沖縄/マングローブの森
西表島で浦内川の遊覧船に乗ると、まわりは亜熱帯のジャングルで、日本のほかの土地ではあまり見られないめずらしい景色をながめることができる。
山歩きの好きなわたしが、終点から出発点まで歩いて帰って来れませんかと聞いてみたら、登山のフル装備で3日かかりますといわれたことがある。
これは観光客にむやみに山歩きをされないよう、オーバーなことをいわれたらしいけど、笹森儀助の旅を読み進んでいくと、彼の西表島ジャングル・トレッキングが出てくるから、どんなものかはそちらを参考にしてもらいたい(このブログにもそのうち出てきます)。
遊覧船から注意していると、とちゅう河岸の藪が途切れて、上陸する桟橋の痕跡らしきものがあるのに気がつく。
これはかってそこにあった小さな部落の入口だ。
この部落は住人のほとんどがマラリアに冒されて、残る者がひとりもいなくなり、ついに廃村になってしまったのである。
かっての西表島はそれほど怖るべき瘴癘の島であった。
どうしてそんなにマラリアが、いや、それを媒介する蚊が多かったのだろう。
気温が蚊の発生にふさわしかったことに加えて、この島は竹富島や宮古島のように珊瑚礁で出来たものではなく、山あり谷ありで、おまけに雨も多く、しぜん水たまりもたくさんあって、蚊にとっては天国みたいなところだったせいだ(蚊はシベリアでも有名だけど、マラリア原虫は寒いところが苦手だから、被害はそれほどでもない)。
この紀行記に出てきた田代安定や西常央などもそんな風土病の被害者だった。
彼らは研究や視察にやってきて、蚊にくわれ、おお、カユイカユイといってるときには、すでに体内にマラリア原虫が入り込んでいたのである。
まだキニーネという特効薬が知られてなかった時代、この病気は西表でいくつもの村を廃墟にするほど猛威をふるっていた。
7月15日の朝、笹森儀助は役所の職員を案内に立てて、石垣島から西表島へ向かった。
本には伝馬船を使ってとあるけど、ふつう伝馬船というのはオールや櫓を使って前進するボートのことをいう。
石垣から西表島の目的地まで、距離が50キロぐらいあることを考えると、すべて手漕ぎで行ったとは考えられないから、後注を読んでみたら帆も使える船だった。
現在では連絡船で西表島に向かう場合、上原港か大原港に入港するのが一般的で、儀助たちは鳩間島を右に見たというから、これなら上原港ということになる。
しかし儀助のころは、さらにその先の祖納(そない)という村が行政の中心だったらしく、そっちにちょくせつ上陸した。
儀助はこの旅でもっとも危険とされた島にやってきたのである。
祖納というのは島の行政の中心であったことからもわかるように、西表ではわりあい古い地区で、フクギ並木なども立派なものがある。
儀助の記述によると、この村は東側以外は三方を海にかこまれてとあり、南西に小さな山があったという。
儀助たちはこの晩は祖納の役場に泊まった。
現在では役場は祖納の公民館になっているというので、探してみたのが上の写真。
南西の小さな山も、山というほどおおげさなものではなく、それはこの飛び出た半島のことのようで、白浜南風見(しらはま・はえみ)線の道路からながめるとこんなふうに見える。
いまのようにスーパーなんぞない時代だから、儀助たちは糧食を持参していて、持ち込んだ米を炊き、現地で調達した卵に醤油をたらして夕食にした。
お新香も汁もない、まさに貧乏旅行と自嘲ぎみだけど、登山やキャンプの食事と思えば文句をいうほど悲惨でもない。
わたしなんかいまでも自炊がメンドくさいと、卵かけご飯に自家製のお新香だけですませているワ。
翌日、儀助はさっそく租納村のまわりの視察に出た。
西表島は山が多く、雨もたくさん降るところだから、川や沼がたくさんあり、田んぼや畑にむいた土地が多かった。
問題はマラリアで、これを避けるために、わざわざ近くの島から耕作のためだけに通っている農民も多かった。
そこまでして農民が土地を耕すのは、琉球王朝時代、および薩摩藩時代の税制が過酷だったせいで、明治の新政府になっても不合理な慣習は依然として続いていたらしい。
儀助は同行していた県庁職員の後藤なにがしに、この島の徴税のしくみについて話を聞く。
これまでは租税の農産物は農民がいったん村の役場に納め、役場でまとめて県庁に上納することになっていましたんですが、それだと役場の職員が、たとえば米は1俵に3斗入れることになっていたのに、升と秤の2種類の測り方を使いわけ、差額をふところに入れたり、ひどいときには米を粟にしたり、粟を大豆にしたりのインチキが常態化していました。
この悪習を改めるために今年から租税は村役場を経由せず、ちょくせつ県庁へ向かう船に積み込むことにしましたんで、おかげで不正ができなくなって、農民は喜び、役場はしぶい顔をしていますとのこと。
ひとつのシステムが長期にわたって維持されると、なんとか金儲けの手段はないかと日夜研究している輩につけこまれるから、なにごともときどきは改革をすることが必要なようだ。
儀助は農業試験場で機那と珈琲の試植地を視察した。
機那というのは、まえにも書いたけど、マラリアの特効薬をとるキナの木(キニーネ)のことである。
試植の結果は、コーヒーは前途有望で、キナの木のほうは47本植えてみて、ちゃんと成長したのは2本だけだったそうだ。
それでも2本が成長したということは、まったく見込みがないわけではないというので、この年もさらに38本の苗木を植え、明治政府の悪戦苦闘は続いていた。
葉っぱが虫に食われているねなどと、キナの木を見分していた儀助は、ここで無数のヤマビルに襲われた。
あまりゾッとしないけど、かっての西表島の特産物はヤマビル(山蛭)で、こいつは木の上や草むらにひそみ、通りかかった獣や人間に手当たり次第にくっついて血を吸う生きものである。
誤解なきよういっておくけど、現在の西表島には、少なくても人家のあるようなところや、観光スポットにヤマビルはいない。
わたしは何度も西表に行っていて、たまには森のなかに分け入っているけど、いちどもそんなものを見たことがない。
だからこれも絶滅危惧種かもしれないと思うくらいだ。
キナの木については現地の人々の無理解があった。
キニーネがマラリアの特効薬であることはわかっていたけど、島民の役所に対する不信感はそうとうなもので、苦労してキナの木を育てても、みんな本土に持っていかれるんだろうと、熱心にこの木を育てようとする農民はいなかったという。
租納村で役場の職員に患者はいないかと尋ねると、みんなかならず、そんな者はいませんと答える。
しかし儀助がじっさいに村のなかを歩いてみると、寝たきりの病人のいる家がいくつもあった。
彼が患者にキニーネを与えてみると、ふだん薬を飲みつけてないせいか、劇的に薬効のあらわれる患者が多かった。
キナの木の重要性についてもっと島民を啓蒙しなくちゃだめだと、儀助はあとで役場の職員のまえでぶちぶちいってみたけど、職員からして無知無理解で、まじめに話を聞く者はいなかったそうである。
午後からは祖納村の北側にある干立から、島の北部、東部にかけての視察に出た。
現在ではこのコースには白浜南風見道路という立派な県道があるけど、もちろん明治時代にはそんなものはなく、儀助たちは荷物をウマにくくりつけて歩くことにした。
これで行くと浦内川の河口を横断することになり、そこには広大なマングローブの森がある。
マングローブというのは特定の植物名ではなく、八重山のそれはオヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギ、ヒルギモドキなどの総称で、ということは浦内川か仲間川の遊覧船に乗るとかならず説明されるので、何度も行っているとおぼえてしまう。
儀助の旅でこのあたりの記述は
“道幅は30センチあまり、左右灌木におおわれ、いたるところで渓流が氾濫して、膝がしらまで泥に埋まる”
“汚水滞留し、樹木繁茂して、腐敗ガスが発生していた”とある。
写真で見るとマングローブの森というのは、いかにも腐臭がただよって不潔そうだけど、現代ではここは生命のゆりかごといわれるくらい、生物学上貴重な場所である。
海の魚が陸上生物に進化したのは、マングローブの森だっただろうといわれているし、そこは小動物が安全に成長するための場所でもあり、また複雑な酸素や二酸化炭素の循環過程で、地球温暖化の防波堤にもなっているといわれているくらいだ。
泥に足をとられながら、儀助たちは浦内川の河口を横切り、オナラ岬(現在の宇奈利崎のこと)を遠目に見たあと、浦内村、上原村という村にたどりついた。
このふたつの村は儀助の旅のあとで廃村になった(この上原は連絡船ターミナルのある現在の上原とはべつの場所)。
いわずとしれたマラリアのせいである。
この旅はさながらマラリアとの戦争で敗北した村を訪ねるようなもので、行く先々にその古戦場は累々と横たわっていた。
上原からさらに行くと船浦村にさしかかったけど、この近くにもマラリアのために沈黙した村が残っていた。
というのは明治時代のハナシ。
現代ではレンタカーで走っていた観光客が、交通量が少ないのに安心してついぼんやりしていると、道路から飛び出してしまいかねない急カーブがあるところだ。
ぼんやりしていることの多いわたしも、いちどびっくりしたことがある。
船浦村のはずれで白浜南風見道路は湾の入口をまたぐ橋になっており、橋のたもとに車を停めて入江の奥をながめると、遠方の山のなかに垂直に落ちるひとすじの瀑布が見える。
これは「ピナイサーラの滝」といって、落差55メートルの沖縄でもっとも落差のある滝で、そこまでカヌーやトレッキングツアーがたくさんあって、若い人たちにはいいアクティビティになっている。
残念ながらわたしは行ったことがないけど、明治時代に笹森儀助がながめた滝が、いまでも変わらずにとうとうと水を落としていると思うと不思議な気持ちになる。
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