果ての島とは、またえらく遠くまで流したものだけど、そのころから薩南諸島は流刑地として都でも知られていたのかと感心してしまう。

冒頭の2枚の写真は硫黄島だ。
この島には活火山があって、島のまわりの海はつねに硫黄で黄色く濁っているというものすごい島だ。
身から出たサビとはいえ、気のドクな俊寛さんは、この島で足摺りをしたあげくに孤独死したわけで、島内にその住居跡が残っているというから、上陸して写真でも撮ってこようかと思ったけど、それではたんなるガイドブックになってしまう。
わたしのブログは儀助の見たむかしの沖縄と、わたしの見た現代の沖縄を比較しながら歩こうというものなので、儀助もわたしも寄りもしなかった島で道草を喰うわけにはいかない。

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船の航路について興味があったので地図を見てみた。
陸奥丸は鹿児島を出たあと、奄美大島を経由して沖縄の那覇港に向かうことになっており、この航路でまず目立つのは種子島と屋久島だ。
しかし文章のなかに種子島はぜんぜん出てこないから、儀助の船は寄港しなかったようだ。
屋久島と口永良部(くちのえらぶ)島のあいだの海峡は通ったらしい。
この海峡はフェリーに乗ったわたしも通ったはずだけど、時間が早朝の5時ごろで、まだまっ暗だったからなにも見えなかった。
屋久島には九州の最高峰・宮之浦岳がそびえているだけではなく、縄文杉や大王杉、猿、鹿など自然が豊富で、「もののけ姫」の舞台といわれるくらいうっそうとした森に覆われているところだから、ひと目でいいから見たかったけどねえ。
くやしいから海の上から屋久島と口永良部島はどんなふうに見えるのか紹介しておく。

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船が海峡を通過中、儀助は1等航海士に、このへんの潮は速いのかねかと訊いてみた。
速いなんてもんじゃありませんよ。
鳴門のうず潮を何倍にもしたようなところなんで、へたに舵をあやまると、あっという間に3、40海里は持っていかれます。
コワイねえと儀助。
だから灯台が必要なんですと、航海士の説明はまた陳情めいてくる。
これはちょっと意外だけど、儀助が旅をしたころは、佐多岬を過ぎると、あとは沖縄・先島まで灯台がひとつもなかったそうである。
船舶の安全のために、あの島のあそこと、この島のかしこに灯台を置くべきですと航海士は訴える。
帰ったらお上にそういっときましょうと儀助。

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じっさいに儀助の口利きが効いたのかどうか知らないけど、その後海峡に面した岬に「屋久島灯台」ができた。
この灯台は儀助の旅より4年あとの明治30年(1897)に設立されたもので、日本の灯台のなかでも歴史は古く、いまでは登録有形文化財だそうだ。
ストリートビューと、ネットで見つけた古い写真でこの灯台も見ていこう。

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海峡の対岸の口永良部側にはメガ崎灯台というものがあるけど、これはそんなに古いものではないらしく、ローカルな灯台なので写真を見つけるのにてこずった。
これは衛星写真と、「フリーター旅に出る」というサイトで見つけたメガ崎灯台。

話が横道にそれるけど、日本人の先祖は、大陸から朝鮮を経由した主要グループをのぞけば、フィリピンや台湾あたりの南方から、島伝いにやってきたグループもいたという説がある。
島伝いの場合、コロンブスのように運を天にまかせて、まったく見ず知らずの大洋に乗り出したのか、あるいはなにかしら確証があって舟を漕ぎ出したのか、つまらないことだけどわたしはそれがずっと気になっていた。
今回の旅では、はからずもそれを自分の目で確認することとなった。
南西諸島は鹿児島から台湾へ向かって、東シナ海に円弧を描くように連なっていて、島からさらに先のべつの島が見えることが多い。
たとえば台湾の高い山に登れば沖縄の与那国島が見えるし、与那国まで来れば西表島が見え、西表島からはさらにつぎの島が、という具合だ。
だからこの先にも島があるという確信をもって、島から島へと渡ってきたのだろうと考えることは、けっしてデタラメな話ではない。
なかには台風で吹き流された不運な漁師もいたかもしれないけど、古代の人たちは決してやみくもに漕ぎ出したわけではなかったのだ。

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儀助の陸奥丸は奄美大島にやってきた。
ここでも1等航海士が、あそこに見える武運岬にも灯台が欲しいですねという。
武運岬というのはこの地図のチェックマークのあたりだけど、衛星写真でそのへんを眺めてみても、灯台らしきものは見当たらなかった。
わたしが灯台の許認可権限をもってる役人なら、どのへんが灯台建設にふわしい場所かと頭をひねることになる。
たとえば同じ地図の、西にむかって張り出した岬のとっつきなんかどうだろう。
このとっつきにある曽津高崎(そっこうさき)灯台は、明治29年、つまり儀助の旅の3年後に設立だというから、武運岬に作る計画がこっちに変更になったのかもしれない。

儀助の旅の翌年から日清戦争が始まり、灯台の必要性を感じた日本政府は、戦争が終わったあと、日本中の津々浦々に灯台をぶっ建てるようになった。
曽津高崎は太平洋戦争のとき陸軍の観測所があったところで、灯台を建てるのにふさわしい場所だけど、惜しいことに、現存する灯台は昭和になって建て替えられたものだそうだ。

儀助の陸奥丸とわたしの乗ったフェリーは、向きが逆だから時系列通りに紹介すると頭が混乱してしまう。
ここでは明治時代の陸奥丸に乗ったつもりで、鹿児島から沖縄に向けて航海しているように書いているけど、じっさいにはわたしは、昼に与論島、午後に徳之島、夕方に奄美大島、翌朝に屋久島、最終的に鹿児島という順番で見てきたので、逆向きという点に留意してもらいたい。

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わたしはすべての島を見てみたかったので、昼間はずっと上甲板やラウンジから景色を眺めていた。
まだ暗いうちに到着した屋久島でも、わざわざ起きて写真を撮りに行こうとしたくらいだけど、どの島でも上陸はしてないので、写真は停泊中の船の上から撮ったものしかない。
ただ、ありがたいことにこれは日本の旅なので、たいていの島をストリートビューがカバーしているから、沖縄までの航路の主要な島々はそれで眺めてみよう。
鹿児島と沖縄の中間にある奄美大島は、儀助も寄った島なので、念入りに紹介する。
すぐ上の6枚の写真は、奄美の地図と、ストリートビューの奄美大島で、ここはアマミクロウサギとハブが有名だ。

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旅好きにとって、船の上から桟橋を眺めているだけでも退屈はしない。
徳之島ではフェリーに貨物列車の車両のようなものが積み込まれたので、なんだろうと思ったら、ウシを生きたまま運ぶコンテナだった。
このとき見たのは食用ウシで、合理的なのか残酷なのかわからない。
この島の名物には闘牛があるけど、そっちのほうがまだしも、動物の愛好家が安心して見ていられるもののようだ。

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沖永良部(おきのえらぶ)島は名前がロマンチックで、なぜかその名前から白ユリを連想してしまう。
この島とユリの花を結びつけるなにかがあったっけと考えてみた。
調べてみたら島の名物がエラブユリというユリの花だそうで、民謡や歌謡曲にもなっているという。
しかしそんな民謡は聴いたことがないし、YouTubeで朝丘雪路がうたっているナツメロを聴いてみたけど、記憶に残るような歌じゃなかった。
詩か小説に出てきて、それが頭のすみに引っかかっていたのかしらと、ボケぎみの頭でいまも考えている。

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陸奥丸の航海通りにいくと、薩南諸島のなかでいちばん沖縄に近いのは与論島である。
すぐ上の写真で水平線上に霞んで見えるのが沖縄本島で、このふたつの島はこれほど近い(ちなみに与論島までは鹿児島県の領域)。
船から見える外観も、お皿をひっくり返したような扁平な島で、周囲の海も珊瑚礁の島であることが一目瞭然の美しさだったから、機会があったら出直してみたいものだ。
笹森儀助は東北の出身だから、珊瑚礁の海を見たのは初めてのはずである。
文章のなかに、きれいだとか美しいとかいう褒め言葉はほとんど出てこないけれど、写真もテレビもない時代にコバルトブルーの海を見てどう思っただろう。

若いころ海上自衛隊にいたわたしは、蜃気楼のもえる夏の海、霧のたちこめる冬の海、なぎの海、嵐の海、まっ青な昼間の海から満天の星の海など、陸上にいたのではけっして見ることのできない海のさまざまな形態を、いやというほど見た。
こればっかりは帆船時代の船乗りが見たものと変わらないはずだから、ピークォド号のイシュメールになったような気分をおおいに満喫したものである。
それで今回も、クジラでも見えないかと海にずっと注意していたけど、沖縄を出てすぐに、海面すれすれを飛翔するトビウオと、徳之島の近くでイルカを見ただけだった。
わずか1日の航海で、3年間の自衛隊生活で見たものを全部見られるとは思わないから、これは仕方がない。
ぼんやり海を眺めていると、いろいろな思いが湧いてくる。
きっちりと仕事をこなし、リアルに徹した儀助とちがって、わたしの旅は脳内妄想の部分が多いから、バーチャル旅行にふさわしいのである。

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2022年2月16日 (水)

時代おくれ

他人をけなすのに過去の事例を持ち出す人がいる。
相手をけなせばいいのだから、現在はそうではないということが、いくら説明してもわからない。
ロシアを見れば、かって東欧諸国に侵攻したソ連を連想し、中国を見れば、毛沢東の独裁時代を連想する。
日本に対しても、東日本大震災のとき朝鮮人虐殺なんか起きてないのに、いまでも関東大震災だけはひきあいに出す人がいる。

時代はどんどん変わる。
つねに、現在でもそれは起こりうることかどうかを考えることは大切だ。
反露、反中、そして反日主義の人たちにいいたいけど、現代は覇権主義の時代じゃない。
戦争はいまでもなくならないけど、他国に押し入って、英国やスペインがやったと同じことができると考える国がどこにある?
正義をいうなら、米国はどうしてこの瞬間にも救いを求めている、北朝鮮やミャンマーの国民をほうっておくのだろう。
オリンピックだって、被害を被った選手本人はさっさとあきらめているのに、なんとかSNSの「いいね!」を増やそうと、まわりで騒いでいる人がキライです、わたしは。

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2022年2月15日 (火)

なんなのヨ

YouTube もココログもSNSの一種で、両方とも視聴者の投稿で成り立っている。
YouTube 
ではしろうとが投稿した映像を、だれでも観られるようにしており、ココログはやはりしろうとが投稿したブログを、だれでも読めるようにしている。
にもかかわらず、そこから先がだいぶ違うな。

ユーチューバーは、いまや子供が将来なりたいと熱望する職業で、当たればこれでメシを食っていくことも可能だそうだ。
ココログはそうじゃないねえ。
ココログでメシなんか食えるのか。
自分の商売の宣伝をココログでするような、変則的なやり方で食っていこうとする人はいるかもしれないけど、それでも広告効果は微々たるもので、とてもこれだけで食っていけるとは思えない。

どこで道を誤ったのか。
グーグルの代わりにココログが YouTube を買収していれば、いまごろ運営者は天文学的な広告収入で左団扇の生活をしていられただろう。
わたしみたいなココログの投稿者も、利益のお裾分けにあずかって、いまごろは世間から羨望の眼差しで見られていたことは確実だ。

じっさいやっていることは YouTube もココログも大差はない。
どっちかというとココログのほうがいくらか真面目というだけで、どちらもしろうとが自分勝手なことをわめきあって、自己満足しあっていることは変わりがないのである。
ココログに映像が載せられれば、下着をチラ見させる女の子が続出することも間違いがない。
痛しかゆしだけど、すると広告の提供者も増えるのではないか。
儲かるのではないか。

まあ、グーグルは超一流の世界企業で、ココログは日本のローカル企業だから、とても YouTube を買い占めるわけにいかなかったこともわかる。
しかしソフトバンクもソニーも YouTube に手を出さなかったところをみると、この勇気のなさは日本人のもって生まれた宿痾のようなものかもしれない。
こんな意気地のない商売を続けていたのでは、とっても世界企業になるのは無理だ。
同時にわたしが濡れ手にアワで儲けることも不可能だ。
提言するけど、この世界では老舗のニフティサーブが、世界のSNSに進化するためには、もっと価値あるブログ(わたしのみたいな)を大切にしなければいけない。
それがグーグルや YouTube に匹敵する世界企業への第一歩だ。
2、3日まえのわたしのアクセス数、39だって、ありゃいったいなんなのヨ。

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2022年2月14日 (月)

見知らぬヒト

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まだフェイスブックが悪あがきをしているな。
今日はわたしのところにキルギス人から、お知らせが来ていた。
お友達になりたいらしい。
しかし美女でもないし、馬が自家用車代わりの男性で、彼のFBフレンドは4797人もいるという。
キルギスには行ってみたいけど、その他大勢の友人のひとりになっても仕方ないよ。

このキルギス人はいったい全体どうやってわたしのことを知ったのだろう。
わたしの友人のだれかが間にいるのか、それともFBのほうで会員を増やそうと勝手に紹介してきたことなのか。
どっちにしても調べようがないワ。
キルギスまで行く予定もないし。

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2022年2月13日 (日)

ミステリンピック

あー、わっからん、今回のドサまわりンピック。
ミステリー・ファンには思いもかけない謎とき問題を提供してくれたみたい。
単細胞な中国ギライの人にとっては、みんな中国が悪い、中国政府の陰謀だでおしまいだけど、ミステリー・ファンはそうじゃない。
そんなに簡単に答えが出せてしまっては、謎ときにならない。

たとえばスキージャンプの沙羅ちゃんだけど、ふつうなら彼女が失格になっていちばん得をする人間が怪しいというのがミステリーの常道だ。
ところが彼女が失格になっても、中国には代わりに上位にくいこめる選手はいそうもないし、ご存じのように、得をしたはずのドイツやノルウエーの強豪選手まで失格になっちゃって、1位が転がりこんできたスロベニアだって、マスコミが取り上げるのは失格問題ばかりで、自分たちの実力が正当に評価されないと文句をいう始末。
これでは三方みな損という感じで、犯人がいないミステリーってことになる。

ハーフパイプの平野歩夢選手にしてもそう。
あきらかなインチキだと、平野選手の対抗馬のいる米国でさえおかしいというくらいだし、なにか裏があるとすれば、アジア人嫌いという審査員の個人的ヘイトぐらいしか思いつかない。
しかしそんな審査員がなんで今回のオリンピックだけにたくさん出てくるのか。
はっきりいえるのは、平野選手が減点されて得をする中国選手はいそうもないってこと。

ロシアのフィギュアの可愛い子ちゃんから禁止薬物が検出というニュースも、ホントかウソか知らないけど、これも得をする選手は、中国にかぎればいそうもない。
こうやって考えれば、ほとんどの場合、中国は無関係としか思えない。
それでは犯人のいないミステリーなのか。
いやいや、ほんとうのミステリーマニアなら、これでも犯人をあぶり出すだろう。

ようするに、もっと大きな観点で、今回のオリンピックそのものを泥まみれにしようという勢力がいるのではないか。
審判員のなかにもそうした勢力に忖度して、個別の選手に恨みはなくても、中国のメンツをつぶしさえすればいいというような人間がいたとしたら・・・・
陰険なやり方だけど、これまでのところ中国にしてみれば、インチキをして自国の得になることはひとつもないのだ。

あ、韓国との問題があった。
スピードスケートでこのふたつの国は因縁がらみだから、これなら中国が恨みを晴らすためにインチキをした可能性もないとはいえないかも。
しかし日本人からみると、ぜんぜん気にならない話題だから、これをもって中国を悪らつと呼べるかどうかわからない。
このくらいの推理をしないと、せっかくの謎とき問題がつまらないものになってしまいますヨ、皆さん。
中国のことになると冷静さを失ってしまう人が多いので、反対の推理をしてみました。

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2022年2月12日 (土)

今年の福寿草

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今年もぼちぼち花便りが聞こえてきた。
先陣を切って庭にフクジュソウ(福寿草)が出てきた。
去年と同じ時期に、同じ場所に、同じようなかたちをして。
まあ、つまらない花だ。
今年は色を変えてみるとか、すこし別の場所に顔を出すとか、新機軸でやってくれないと、写真を撮るのもマンネリでつまらない。
明日はまた雪らしいから、雪のなかから顔を出している写真が撮れれば、あとで差し替える予定。

追伸/朝起きたらもう雪は消えていたので、写真ありません。

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沖縄/旅立ち

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笹森儀助の「南嶋探検」は紀行記ではなく、本来は中央の役人による公務の巡察日誌だった。
そういうわけで役人らしく人口の内訳や土地台帳、土地の特産物や地方自治体の予算、住民の生活様式、医療事情、教育事情など、内容は細かいところまで徹底しているから、いまのわたしたちが見るとへえっと驚くような記録もある。
それだけにこの本から、明治時代の沖縄がどんなところだったのか、得られるものは大きい。
柳田国男や折口信夫らつぎの世代の民族学者たちが、この本をバイブルとしてあがめたてまつったのも無理はないのである。

前項で旅立ちの辞を紹介したけど、そのあとに緒言というものもあった。
これは本の前置きみたいなものだけど、当時の儀助がどうして沖縄に行くことになったのか、彼の心境を知ることができて、いちおう読んでおいたほうがいいものだ。
長いから引用はしないけど、儀助は南方の沖縄へ行くまえに、軍艦に同乗させてもらって北方の千島列島を探検していた。
現在のように冒険に金を出すスポンサーがいたわけではないし、彼はなぜそんな無償の探検をする気になったのだろう。

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彼にいわせると、アジアの全域にわたり、西洋列強の艦船が出没していて、まだ国家が領有宣言をしてない島を探し求めていた。
沖縄にも国家の目の届かない島がたくさんあるはずで、そういうものをきちんと調査しておくことは、国防の観点からも重要だ。
自分はもうすぐ知命の歳(50にして天命を知るという言葉から“50歳”のこと)になる。
探検をするならいまよりほかにはないというのが儀助の言い分だった。

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そんな言い分を聞きつけたのが、ときの内務大臣井上馨で、彼は儀助にじきじきに南島探検を依頼する。
なにしろ大臣のじきじきの依頼だから、探検する当人は大臣の秘書待遇である。
大臣の秘書といったら、いまでも威張っているのが多いらしいけど、明治時代のそれの権限は絶大で、ほとんどの行程で彼には警察官の護衛兼案内がついた。
そんな特別待遇にあまえることもなく、儀助は出発まえに沖縄について詳しい人間から、辞を低くしていろいろと教えを請うている。
そんな臨時講師のなかには、仕事で八重山をめぐっているうち風土病にかかり、いまでも後遺症が残るという植物学者の田代安定や、農林省の技師、沖縄県知事、参事官などがいた。
ここに載せたのは儀介の旅をサポートした、内務大臣と植物学者と当時の沖縄県知事。

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儀助は東北出身なので、沖縄に行くのに、当時重要生産物になりつつあった砂糖が、草から取れるのか木から取れるのかも知らなかったそうである。
岸三郎という農林省の技師が砂糖の現状についていろいろ教えてくれた。
わが国の年間の砂糖消費量はどのくらいですか。
だいたい2億3、4千万斤ぐらいですね、そのうち7、8千万斤は国産で、1億6千万斤は外国より輸入しています。
“斤”なんて度量単位が出てくるといまの人にはさっぱりわからないけど、1斤は600グラムということが、儀助の旅の2年まえ(明治24年)に制定されたばかりだった。
つまり1億斤は600億グラムということで、これをトンに直すのは・・・・メンドくさくない人は計算してみればよい。
輸入はやめられないんですかと儀助が聞くと、日本全国のサトウキビ畑を、もっと効率的に開拓・運営すれば、やめても充分足りるはずですと技師は答えた。
みんなえらぶったところがなく、気持ちよく教えてくれたと儀助は感謝している。

この岸三郎という人は長野県の出身で、日本の製糖業の発展に功績のあった人らしいけど、写真は見つからなかった。
これはネットで見つけた彼についての文章の断片。
明治9年内務省勧農局に甜菜糖製造者として雇用されたのち、明治11年2月に糖業取調のために政治家・松方正義に随伴してフランスに渡航した。
帰国後、農商務省に所属して、沖縄をはじめとして各地の製糖技術の指導に当たり、近代製糖業の発展に尽くした。

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しかし気持ちいい人間ばかりではなく、鹿児島県庁で質問した書記官にはこんな人もいた。
新聞によると八重山島民の負債は60万円に上り、島全体を売り払っても足りないそうですが。
そんなことはない、製糖事業を改良し、発展させれば負債はなくすことができる。
それでは会計の明細を見せてください。
島庁に置いてあるので見せられない。
ものごしは丁寧だけど、不親切な役人もいたらしく、国民に奉仕すべき牧民の官(地方長官)がこれかと、儀助は怒って帰ってきた。
島をめぐっているあいだに、儀助は島民の膏血をむさぼるような役人・商人をつぶさに見ることになる。

大臣の秘書待遇ということで、海運会社のCEOである林善左衛門という実業家も面会にやってきた。
この人は鹿児島県人で、本名を林徳太郎といって、明治15年に政府から払い下げてもらった大有丸という船で、鹿児島~沖縄航路の海運会社を設立した人だそうだ。
彼のいうのには、いやあ、うちの大有丸は年間に4回航海すればOKということで請け負ったんだけど、今年はもう18回も航海しているのに、お金は最初の契約金のままですよとぶつぶつ。
個人の要望はなかなかお上まで届かないものだから、これは陳情の意味もあったのかもしれない。
いまもむかしも大臣秘書の仕事は陳情を上手にさばくことだから、儀助もまあ、上に伝えておきましょうぐらいのことはいったんじゃないか。

儀助は鹿児島から、徳太郎さんのものとは別会社の、陸奥丸という船に乗って沖縄に向かった。
このブログのポール・セローの紀行記を読んだ人は知ってると思うけど、わたしは船の写真を見つけるのは得意なほうなので、ネットでこの古い船を探してみた。
総トン数800トンの貨物船だそうだけど、残念なことに陸奥丸という船名はポピュラーらしく、第1陸奥丸、第2陸奥丸などと番号違いの同名船が多く、なかには北海道で211名の死亡という海難事故を起こした陸奥丸もいて、肝心の沖縄航路の船はとうとう見つけられなかった。

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ここに載せたのは林徳太郎さんの大有丸の写真で、「名船発掘」と「津々浦々 漂泊の旅」というホームページに載っていたもの。
陸奥丸は同時期に運航していたやはり石炭燃料の船だから、大きさもかたちもこれと似たようなものではないか。

わたしは去年の暮れの沖縄旅行で、最後は沖縄から鹿児島までフェリーに乗って帰ってきた。
そういうことで向きが逆になり、順番も逆になるけど、わたしがそのとき乗ったフェリーについて紹介する。
連載2回目にして、早くも明治の旅と令和の旅のコラボの始まりだ。

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フェリーに乗るのはいいけど、ちと不安もあった。
わたしはむかし海上自衛隊にいたので、船に強いと思われているけれど、それはもう半世紀以上まえで、いまは足がへなへなのもうろくじいさんである。
鹿児島航路は24時間ちかい船旅だから、船酔いするかもしれない。
しかし沖縄の本部港で、やってきた船を見て安心した。
これはでかい!
現在、沖縄~鹿児島航路は、フェリー会社が2隻の船でピストン運航をしており、使われている船は8000トンクラスで、わたしが乗り組んでいた自衛艦の4倍もある。
上甲板から見下ろすと、海面までは3、4階建てのビルぐらいありそうで、文字どおり大船に乗った気持ち。
クィーン・エリザベスにはほど遠いものの、レストランや展望デッキ、シャワー室などがあって、お手軽に船旅の気分を味わってみたいという人に好適な船だった。

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船内の写真は時計まわりに左上から、食堂、自販機、売店(自衛艦ならPXということになるけど、おにぎりが100円、カップヌードルが200円で売られていた)、シャワー室の入り口。
つぎの写真はラウンジにあったスマホ用の充電装置(無料)。

船の料金は1万5千円ぐらいした(2等)。
この季節には沖縄から奄美まで割引があるとかいわれて、こっちも変則的な買い方をしたから、正確な料金はよくわからないけど、これが安いかといわれるとそうでもない。
沖縄から鹿児島までなら、LCCを使えば、飛行機だってもっと安いのである。
それでもシーズンオフで、コロナ騒動のさなかにしては、船を利用する人はけっこういたから、飛行機は落ちるからイヤという人が多いのかなと思ったけど、考えてみたらこれはフェリーではないか。
ほとんどの乗客は車といっしょに旅をする運転手なのだろう。

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これは鹿児島湾(錦江湾)から見た桜島の景色。
わたしは半世紀以上まえに同じ景色を見たことがある。
わたしの乗り組んでいた艦(ふね)が、訓練で日本一周をして、錦江湾にも寄ったときのことだ。
まだ青二才だったわたしは自衛艦の艦橋で、消灯までの小一時間ほど、備え付けのでっかい双眼鏡であかずに桜島を眺めていた。

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現在の桜島は噴火の鎮静期にあたっていておとなしいけど、その当時はちょうど火山の活発な活動期で、まっ赤に焼けた大岩がたえずごろんごろんと斜面を転がっていたものだ。
思えば遠く来たもんだというのは、現在のわたしの心境。

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船が出航すると、まもなく左手に佐田岬、右手には、特徴的な山容を持った開聞岳が見えてくる。
富士山型の優美なかたちをしたこの山は、深田久弥の日本百名山にも選ばれているから、わたしは見逃さないようずっと注意していた。
桜島を見たことのあるわたしは、当然この山も見たことがあった。
払暁の薄明かりのなかに浮かびあがった開聞岳のシルエットは、印象的な映像としていまでも鮮明に記憶に残っている。
まだ日本国内も満足に旅行したことのなかったわたしにとって、自衛隊時代というのは、旅に憑かれた人生の、ほんとうに出発点といっていいものだったのだ。

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2022年2月11日 (金)

カン違いと訂正

えー、沖縄紀行の2回目を仕上げて、安心して風呂に入ってそれを読み返していたら、大きなカン違いがあることを発見しました。
あわててせっかく更新した文章を削除して、ただいまつじつまが合うよう訂正中。
なにせ手作りなのでこれからもこういうことがあるかもしれませんが、あまり期待しないで気長にお待ちください。

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2022年2月10日 (木)

つまらん

ネットに飛び交っている記事を全部信用していたら、今回のオリンピックはまさにドサまわリンピックだね。
結果についてあまりにも不平不満、中傷誹謗が多いところへ持ってきて、フィギュアでもロシアの可愛い子ちゃんがいちゃもんをつけられていた。
これじゃ競技を観る気まで失せそう。
韓国はスピードスケートの結果で中国に文句をいってるけど、この両者はいわくつきの間柄だから、陰謀があってもおかしくない。
とくにいまは中国が、オリンピック以外の場所で袋叩きにされている最中だから、事実なのか陰謀なのか、疑い出したらきりがない。
 
昨夜 YouTubeをのぞいたら、スキージャンプのスーツ違反問題で、バッハ会長激怒という映像が上がっていた。
へえ、この問題で会長が怒るなんて初耳だ、なんか新しい事実でも出てきたんかいなと、いちおう朝日新聞や産経新聞、読売新聞などのサイトものぞいてみたけど、他のマスコミにそんな報道はひとつも出ていなかった。
該当映像もすぐに見つからなくなったから、やっぱりどこかの不満分子がでっち上げたフェイク で、YouTubeの側で削除したのかもしれない。
この競技では有力な中国選手もいなかったし、失格したのは沙羅ちゃんだけではなかったしねえ。

今日はアルペンスキーの男子複合という中継を観ていた。
男女を問わず(正直いうと女子のほうがいいけど)、この競技は迫力があって、わたしは好きである。
でも今回はコースがむずかしかったのか、それ以前の女子回転でも、失敗してコースアウトする選手が多かったような気がする。
これも陰謀であるとみなすこともできる。
むずかしいコースを作って他の国の選手をみんな失格にし、中国の選手だけはあらかじめ徹底的に練習をしておいて、コースをマスターしておけばいいではないか。
というような陰謀論が出てきそうな気がする。
ああ、つまらんオリンピックだな。

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2022年2月 9日 (水)

雪?

明日は雪だそうだ。
でもいまは夜の11時半で、まだひとかけらも降ってない。
ヤフーの天気予報は雪の予報のままだから、降るのは間違いないらしい。
またひきこもりの言い訳ができてしまうな。

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2022年2月 8日 (火)

沖縄/まえおき

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わたしは沖縄について勉強を始めた。
というのは、去年の暮れの沖縄旅行をネタに、国際的紀行作家ポール・セローにまけない紀行記を書いてやろうと、だいそれた(だいだいそれた)考えを持ったからである。
沖縄なんて情報があふれていて、YouTubeにもいっぱい映像が上がってるぞといわれそう。
しかし現代人のぜったいに行ったことのない沖縄があるのをご存知ないか。
じつは最近、「南嶋探検」や「海南小記」という本を読んでいるんだけど、これはいずれも明治時代から戦前にかけての、つまりまだ自然がそっくり残り、迷信や因習が失われていなかったころの沖縄について書かれた本だった。
これを読んで、わたしはまた想像力を駆使したバーチャル旅行を体験してみたくなった。
どうじゃ、沖縄に行ったミーちゃんハーちゃんがいくらいようとも、時空を超えて過去の沖縄を旅した人はおるまい。

上のふたつの本は、古い沖縄について書かれた名著といっていい本だから、年寄りのなかにはこの本を読んだことのある人も少なくないと思われる。
しかしそういう人はとっくに絶滅したか、さもなくば絶滅しつつあるはずで、現在の若いモンがこんな本を読むとは思えない(大学で民俗学を専攻した人以外は)。
わたしは幸運なことに、まだアナログ時代とデジタル時代の境界で生きながらえている。
まごまごしてわたし自身が絶滅するまえに、デジタル時代のスタイルで、つまりパソコンを駆使して、アナログ時代の旅を再現してみようと思うのだ。

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これは大変な仕事である。
なにが大変かというと、またP・セローのときと同じようにネットから集めた情報だけの旅をするつもりなんだけど、そっちでは書いてあることをなぞりながら、現地の地図や写真を収集するだけで間に合った。
今度はまず文章を読み解かなければならない。
とくに明治27年に出版された南嶋探検は、漢文教科書からひっぱってきたような難解な漢字のオンパレードで、ひらがなを使う場所はすべてカタカナなのだ。
これは慣れないとひじょうに読みにくいし、ほかにも現地の過去の情報を集めたり、ウラを取ったり、やることはゴマンとあって、やっぱり老衰死のほうが早いかなと、しみじみ考える昨日今日だ。
しかし先の短いわたしがいつまで悩んじゃいられない。

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ここに載せたのは南嶋探検の冒頭にある、漢文で書かれた儀助の旅立ちの辞。
それを読みやすく現代文に直すと以下のようになるんだけど、わたしは文学部の教授ではないから、明治時代の日本語をきちんと翻訳する自信がない。
わからない言葉が出てきたら飛ばすか、前後の文脈から推察して強引に訳してしまうことにするので、間違っていたら指摘してもらって結構(ただし、いちいち謝りません)。

北海を探究し、南洋にふたたびす。
南嶋みなよろしく甘蔗を製し、台湾・布哇の地をまたず。
よく天鍵をとりて天荒を拓く。
北海を探検したあと、今度は南海に行ってみたら、南の島ではサトウキビの栽培が台湾やハワイに負けないくらい盛んで、恵まれた自然を生かして、未開の地を開拓しておったよという程度の、たいして深い意味はないようだ。

辞はもうひとつあって、そっちはこんな感じ。
沖縄群島は延々として先島に至る。
一帯の地脈、あたかも連珠の塁をなして、はるかに彭湖(台湾の西にある諸島)・台湾諸島と相呼応し、これまことに南海の門戸となす。
八重山に船浮港あり、大島(沖縄本島)に良港十余りあり。
けだし、海宏(台湾の地名らしい)のところは垂涎なり。
而してあに、これ末界のことに付すべけんや。
こまかい意味はわからなくても、なんとなくこれから未知の土地に赴く視察官の意気込みが伝わってくるではないか。

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ふたつの本についてもうすこし説明しておくと。
「南嶋探検」は明治時代に中央の官庁から派遣されて、まだ未開だった沖縄や八重山を見てまわった、笹森儀助という役人の巡察日誌だ。
この写真が儀助さんで、現代でも通じる変人に見えるけど、この旅をしたとき彼は48歳で、当時の沖縄というとハブやマラリアが猛威をふるう野蛮なところと思われていたから、そういうところで冒険をするにはちと微妙な年令だった。
明治時代の沖縄は、基本的に自分の足で歩くしかないところだったのである。

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「海南小記」を書いたのは民族学者の柳田国男で、彼はあの有名な「遠野物語」を書いた人だ。
遠野物語は東北の伝説や言い伝えを聞きまとめたもので、おもしろいといえばおもしろいけど、相手の言ったことをそのまま数行でまとめたものばかりだから、小説や紀行記を読むようにはいかない。
海南小記のほうは、舞台を沖縄や八重山諸島に移したエッセイのようで、こっちのほうが著者がじっさいに見聞きしたことに、説明や感想が加わって、本格的な紀行記を読むおもしろさがある。
おもしろいだけではなく、文章も特筆に値するんだけど、それはおいおいと。

じつは最初に海南小記を読んでいるうち、あちこちで笹森儀助の南嶋探検が引用されているのに気がついた。
ものには順番というものがあるから、それじゃあ先にそっちを読もうと、もちろん終活中のわたしが書物に金をかけるわけにはいかないから、いそいそと図書館に出かけたと思いたまえ。

司書が持ってきてくれた本を見て、あっと驚いた。
あの悪名高い東洋文庫の1冊ではないか。
この場合の悪名高いというのは、読者におもねるところのないガチガチの専門書ということで、歴史の好きな研究者でもないかぎり、一般人が読もうという気になれない本ということだ。
そういうめっちゃ硬派の本であっても、内容が読む人の趣味と合致すれば、これはおもしろいということはあり得る。
わたしは過去にこの文庫シリーズから、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」や、エドガー・モースの「日本その日その日」を読んだことがある。
根っからの旅好きで、いろいろ調べたり、空想にふけることが好きな人なら、おもしろい可能性はひじょうに高いのである。

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わたしは沖縄には何度も行ってるし、去年の暮れにもあのへんをぶらついて、写真をたくさん撮ってきた。
正直いって現在の沖縄、八重山の荒廃ぶりは、残念としかいえない。
わたしがはじめて八重山まで行ったのは、いまから30年もまえのことで、そのころの石垣島、竹富島、西表島の海は、化粧品会社のポスターに使われるくらい美しかった。
あのころに戻りたいと、歌の文句じゃないけど、わたしは切に願う。
同時に笹森儀助や柳田国男をうらやましいと思う。
彼らの本を読んでいると、いつのまにかノロ(祝女=沖縄の女神官)に導かれて、ウタキ(御嶽=沖縄の祠)を訪ね、サトウキビ畑でキジムナー(沖縄の妖怪)の声を聞いている気分になる。
同時にマラリアや害虫がはびこる瘴癘の地で、悲惨なほど貧しかった沖縄の島々についても想像できてしまう。
こんどのブログ連載は、ふたりの先達が見た過去の沖縄と、ヤマトンチューのわたしが見た現在の沖縄との、コラボレーション紀行にしようと思うのだ。
これはビキニの姉ちゃんたちが歓声をあげる現代の沖縄の旅ではないのである。

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いきごんでみたものの、全部ひとりでやらなくちゃいけない仕事なので、もう手いっぱい。
月に1度くらいの連載になるかもしれないし、しろうとのやることだから、間違いやカン違いも多いと思われる。
でもこれは学術ブログや、社会派サイトじゃないのだ。
むずかしいところは東洋文庫を参照してもらい、基地問題などはマスコミや他のブログにおまかせして、わたしはただひたすら自然が豊かだったころの沖縄を、バーチャルで、つまりパソコンの中で旅してみたいのである。
それでは明治26年の沖縄に、ようこそ。

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2022年2月 7日 (月)

観ました

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観ました、張芸謀の中国映画「金陵十三釵」。
中国人が作った南京虐殺の映画だということで、もう観るまえから日本では公開禁止の映画。
ウィキペディアの解説を読んでみたけど、ウィキの記述すら、こちらも映画を観ないで書きやがったなと思わせる内容だ。
なんでも中国でも製作費が記録破りだとか、年間興行収入が1位だとか、中国社会に大きな影響を与えたなんて書いてあるけど、ホントかよ。

南京城内に取り残された女学生たちが、米国人男性と娼婦たちの協力で脱出する話なんだけど、最後もどうもあっさりしすぎてスリルに欠けるし、たとえば米国なら「プライベート・ライアン」や「硫黄島からの手紙」のような、敵味方が殺したり殺されたりするふつうの戦争映画で、そんなに感心するような映画じゃないね。
米国で作品の評判がよくなかったというのは、おそらく期待していたほど日本兵の残虐ぶりが描かれてなかったからじゃないか。
下っ端の日本兵はどうしようもないけど、指揮官や上級士官なんか、いかにも日本軍人らしい立派な人物に描かれていて、いまでは国際的映画監督になった張芸謀のこれが良識というか、限界というか。
あちらのネットにもこの映画をもって、日本をあしざまにいうサイトがあるようだけど、戦争を公平客観的に見つめようとする映画に対して、日本のほうが狭量な考えに陥って、映画の公開もさせんというのはどうなのさ。
文句をいいたい人のためにリンクを張っておくから、自分の目で確認してみて。

https://www.youtube.com/watch?v=T6P0_a9ltk4&t=2910s

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2022年2月 6日 (日)

五輪開会式

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いまじっくり落ち着いて冬季オリンピックの開会式を観てます。
いつも開会式が終わったあとで、この部分がよかったとか、あの国の選手が美人だったとか、どこそこのユニフォームがかっこよかったとか、いろんな意見が飛び交うので、ホントかよと確認するために録画することにしているのだ。
とくに韓国は自分の国のファッションを奪われたなんていちゃもんをつけているらしいけど、ま、日本に関係ないことだからどうでもいいや。

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中国というともうそれだけでキライ、悪の枢軸だなんていう人もいる(わたしの知り合いにもいる)。
まあ、台湾も香港も、アメリカも参加していたし、開会式はべつに問題なかったといっていいんじゃないかね。
各国を先導するプラカード持ちの女の子は、これって選りすぐりなんだろうけど、みんな素晴らしいスタイル(マスクをしているので顔はわからない)。
聖火を点灯する場面でも、中国の聖火ランナーって、どうしてアスリートなのにこんな美人なのって感じ(ヘイト?)。
こうやって平和の祭典を観ていると、いくらアメリカがけちをつけようと、中国という国は動じることがなく、慌てることもなく、ゆっくり確実に、アメリカを凌駕する国になっているなと感じる。

開会式総監督の張芸謀はフランスが出資した映画や、高倉健を起用したり、文化大革命や南京虐殺をテーマの映画を作ったこともある人で、どうもスタンスがわかりにくい人だ。
こういうときは、ようするに便利屋で、イデオロギーに関係なく、どんな映画でも作ってしまう職人なんだろうと思うことにしている。
彼が作ったという南京虐殺の映画、日本未公開だというから、YouTubeをのぞいてみたら、アップされていることがわかった。
で、今夜はオリンピックのあと、それをじっくり観てみることにした。

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2022年2月 5日 (土)

ボケぐあい

ああっ、ついに来たよ、ついに来た!
わたしの認知症も順調にそこまで来た。

今日はこのブログでお馴染みの財閥のO君と会う約束をして、ひさしぶりに列車で出かけたんだけどね。
待ち合わせの場所に、やっこさん、いつになっても来ないから電話してみた。
とっくに待ってるよと不満そう。
会って初めてわかったけど、わたしは待ち合わせの場所を、ぜんぜんおかしいとも思わずにカン違いしていたのだ。
いったいどうしてそうなるのか。
わたしが現役時代ならするはずのないカン違いだった。
うむむむ。
こんなわたしを見て、O君も薄気味わるかったに違いない。
彼は漏洩のプロだから、すぐに知り合いに電話をかけまくって、おいおい、大変だよ、とうとう李白がボケちゃったよと触れまわっているだろう。
これでは恥ずかしくて世間に顔向けできないぞ。

しみじみと来し方行く末を考える。
ボケについて考える。
これは部屋に閉じこもって、ひとりでパソコンにしがみついているのがイケナイのだ。
頭が一ヶ所に停滞し、臨機応変に対処することを忘れてしまっているのだ。
部屋の中ならまだ他人に負けない自信があるけど、ちょっと環境が変わるともうダメ。
考えてみると、最近そういうドジが多い。
認知症ってこうやってじわじわと悪化していくのだね。

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2022年2月 4日 (金)

IT企業の盛衰

米国のGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)に、マイクロソフトを加えた5大IT企業の一角が崩れてきたという。
他の四つがあいかわらずボロ儲けなのに、フェイスブック(FB)だけが落ち目なんだそうだ。
わたしが過去に予告したことが現実になってきた。
マイクロソフトやアップル、グーグル、アマゾンなら利用者にもメリットはあるけど、FBって友達を増やすためのものでしょ。
クリックひとつで、はい、友達一丁上がりだなんて、そんな安直な友達は要らんというのがわたしの考えで、FBのやってることは虚業だと信じていた。
あんなもの、5年後には消えてなくなってるよとブログに書いたのは2018年の10月のことだから、それが当たっているかどうかわかるまであと1年半だ。
でもまあ、ザッカーバーグ君の命運も風前の灯だといっていいだろう。
べつにおどろくことじゃない。
IT企業の盛衰なんてこんなものさ。

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2022年2月 3日 (木)

慎太郎サン

ちょっと遅くなったけど、亡くなった慎太郎サンのことを書いておこう。
彼が政治家として最初の選挙運動をしていたころのこと。
街角の街頭演説の場で、野次をとばす聴衆にむけて、おい、いま発言したそこのおまえ、おまえはこれについてどう思ってるんだと、その場で論争をいどんだのにはたまげた。
ふつう政治家というのは、街頭にどんな論客がいるかわからないし、言い負かされたりしたらみっともないから、面と向かって即興の論争なんかしたがらない。
こいつはたいした自信家だと思った。
中国に支那だとか、韓国人に鮮人だとか、平気で差別用語を乱発するところは感心しないものの、まわりに遠慮しない新人類の政治家があらわれたなと思ったもんだ。
これじゃさぞかし敵も多いだろう。
じっさい左翼関連でけなす人間に事欠かなかったけれど、まあ、日本の政治史に名前をとどめる政治家のひとりといっていいんじゃないか。
ぐちゃぐちゃ煮え切らない政治家より、こういうタイプのほうが、たとえばアメリカなどからも一目置かれるものである。
韓国は故人にまで悪口をいってるようだけど、あそこの政治家はぐちゃぐちゃタイプが多いところだから。

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2022年2月 2日 (水)

芸術作品、欲しい!

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ずっと以前だけど、あるデパートで谷内六郎さんの絵が販売されていた。
その中に欲しい絵があったけど、考えてみるとオリジナルの谷内さんの絵は週刊新潮の表紙用に描かれたもので、純粋の絵画とはいえない。
そこに展示されていたものも、どこかの制作会社が油絵ふうに作り直したレプリカだった。
それでもわたしはその絵がほしくてたまらなかった(安ければ買っただろう)。

最近あらためてビートルズ主演のアニメ「イエロー・サブマリン」を見直してみた。
わたしの部屋にはDVD版のこの映画があるので、見ようと思えばいつでも見られるんだけど、見ているうちに物足りなくなってきた。
というのは、このアニメはジブリ・アニメなどと違って、ひとコマひとコマの絵の芸術的センスが素晴らしい。
若いころ、はじめてこのアニメを見て衝撃を受けたわたしは、レンブラントやゴヤの絵と同じような畏敬の念を、いまでも抱いているのだ。
物足りないというのは、これがDVDであることである。
最近ブルーレイ規格のテレビ番組ばかり見ているわたしには、やっぱり画質がイマイチなのだ。
調べてみたら、この映画のブルーレイ版もとっくに発売されていた。
こうなるとアニメの原画をぜったいに自分のものにしたいというマニアの気持ちもよくわかって、いてもたってもいられなくなる。
しかし年金暮らしのじいさんには、清水から飛び降りる覚悟が必要な値段だった。

こうなると頼みの綱はNHKのBSだ。
プレミアムシネマで放映してくれんものか。
また調べてみたら、今日はスピルバーグの「激突!」というアホな映画が放映されていた。
くそ、いくら放映権料か安いからといって、こんなつまらん映画ばかり流しているんじゃ視聴料を払わんぞ。

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2022年2月 1日 (火)

青少年に告ぐ

まじめな顔をして戦争の脅威をいう人がいる。
そうだろうか。
いま本気で戦争をしたがる国があるだろうか。
ロシアはウクライナがこれ以上EUに接近しなければいいので、武力で相手の国に乗り込む必要があるだろうか。
中国はもっともっと自分の国を豊かにすれば、台湾は熟した柿のように自然に内側に落ちると考えているので、いま武力侵攻なんかする必要があるだろうか。
北朝鮮はやたらにミサイルをぶっ放しているけど、これはこのままでは来年もさ来年も米国に相手にされないと、正恩クンがいよいよ焦ってきたことの証明じゃないか。

だいたいウクライナってロシアの親戚だぞ(親戚がウクライナにいるというロシア人は多いのだ)。
中国がいまのアメリカみたいに、武力をふりまわして世界中でごり押しをするのは、まだもうすこし先だな。
北朝鮮みたいに、ミサイルや核爆弾さえあれば戦争できると考えている人はどのくらいいるんかね。
本気で米国にミサイルを撃ってみれば、たとえそれがグアムでも、その瞬間に正恩クンの運命が極まることはまちがいがない(彼がいまでも生きているかどうか怪しいけど)。
くれぐれも、青少年諸君はつまらぬ扇動に乗るんじゃないぞ。

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