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2022年4月

2022年4月30日 (土)

アサリの味噌汁

いま具沢山のアサリの味噌汁を作っているところ。
この瞬間、核戦争が始まって、ICBMが東京にも向けて発射されたとか。
そいつが到着するまで15分だとする。
こういうときどうすればいいだろう。
老後に備えてたくさんの年金を払ってきたお方、あるいは人生のほとんどを残した若者、あるいは処女のまま死にたくないと絶叫する女子高生だったらと、いろんな立場について考えてみたけれど、わたしにできることは味噌汁を作り続けることしかないらしい。
すくなくともわたしにはこの世に未練はない。
家族もいないし、大金を残してあるわけでもないし、未来を案じてやるべき孫もいない。
宝くじが買ってあるわけでもない、車がないから遠くへ避難することもできない(避難したってたかが知れているけど)となると、もうとりあえず台所で味噌汁を作り続けるしかないわけだ。
ああ、アメリカはとことんロシアを追い込むつもりみたいだ。
わたしもひとりで死ぬより三途の川への道がにぎやかでいいかもしれないな。

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2022年4月29日 (金)

韓国人だったら

わたしが韓国人だったとする。
それも大勢やプロパガンダにすぐ影響されてしまう、単細胞の韓国人だったとする。
つくづく大変だよね。
昨日まで謝罪だ、賠償だ、日本製品の不買だとかいっていたものが、政権が変わったとたんまさに180度方向転換で、さっそく日本旅行の予約が盛況だそうだ。

わたしはもともと人間が気むずかしくって、昨日まで怒り狂っていた顔の筋肉を、今日から微笑みに満ちた顔に変えろったって、かんたんにはできない人間だ。
そういう人間にとっては、ホント、面食らっちゃう国だよな。
まだしも北のほうがスジを通すといえるか。
まえにもこのブログに書いたけど、同じ国内でゴタゴタ言い合ってないで、日本がキライない国民はすみやかに北朝鮮に移住してもらって、韓国には日本好きな人だけ集まればいいのに。

そんなことをいったらいちばん文句をいうのが、当の日本をキライな国民なんだろうけど、なんなら逆にしたってよござんすよ。
南韓に日本ギライが集まり(もちろん金正恩クンとその一族も)、北韓に日本好きな人たちが行ってもエエ。
それで韓国の民意がまとまるなら我慢もしよう。
サムスンやヒュンダイを取り込んで、これならと南韓の国民は満足するかもしれないけど、すぐにひっくり返されて、日本のありがたみがわかるに決まっている。

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2022年4月28日 (木)

咲かない花

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ダメだねえ。
今年は花壇にガザニアがひとつも咲かない。
枯れてしまったわけではなく、まだ緑色の株はいくつか残っているのに、花がひとつもつかないのだ。
以前はこの時期に、道路にはみだすくらい盛大に咲いていたものを。
あれってボランティアで花壇の世話をしていた6号棟さんが、毎年わざわざ植えたものだったのか。
わたしの場合、専門は草むしりで、種をまいたり、苗を植えたりするわけじゃない。
そこまでできない。
これじゃ咲くわけがないか。

ガザニアだけじゃない。
はじめてうちの花壇を見た年の春には、マツバボタン、キンギョソウ、カーネーション、マーガレットなど、いろんな花が魔法みたいに咲きほこっていた。
あらためて6号棟さんの手腕に感心するとともに、自分のだらしなさに絶望してしまう。
添付したのは、2年まえの花壇のわきのガザニア。

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2022年4月27日 (水)

今日のウクライナ

マリウポリの製鉄所に閉じ込められたウクライナ兵と市民たちが、あと1週間で食料がなくなると悲鳴を上げている。
地下の映像も公開されたけど、暗い倉庫のような部屋に大勢の市民が集まって、ますます映画「アンダーグラウンド」に似てきた。
この映像はまえに書いたアゾフ連隊が公開したらしいけど、アゾフの本質をよく物語っているではないか。

市民には気のドクだけど、アゾフ連隊もアゾフ連隊だ。
降伏するのがイヤなら、市民のうちの女と子供だけでも解放してくれとロシア軍に頼めばよい。
ロシア側にしてみれば善意を広報するいい機会だから断る理由はないし、そんな簡単なことをやらないのは、あるいは妨害するのは、アゾフ連隊がやはりアメリカに操られたヤクザ集団であることの証明なんだろう。
アメリカにしてみればできるだけ戦争を長引かせたいわけだから、市民には盾として残ってもらったほうが具合がいいし、ロシアってあんがい一般市民にやさしいのねという評判が立っては困るのだ。

とにかく地下に立て籠もる市民がどれだけ悲惨な状況になろうとも、戦争をやめようとしないのだから、ウクライナに同情はできない。
実力でいえばロシアとウクライナでは比較にならないから、アメリカがむきになって支援しなければとっくに戦争は終わっていたはずだ。
降伏したって、このあいだまで兄弟・夫婦の関係だったロシアが、ウクライナ国民を虐殺なんかするわけがない。
ゼレンスキーさんはロシアの軍艦を沈めたということで極刑にされるかも知れないけど、彼にはアメリカに亡命するという手がある。
とにかく犠牲者を積み上げるだけの戦争は一刻も早くやめるべきだ。
やめようと思えばすぐにできるのになぜやめないのか。

わたしはいま太平洋戦争の沖縄戦を書いた「鉄の暴風」という本を読んでいるんだけど、つくづく思うのは、どうして沖縄県民は米軍が上陸してきたとき、さっさと降伏してしまわなかったのだろうということだ。
膨大な犠牲者を出してまで、日本軍のメンツにつきあう必要があっただろうか。
もちろん当時の沖縄県民は、降伏すれば男はみんなタマを抜かれる、女はみんな強姦されると洗脳されていたからやむを得ないところはあったけど、現在のウクライナでは、ネットでいくらでも情報は入ってくるし、ウクライナ国民自身が常識で考えてもそんなことは起こりようがない。
親戚がロシアにいます、夫はロシア人です、恋人はロシア人です、別れた亭主はロシア人でした、ロシア人が近所に住んでいました、近所にいたおじさんの知り合いの知り合いがロシア人です、この子の父親は(ほんとは)ロシア人ですなどと、もう世界のどこよりもロシアに近いのがウクライナ人ではないか。
犠牲を出すより、とりあえず和議を結んで、しかるべき時を待つほうがよっぽどいい。

昨夜は知り合いの創価学会信者がやってきて激論になった。
平和を愛すべきはずの創価学会も、今回の戦争では徹底的にウクライナの味方で、プーチンを目の仇だ。
大作さんとゴルバチョフの蜜月なんてどうでもいいらしい。
彼の話を聞いてわかったのは、創価学会もロシアはスターリン時代のまま、中国は毛沢東の時代のままと信じていることだった。
まだプーチンが生まれてもなかったころのことまで、みんなプーチンに責任を押しつけ、ロシアは変わっていないと断言する。
これは韓国人の思考そのままである。
韓国人も日本が軍国主義のままと信じており、戦後生まれの日本人が平和国家として、70年以上も努力をしてきたことなど一顧だにしないのだ。

わたしが自分のブログを、ロシアを擁護する、世界で10パーセントしかいない少数派のブログであるというと、知り合いは1パーセントの間違いでしょという。
NHKニュースを鵜呑みにするような相手になにをいってもムダだけど、考えてみると10パーセントどころじゃないね。
インドはアメリカに公然と刃向ったし、中国はもともとアンチ米国だ。
このふたつの人口突出国が、わたしと同じロシア擁護派だ。
そのほか世界中のイスラム国家、アメリカのダブルスタンダードに嫌気のさしている途上国、なおかつフランスやドイツのような義理で米国にお付き合いしている国を併せれば、世界の人口の半分を超えるぞ。
そうか、そうか、わたしのブログって世界の過半数の人々に支持されるブログだったのね。
アンタのほうが少数派なのだ、知らないだけで。

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2022年4月26日 (火)

沖縄/開墾地

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石垣島では徳島出身の実業家、中川虎之助という人物が開墾地を経営していた。
この画像が虎之助さんで、阿州の人とあるから徳島県出身の実業家である。
沖縄で砂糖農場を経営したあげくに失敗して、台湾で再起を計って成功したという波乱万丈を絵に描いたような人だ。
本人は帰京中だったので、儀助は代理人にいろいろ状況を聞いてみた。
うんと儲かっていますとはいわないのが経営者の習性なのかもしれないけど、問題点がいくつかありましてという。
この開墾地ではよく火事が起きます。
原因を尋ねると、これは沖縄県人とよそから来た開墾者の軋轢によるもので、トラブルのあげくに、開墾者の建物に火をつけたり、サトウキビを切り倒すようないやがらせがあるのだそうだ。
アメリカで白人の開拓移民とインディアンが衝突したようなトラブルが、ここ沖縄にもあったらしい。

ほかにも、この年はサトウキビに「コウリョウ」という害虫が発生してましてという。
カイコのようで縞模様のある虫だというから、どんなやつか調べてみた。
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この画像がコウリョウで、気色わるいイモムシであった。
イモムシのせいかどうか、資本が底をつき、虎之助さんが本土にもどったのは、新たな社債を募集するためだったのである。
こんなことを聞くと、江戸時代にすでに似たような制度の経験があるにしても、明治時代の日本はすでに欧米にまけない資本主義の国になっていたことにおどろいてしまう。
夏目漱石の「吾輩は猫である」にも株に熱中する人物が出てくるから、資本主義をおぼえたばかりの国で投資が過熱するのは、歴史的必然なのかもしれない。
日本より短期間に資本主義国になったのが中国で、あの国の人民はとにかく金儲けが好きだから、ほうっておくと猫も杓子も投機にのめりこんで、損した得したが日常になってしまう。
それではマズイというので政府が規制をすると、今度は社会主義のままだと悪口をいわれる。
そういう気のドクなのがいまの中国なんだよ。

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儀助は経営の収支についてしつこく訊いた。
1反の畑から砂糖8俵ぐらいの収穫があります。
むかしは砂糖を木の樽で運んでいたけど、樽はひとつでこれこれの費用がかかるのに比べ、カヤで編んだ俵ならこれっぽっちで済みますんで、砂糖の値段が下落してもなんとかやっていけるだろうと。
この年は18俵ぐらいの収穫が見込めますとも。
ほかにサトウキビの苗の値段は〇本でいくら、肥料代がいくら、農夫を◯人雇って賃金がいくら、畑で使うウマの輸送費がこれこれ、その餌代がしかじかと、儀助の調査はあいかわらずマルサの女なみ。

このあと儀助たちは宿にもどり、翌日も役場や警察署、織物工場、農事試験場などを見て歩いた。
あちこちで先に本土から派遣されていた役人や警察官から、不穏当な経済システムや慣習が耳に入ってくる。
石垣島は沖縄県庁の統括下にあるけど、役所の下に蔵元という支所があって、そこで128人もの人間が働いていますという人がいた。
そのため役所の人間は少なくてすむけど、仕事の効率を考えると不経済きわまりないので、この点は改める必要があるでしょうと。
そうだねえ、尻尾が大きすぎると、動物も自由に動けないものなと儀助。

明治26年には、本土では維新の改革がだいぶ軌道に乗っていたけど、沖縄ではまだまだ改めるべき問題点がいくつもあった。
琉球時代の沖縄というのは、どっちかというと中国や韓国に似た政治システムの国だったようだ。
これは民族の所属ではなく、あくまで政治のことだけど、皇帝や貴族に搾取され、庶民は重税にあえいでいた古い王朝国家ということである。
もっとも琉球にかぎらず、中国の中華思想に染まっていたアジアの国はどこも似たりよったりだったから、日本が沖縄で積弊からの脱却を図ったというのは、わが国がいちはやく脱亜して、近代国家になったことの証明でもあるだろう。

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まだ琉球王朝の時代、石垣島には赤蜂という英雄がいた。
重税が度を越すと、そんなもの払えるかと考える不届き者が出てきて、まわりも払いたくないのはいっしょだから、ガスが集まって星になるように、いつしかそこに英雄が誕生する。
赤蜂は琉球王朝の命令に従わず、貢献をこばんで討伐軍に殺されたけれど、八重山ではいまでも島民から英雄として慕われているというから、平安時代に日本の北関東で、新天皇を名乗って謀反した平将門みたいな人だったらしい。
歴史はつねに勝者によって書かれるので、彼は謀反人ということになっているものの、柳田国男の文章では
 静かに考えてみると、赤蜂本瓦も八重山の愛国者であった とある。
もともと波照間島の人で、石垣島に上陸した場所に、銅像と記念碑が立っている。

この夜になると、過去22年間(中途半端な数字だけど儀助の本にはそう書いてある)なかったようなものすごい暴風雨がやってきた。
宿屋に泊まった人たちは、降りこむ雨風に衣類や荷物が水びたしになったものの、宮良殿内に泊まっていた儀助に被害はなかった。
石垣島から数キロしか離れていない竹富島でもなんともなかったそうだから、このへんは台風に慣れている人とそうではない人の違いだったかも。

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この暴風雨のなか、汽船大有丸の船長は、操船の匠とされる糸満人を雇い、危険を犯して船にもどった。
糸満人というのは沖縄本島糸満市の人のことで、代々漁師を本業としていて、船を操ることでは他に抜きん出ているとされる人たちである。
日露戦争のさい、八重山の近海を北上してくるバルチック艦隊を発見して、本土に通報したのが糸満人だったという。
ただし連絡が東郷平八郎のもとに届いたときには、もう海戦は終わっていたとかなんとか。
司馬遼太郎は「街道をゆく・先島紀行」のなかでわざわざ糸満に立ち寄っており、興味をひかれたわたしも去年の暮れに立ち寄ってみた。
さすがはウミンチュの街で、未来の漁師を育成する水産高校が大きいのに感心したくらいで、ほかはとくに印象的な町ではなかった。

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儀助が旅をしたころ、台風などで船を避難させる場合、八重山では西表島の船浮湾がもっとも安全な場所として知られていた。
船浮というと、船でしか行くことのできない「陸の孤島」として有名で、わたしが西表に行くたびに泊まっている部落ではないか。
ここには道路が通じてないがら、行こうと思ったら1日5本の連絡船しかなく、イリオモテヤマネコが初めて発見されたのもここというくらい辺鄙なところである。
ヤマネコは数が少ないから、行けば誰でも見られるわけではないけど、去年暮れの訪問では、セマルハコガメやオオコウモリなどの天然記念物もかなり数を減らしていた。
自称ナチュラリストのわたしの憂鬱は大きい。

儀助たちがぬれたものを干しているとき、沖縄県庁を辞めたばかりの田村熊治という人物がやってきた(写真は見つからなかった)。
彼も八重山で開墾事業を興そうとする新進気鋭の実業家だったから、このころの沖縄はひと山当てようという人間にとって、ひじょうに有望な土地に見えたらしい。
この前年には彼以外にも高知県出身で開墾を始めた人間がいて、労働者の争奪戦になり、賃金が高騰して起業家たちを困らせたけど、けっきょく高知県のほうは事業に失敗して引っ込んだ。
そんな話や開墾地の経営状態について、儀助はまたねちねちと訊く。
山林では主としてコーヒー、山藍を植え、原野にはサトウキビを植えるとのこと。
南方系の植物としてコーヒーを育てようというのはいいアイディアだけど、明治26年にコーヒーがブームというのは、日本人の新しモノ好きに驚かされる。

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翌日には朝8時に出発して、刑務所の職員らと島の南岸を視察に出かけた。
目的地は白保というから、離島ターミナルから現在の石垣空港に向かう途中である。
白保というとなんとなく白砂の浜を想像するけど、じっさいにはこの浜は写真でわかるとおり、タイドプールのある岩ばかりの海岸だ。
それでも風光はなかなかよろしいところで、石垣島に住むわたしの知り合いは、最初家を買うのにこのあたりも候補だったそうである。
けっきょく北部の川平湾に近い家を買って、いまではすこし後悔しているようだ。
彼の若いころはまだ沖縄の離島というと、女の子たちのあこがれの対象だったのに、その後の景気の変動やコロナによる観光客の激減などで、わたしとほぼ同じ年の彼は、いまも嫁さんももらわず購入した家にひとり暮らしだ。
彼もまた、自分一代のあいだに、世の中がこれほど変化するとは思わなかった被害者のひとりなのだろう。

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儀助たちが1里ほど行くと、石垣島第一の大河である宮良川が流れていた。
この川は標高526メートルの於茂登岳より発し・・・・ま、山が驚くほどの山ではないだけに川も大河というほどのものじゃないけど、現在のこの河口はカヌーやカヤック愛好家のベースキャンプになっている。
この川の左岸に監獄の候補地があったらしいけど、それがどうなったのかわからない。

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午後11時、白保村(現在は石垣市の一部)に着いた。
この役場も新しく、白保村とまえに書いた川平村の役場は、石垣島ではめずらしい新しい建物だったそうである。
戸数は121で、役場の職員は12人いたとあるから、明治時代の石垣島では大きい村だったろう。
この村は作家の椎名誠が「うみ・そら・さんごのいいつたえ」という映画を作るためにロケハンしたところで、いまでも公共施設や民宿などでその映画ポスターを見かけることがある。
映画について YouTube に上がってないかと調べてみたら、見つかったのは予告編だけだった。
ま、べつに残念とは思わないけど。

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儀助は白保村から近い田村熊治の開墾地を見学した。
場所は現在の石垣空港とその周辺らしく、石垣島に到着した観光客のだれもが最初に目にする、サトウキビ畑や牛舎の点在するのどかな農牧地帯である。
明治時代には天然のままの広々とした原野で、こんな開墾にむいた土地を遊ばせておくのはモッタイナイと儀助は書いていた。
現在、そんな儀助の心配は杞憂になったけど、歴史は変転を繰り返し、いまでは八重山全体が、中国や韓国からの土地買い占めにおびえる時代にまでなったようである。

石垣島から儀助は波照間島に行こうとして悩んだ。
現在の波照間島にはエンジンつきの連絡船が就航しているけど、明治時代には風まかせの船しかなく、いい風が吹かないと往来もままならないところだったそうだ。
じっさいにまえの八重山支庁の所長が、波照間を視察に行ったとき、帰りは適切な風が吹かず、そのまま4カ月も島に缶詰になったことがあるという。
現代ではいくらなんでもそういう状況は払しょくされた。
と思ったら大間違いで、わたしは去年の暮れに波照間島まで行って、そこでわたしも缶詰になるところだった(この件は後述)。
儀助はけっきょく波照間島に行くことを断念した。

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2022年4月25日 (月)

アゾフ連隊

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以前のアパートでわたしのアパートの階下に住んでいたロシア人の金髪クン。
彼が引っ越し、わたしも引っ越しで、最近はどこでなにをしているのか音信不通だけど、現在の彼はロシアを擁護する街の遊撃手といったところのようだ。
いちおうフェイスブックを通して、彼の意見や主張だけは伝わってくるんだけど、彼はそこでロシア人を代表する勢いで、ロシアを擁護する映像や記事をアップしている。
ただ、わたしはブログほどFBに熱心ではないし、彼のFBにコメントを書き込んだりすることもないから、遠くから、あいつはまだ生きているなということを知るくらいだ。

その彼のFBにウクライナのアゾフ連隊について語る女性のビデオ映像が載っていた。
アゾフ連隊というのは、速くいえば傭兵から成り上がったような軍隊で、今回のウクライナ戦争では、正規軍とはべつの位置からロシアに抵抗している軍隊とされる。
この女性はウクライナで戦争にまきこまれて怪我をしたらしいけど、ロシア軍の救護施設にたどりついて、治療をしてもらい、かろうじて生き延びたらしい。
彼女の証言のうちに、自分を撃ったのはアゾフ連隊の兵士だというものがあった。

さて、お立ち合いだけど、この戦争はプロパガンダ戦争だ。
この先は受け取る人次第で、真実だともいえるし、ロシアのプロパガンダともいえる。
おそらくいまの段階ではロシアが悪いと信じている人が多いから、そりゃロシアのプロパガンダだ、ロシアがそんなにやさしいわけがないという人がほとんどだろう。
ココログにはアゾフ連隊について説明しているブログもあって、このブロガーはアンチ・ロシアだから、アゾフ連隊についても正規軍と変わらないウクライナの軍隊だという意見である。
しかしわたしが調べてみたかぎりでは、アゾフ連隊についてあまりいい評判は聞こえてこない。
ウィキにも説明があるけど、経歴をながめるとネオナチ集団で、警察や正規軍が手を出せないヤバイ仕事を請け負うヤクザ軍隊であるようだ。
こういうネオナチ集団はロシアにもいる。

こんな軍隊なら、金さえ出せば自国民でも、撃てといわれればやりかねないような気がする。
ロシアが危険な国であることを広報できればなんだっていいやと、アメリカが資金を出して無差別にウクライナ国民を狙撃させても不思議ではない。
そこまでするかという人もいるだろう。
わたしは映像の真偽をうんぬんできないので、金髪クンの主張を全面的に支持できないけど、これは数少ないロシア側からのニュースだ。
こういう可能性もないわけではないというぐらいのつもりで、あとは自分たちで判断してほしい。

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2022年4月24日 (日)

試練の大国

テレビでプーチンが軍の将校から報告を受けている映像を観たけど、なんかおかしな構図。
テーブルをかこむ2人が必要以上に接近して、見ていても窮屈そうだし、プーチンはテーブルのはじをつかんで貧乏ゆすりをしているように見える。
これについて、パーキンソン病ではないかというブログを見つけた。
あり得ない話でもないな。
調べてみたらプーチンはわたしとそれほど変わらない年令で、わたしは自分はいつ死んでもおかしくないとほざいているのだから。

パーキンソン病であろうとなかろうと、わたしが彼の支持者であることは変わらないけど、どんな指導者でも病気にならない保証はないわけだし、偉大すぎる皇帝が死んで、たちまちガタガタになった始皇帝の秦という国もある。

かりにプーチンが病に倒れたら、ロシアはどうなるだろう。
彼に代われる人間がいるだろうか。
いるとしたら、いちじ大統領職を引き継いだことのあるメドベージェフさんあたりか。
しかしプーチンほどの剛腕や求心力があるかどうか未知数だし、プーチンに恨みを抱いている国内のオリガルヒたちがどう出るか。
ヘタするとロシアも、またオリガルヒに食いものにされる国になるかもね。

うーん、むずかしいけど、ロシア国民にとって不幸なことにならないよう祈るしかない。
そしてうるわしのロシアがうるわしいままで、いや、ウクライナも含めて両国が、あの麦畑やヒマワリ畑が地平線の彼方にまで続く、トルストイやチャイコフスキーや画家のレーピンのふるさととして、わたしを迎えてくれるよう祈りたい。
アメリカナイズされた、合理的精神ばかりが優先する社会、歴然とした格差の存在する国なんかに行きたくはない。
いやいや、わたしが海外旅行に行ける日がまた来るかどうか定かじゃないんだった。
わたしの場合、せめてあの世まで、想像していたとおりのロシアの思い出を持っていけることぐらいが幸せだったのか。

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2022年4月23日 (土)

熊ん蜂

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天気がいいと熊ん蜂がわさわさ。
といっても生態写真にしてはお粗末で、今日はアクセス数は最初から期待しない記事。
ウクライナ戦争が続いているかぎり、ネタに不自由はしないけど。

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2022年4月22日 (金)

こういう場合は?

昼のニュースを観ていたら、またロシアとウクライナの意見が対立していた。
プーチンはマリウポリを掌握したといい、ゼレンスキーさんと米国はまだ戦闘は続いているという。
どっちを信じろということではなく、そういう状態はどういえばいいだろう。

わたしが漫画家をこころざしていた若いころ、考えたマンガのストーリーにこんなものがある。
第三次世界大戦の核戦争が始まって、世界中が放射能に汚染されたとき、日本の政治家たちはあらかじめ用意してあった地下のシェルターにひきこもってしまった。
シェルターには数年分の糧食と、たくさんの美女をたくわえてあったから、ここで政治家たちはタノシク過ごせるはずだった。
そこへ戦争から生き延びた若い兵士が戦車でやってきて、自分も中へ入れてくれと頼む。
相手が若い兵士と聞くと、じいさんばかりの政治家たちは、断固として入れないことを決断する。
若いということは、じいさんにとってうらやましいと同時に、とてもかないそうにない愛のライバルでもあるのだから。

入れてやらん!
どうしてみすみす生きながらえてきやがったんだ、勝手にどこかで玉砕してこいと政治家たちは非情なことをいう。
そのあげく、みんなで酒を飲み、美女たちと腕を組んで、カンカン踊りのバカ騒ぎだ。
絶望した兵士はやがて戦車のなかで死んでしまう。
おとなしくなったなと政治家たちが外のようすを窺おうとしたら、一つしかない立坑の出入口が開かなかった。
兵士は出入口のうえに戦車を乗せたまま死んでしまったのだ。
じいさんたちは永遠に外へ出る手段を奪われていたのである。

製鉄所の地下に立てこもって抵抗するマリウポリのウクライナ軍を、勝手にやってろとロシア軍がチェルノブイリみたいに、上からコンクリートで固めてしまったら、こういうのもまだ抵抗してるというんだろうか。
わたしはこのブログでとりあげた「アンダーグラウンド」という映画を思い出す。
第二次世界大戦が終わったことも知らず、地下に立てこもって反攻の機会をうかがう抵抗組織を描いたユーゴスラビアの映画だった。
マリウポリのウクライナ兵士たちも、20年後ぐらいに地上にもどって、浦島太郎みたく愕然とするんだろうか。

ニュースでは、ロシア軍が近郊の村に塹壕のようなものを掘っている、これは集団墓地であるらしいといって、その衛星写真を載せていた。
NHKを信じないわたしが数えてみたら、多くてもせいぜい120人分ぐらいだし、これならウクライナ兵士の死体としてもけっして多くはないだろう。
さっさと和議を結べば、その大半は死なずにすんだ人たちだし、ナチスやISISや北朝鮮なら、敵の死者なんてでっかい穴にまとめて放り込んで、それでお終いだ。
ロシアの残酷さを強調するプロパガンダだとしたら、もうちっと真面目にやれといいたくなるワ。

アメリカはウクライナに100億円の追加支援をするそうだ。
だからいわんこっちゃない。
いまはアメリカと協調路線をとっているヨーロッパも、米国の若者たちも、いいかげんにしてくれよと言い出すに決まっている。
止められるうちに戦争を止めておけばよかったのに、国内の軍事産業や石油会社にそそのかされて、いつも道を誤まるのが米国大統領だ。
どうしてアメリカが介入するとあとがこじれるんだろう。

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今日の変わり目

今日の潮目の変わりは、戦況のことではなく、日本の国際社会との向かい合い方。
なんかウクライナ難民に対して、いやに親切すぎると違和感を感じるのはわたしだけかしら。
もしかすると日本は難民や移民の受け入れ容認に大きく舵を切ったのか。

ことわっておくけど、難民に援助の手を差し伸べるなといってるわけじゃない。
困っているときはお互い様だし、日本の若者だっていつか外国のお世話にならないとも限らないし、なんといっても相手は美しいウクライナ娘ではないか。
わたしもウクライナ美人のひとりを、わが家でよければ避難させてあげたいのは山々なんだけど、ま、相手にも選ぶ権利があるからな。
そういうアホな考えは無視してもらっても、それでも市役所が職業あっせんの音頭を取り、テレビ局が難民を追跡報道をするに至っては、その歓迎ぶりにこれまでにないわざとらしさを感じてしまう。

え、これからはアフリカで騒動が起きても、今回と同じように難民を温かく受け入れてやるんだろうな。
中国、インドがドンパチを始めたら、どっちが勝っても難民の数は多いぞ。
日本が難民受け入れに寛大になったと聞けば、日本ほど民主的で、安全で、食べものの美味しい国はないのだから、世界中の難民が日本行きを希望するに決まっている。
そのときになって初めて、日本が親切から難民を受け入れたのか、米国へのゴマすりなのかがわかるわけだ。
ああ、でもわたしって、それまで生きているんだろうか。

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2022年4月21日 (木)

ニュースウォッチ9

昨夜のNHK-BSのニュースウォッチ9を観ていろいろ考えた。
冒頭に、「これが最後の訴えになるかもしれない」というウクライナ軍司令官のセリフが流れる。
激戦地マリウポリの製鉄所にたてこもっている司令官の言葉だそうだ。
子供を含んだ大勢の市民が避難している “とされる” マリウポリの製鉄所・・・と女性アナの説明が続くけど、現時点ではロシア軍は降伏勧告をしているらしい。
意外とまともな軍隊じゃないか、ロシア軍て。
それでも降伏しない、最後のひとりになっても戦うと強情を張れば、地下貫通ミサイルをぶちこまれても文句はいえないわけだ。
さっさと降伏して、お互いの健闘を讃えあうほうがいいと思う。

ロシア軍は避難民のために脱出路を確保しているという。
しかしと、これはウクライナ側の説明なんだけど、脱出路はロシアに邪魔されて使えないのだそうだ。
そのすぐあとに一般市民の怪我人を運ぶロシア軍の担架が映るけど、これは善意を見せようというロシアのプロパガンダかもしれない。
続いてウクライナのゼレンスキー大統領、ウクライナの国防次官(女性)のオンライン・インタビュー、米国のカービー報道官、バイデンさんのまだまだ支援金を出しますという発言、米国寄りのカナダ首相の発言が続く。
これはぜんぶこちら側のプロパガンダかもしれないから、部外者にはもうなにがなんだかわからない。

国内でウクライナ支援に消極的だと国民が騒いでいるドイツでは、首相が気のすすまない顔で、ドイツも武器を貸与することにした、ただ物量に限りがあるなんて余計なことを。
やっぱりどこか腰がひけてるな。
日本は逆におおいに積極的で、ロシア大使館員を追放するというめったにない措置までとった。
しかしロシアはまだ対抗措置をとってないというから、プーチンはまだ日本との友好関係復活にいちるの望みをかけているのかも知れない。
プーチンは黒帯の有段者だから、柔道精神を理解しあえるのは日本しかないと信じているのかもしれないぞ。

G20の話題も出てきた。
米国、英国、日本、カナダ、オーストラリアあたりはウクライナ支持に積極的だけど、フランス、ドイツ、イタリアなどは温度差のある支持。
支持しませんというのは中国、インド、トルコを始めとした、どっちかというと途上国か、最近まで途上国だった国ばかりだ。
インドなんか米国と対立する必要もないのに、はっきりロシアの味方をした。
こういう国にとっては、すぐに大国ぶりを発揮して、ダブルスタンダードを振りまわす米国に反感があってのものだろう。

世界経済はウクライナ戦争のおかげでしっちゃかめっちゃかだ。
戦争が起こらなければ、アメリカがそれを長引かさなければ、経済問題のほとんども起こらなかったはずなのに。
アメリカはロシアの経済封鎖を徹底するために、ヨーロッパ諸国にロシア産エネルギー一辺倒の政策を改めさせるそうだ。
そんなことをいわれてもすぐに原子力発電や風力に切り替えられるわけじゃないし、エネルギーをロシアに頼っていた国々は困る。
アメリカはそのかわり自国で石油を増産して、ヨーロッパにまわす・・・・と。
とっとっと。
なんだ、なんだ、どっかで聞いた話だなあ。
するてえとウクライナ戦争は、アメリカの石油産業を儲けさせるってことなんかい?
さすがはアメリカ国民の代表であるバイデンさんだ。

しかしこれでは脱化石燃料をうたった大統領選の公約違反だと、米国からも怒りの声が湧き上っている。
けっきょく米国の企業を儲けさせる戦争だったのかと気がつけば、バイデンさんよ、おまえもかということで、米国大統領についていこうという人間などいなくなるだろう。
源平の壇ノ浦の合戦のとき、始めのうち押されていた源氏は、ぎりぎりで潮目が変わって反撃することができた。
どうやら潮目が変わってきたのは本当らしい。

だいたいウクライナ戦争って、分裂したアメリカをまとめるだけの、他国にとってなんのメリットもない戦争だった。
戦争が長引けば困るのはバイデンさんもまったく同じだったのだ。
日本にいるとロシアが追いつめられているように見えるかも知れないけど、それはNHKを始めとするマスコミが偏向報道をするせいで、プーチンの国内支持は依然として高い。
おまけに、世界中にアメリカ型の格差社会を嫌悪する若者は、バイデンさんが想像している以上に多いのである。
このあいだのサンデル教授の白熱教室でも、討論に参加した18人の学生のうち、12人(米国学生2人を含む)がアメリカの衰退は始まっているという結論だった。
衰退を食い止めるためにアメリカ大統領は、戦争という人目をひく手を見つけたけれど、そんなものでいつまでも人を騙せるわけがないのである。

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2022年4月20日 (水)

反逆者たち

日本の宰相はボンクラであると思っていたけど、ひょっとするとウクライナ戦争を機会に、完全に歴史の呪縛から逃れて、アジアの盟主、少なくとも中国にどうどうと対抗できる(核兵器も備えた)強力な軍事大国への道を目指しているのかも知れないね。
ついでに弱体化したロシアから北方4島も取り返しちゃえと。
これがぜんぶうまくいけば、自民党の主流派政治を引き継いで、それを完成させたということで、ボンクラどころじゃないそうとうの策士だよ、岸田クンは。
日本共産党はなにをしてるんだ。
こういうときこそ自分たちの主義主張の根幹をなすロシアを応援しなけりゃいかんだろ。

あいかわらずNHKは偏向報道ばかりだけど、わたしが期待しているのはアメリカの反逆者たちだ。
いまは国ぐるみで悪らつなアメリカでも、ここにはウィキリークスのアサンジ君のような、日本の軟弱な左翼とは比べ物にならない、強烈な反体制活動家の伝統がある。
このあいだ観たサンデル教授の白熱教室では、出席していた米国の学生全員が、アメリカのイラク戦争は間違いだったと断言していた。
しかしわたしはイラク戦争勃発時のアメリカの熱狂ぶりをよくおぼえている。
あのときもフセインの暴挙を許すまじと、アメリカ中が沸き立っていた。
反対なんかできる雰囲気ではなく、ちょうどいまのウクライナの状況によく似ていた。

過去の失敗に学んだ米国のプロパガンダはますます巧妙になっているのに、人類全体で見れば、その大半はほんとうに過去に学ばない・・・というか、3歩歩けば忘れる動物のようだ。
だからわたしは反逆者に期待してしまうんだよね。
ウクライナ戦争の結果はまだわからないけど、いつかまた新しいアサンジ君があらわれて、現在のアメリカは間違っていた、すべてはバイデンさんと軍事産業のさしがねだったと、その欺瞞をあばいてくれるのではないか。
いや、もうすでにマイケル・ムーアも次作の構想を練っているかも。

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2022年4月19日 (火)

フジ

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フジである。
なかなかいい天気にならないので、熊ん蜂もわたしといっしょでひきこもり。
困ってマス。

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西表島

昨夜録画した「ワイルドライフ」という番組を観た。
去年の暮れにわたしが行ってきたばかりの西表島が舞台だった。
自然のドキュメントという番組の性格上、旅人にはふだんなかなか見られない生きものたちが見られるのが楽しい。
撮影者の苦労と、最新の撮影機材の進化がしのばれる。
いつかいっしょに撮影に行こうと話し合っていたビデオ愛好会のTさんのことを思い出す。
彼は去年の秋にコロナで亡くなってしまったのだ。
わたしの西表島訪問は、きれいな珊瑚礁の海に散骨してほしいという、彼の願いをかなえるためのものだった。
生前、いちども見ることのなかった美しい海を、彼はいまどのへんでながめているのだろう。

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2022年4月18日 (月)

欺瞞とおもわく

いくらか潮目が変わってきたのかもね。
世界中でロシアに理解を示すのはわたしのブログだけかと思っていたら、思わぬところから伏兵があらわれた。
伏兵とはいえない大勢力だけど、インドといえぱバイデンさんのおどかしにも懇願にも応じないおとなモードの国だ。
バイデンさんがロシア制裁のために、やたらにその他の国に声をかけ、味方をしそうにない中国には、手を出すんじゃねえぞとおどしをかけているのはご存じのとおり。
ところがそんな米国にいい返事をしないのが、もうひとつの新興大国のインドだ。

インドのモディ首相はプーチンと仲がいいからだろうという人がいるかもしれないけど、この国は中国と仲がわるい。
戦略的には米国に協力したほうがいいんじゃないかと思えるのに、オレんちは中立で行きますと、バイデンさんの要望をきっぱりとはねつけた。
インドのテレビ番組に「なぜアメリカはウクライナ戦争を愛しているのか」というものがあって、そこでインド人キャスターがじつに小気味いいくらいアンチ・アメリカ的な発言をしている。
わたしも知らなかったバイデンさんの身内について、新しい事実もある。
長い記事なので引用せずにリンクを張っておこう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20220417-00291879

ロシアを擁護するような発言をして、いちじ盛大に叩かれていた鈴木宗男さんも、ロシアはまだ日本に配慮していると発言しているし、小さいながらも世間のアホどもに逆襲する機運は、じわじわと盛り上がってきているようだ。
これでいいんだよ。
アホは死ななきゃ治らない。
真実をあきらかにするのは、もうすこし時間をかけよう。

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2022年4月17日 (日)

コワイ

わたしは間違っていた。
去年のいまごろ、駐輪場のわきの藤棚にフジの花がきれいに垂れ下がったけど、幼いころの郷愁をさそわれる熊ン蜂のすがたが見えなかった。
それで 熊蜂の羽音もなくてさがり藤 なんてヘタクソな句をつぶやいてしまった。
ところが今年よく見たら、いた、いた。
黒くて丸っこい熊ン蜂が、フジの花のまわりにいくつも。

どうやら天気がわるいと出てこないみたいだ。
天気のいい日にクローズアップを狙ってみよう。
彼はコワイ蜂であると思われているらしいから、その誤解を払しょくしてやろうと思っているのだ。

ところでテレビを観たらプーチンがコワイ男であると思われていた。
ミャンマーで軍隊が市民を弾圧しているのは、プーチンが武器を売ったからだって。
へえ、そうか。
アメリカは武器なんか売ってないっていうんだな。
アメリカが売った武器で国民を抑圧している指導者はいないっていうんだな。

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2022年4月16日 (土)

沖縄/石垣島

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干瀬はさながら一条の練絹のごとく、白波の帯をもって島を取り巻き、海の瑠璃色の濃淡を劃している。
虹がこの海に橋を渡す朝などがもしあったら、今でも我々は綿津見の宮の昔語りを信じたであろう。
笹森儀助の紀行記は公務の報告書のようなもので、珊瑚礁の海が美しい、ゴーヤチャンプルーが美味しいなどと、ミーハーの女の子みたいなことは書いてないから、また柳田国男に代弁してもらった。
石垣島は珊瑚礁の島ではないけど、周囲はほとんどサンゴのリーフに縁どられていて、「海南小記」のなかの“干瀬の人生”に描かれているように美しい。
この本を読むたびに詩のようだと思い、詩を読むのは音楽を聴くのと同じ脳の中枢による体験なので、いい音楽を聴いたような気持ちにもなる。

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笹森儀助は石垣島にやってきた。
この島は本土からの飛行機が離着陸するところで、西表島や竹富島、与那国島、波照間島などなど、八重山の離島へ行くための起点になる島である。
わたしはこの島に何度も行っていて、泊まった宿もピンからキリまである。
去年の暮れにはついにゲストハウスなる宿にも泊まったし、まだまだ若いころのヒッピー精神は抜けておらんようだ。

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明治時代の石垣島には旅人宿が2軒あって、儀助に同行した教員の一行や船舶会社の職員らはそっちに泊まった。
内務大臣の秘書待遇である儀助は、現在では国の重要文化財になっている「宮良殿内(みやらどんち)」という士族屋敷に泊めてもらった。
彼の食事は3食とも旅人宿で作ったものを殿内まで運んでもらい、おかげで料亭に大勢が押し込められ、夜中まで騒々しくて眠れなかった宮古島に比べれば、極楽みたいだったそうである。

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作家の司馬遼太郎も宮良殿内を見物していて、「街道をゆく・先島紀行」にその描写があるから、わたしは昭和49年(1974)ころの当主が、宮良当智という明治生まれの老人であることも知っていた。
この家の建築材料がイヌマキであることも。
イヌマキは“一つ葉”とも呼ばれ、葉が扁平なので、一見すると照葉樹の仲間に見えなくもないけど、いちおう針葉樹で、シロアリに強いという特性のために沖縄では高級建材だそうだ。
この家の屋根は沖縄ふうの赤瓦で、明治時代には一般平民に瓦ぶきの屋根は許可されてなかったから、何度も役所の指導を受けている。
もっと詳しいことを知りたい人はここをクリック。

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庭に枯山水式の日本庭園があり、庭の木々をすかして、その向こうにとなりのタクシー運転手さんの家が見える。
こちらもなかなか立派な家である。
となりの家のことはこのさいどうでもよくて、宮良殿内で儀助はパパイアをご馳走になった。
大きさや色などを詳しく書いているから、彼がパパイアを初めて見たことは間違いなく、本土の樽柿のようで美味しいと、ここではミーハーの女の子のようなこと書いていた。
最近ではパパイアもだいぶ値がこなれてきたけれど、明治以前には献上品として、将軍さまぐらいしか食べられない果物じゃなかったろうか。

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ついでといってはナンだけど、ここで石垣島の珍味をいくつか紹介しておこう。
豆腐ヨウはアンキモのようなねっとりした食感で、酒のつまみに好適。
ウミブドウは口のなかでプチプチとはじける食感が楽しく、わたしはむかし沖縄本島の古宇利島で、ご飯が見えないくらい豪快にこれを乗せたウミブドウ丼を食べたことがある。

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モズクは、うーん、テンプラよりそのまま酢醤油で流し込むほうがわたしは好きだな。
これについては、公設市場で石油缶で買えば本土まで送料がタダになる。
ひとりでそんなに食べるのは大変だけど、このおばさんたちはグループ買いをしていた。

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ヤシガニはずっとむかし、たまたま入った食堂のメニューにあったので、話の種に注文してみたもの。
現在では天然記念物の禁制品だから、やたらには食べられないようだ。

儀助は翌日、石垣島に新しい監獄を作る計画があって、その下調べに来ていた監獄職員たちと川平湾へ行ってみることになった。
職員たちははじめて石垣島に来た者が多く、全員が駕籠に乗るというので、儀助もここでは駕籠に乗った。
駕籠はひとつに6人の人夫がつき、みんな裸足でジャリ道でもそのまま走り、料金は1里9銭だったそうである。
宮良殿内から川平湾まで、距離は20キロ以上あり、これを儀助の駕籠は4時間あまりで走っている。
とちゅう原野があるたびに見分しながらの道中だったけど、乗り心地はよくなく、儀助は3回も駕籠から落っこちた。

石垣島もマラリアのはびこる瘴癘の地だったので、儀助は医師にいわれたとおり、朝と晩にキナ丸(キニーネ)を飲み、蚊対策として泡盛を飲み続けた。
蚊というのは泡盛の匂いがキライなんだそうだ。

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川平湾は入口に大きな島をかかえて内陸に深く入り込んだ湾で、風光が明媚なところから、いまでは石垣島屈指の観光地になっている。
ここは明治以前は八重山でもっとも重要な港で、中国や本土への輸出品はすべてこの港を経由していたそうだけど、儀助が旅をしたころ、港湾関係の仕事は現在の石垣市のほうに移ってしまっていて、川平港もたいそう寂れていた。
当時の川平村の全戸数は68、人口は301人だったそうである。
ちなみに現在は、ということで調べてみたら平成22年(2010)のデータが見つかり、それによると戸数516の人口1005人だという。
わたしは川平湾に行ったことがあり、グラスボートにも乗ったことがあって、もっとにぎやかなところというイメージを持っていたけど、ここにある小学校の生徒数が、1年生から6年生を合計しても50人くらいというから、いまでもにぎやかというほどではない。

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儀助が見たとき、役場の建物だけは新しかった。
建築材はセンダン、マキ、モッコクなどと、ここでは建物の材料にまで触れている。
紀行記作家というものは見かけた建物の材料にも触れなければいけないようなので、わたしも調べてみた。
マキというのは前記の宮良殿内のイヌマキのことだろう。
センダンというのは“栴檀は双葉よりかぐわしい”と、香りのよいことで知られる栴檀(白檀)とはべつの植物である。
以前わたしの散歩道であった調布飛行場のわきに生えていて、盛りをすぎても葉が水々しい木だったけれど、鳥が勝手に種をまいて勝手に成長した木だったので、そのうち切られてしまった。
モッコクのほうは、いわれてみれば庭木として誰でも見たことのある木だった。

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この道すがらでパイナップルのような実をつけた植物を見た。
儀助さん、ごらんなさい、これはトゲナシアダンですと、随行員のひとりがいう。
どっか珍しいのかい。
ふつうのアダンは葉のへりに鋸歯状のギザギザがあるんですが、これにはありません。
あっ、ほんとうだ。
小笠原などには自生しているらしいですけど、八重山ではここにしか生えてない貴重な木です。
むかしこのあたりで難破したドイツの船が、種を持ってきたんじゃないかといわれてますと、儀助たちは1本の木(アダンは大きめの草だけど)をまえにワイワイ詮索した。

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例によって村の人口や経済状況を尋ねたあと、川平村の視察を終えて、儀助たちは名蔵村へ向かった。
名蔵という地名はいまでもあって、ラムサール条約に登録された「名蔵アンバル」という大きな汽水湖があるところである。
自称ナチュラリストのわたしはもちろん行ってみたことがある。
広大な干潟があって、アウトドア派には興味のつきないところだけど、広すぎてわたしの歳では見てまわるのがしんどい。
田んぼの間の小川でカニでも釣れないかと試してみたものの、なにも釣れなかったからわたしには釣りの才能はないみたいだ。
近くに素泊まりの宿があるから、野鳥観察でもしようというなら、ここに泊まるといい。
パイナップル農園もあるから、女の子には喜ばれそうだ。

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儀助が名蔵村に着いたのは夕方の6時ごろだった。
当時の役場の正確な位置はわからないけど、名蔵村役場は荒れ果てて人間はひとりもいなかった。
随行の警察官に尋ねると、村の戸数は6戸、人口は男女あわせて16人しかいないとのこと。
これじゃ村というより部落だけど、石垣島の税務署はこんな貧乏な村にも職員を置いて、容赦なく島民から税金を取り立てていた。
有名なのは琉球王朝の支配時代からある「人頭税」というもので、これは金があろうがなかろうが、人間ひとりにつき一定額の税金を取り立てるという、乱暴かつ無慈悲な制度だった。
もともと面倒な徴税の手間をはぶくために導入されたもので、累進課税の原則に反していたから、現在ではこの制度を残している国はほとんどない。
沖縄で人頭税が廃止されたのは明治36年のことだった。
ごれは儀助の旅の10年後だから、彼の報告と提言も制度の改革に効果があったのかもしれない。
儀助の視察では、貧しい人たちにつねに温かい眼差しがそそがれていた。

視察を終えて宮良殿内にもどると、人夫たちが駕籠代をちょくせつ自分たちに払ってくれと騒いだ。
駕籠を斡旋した役人に払うと、みんなピンハネされてしまうということで、いつの時代も最下層の人々の境遇はきびしかったようだ。

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2022年4月15日 (金)

拝啓、NHKさま

自慢じゃないけど、わたしはNHKしか観ないので有名な男だ。
民放のバカ騒ぎが虫酸が走るくらい嫌いだし、絶対的にNHKを信頼しているから、「NHKから国民を守る党」や、立花なんとかいう人を支持したこともない。

そういうわたしだけど、ここんところのNHKはあまりに偏向しすぎていると思わないわけにはいかない。
わたしがロシアびいきのせいもあるだろうけど、ロシアを鬼だ悪魔だという報道が多すぎる。
これは戦争なのだ。
戦争の始めのころには、ロシア軍のヘリコプターがウクライナの(アメリカから貸与された)ミサイルで撃墜されたという報道もあった。
その後もキエフ(キーウ)周辺はウクライナが奪還したという報道もあった。
ウクライナ側が一方的にやられているわけではないし、殺さなけれ殺されるという恐怖は、現地の一般兵士にとって同じだろう。

戦争が始まってしまえば一般市民の被害は確実に起きる。
なぜ始まるまえに制止しなかったのか。
アメリカが戦争を煽り、支援して長引かせようとする理由は、このブログで何度も書いてきた。
昨夜のニュースによると、アメリカはまた追加の軍事支援をするそうだ。
バイデンさんが個人的としか思えない怨恨でプーチンを嫌っていることは、とっくに本人が自分で表明しているのだ。
たしかにプーチンはロシアの愛国者で、バイデンさんとは180度立場が異なるけど、それでもロシア人から見れば、国家を守るために困難な闘いを勝ち抜いた救国の英雄である。
いまだに足もとの定まらないバイデンさんとは違うのだ。

NHKが事情をきちんと心得ているならともかく、一方的なウクライナやアメリカの情報だけを押しつけないでほしい。
日本人のなかにはこの戦争にべつの見方をする人もきっといるはずなのに、出てくる識者というのが、ことごとく局の意向にそった人ばかりじゃないか。
最近はプロパガンダにかんたんに引っかかる連中ばかりなのだから、もうすこし責任のある報道をせんものかねえ。

NHK以外のマスコミのなかにも、安倍もと首相がプーチンと仲がよかったといって、もと首相を責める声がある。
ホント、救いようのない馬鹿どもだ。
安倍もと首相はプーチンと仲がよかったけど、それ以上にアメリカ大統領とも仲がよかったではないか。
こういうわけのわからないニュースばかりを押しつけられているんだよ、日本人は。

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2022年4月14日 (木)

問題ありき

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問題ありきの見本だな。
というのはYouTubeにしょっちゅう発言しているKさんという人がいて、彼が最新の映像で、映画監督の河瀬直美サンの発言を非難しているんだけど、その内容の軽薄なこと。
わたしは映画好きであるものの、河瀬サンをとくに擁護するファンでもない。
彼女は理性的な立場から、一般論としてロシアを擁護するような(感じの)発言をした。
文脈のなかに、日本だって将来他国を侵略することがないとはいえないという言葉があると、Kさんはさっそく彼女の発言に難癖をつける。
そんなことはゼッタイにあり得ないと、まるで預言者のような言い方だけど、未来のことが彼にわかるのか。
過去のことなら、日本がかって侵略をした、それも日本には日本の事情があったということぐらい知っているか。

Kさんの発言は、とにかく白分の意見に合わないものは、徹底的に見つけ出し、これっぽっちも容赦しないという扇動発言の見本だ。
SNSで他人の発言にいちゃもんをつけて喜んでいる人間の大半は、彼と同じレベルのノータリンで、ものごとを上っつらしか見ていない人々であるということなんだろう。
いちばん大きな問題は、このていどの人でも世界に向けてどうどうと発言できることだな。
いっておくけど、日本は表現の自由が保証された国であって、わたしのブログも他人から文句をいわれるスジのものじゃない。
他人の発言にいちゃもんをつけるなら、誰もが納得できる根拠を示し、正々堂々とした理論で勝負するべきだ。
自分たちだけにしか通用しないへ理屈で、気にいらない発言を集団で封じようという勢力の存在に、危機感を持つのはわたしだけではないということを信じたい。
無名であることを幸い、わたしはこれからも異端発言を続けるつもりだ。
あー、疲れる。

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添付したのはいまのシバザクラ。
よく見ると、色とかたちで、うちの花壇には少なくとも3種類が混在している。

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2022年4月13日 (水)

ワイン

ワインを飲む。
べつに誕生日とか、どこかの文学賞をもらったとかいうわけではなく、たまたま冷蔵庫に入っていたから。

最近わたしが飲むのは、悪魔が守ったプレミアムという宣伝文句つきの、カッシェロ・デル・ディアブロ(Casillero del Diablo)というチリ・ワインが多いんだけど、これは以前なにかの席で飲んだことがあって、おいしかったから、というより無難な味だったから、その後は酒屋に行くたびにこのラベルを探してしまうのだ。
わたしはワインの奥義をきわめようというつもりじゃない。
なんでもいいやと適当に飲んでいると、むかしひじょうにきつくて飲みにくいワインに当たったことがあり、それ以来無難な味の上記のチリ・ワインに決めていたのだ。

今回飲んだのはひと様からもらったもので、ラベルをみるとオーストラリア・ワインだそうで、「ジェイコブス・クリーク(Jacob's Creek)」というのがそれ。
おっかなびっくり飲んでみたけど、味は、これも無難なもの、つまり普通においしく飲めた。
わたしが知らないだけで、この手の味が普通かねえ、いま日本に流通しているワインは。
べつに読んでもおもしろいとか、ためになるわけでもない今夜のブログ記事は、飲んだばかりのこのワインと共通する読後感があるんじゃないか。
ええ、スーパーの棚にあったものらしいから、そんな高級品じゃない。
ま、機会があったら飲んでごらんなさいな。

冷静さをよそおっているけど、今夜もNHKは圧倒的にこちら側のニュースばかり。
いらいらがつのるねえ。

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2022年4月12日 (火)

ネグリジェ

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先日、また「サンデル教授の白熱教室」が放映された。
最初のころの熱気が薄れてきたのか、本放送の日にちに気がつかず、録画したのは再放送だった。
再放送でもなんでもわたしはこの番組が好きで、観ていると討論の参加者になったつもりで、ついつい熱が入ってしまうのである。

今回のテーマは「民主主義をどう考えるか」というもので、例によって日本、アメリカ、中国の俊英たちを、それぞれ6人ずつ集めて議論を闘わせる。
いくら議論したって、先のみじかいわたしにはなんの役にも立たないと思うけど、ボケ防止のつもりで考えてみた。
そもそもいくら俊英といっても、民主主義の定義がわたしみたいな年寄りとは違っているようで、うん、添付した画像はうちの花壇のチューリップで、もしゃもしゃした珍しいかたちのネグリジェという種類らしい。
なんでいきなりチューリップの話題になるんだとお怒りのアナタ。
じつはいまのわたしは、沖縄紀行の続きも書かなくちゃいけないし、ロシアをけなしてばかりいる世間(とNHK)に腹を立てなくちゃいけないし、おまけに花壇の草むしりもしなくちゃならんので忙しいのだ。

そういうわけで、白熱教室そのものはおもしろかったけど、文章をなかなかまとめられず、このネタについてなんか書くのはもうすこし時間がかかりそう。
それまで世界ゆいいつの、ロシアに理解をしめすブログとして、記憶していただけたら嬉しいと思う。
続きはそのうちに。

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2022年4月11日 (月)

大馬鹿

日本人はいつからこんなに馬鹿になった?
まえの戦争からぜんぜん学んでないじゃないか。
太平洋戦争も日本の一方的な侵略と思われているけど、日本側にいわせれば、経済制裁やハルノートの押しつけなど、開戦やむなしというところまで追いつめられたという事情があった。
あのときも圧迫の主体はアメリカで、やるならとことんやってしまえと、相手に一片の同情もしないのはアメリカのやり方らしい。

勝負でも戦争でも、この程度という線での手ごころが必要なのに、偏執狂的にプーチンを追いつめようとするバイデンさんは、ロシアが核兵器を使わざるを得ないところまで容赦しないつもりのようだ。
たとえロシアに過失や判断間違いがあったとしても、相手はこのあいだまで協力すべきところは協力する、宇宙船も共同経営し、地球温暖化にも対処し、ガスパイプで西側にもエネルギーを供給するという、アメリカとそれほど変わらないグローバルな(常識の通じる)国だったではないか。
後ろがないというところまで相手を追い込めば、ほんとうに第三次世界大戦になるぞ。
日本のボンクラ宰相は、勝ち馬に乗ることだけに熱心で、あわよくば北方四島まで取り返そうってつもりかもしれないけど、戦争までして、ちっぽけな島を取り返してほしいという国民がどれだけいるだろう。

いったいいまの日本人は戦争をなんと心得るのか。
テレビゲームじゃないんだぜ。
ミサイルでぶっ飛んで一巻の終わりなら楽なもんだ。
爆発で足が根元からふっ飛び、皮一枚でつながっている、はらわたが飛び出し、それでも死ねずに自分の臓物を自分の目でながめる、崩壊した建物の下敷きになって、じりじりと生きたままバーベキューにされる。
これが戦争というものだ。
それがもう目の前なのに、なぜ止めようとしないのか。

そうか、そうか、わかってきた。
わたしはもうすぐ死ぬから、こういう時代がそれに合わせて向こうからやってきたんだろう。
わたしの死んだあとがどうなるか知らないけど、まだ世界が続いていくものなら、あとに残された若いもんほど気のドクな存在はないね。
身から出たサビともいえるけど。

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2022年4月10日 (日)

ハジチ

時宜を得たというか、わたしがブログで書いたばかりの沖縄の奇習であるハジチが、琉球新報で取り上げられていた。
なんとかいう女の子が自らの体を土台に、ハジチ(入れ墨)の伝統を守ろうとひと肌脱いだのだという。
こういう書き方をするとイロっぽい話かと思う人がいるかもしれないけど、ハジチというのは腕から先だけにするものだから、べつに色気のある話ではない。

あいにくわたしは入れ墨がキライと書いたばかりだ。
相手がかわいい女の子だとそのかぎりにあらずというのがわたしの欠点だけど、こういう大胆な娘を見ると、つい名人といわれた八代目林家正蔵の「火事息子」を思い出す。
まあまあ、目のさめるような彫り物をしちゃって!
というのは放蕩のあげく勘当され、火消し人足になってしまった大店の息子に、ひさしぶりに会った母親の嘆き。
正蔵のこの人情噺をひさしぶりに聞いてみたけど、あいかわらず名人芸だねえ。

琉球新報の娘が母親を嘆かせることはないだろうけど、ハジチをファッションと考えているらしいのがちと気になる。
ハジチというのは女性の勲章であるというものの、あくまで勲章に付随してくるもので、ハジチを彫れば勲章がついてくるわけじゃないんだよ。

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2022年4月 9日 (土)

今日の花壇

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今日のうちの(団地の)花壇。

夜になってから花壇へ行ってみた。
なにか昼間は感じなかった花の香りがただよっていた。
いまシバザクラが満開だけど、これはあまり匂わないからチューリップだと思う。
ついつい幸せな気分。

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2022年4月 8日 (金)

沖縄/針突(ハジチ)

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儀助が汽船大有丸で、つぎの目的地宮古島へ向かうために那覇を出航したのは、明治26年(1893)7月5日のことだった。
那覇を出港するとまもなく慶良間諸島のわきを通っているけど、ここは珊瑚礁が美しいので、現在はダイバーに人気の潜水スポットになっている。
ということは浅瀬が多く、航海の難所ということでもあり、大有丸の船長は、こことあしこに灯台が必要なんですけどと、また儀助に陳情を始めてしまう。

儀助は座間味島の阿護湾を遠望して、この湾は三方を島にかこまれた天然の良港だから、台風のときなど、船が避難するのに都合のいい場所だと書いていた。
慶良間海峡は、外国に占領されたら厄介なところであるとも書いているから、彼の仕事は軍事偵察も兼ねていたのかも知れない。
日清戦争が始まるのはこの翌年である。

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やがて右舷に八重干瀬(やえびし)が見えてきた。
八重干瀬というのは春の大潮のとき、海面に巨大な珊瑚礁がすがたを現すので有名な観光スポットだ。
儀助の旅では季節が違うから全貌は見えなかったかも知れないけど、わたしは20年ほどまえの夏に宮古島に行って、この珊瑚礁を見物したことがある。

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船に乗って八重干瀬へ行くとき、陸上に、てっぺんに金魚のようなものを乗せた高い鉄塔があるのが見えた。
なんだいあれはと訊くと、船長の返事では、風力発電の風車だったんですが、台風で羽根がみんな飛んでしまってと。
沖縄電力の見積もりが甘かったのか、あらためて沖縄の台風のものすごさに瞠目したけど、最近では台風にさからってもムダというわけで、可倒式の風車もあるらしい。

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わたしが八重干瀬に行ったのは9月で、大潮ではなかったけど、季節が違っても珊瑚礁は同じところにあるわけだから、簡単なシュノーケリングでいつでも見物できるのである。
そのときは水中カメラがなかったから、海中の写真は去年の暮れの西表島のものだ(海のなかの景色はどこでもそんなに変わるもんじゃない)。
ここではマンガチックな紋様のモンガラカワハギがたくさん見られたっけ。

珊瑚礁に乗り上げれば、むかしも今も船は座礁することになっている。
大有丸は慎重に宮古島の張水港に向かった。

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港には島民数百人が集まってなにやらおめき叫んでいた。
大丈夫かなあと儀助らは心配をする。
じつはこのすこしまえに、明治政府による古い制度の改革があって、特権を奪われることになった旧士族たちが、島民を集めて決起集会をしていたのだった。
そんなところへのこのこ上陸したら、政府のまわし者とみなされてぶん殴られるんじゃないか。

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儀助の本によると、宮古島は沖縄の中でもとくに気の荒い人が多いそうである。
そういわれてみると、ここでは明治12年に日本政府への不満から、サンシー事件という暴動が起こっていた。
暴動の発端は特権を奪われた旧藩の士族が、島民を焚きつけて日本政府の命令は無視することに衆議一決していたのに、裏切り者が出たので、その人間をリンチして殺してしまったというものである。
鎮圧のために軍隊を派遣しようかと考えた日本政府は、まだ新制度が発足して間もない時期なので、沖縄県民の反発を招くだけと悟り、警官隊による首謀者の逮捕と裁判だけで、法治国家というものはこういうものだと知らしめるだけですませた。
司馬遼太郎の「街道をゆく」を読むと、宮古島は多少でも遠洋航海に向いた舟が最初にできた島だという。
島民の気が荒いのはそのせいかどうかわからない。

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ぶん殴られるようなことは起こらず、儀助たち一行10名ほどは、坪田という本島人の経営する料亭に泊めてもらうことになった。
ここは正式な旅館ではなかったけど、当時ほかに泊まれる宿はなかったのだそうだ。
料亭だから夜になると酔客が大騒ぎをする。
安眠妨害だなとぼやいてると、夜中の12時に鐘が鳴って、客はみんないっせいに引き上げた。
これは風紀を守るための島の取り決めで、そんなことは知らない儀助は、鐘の音にすわ火事か押し込み強盗かと、たまげて飛び起きた。

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到着した日に儀助はさっそく視察に出かけている。
宮古島はお皿をひっくり返したようなぺったんこの珊瑚礁島で、水が乏しいから稲作には向かず、畑ばかりだったという。
その畑も沖縄本島に比べると、だいぶ手抜きが目立つと、儀助の観察は手きびしい。
いまでは宮古島にある池間島、伊良部島、来間島の三つの島には、そのすべてに橋がかかっているけど、儀助のころにはそんなものはなかった。
ちなみに来間島の橋は、日本一長い橋なのだそうだ、農道としては。

舟で伊良部島に渡ってみると、ここでも決起集会が開かれていた。
学校の職員に話を聞くと、宮古島には高等小学校、尋常小学校と二つの学校があり、しょっちゅう島民が集会を開くので、そのたびに子供も学級閉鎖に追い込まれているという。
困ったもんだなと思ったけど、へたに口を出してぶん殴られてもたまらない。
ここでは明治26年の島民の総数が3万5千人あまり、学童の数は300人ぐらいということをおぼえておけばいいだろう。

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儀助は宮古島のまえの役所長・吉村貞寛氏を訪ねて、彼が取り組んでいる製糖業の未来について話を聞いた。
どうですか、仕事の具合は。
それなんだけど、宮古島では人間の頭割りで税金を徴収する人頭税(これについてはあとでまた書く機会があると思う)という制度があって、反物や、米、粟のような穀物で税金を納めるのが普通ですが、ほかにもナントカ税、カントカ税と、役人がいろんな名目で税金をしぼっておりましてね。
一般島民の困窮ぶりはひとかたじゃないもので、砂糖で税金を払えるよう、わたしは島に新しい産業を興そうとしとるんですが、島民がまだサトウキビの栽培に慣れていないもんで、できた砂糖は粗製乱造、もうちっと時間がかかりそうですな。
なるほどと、儀助は帰って上申するつもりで報告書にメモした。
あ、もうひとつと、吉村氏はいう。
この島には名子(なあぐ)という階級制度があって、上位の士族や役人が下位の島民をこき使うのが当たり前になっとります。
それはけしからんことでと、儀助はこれも報告書にメモした。

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つぎに反物工場の視察に行ってみた。
わたしが反物について詳しいわけがないので、ここは儀助の本に書いてあることに、まただぼらでも付け加えながら話を進める。
儀助の視察した工場では、小さな窓しかない掘っ建て小屋で、女工たちがコットンコットンと機織りをしていたといい、小屋の大きさは、また尺貫法の単位が出てきてわかりにくいけど、3間×4間から4間×6間まで各種あって、機織り機をならべた小屋や藍染め専門の小屋もあったという。
小屋の入口の広さはこれこれ、周囲の壁には茅や小竹の類を使い、機織り機の足もとに蚊取り線香が焚いてあったと、儀助の視察はあいかわらず細かい。

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宮古島の反物は「宮古上布」といって、苧麻(ちょま)という麻の繊維で作られた藍染製品で、沖縄で有名な紅型ほど派手ではなく、わたしみたいに和服に縁のない人間にもひじょうに魅力的に見える。
これって織り上げるのにどのくらい時間がかかるのと、儀助が女工のひとりに素人っぽい質問をしてみると、1日かけて6寸(18センチ)ぐらいがせいぜいで、注文があっても、上等の品物だと完成までに半年はかかりますとのこと。
今みたいに自動織機のない時代、反物の名産品といえば、手間のかかることはみんなこんなものだったのだろう。
宮古島でもよい布を織る女性は尊敬の対象で、「宮古上布」は税金として代納することもできた。

わたしは西表島のホテル・パイヌマヤの入口にある機織り工房で、沖縄の織物に魅せられて本土から移住してきたという女性に会ったことがある。
なかなかすてきな人だった、ということはどうでもよくて、去年の暮れに西表に行ったときまた寄ってみたら、コロナのせいで客が激減したせいか、この工房も閉店してしまっていた。
人の運命はわからないものだ。

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柳田国男の「海南小記」の中の“島布と粟”という項にも、宮古島で布を織る女性にふれた話がある。
20桝の紺縞になると、1反が並の白布の7反分にも評価された。
それ故に名人の機の傍には、若い娘たちが多く見習いにやってきて、次の代の苦労の下拵えをした。
宮古は今でも藍染の布を誇りとする。
およそこの島で手の真白な女などは、どこの家でも嫁に取ろうとしなかった。
女性の手が黒いのは藍染めに従事するからだけではない。
沖縄の女性には手のひらや手首に針突き(ハジチ)という入れ墨をする風習があって、儀助の本でもこれについて詳しい記述がある。
宮古の女性のハジチは織物の模様と同じものが多く、これは女性がいかに織工としてベテランであるかの証明で、彼女たちにとっては勲章に等しいものだった。

しかしいいことばかりじゃない。
布織る女たちの境遇は、元は一つしか改良の途がなかった。
若くかつ面影の清らかな間に、沖縄から来る高い官吏に愛せられ、子を生んでそれが男であったら、後に士族になることができたのである。
柳田国男の文章はさらに、宮古諸島は人口が5万人で、毎年1万個の酒甕が輸入されるけど、男がこれをみんな消耗するので、女性の苦労は絶えることがないと続いている。
宮古上布が女性たちを過酷な境遇におとしめていたことも事実だったのだ。

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ハジチもすたれて、いまでは入れ墨をする女性はいなくなったと書こうと思ったけど、最近はまたタトゥーがブームだ。
わたしは以前、列車に乗っていたら、目のまえのタンクトップの女の子が、胸の割れ目のすぐ上にタトゥーをしているのを発見し、写真に撮ろうとして一緒にいた知り合いに止められたことがある。
ホント、わからん世の中になったものだ。
若い女の子が胸の割れ目に幾何学模様を彫るくらいなら可愛いけど、正直いってわたしは入れ墨なんか好きじゃない。
伝統だとか女性のほまれだとかいっても、おばあさんになって入れ墨だらけの両手を見せられたら気持ちわるいだけである。

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2022年4月 7日 (木)

予兆

アメリカが台湾にパトリオットを売るという。
どうもウクライナで味をしめて、ロシアのつぎは中国に的を絞ってきたようだな。
ロシアと同じように、隣国に西側の兵器が配備されるのはヤバイというので、中国が台湾侵攻でもしてくれたらしめたもの。
バイデンさんは自らは手を出さずに、台湾に代理戦争をさせ、世界中に中国を締め上げさせるつもりだろう。
なにしろ世界は盲目的にアメリカ支持で、盲目的に中国がキライなのだ。

問題は、中国も馬鹿じゃないから、なかなかその手に乗らないということだ。
たとえ台湾に核兵器が配備されたって、中国は現時点ではゼッタイに台湾に手を出すまい。
中国の戦略は、ただひたすら豊かな国になること、力を蓄えることだ。
アメリカ並みに豊かな国になれば、台湾はひとりでに落ちる果実のようなものだし、そのあいだにはアメリカはますます凋落する一方だ。
ここはゼッタイに相手の挑発に乗るべきではない。

台湾にはいまでも国民党という中国よりの政党がある。
これはウクライナの場合とよく似ている。
ウクライナにもロシア寄り政党とEU寄りの政党があって、EU寄りの政党が主導権をにぎろうとしたとき、たまりかねてプーチンが手を出した。
戦争の推移はまだわからないけど、仮にプーチンが失権すれば、アメリカの狙いは成功したといえる。
中国はそういうアメリカのやり方をじっと見ているから、同じ轍は踏むまい。

バイデンさんも必死だ。
ずっと後方ではまたトランプさんの声が聞こえてきたし、彼は止まったら倒れる自転車乗りの心境だろう。
国をひとつにまとめなければならない彼は、永遠に新しい敵を見つけなければならないのだ。
中国にまでケンカをふっかければ、味方をするのは、さすがに英国と日本のボンクラ宰相だけかも知れないぞ。

というのが、いま感じるわたしの予兆・・・・・

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2022年4月 6日 (水)

今日のプロパガンダ

一般市民の死者も出ているようだから、疑うのもたいていにしたい。
しかしこの戦争は、歴史上初めてのプロパガンダ戦争だ。
バイデンさんはまったく参戦しないまま、宣伝工作だけで相手を追いつめることが出来ているのだ。
もし、かりに米国にプロパガンダ専門の制作チームがあるとしたら・・・・
わたしたちは NetFlix 以外に、もうひとつのテレビドラマを観せられているわけだ。
いかに本物に見せるかがチームの腕の見せどころだけど、CGで恐竜や宇宙人の映画を作るのに比べれば楽なものだろう。
死人も出ているからと、わたしのように疑り深い人間まで発言を遠慮してしまったら、それこそプロパガンダ制作チームの思う壺だ。
うーん、むずかしいところだな。
とりあえず現場からの報告のうち、米国、英国、ウクライナの三つのものからは遠ざかっておこう。

わたしはいまロシア軍がやったとされる蛮行を、パソコンの中にメモしているところだ。
わたし自身はあと10年も20年も生きられやしないかもしれないけど、この戦争はそのまえに終わるだろう。
戦争が終われば、死者の名前や死因や国籍などもあきらかになるだろうし、プロパガンダだとすれば内部告発者も出て来るかも知れない。
いまの時期にロシア軍が、どうしてウクライナの一般市民を虐殺する必要があったのか、ある家のなかでは後ろ手に縛られた遺体もあったそうだけど、なんでロシアに拷問なんかする必要があったのか。
これはボスニアヘルツェゴビナのような宗教戦争なのか、イスラム国のような自分たちの国をつくる戦争なのか、ルワンダのような隣人がとにかく憎たらしい戦争なのか。

あまり悲劇を強調するので、放送がかえってウソくさく思えるほどだ、え、NHKさん。
キーウ(キエフ)の市長が発言する、ゼレンスキーさんが発言する、マリウポリの市長が発言する、彼らが何百人出てこようとも、同じ穴のムジナなんだから発言の内容は同じに決まっている。
NHKの態度に、いくらなんでもおかしいと思い始めた人もいるんじゃないか。
バイデンさんはプーチンを名指しで殺人者と罵倒しているけど、歴史をふり返れば、アメリカの大統領にこんなことをいう資格があるのだろうか。
わたしの知りたいことはたくさんあるゾ。

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2022年4月 5日 (火)

難民

ウクライナ女性が政府専用機に乗って、難民として日本にやって来たらしい。
もちろんわたしはもろ手を上げて歓迎だ。
おまえはロシアの肩ばかり持っていたではないかとの非難は、このさいわきに置いてしまうのだ。
ウクライナ女性の美貌には定評があるし、テレビ局もやっぱり美人のほうが絵になるとみえて、取り上げる難民はきれいな女の子ばっかりだ。
彼女たちもうわさに聞いていた東洋の夢の国に、合法的にやって来られてさぞかし幸せだろう。

これにはもうひとつの副次的効果がある。
ウクライナの難民女性のほとんどは、これまで外国を体験したことがない。
日本に来てはじめて、これが国というものか、政治というものはこういうもので、政治家というのはこういう仕事をするものかと気がつくのではないか。
それに比べると、自分の故国のウクライナはなんてひどいところだ。
なんでもかんでもワイロばっかりで、平時の大統領は新興財閥のパシリだし、病院の医師も頼りにはならない。

そう考えた彼女たちは、もう二度とウクライナにもどらず、日本の男をつかまえて日本に永住しようとするだろう。
日本人の娘は文句をいうかも知れないけど、野郎どもは全員が歓迎するに決まっている。
わたしが歳をとりすぎているのだけが無念だ。

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2022年4月 4日 (月)

本日のプロパについて

わたしはプロパガンダではない報道がないかと、いつもテレビやネットに目を光らせているんだけど、たまたまYouTubeで見つけたのがこの映像
「テレ東BIZ」というあまり聞いたことのない放送局のものだけど、ロシア市民に本音を聞くというもので、内容は米国や英国(や日本のNHK)のものより公平で信頼できそうだ。
なにもわたしの意見に合致するからではなく、ロシア人のなかにも戦争に反対する者もいれば、プーチン絶対支持という人もいるからだ。
わたしが日本の公共放送に求めているのは、こういう報道なんだけどねえ。
ロシアを擁護するのが、世界でゆいいつわたしのブログだけなんて、これは陰謀に決まっているワ。

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2022年4月 3日 (日)

沖縄/琉球征伐

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今回は笹森儀助の「南嶋探検」から逸脱して、彼の本の中に慶長の役ということでしょっちゅう出てくる琉球征伐について書いてみよう。
本文に入るまえにひとこといっておくけど、「琉球征伐」というのはあくまで本土(薩摩藩)側からの言いまわしで、鬼ケ島の鬼じゃあるまいし、征伐されるほど悪いことをしたわけでない沖縄の側では、これは「己酉の乱」という。
“己酉”の読み方は「きゆう」とか「きどのとり」とか「つちのととり」と読むらしいけど、琉球征伐の場合は、どれが正しいとはっきり書かれた文章が見つからなかった。
こういう場合はどれでもいいというのが漢字の便利なところで、ま、たぶん「きゆう」でいいんじゃないか。

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島津義久の琉球征伐は慶長14年(1609)のことで、関ヶ原の戦いの9年後、徳川家康が大阪城の外堀をじりじりと埋めていたころだ。
薩摩藩は関ヶ原では西軍に属したから、戦後は取りつぶされてもおかしくないところ、取りつぶされるくらいなら死ぬまで戦うという覚悟、それを見た幕閣たちの、まだ天下が定まってない不安定な時期だからというためらいなどが働いて、なんとか所領を安堵することができた。

琉球征伐も同じ流れのうえにあったのではないか。
琉球を制したものは対明貿易で莫大な利益を得ることがわかっていたから、徳川幕府が安定したあとなら、そんな美味しい権利をみすみす薩摩藩に独占させることはなかっただろう。
しかし徳川政権は豊臣氏の勢力をそぐことに傾注しなければいけない時期だったので、そんな南の果ての問題に関わっている余裕がなかった。
薩摩藩にしてみれば、将来にわたって幕府に抵抗するための、軍資金用ATMを手に入れたようなものだった。

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薩摩藩が攻めてくることを知った琉球の尚寧王は、あわてて中国(明)に支援を求めたものの、明のほうも屋台骨が傾いていたころで、秀吉の朝鮮侵略のとき朝鮮に味方したことへの報復ではないかと恐れるばかりだった。
このころ流行っていた倭寇をみても、日本人というのはとにかく乱暴者が多く、暴れだすと手に負えないということが大陸まで鳴り響いていたのだ。
尚寧王は三司官のひとり謝名(じゃなー)という人物を重用していて、この男は明で教育を受けた反日主義者だったから、中国の援軍をあてにして日本に刃向かった。
薩摩藩にとってこの反日行為は、征伐の絶好の口実を与えてくれたようなものだった。

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かくしてヤマトンチュウ(薩摩藩の侍)という、熊狩り猟師のような荒くれ男たちを乗せた80艘もの大船団が、波のおだやかな3月のある日に沖縄に向かった。

柳田国男の「海南小記」のなかに“旧城の花”という一項がある。
これは那覇市の浦添城からながめた景色を叙述したもので、散文詩といえるような美しい文章である。
城の石垣の上に立つと、干潟の美しい東西の海がいちどに見える。
島の歴史の800年が見える。
嘉津御嶽の向こうのふもとが運天の港で、ここには百按司の骨が朽ちて残っている。
残波岬の波はその時分から、今に至るまでこの島の女たちが、眺めては泣くべき波であった。

柳田国男は詩人から出発した民俗学者だったから、文章が美しいのは当然として、この項に “恩納なべ” という沖縄の女流詩人の名前が出てきた。
わたしには沖縄の方言なんかわかりようがないけど、彼女の句碑に彫られた歌を、ネットの助けを借りて訳してみた。003_20220403135201
恩納岳あがた 里が生まり島 森もおしのけて こがたなさな
(恩納岳の向こうの あなたの住む島 山を押しのけて こっちに引き寄せたいわあ)
訳が現代的すぎるかもしれないけど、句碑に彫られた彼女の横顔イラストも、コミック風で現代的だからちょうどいいのではないか。
彼女についてもっと知りたい人はここをクリック。

この項には、ほかに護佐丸、阿麻和利(あまわり)というふたりの武将の名前が出てくる。
沖縄にも14世紀中頃から、地方の按司(あんじ=豪族)たちが3つの勢力に分かれて覇権を争った、三山時代(北山、中山、南山)という戦国時代があった。

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当時の勢力図については地図を見てもらうことにして、そんな闘争の中からようやく沖縄を統一したのが、中山按司の尚巴志(しょうはし)王だった。
ちなみに琉球王朝に尚家という血統はふたつあって、ここに書いたのは古い時代の第一尚家、明治の廃藩置県で整理されちゃったほうは第二尚家というそうだ。
護佐丸、阿麻和利のふたりは尚巴志の部下として、戦雲に乗じてのし上がった軍人であり、策略家でもあったけど、しょせん両雄が並び立つことはできなかった。

沖縄では城のことをグスクといい、いちばん有名なグスクは那覇市にある首里城で、ここは覇権闘争に勝利した琉球王の尚巴志が本拠地にした城である。
那覇市とその周辺にあった城は、太平洋戦争で破壊されたものが多いけど、本島の各地にはほかにも古い城の遺跡がたくさんある。

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わたしは2008年に、沖縄本島の北部にある今帰仁城(なきじんグスク)を見学した。
今帰仁城は国指定の史跡であり、ユネスコの世界遺産にも登録された16世紀ごろの遺跡で、本島の北部にあったために太平洋戦争の戦禍からはまぬがれ、石垣などもわりあい築城当時のすがたを留めているようである。

今帰仁城は北山按司の勢力圏だったけど、護佐丸に攻められて落城し、尚巴志王の覇権を確実にしたところだった。
殊勲を立てた護佐丸は北山鎮めの要として尚巴志に重んじられたものの、やがて同じ尚巴志配下の阿麻和利と対立することになる。
ふたりの武将の対立は、護佐丸が滅ぼされることで決着した。
読谷山にいた間は護佐丸も安泰であったが、いかに堅固の要塞でも、中城はあまりに勝連の城に迫っていた。
それ故に終に好雄阿麻和利と、両立することができなかったのである(海南小記より)

国破れて山河あり、城春にならずとも、沖縄では草木はつねに深い。
戦国の闘争だけではなく、太平洋戦争という特大の惨禍によって、沖縄の古城のほとんどは灰燼に帰した。
いま残るもの、あるいは復元されたものは石垣だけというのが多いけど、かっての栄華をその遺跡から偲んでみよう。

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首里城はまえに紹介したから飛ばして、まず「海南小記」に書かれた浦添城だけど、ここは那覇市内にあるから、当然のごとく太平洋戦争で木っ端微塵になり、現在は石垣だけが再建されて公園になっている。
柳田国男の記述によると、浦添城からは東西の海が見えたというから、ストリートビューで確認してみた。
現在はビルや民家が建て込んでおり、排気ガスも多いので、海はちょっと見えにくい。
しかし海までの距離は、両側ともせいぜい4、5キロしかないから、戦前のここからは珊瑚礁の海がきれいに見えたことだろう。
“旧城の花”の項は、浦添の南の芝生には、盛んに大葉酢漿の花のみが咲いているという言葉で締めくくられている。
大葉酢漿(オオバカタバミ)という名前のカタバミはないけど、これはわたしの団地の花壇にも咲いているムラサキカタバミのことではないか。
マルタ島にたくさん咲いていたオオキバナカタバミは、わりかし新しい外来種のような気がするし、大きな葉のカタバミというとムラサキカタバミのほうが一般的なので。

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護佐丸という人は築城の名人とされ、彼の築いた城で有名なのは、三山時代に北山監視のための築城された座喜味城と、彼がライバルの阿麻和利を牽制をするために築いた中城(ナカグスク)城だ。

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こちらは阿麻和利の居城だった勝連城の遺跡。

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沖縄にはほかにも、玉城、具志川城、三重城などの遺跡がある。
具志川城は本島最南端の喜屋武岬にある城。
三重城は那覇港の近くにある海に突き出した海堡で、薩摩軍が進出してきたとき、ここから大砲を撃ったという。

合戦や太平洋戦争で建物が消失したせいもあるだろうけど、沖縄の城はどれも日本の城とはだいぶかたちが違っていて、天守閣がなく、長い石垣がくねくねと続くのが特徴だ。
石垣に銃眼が見当たらないのは、築城当時、沖縄ではまだ銃が普及してなかったせいだろう。
加藤清正の作った熊本城は、すでに火縄銃が普及したあとに作られた城だから、銃に対する備えも万全だった。

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わたしは熊本城を見学に行ったとき、塀の内側に塀をつらぬく奇妙な足場を発見して、何に使うものか尋ねたら、いざ合戦のさい、足場の上に板をしいて、射撃手がその上から外にいる敵を撃つためのものだった。

奄美大島や沖永良部島を経由して、薩摩藩の軍船が沖縄本島にすがたを現したのは慶長14年3月25日のことだった。
薩摩藩にかぎらないけど、戦国の統一期を体験していた日本の侍は、火縄銃などの火器を豊富に揃え、野戦、攻城戦にも練達していたから、沖縄という小さな島だけで、井のなかのかわずだった琉球人の歯の立つ相手じゃなかった。
彼らは今帰仁城に無血入城を果たしたあと、たちまち首里城に迫って、そのころの国王だった尚寧王を捕虜にした。
ここから笹森儀助が探検をした明治維新まで、さらには太平洋戦争でぼこぼこにされるまで、沖縄の苦難の歴史が続くのである。

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2022年4月 2日 (土)

本日のプロパガンダ

蟷螂の鎌であることは百も承知で、世界でゆいいつロシアを応援するブログの、本日のプロパガンダ情報。

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日本のニュースがアメリカのプロパガンダ一色なのに閉口して、ロシア国内のようすを正確に判断できるニュースはないかと目を光らせているんだけど、今日はロシア国民の80パーセントがプーチン支持というアンケート結果の報道があった。
疑り深いわたしは、なんだ、どうせ韓国のアンケートみたいなもんだろうと、まずそのアンケート調査をした独立系調査機関レバダセンターという会社に注目してみた。
するとレバダセンターは、かってプーチンから非協力的とみなされてつるし上げをくらった会社だという。
うん、これなら信用してもよさそうだ。
プーチンに憎まれている会社がプーチンの肩をもつはずがない。
そういう会社の調査で80パーセントなら、じっさいには90パーセントかも知れない。
そんなことはないにしても、これは先日のバイデンさんの失言の結果、ロシア国民が団結しちゃったことと関連がないとは思えない。
だいたい救国の英雄であるロシアの大統領をつかまえて、残酷な殺人者だ、あんな男が大統領であってはいけない、などという資格があると思ってんのか、アメリカに。バイデンさんに。

しかしNHKの解説者は、あたりまえのようにこの結果はロシアのプロパガンダだという。
プロパガンダに影響されやすいのは日本やアメリカもいっしょだろうに、自分がやるとロマンス、相手がやると不倫のまた好例だな。
今回の戦争はSNSを使ったプロパガンダ合戦だ。
最初に仕掛けたのはアメリカだけど、こうなったら宣伝合戦だということが、やっとロシアにもわかってきたのだろう。
新しい戦争の姿だ。
でっち上げはゼレンスキーさんやバイデンさんの十八番じゃないぞというわけで、最近はロシアも負けずに大ボラを吹く。
これで武力を使わなければ平和な戦争ってことになるのだが。

それにしてもどうしてだれも、ウクライナがヨーロッパで最貧国のひとつなのはなぜかと考えないのか。
自分の頭でその原因を考えるだけで、ぜんぜんべつの世界観が見えてくるはずなのに。

毎年いつごろどんな花が咲くかの目安のために、あとからこの日の花壇の写真(今年のシバザクラ)を追加しました。

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2022年4月 1日 (金)

ブログの効用

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わたしのブログは、知り合いたちにわたしはまだ生きてるよという安否情報になっていることを、何度か書いてきた。
ほかにもいろいろ役立つことがある。
たとえばわたしは花が好きなので、見かけた花の写真をしょっちゅうブログに載せている。
おかげで、たとえばいまの季節の花のカタクリが、去年は3月18日にはもう咲いた、今年は月が変わるころになってようやくという具合に、季節の変化の記録にもなっているわけだ。

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歳をとると時間の過ぎるのも早いから、記録しておかないと忘れてしまうことも多い。
むかしはパソコンのなかに日記のようなものをつけていたけど、ブログを始めてからはこれが日記替わりだ。
ときどき過去ログをヒマつぶしに読むんだけど、去年の今日はなにをしていたかなんてことがわかっておもしろい。
2年まえの今日は、引っ越し先、つまり現在のわが家に、電気、ガス、水道を通した日だ。
まだ荷物の搬入は先の話だったから、雨のなか、バスに乗って引っ越し先までぶらぶら歩いたものだった。
やれやれ、あれから2年か。
それだけの期間のうちに、世界はわたしの足もとから、手が届かないほど遠くに去ってしまったことよ。

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