沖縄/まえおき
わたしは沖縄について勉強を始めた。
というのは、去年の暮れの沖縄旅行をネタに、国際的紀行作家ポール・セローにまけない紀行記を書いてやろうと、だいそれた(だいだいそれた)考えを持ったからである。
沖縄なんて情報があふれていて、YouTubeにもいっぱい映像が上がってるぞといわれそう。
しかし現代人のぜったいに行ったことのない沖縄があるのをご存知ないか。
じつは最近、「南嶋探検」や「海南小記」という本を読んでいるんだけど、これはいずれも明治時代から戦前にかけての、つまりまだ自然がそっくり残り、迷信や因習が失われていなかったころの沖縄について書かれた本だった。
これを読んで、わたしはまた想像力を駆使したバーチャル旅行を体験してみたくなった。
どうじゃ、沖縄に行ったミーちゃんハーちゃんがいくらいようとも、時空を超えて過去の沖縄を旅した人はおるまい。
上のふたつの本は、古い沖縄について書かれた名著といっていい本だから、年寄りのなかにはこの本を読んだことのある人も少なくないと思われる。
しかしそういう人はとっくに絶滅したか、さもなくば絶滅しつつあるはずで、現在の若いモンがこんな本を読むとは思えない(大学で民俗学を専攻した人以外は)。
わたしは幸運なことに、まだアナログ時代とデジタル時代の境界で生きながらえている。
まごまごしてわたし自身が絶滅するまえに、デジタル時代のスタイルで、つまりパソコンを駆使して、アナログ時代の旅を再現してみようと思うのだ。
これは大変な仕事である。
なにが大変かというと、またP・セローのときと同じようにネットから集めた情報だけの旅をするつもりなんだけど、そっちでは書いてあることをなぞりながら、現地の地図や写真を収集するだけで間に合った。
今度はまず文章を読み解かなければならない。
とくに明治27年に出版された南嶋探検は、漢文教科書からひっぱってきたような難解な漢字のオンパレードで、ひらがなを使う場所はすべてカタカナなのだ。
これは慣れないとひじょうに読みにくいし、ほかにも現地の過去の情報を集めたり、ウラを取ったり、やることはゴマンとあって、やっぱり老衰死のほうが早いかなと、しみじみ考える昨日今日だ。
しかし先の短いわたしがいつまで悩んじゃいられない。
ここに載せたのは南嶋探検の冒頭にある、漢文で書かれた著者の笹森儀助の旅立ちの辞。
それを読みやすく現代文に直すと以下のようになるんだけど、わたしは文学部の教授ではないから、明治時代の日本語をきちんと翻訳する自信がない。
わからない言葉が出てきたら飛ばすか、前後の文脈から推察して強引に訳してしまうことにするので、間違っていたら指摘してもらって結構(ただし、いちいち謝りません)。
北海を探究し、南洋にふたたびす。
南嶋みなよろしく甘蔗を製し、台湾・布哇の地をまたず。
よく天鍵をとりて天荒を拓く。
北海を探検したあと、今度は南海に行ってみたら、南の島ではサトウキビの栽培が台湾やハワイに負けないくらい盛んで、恵まれた自然を生かして、未開の地を開拓しておったよという程度の、たいして深い意味はないようだ。
辞はもうひとつあって、そっちはこんな感じ。
沖縄群島は延々として先島に至る。
一帯の地脈、あたかも連珠の塁をなして、はるかに彭湖(台湾の西にある諸島)・台湾諸島と相呼応し、これまことに南海の門戸となす。
八重山に船浮港あり、大島(沖縄本島)に良港十余りあり。
けだし、海宏(台湾の地名らしい)のところは垂涎なり。
而してあに、これ末界のことに付すべけんや。
こまかい意味はわからなくても、なんとなくこれから未知の土地に赴く視察官の意気込みが伝わってくるではないか。
ふたつの本についてもうすこし説明しておくと。
「南嶋探検」は明治時代に中央の官庁から派遣されて、まだ未開だった沖縄や八重山を見てまわった、笹森儀助という役人の巡察日誌だ。
この写真が儀助さんで、現代でも通じる変人に見えるけど、この旅をしたとき彼は48歳で、当時の沖縄というとハブやマラリアが猛威をふるう野蛮なところと思われていたから、そういうところで冒険をするにはちと微妙な年令だった。
明治時代の沖縄は、基本的に自分の足で歩くしかないところだったのである。
「海南小記」を書いたのは民族学者の柳田国男で、彼はあの有名な「遠野物語」を書いた人だ。
遠野物語は東北の伝説や言い伝えを聞きまとめたもので、おもしろいといえばおもしろいけど、相手の言ったことをそのまま数行でまとめたものばかりだから、小説や紀行記を読むようにはいかない。
海南小記のほうは、舞台を沖縄や八重山諸島に移したエッセイのようで、こっちのほうが著者がじっさいに見聞きしたことに、説明や感想が加わって、本格的な紀行記を読むおもしろさがある。
おもしろいだけではなく、文章も特筆に値するんだけど、それはおいおいと。
じつは最初に海南小記を読んでいるうち、あちこちで笹森儀助の南嶋探検が引用されているのに気がついた。
ものには順番というものがあるから、それじゃあ先にそっちを読もうと、もちろん終活中のわたしが書物に金をかけるわけにはいかないから、いそいそと図書館に出かけたと思いたまえ。
司書が持ってきてくれた本を見て、あっと驚いた。
あの悪名高い東洋文庫の1冊ではないか。
この場合の悪名高いというのは、読者におもねるところのないガチガチの専門書ということで、歴史の好きな研究者でもないかぎり、一般人が読もうという気になれない本ということだ。
そういうめっちゃ硬派の本であっても、内容が読む人の趣味と合致すれば、これはおもしろいということはあり得る。
わたしは過去にこの文庫シリーズから、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」や、エドガー・モースの「日本その日その日」を読んだことがある。
根っからの旅好きで、いろいろ調べたり、空想にふけることが好きな人なら、おもしろい可能性はひじょうに高いのである。
わたしは沖縄には何度も行ってるし、去年の暮れにもあのへんをぶらついて、写真をたくさん撮ってきた。
正直いって現在の沖縄、八重山の荒廃ぶりは、残念としかいえない。
わたしがはじめて八重山まで行ったのは、いまから30年もまえのことで、そのころの石垣島、竹富島、西表島の海は、化粧品会社のポスターに使われるくらい美しかった。
あのころに戻りたいと、歌の文句じゃないけど、わたしは切に願う。
同時に笹森儀助や柳田国男をうらやましいと思う。
彼らの本を読んでいると、いつのまにかノロ(祝女=沖縄の女神官)に導かれて、ウタキ(御嶽=沖縄の祠)を訪ね、サトウキビ畑でキジムナー(沖縄の妖怪)の声を聞いている気分になる。
同時にマラリアや害虫がはびこる瘴癘の地で、悲惨なほど貧しかった沖縄の島々についても想像できてしまう。
こんどのブログ連載は、ふたりの先達が見た過去の沖縄と、ヤマトンチューのわたしが見た現在の沖縄との、コラボレーション紀行にしようと思うのだ。
これはビキニの姉ちゃんたちが歓声をあげる現代の沖縄の旅ではないのである。
いきごんでみたものの、全部ひとりでやらなくちゃいけない仕事なので、もう手いっぱい。
月に1度くらいの連載になるかもしれないし、しろうとのやることだから、間違いやカン違いも多いと思われる。
でもこれは学術ブログや、社会派サイトじゃないのだ。
むずかしいところは東洋文庫を参照してもらい、基地問題などはマスコミや他のブログにおまかせして、わたしはただひたすら自然が豊かだったころの沖縄を、バーチャルで、つまりパソコンの中で旅してみたいのである。
それでは明治26年の沖縄に、ようこそ。
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