個人的主観
個人的主観というものがある。
あちこちのブログを閲覧してまわっていたら、プーチンの人相を分析した人のブログがあった。
先日のロシアの戦勝記念日におけるプーチンの顔が、焦りと、なにかに怯えているように見えたという。
まあ、人さまざまだから、だれがどんなふうに感じようとその人の勝手だ。
わたしもやってみた。
最近のウクライナの大統領の顔をみて、どう感じたか。
無精髭をはやして、中古の軍服みたいな恰好で出てくるからいけないんだけど、わたしには彼の顔から、もう犠牲者を積み上げることに耐えられない、いいかげんに戦争を止めたいんだけど、アメリカが、ふざけるんじゃねえ、オレたちが注ぎ込んだ金はどうなるんだ、えっ、てめえの判断でなにかできると思うなよ、おめえはオレたちの脚本どおりにやってりゃいいんだと、ゼッタイ認めてくれないんですよと・・・・
いくらウクライナの大統領であっても、こころやさしき人間ならば、兵士がつぎつぎに死んでいくのを黙って見てはいられないはずだ。
見ていられるとしたらバイデンさんのように、金持ちや軍事産業(そして悪魔)にこころを売り飛ばしたプロの政治家しかいないだろう。
やっぱりゼレンスキーさんて、政治家より吟遊詩人のほうが向いているんじゃないかねえ。
と、わたしは彼を見るたびに思うんだけど、アンタどう思う?
| 固定リンク | 0
コメント