民主主義
ドイツよ、おまえもか。フランスよ、おまえもか。
シーザーならこう叫んだだろう。
ウクライナ戦争の初期の段階では、このふたつの国はプーチンに同情的で、米国のおもわくに一歩腰がひけていた印象がある。
それがここに来て、米国、EUと足並みをそろえてロシア包囲網に加わった。
プーチンの運命やいかにというところだけど、いったいなぜ独・仏は方針を変えたのだろうと、またわたしがヘソ曲がり的に考察してみよう。
今回の戦争は民主主義を守る戦争だと、これはアメリカの常套句であるし、なんとなくアメリカは民主主義国のリーダー的存在だと思っている人が多いんじゃないか。
わたしはそうは思わないし、逆にいまではロシア(そして中国)も、制約は多いにしても、いちおう民主主義国であると思っているんだけどね。
だいたい上位1パーセントの金持が総資産の3割を独占して、大統領も金持ちが好き勝手に創出できる国にリーダーになられちゃ、わたしみたいな底辺はたまらない。
つまり現在のロシアや中国は制約の多い民主主義国家、アメリカは自由放任主義の独裁国家というべきじゃないかしら。
ウクライナ戦争がなかったら、バイデンさんがどうやって国の崩壊を防いだのか、けだし見ものなんだけど、これが格差大国アメリカの現実だ。
そんなことより独仏の方針転換の理由を考えよう。
民主主義国では国民の意思が政治家のそれより優先する。
ヘタなことをいうとつぎの選挙で落っこちるしかないので、政治家は国民の意思を無視するわけにはいかないというのが民主主義国のルールだ。
それでは国民の過半数がアホばかりとしたらどうだろう。
国民が安易なプロパガンダに乗せられやすい人たちばかりとしたらどうだろう。
ドイツにしてもフランスにしても、ようするにアホが増えているということじゃないかね。
そんなことはない、おまえはナニ様なんだ、独仏にも利口な人間はいるぞといわれてしまうかもしれない。
そのとおり、フランスはわたしみたいなヘソ曲がりの多い国で、米国のプロパガンダに容易に乗らない国民が多いことは知っている。
しかし、けっきょく民主主義国では多数決の勝負だ。
いくら利口な人間がいたって、アホが過半数を超えてしまえば、政治家はそっちを尊重しないわけにはいかないのだ。
政治家が強いリーダーシップを発揮して国民を引っぱれればいいんだけど、最近は、たとえば日本を見てもわかるように、アホでもおおっぴらに意見を発表できる時代だ。
そして扇動に乗せられやすい人々はますます増えており、それなりのパワーを備え、自分たちの意見に合わないものを集団で押さえ込もうとする。
ウクライナ戦争では異論を述べた少数派の人たちが、よってたかって口を封じられていたばかりじゃないか。
こういうのも民主主義というのだろうか。
じつはわたしがこんなことを書いたのは、ある人がブログで、フリーアナウンサーの膳場貴子アナを激しく攻撃しているのを見たからだ。
わたしなんかが読むと、膳場アナの意見のほうがよほど理性的と思えるのに、このブロガーは自分の意見に合わないというだけで、彼女を徹底的に攻撃しているのだ。
それでは彼の意見が正しいのかというと、西側(とNHK)の報道を真にうけて、ロシア人というのは殺戮者だ、強姦魔だと、わたしにいわせればとんでもない誤認識をしていた。
第二次世界大戦の初めには、近代兵器を備えたドイツ軍が、旧式の武器しかないロシア兵を射的の的のように殺しまくった。
おかげでこの戦争の死者はロシアがダントツに多かった。
歴史をふりかえればジェノサイドやレイプはいたるところにあり、アメリカだって装備のおとるアフガン人を、遠隔操縦の無人攻撃機で殺しまくった(ゲーム感覚でつぶしまくったというべきか)。
それなのにこのブロガーは、残忍なのはロシア人だけじゃないということはまったく無視しているのだ。
こういうノーテンキな人ばかりだと、プロパガンダを発信するほうも楽だろう。
これでもアホが増えてないというか。
こういう扇動に乗りやすい人が国民の過半数になってしまったから、独仏も方針を変更せざるを得なかったんだろうねえというのがわたしの考えだ。
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