Yのこと
わたしの知り合いにYという男がいた。
わたしとほとんど同じ歳で、愛妻家だったらしく、2年ほどまえに奥さんに先立たれたら、がっくりして、生きる意欲を放棄してしまったようだった。
でっかい家に住んで、成人に達した子供もいる男だけど、子供たちは家を出て奥さんとふたり暮らしだったところで、奥さんのほうに先に逝かれたのである。
たまには飲みに行こうよと、山登り仲間だった友人たちが、なんとか家から引っ張り出そうとしても、ぜったいに出てこないのだそうだ。
わたしも電話してみたことがある。
わたしは自分がそもそも厭世主義者だから、人間なんて死のうと思ったらいつでも死ねるじゃないかと、ゲリラ的方法で誘ってみた。
やっぱりダメだった。
とにかく何をいっても、いやもう何もする気がおきないよというばかり。
ことわっておくけど、わたしみたいにもともと孤独癖のある男じゃない。
酒を飲ませてもカラオケに行っても、じつに陽気で人懐っこい男で、幸せになるのはこういう人間なのかと、わたしが羨望のまなざしで見たこともある男なのだ。
わたしは彼のことをうらやましいと思う。
愛情なんて映画や小説の中だけのものだと思っていた(わたしの人生はそういうものだったのだ)。
しかし彼は心底から、最晩年まで、ほんとうに奥さんを愛していたのだろう。
なんの疑いも持たず、そう生きられた人生がつくづくうらやましい。
ひるがえって、そんなふうに先に死なれたら衝撃だという相手がわたしにいるだろうか。
ショックでひきこもりになってしまうような相手が。
いや、わたしの場合は最初からひきこもりなんだけど。
他人の心配ばかりしていられる境遇ではないから、現在の団地に引っ越して以来、彼とは音信不通のままだ。
だから最近はどうなったかわからないけど、そういえば昔の仲間からのお誘いもめっきり減った。
もはや山登りに行くほど元気でないのは、みんないっしょだ。
わたしは遠い戦場に想いをはせる。
この瞬間にも、わたしより生きる価値のある若者たちが大勢死んでいく。
あれは現実なのか、夢かまぼろしなのか。
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