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2022年2月25日 (金)

沖縄/水とキニーネ

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儀助は離島につきものの、飲料水や農業用の水は足りているのか、どうやって工面しているのかなどという水道の状況を調査することにした。
那覇市は海にかこまれて、浮島といわれたくらい真水の確保がむずかしい土地だったけど、儀助が視察したころは、港から5、600メートルはなれた小禄村に、岩のすきまから真水の湧き出す泉があって、伝馬船でこの水を運んで売る商売もおおいに盛んだったそうである。

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この3枚の写真は真水を汲んで売り歩く伝馬船で、背景からほんのわずかだけど、まだビルが乱立するまえの素朴な那覇のようすがうかがえる。
この泉は「落平樋(ウチンダ)」という名前で、いまでも琉球八社のひとつ「沖宮」の近くに残っていた。

柳田国男の「海南小記」に、上記の落平樋についての一節がある。
よい井戸のある家は少なく、多くはウチンダ(落平)の泉からはるばると汲んできて用いている。
町をつらぬく堀川に潮が満ちて、カワセミの往来がしだいにまれになるころ、ぎいと音をさせて入ってくるのは、すべて水売りの船である。
酒屋の庫にあるような大桶にいくつも汲み入れて、家々に水を配ってまわるのである。
「海南小記」の文章は美しい散文詩のように、わたしたちを古い時代の沖縄にいざなってくれる。
それは同時に、水に苦労した離島の人々の苦難の歴史でもあったけど。

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儀助はこの泉まで行ってみた。
泉のかたわらに由来を記した碑があった。
長い文章だから要約すると
『かっては水汲み場が一カ所しかなかったので、泉に水を求めてくる人間が多く、争いになったり、手ぶらで帰る者も少なくなかった。
井戸が古くなったので、修理をするついでに、責任者を選んであたりを調査させたところ、それまでの井戸の近くに新しい泉が発見された。
おかげで水に不自由する者もいなくなり、責任者は国王から褒美をいただいた・・・・とかなんとか』
ようするにその誉れを、末代までの語り草にしようという記念碑だった。

しかし記念碑が置かれたのはもう80年もまえのことで、儀助がそれを読んだころ那覇市の人口はもっと増えていて、湧き水だけで市民の需要をまかなうのはむずかしくなっていた。
新しい統治者である明治政府は、現在の人口に見合った新しい水道施設を作るべきであると、儀助は本のなかで提言している。 
ついでに那覇市で年間に必要とする飲料水の量まで、人口が26,455人だから63,510石、料金が2,211円と、細かく調査しているところはエライ。

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中国でもフランスのパリでもトルコのイスタンブールでも、施政者というものは水の確保に頭を悩ませた。
都市の維持と民衆の支持を得るために水はぜったいに必要で、戦争と子種を残すことだけが王さまの仕事じゃなかったのである。
日本は雨にめぐまれていたけど、それでも徳川政権は江戸の街に何本もの上水道を掘り、その苦心の跡はいまでも玉川上水や神田上水として残っている。

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もっと詳しく知りたい人は、両国の江戸東京博物館に行けばジオラマがある(この写真がそれだ)。

沖縄のような離島にとって水はひじょうに貴重なものだったから、個々の民家の軒下にも樋をかけ、下の大壺に雨水を貯めるという仕掛けがあったそうで、軒下の壺の数をみれば、その村が豊かであるかどうかもわかったらしい。
前述した「海南小記」には、雨水をためる工夫が具体的に書かれている。
瓦葺きの家が少なかったころは、庭の木にななめに縄を張ったり、フクギの木にシュロの葉をむすびつけ、雨水がそれらを伝って下の壺に溜まるようにしてあったという。

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これは琉球村というテーマパークにある保存古民家の軒下。
壺がいっぱいになったらべつの壺に貯め、そうやって軒下にいくつもの壺が並ぶと、炎天下でボウフラがわくけど、これは数十日で自然と消滅して、上澄みは炎天の甘露水のごとく、飲んで美味しかったと儀助は書いている。
・・・・・ヤバイね。
これって蚊が孵化して飛んでいったってことじゃないのか。
マラリアが蔓延するわけだ。

沖縄県の奈良原知事は、そんな雨頼りの水道ではなく、もっと文化的な上水設備をと政府に要望しているのに、税金のムダ遣いだとか法律改正が優先だとかいって、自分の選挙区のことしか考えない政治家が多く、なかなか実現しなかったという。
現代の日本と似た雰囲気だけど、儀助が旅をした明治時代は、自由民権運動が盛んになり、国会も開設され、第1回目の総選挙もこの3年まえにあって、国会での議論も盛んになっていたのである。
沖縄県民も陛下の赤子であるのだから、なにとぞ聞き入れてやってほしいと、儀助は天皇にまで訴える文章を書いている。

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ちょっと話がそれるけど、泉のあった小禄村というのは、近くにラムサール条約にも登録された漫湖という湿地帯があるところである。
むかし、知り合いとレンタカーに乗って那覇市内にもどってきたわたしは、高架橋の上から川の河口をなにげなく見下ろして、そこに密集したマングローブの森があるのを見てびっくりした。
沖縄だから条件が整えばマングローブがあっても不思議じゃないけど、ええ、こんな街の真ん中に! なんで、なんで。
地図を見てわかるように、ほんとに街のまん中といっていいところなのである。
今度沖縄に行くときはぜったいここに行ってみることにしよう。

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公務の視察の儀助は、埋め立て地の農地としての将来性や、織物工場、うるし工場なども見てまわり、泉崎村というところでは農業試験場の視察もした。
ここで視察の途中、奇妙な文言が出てきた。
「一、ニ機那・『コヒー』の試植を見る」というのである。
農業試験場というのだから、コヒーはコーヒーのことらしいけど、一、ニ機那とはなんのことだろう。
前後の文脈からして、植物の名前なのか、地名なのか、単位なのか、あるいは当時あるはずもないコンバインのことかしらなどと悩んで、ググッてみたり漢和辞典をひいたりしたけど、ぜんぜんわからない。

やけになってこの部分は宿題にしておいたら、あとで西表島まで読み進んだとき、ようやく意味がわかった。
“機那”はキナで、これはマラリアの特効薬キニーネを取る植物のキナノキのことだった。
当時の日本は南方の風土病であるマラリアを撲滅するために、さまざまな方法を模索していたのだ。
この農業試験場ではほかにも、山藍の試植もしていたというから、明治政府が国のため、沖縄県のために、いかにその土地に適した薬用植物や換金作物の発見に熱心だったかわかる。
徳川幕府のあとを継いだ明治政府は、まじめなところまで前政権の政治を引き継いだのだ。
日本に生まれて、ホント、よかった(とわたしは思う)。

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このころはまだ試植段階だったキナノキだけど、すでにキニーネはマラリアの特効薬として日本でも知られていて、儀助はこのあとの視察では、キナ丸という丸薬をたっぷり用意してもらって出発する。
しかし日本でこの薬がいきわたるようになるのは大正時代になってからで、貧しい島民にはまだまだ手が出ないものだった。
儀助はほかにもマラリア対策をいろいろ聞いて万全を期した。
キナ丸は1日3錠をかならず飲むこと、昼寝はしないこと、暑くてもできるだけフランネル(毛布)生地の衣類を着用すること、さらに雨の日は泡盛を飲むことなんて呑兵衛がよろこびそうな対処方法など。

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キニーネが日本で薬品として出まわるようになると、ほかにも公衆衛生の徹底や、住宅環境の改善、蚊取線香の普及?などで、マラリアはほとんど撲滅状態になった。
その後、太平洋戦争で日本軍が南方に進出するようになると、マラリアの本場だし、戦争中ということもあって、一説によると戦闘で死ぬ人間よりマラリアの死者のほうが多かったといわれる惨状を呈した。
しかし戦後は合成キニーネ、つまり工場で人工的に作られたキニーネが出まわるようになり、文化住宅では蚊の出入りも少なくなって、マラリアなんて聞いたこともないという若者が増えてきた。
わたしは何年かまえに熱帯のボルネオに行って、マラリア対策と称して(泡盛がなかったものだか)ビールをがぶがぶ飲んだ。
無事に帰ってこられたのはビールのせいかどうかわからない。

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薬が売れなくなった製薬会社の陰謀かどうか、最近になってこの薬が脚光をあびる事件が起きた。
なんとキニーネがコロナウイルスに効くというのである。
トランプ元大統領もご推薦というから、わたしなんぞはそれだけで信用しない話だけど、ワラでもつかみたいという溺れる人、世間の健全な情報がキライという人、自分なんかどうなってもかまわないと自暴自棄の人が、あくまで自己責任で使うのを止めはしない。
でも世間にこんなうわさをふりまくのは罪でがんすよ。

なお、儀助は沖縄本島を見てまわったあと、八重山に行くことになるけど、そこで見たマラリアの猛威はまさに酸鼻をきわめたものだった。

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