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2022年3月28日 (月)

沖縄/アホウドリ

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笹森儀助は国粋主義者である。
といってもおどろくことはない。
現代のわたしたちから見ると、明治時代の日本人は多かれ少なかれ国粋主義者の傾向があった。
つまり天皇や皇室を敬うということである。
たまたま儀助が沖縄探検に出ていたころ、北白川能久殿下という皇族がやはり沖縄に巡行にやってきた。
殿下であるからおろそかにできない。
もっとも殿下のほうも、暑いからといって肌ぬぎにもなれまいから、敬うほうも敬われるほうも待遇はトントンだった。

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能久殿下の御成りである、琉球王朝に連なる門閥や、地方高官はみんな宿舎に挨拶に来るようにとお達しを出したら、だれも来なかった。
殿下が乗るために旧王家で使っていた駕籠を借りようとしたら、いま空いていませんといわれてしまう。
そのくせ殿下が出発する日になると、やっと空きましたといってくる始末。
どうも明治維新の廃藩置県で特権を奪われた上流階級は、みんな腹のなかではおもしろくないと思っていたようだ。
このへんは特権を奪われて日本を逆恨みした韓国の両班と同じ心境だったようである。
韓国人は見栄っ張りだから、独立後は一般庶民まで、いつのまにかみんな両班だったといいだして、全員が反日主義者になったけど。
沖縄県人の見栄っ張りもそうとうなもので、門閥のほとんどは貧乏人のくせして、むやみに駕籠に乗り、虚勢を保とうとしていた(と、これは儀助の本に書いてあることである)。

ただし、おもしろく思わなかったのは上流階層だけで、沖縄の一般庶民はすなおに殿下を歓迎していた。
まえに書いたけど、廃藩置県の後は税制などもすっきり公平なものになり、庶民の負担は軽減されたからだろう。
しかも日本の皇室は沖縄県民のこころをつかむために、能久殿下も庶民を公平に扱い、貧富の区別もなしに話を聞き、巡行中の昼食には県民と同じサツマイモを食べるといった努力もした。
中国や韓国ではこんなことはありえない。

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巡行を終えた能久殿下は軍艦大和で帰京した。
それはいいけど、軍艦大和って明治時代にもあったのかと、驚いて調べてみたら、太平洋戦争で撃沈されたのは同じ名前の2番艦だった。
最初の大和は明治20年に竣工され、日露戦争にも参戦した、蒸気機関つき3本マストの機帆船である。

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儀助の宿に某氏がやってきて・・・・“某氏”というときはたいていおおっぴらに話せないことが多いんだけど、沖縄の県情について報告してくれた。
沖縄県庁には無能の輩が多いけど、ここでは年功序列が当たり前になっていて、長く勤めれば自動的に昇進するせいです。
有能な役人を求めたければ、古いしきたりを改めなければいけないと。
この某氏というのは儀助と同郷で、国頭役場の所長である笹田柾次郎という人である。
せっかく名前を秘しても、後注を読めば読者にはすぐわかってしまうのである。

儀助が県庁に行って、道路の増設などを提言していたときは、書記官がおもしろい話がありますよと言い出した。
あなたが無人島について知りたかったら、ちょうどいま騙されて無人島に置き去りにされた島民が、なんとか本島まで帰りついて、雇用主を訴訟中ですから、話を聞いてみたらどうですか。

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騙された島民というのは、中国と日本が領有権を争っている尖閣諸島で、アホウドリの羽毛採集に従事していて、雇い主にそのまま島に置き去りにされたのだそうだ。
むかしはこんな事件もたくさんあったようで、悪徳雇用主は、アホは死ななきゃ治らないとでもほざいていたことだろう。
ところがあとから島に夜光貝採りの舟がやってきて、騙された島民たちはかろうじて飢え死にをまぬがれ、それに乗って帰ってきた。
このあとどうなったのか儀助の本には書いてないけど、日本は当時から法治国家だったから、雇用主は殺人未遂で勾留に加え、でっかい慰謝料と、島民たちが夜光貝採りの舟に約束した200円の船賃まで払わせられたのではないか。
天網恢々、疎にしてもらさずの好例である。

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わたしには尖閣諸島のアホウドリのほうに興味がある。
アホウドリは伊豆の鳥島などにもいたけど、乱獲によってすがたを消し、最近の復活事業でようやくぽつぽつと数が増えてきたところである。
なぜ乱獲されたのか、アホウドリって食べると美味しいのか、という人はいまどきいないだろうけど、以下のサイトに理由が書いてある。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/7780?page=2

復活事業というのは、無人島のアホウドリの生息地とおぼしき場所に、アホウドリを模したデコイという人形を置くことだった。
地表に置いてあるデコイを仲間だと思い込み、先着の仲間がいることに安心して、本物のアホウドリも営巣を始めるのである。
この方法で小笠原諸島の聟島などで数はじょじょに復活しており、なかには人形に向かって求愛行動をとるものまでいるというから、ん、やっぱり“阿呆”鳥だな。

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わたしはむかし自衛艦に乗り組んでいたころ、大きなつばさの鳥が、1羽だけで海面すれすれに飛翔するのよく見かけたものだった。
それをアホウドリだと勝手に思い込んでいたのは、この鳥の名前にひじょうにロマンチックなものを感じて、わたしはいつか実物を見てみたいと念願していたからである。
しかし当時からもうこの鳥は絶滅危惧種だったから、じっさいにはほとんどがオオミズナギドリだったようだ。
アホウドリとオオミズナギドリでは大きさがぜんぜん違うけど、まだわたしはバードウォッチャーではなかったし、海の上で遠くから見ると、大きさなんてわからないものである。

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これはイスタンブールで泊まったホテル・アルバトロスと、その看板で、アルバトロスもアホウドリという意味だ。

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儀助はブタの屠殺場を見学した。
じつに手際がよく、この日いちにちのブタの屠殺数は211頭で、肉食の西洋人も驚くほどの名人芸だったという。
明治時代にこの数ということは、ブタ肉は沖縄の重要な輸出産業だったのかしら。

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儀助は沖縄の資料を調査している役人に、琉球王朝の家系について尋ねてみた。
すこし前から舜天王のことを調べているんですが、伝説ばかりで確かなことはわかりませんねという返事である。
尚王朝の系統については三つの説があって、これこれがしかじかということで・・・・
そんな説明を訊いてるうち、琉球最古の正史「中山世鑑」なる書物が話題にのぼった。
正史というのはその国の歴史をつづった本ということで、たとえば司馬遷の「史記」なんかもそうだけど、たいていはそれを編纂した当時の王朝をたたえる内容になっているから、全面的に信用するとバカをみる。
しかし王朝にしてみれば、これがないと、まるで自分たちのアイデンティティがないみたいでみっともない。
そこで尚質という王さまが、羽地按司の向象賢(しょうしょうけん)という知識人に命じて、日本語で編ませたのが「中山世鑑」だそうだ。
漢文ではなく日本語という点が気になって、よく見たら、編ませたのは慶安3年だった。
これは1650年で、日本でいえば柳生十兵衛が死んだ年・・・といってもわからないだろうけど、つまりすでに徳川幕府の時代で、琉球はとっくに薩摩藩の勢力圏に組み込まれていた。
大国の中国(清)と強国の日本にはさまれて、どっちの機嫌もうかがわなければならなかった琉球は、とりあえず日本語の正史を作ったわけである。

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それでも中国の使者である冊封使もたまにやってくる。
中国の顔も立てなければいけない琉球は困惑し、「世鑑」をもとにした「中山世譜」という漢文の正史もあらたに作って、中国にはそっちを見せてごまかすことにした。
いちばん信頼できるのはオリジナルの「世鑑」で、「世譜」はそのコピーなんだけど、琉球の王族のなかには日本に反感をもつ者もいて、できることなら漢文のほうを尊重したい。
ややこしいところへもってきて、関連書物として「文献通考」なんていうものまで出てきて、こちらは中国から見た琉球王朝の歴史ということで、内容は「世鑑」の記述を引用している。

ようするにどれも琉球王朝の歴史といっていいものだけど、いくらわたしのブログが人気がある?といっても、そんな固っ苦しそうな書物に興味を持つ人は、アクセスせいぜい100人の読者のなかにいそうもない。
それでさっと流すつもりで、これらの本にいちおう目を通してみたら、おかしな記述が目についた。
・・・・討ち死にした者があるときは、人々が集まって死人の肉を喰らう
豚肉の間違いじゃないかとよく見たけど、「文献通考」には以下のようなことが書かれていた。

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琉球は泉州(中国福建省の都市)の東にある島で、彭湖という湖が、しかじかかくかく・・・・よく知らないけど、台湾と間違えてないかと、浅学のわたしは心配になる。
以下の記述もわたしが知っている琉球のものではなく、台湾の高砂族に似ている。
この島の住人は戦争を好む人たちで、しょっちゅう部族間で闘い、死者が出るとみんなで集まって、その死肉を喰らう。
文字というものは存在せず、月の満ち欠けをもって時節を知り、草木の枯れるのを見て年が改まったことを知る。
鉄を産しない国なので、刀や槍は小さなものしかなく、武器には動物の骨などを使用し(おまえは『2001年宇宙の旅』のヒトザルか)、麻布を織ったものか、あるいはクマ、ヒョウの皮の鎧を身につける。
君臣に上下の礼はなく、男はヒゲを生やさず、女は手に虫や蛇の入れ墨をしていて、風習は、どっちかというと突厥(中国北方の蛮族)に似ている。
などということが6ページにわたって書いてある。
いくら中華のまん中にいる中国人が書いたにせよ、これじゃ琉球はまるで原始人の国じゃないか。

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どうも南海の離島の住人というと、人肉を喰らうというのが世界的に通説になっているらしく、ロビンソン・クルーソーの物語にも人間を食う原住民が出てくる。
中国の「史記」は、まだ伝説や迷信が大手をふっていたキリスト以前の書物(木簡)だから仕方ないけど、徳川時代という、まだ比較的最近になって書かれた書物にまで、中国以外は野蛮人だという中華思想がつらぬかれているには閉口した。
このへんはまだ、人間になったばかりのチンパンジーまで遡って書いてあるんだろうと、沖縄県民の名誉のために、話半分で聞いておこう。
ちなみにチンパンジーは、ときどきほかの種類の猿をつかまえて食べる動物である。

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