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2022年6月29日 (水)

いいたい点

ウクライナ戦争については、世間には深く考えもしないで、表面的なことばかりで是非をつけたがる人が多い。
他国を侵略するのは悪い、戦後秩序を暴力で変更するのは悪いと、まあ、このへんはわかりやすい。
わかりやすいから扇動するほうも楽だ。
それに比べると、わたしは裏の裏まで読んで、相手には相手の事情もあるでしょうと考察するタイプ。
こういう人間心理の奥底に迫るような話を、単純な人たちに理解してもらうというのは大変だ。

今回はひとつだけ強調しておこう。
わたしはウクライナ戦争が始まったころからずっと、どうして米国はそれが始まるのを止めなかったのだろうと疑問に感じてきた。
むずかしくはない。
ウクライナがNATOにすり寄るのを、いまは時期尚早だと制止するだけでよかったのだ。
それだけで双方の兵士が死ぬのも防げたし、ウクライナのショッピングセンターが爆撃されるのも、アメリカのガソリンが高騰するのも、世界の経済がはちゃめちゃになるのも(これはかならずしもウクライナ戦争のせいではないかも知れないけど)、いま世界に押し寄せている混乱のほとんどは防げたのだ。

そんなことをいうとかならず文句をいう人がいる。
悪いのはロシアだ。
どうして侵略した側に配慮しなければならないのだ。
こういう言い方を聞くたびにうんざりする。
わたしがいうのは単純な問題で、ようするに損得勘定ということだ。
どちらかが言い分をひっこめるだけで、話がおだやかに収まるのと、徹底的にこじれて犠牲者が積み上がるのとではどっちがマシかということである。
ウクライナがひっこむということは降伏するということで、降伏すればウクライナ国民は悲惨な状況に置かれるという人がいる。
わたしがいいたいのはまさにこの点なんだけどね。

降伏したあと、ウクライナ国民がかってのナチス時代のユダヤ人のような境遇に置かれるなら、わたしも安易な妥協は勧めはしない。
しかしそんなことは絶対に起こらない。
それまでウクライナとロシアのあいだには、差別はおろか、障壁というものがまったくなかった。
往来が自由なら、ウクライナ人とロシア人が結婚するのも自由だし、じっさいにわたしの知り合いのロシア娘は、夏になるとウクライナにいるおばあちゃんに会いに行くのが楽しみといっていた。
だから虐殺だとかレイプを持ち出す人たちの意見はまったく信用できない。
ましてプーチンはかってのロシア帝国の復活を目論んでいる、などという意見はまったく、考慮にすら値しない。

ウクライナはどうしてNATO加盟にこだわったのだろう。
ウクライナについて知れば知るほど、この国がオリガルヒに蝕まれた東南アジア型の国であることがわかる。
それはロシアをとりまく国にろくな指導者がいないことでもあきらかだ。
プーチンに干渉されたくないというのがウクライナのオリガルヒたちの願望で、それがNATO加盟に走った原因だろう。

アメリカはなんで介入したのだろう。
これもこのブログで何度も主張してきたけど、バイデンさんにとっては、ふたつに分裂した国家をひとつにまとめるのに都合がよかったからだ。
いや、最近のバイデンさんの言動を見ると、もうボケがはじまっていて、米国の軍事産業の思いのままになっているんじゃないかという印象もある。

戦争がここまでこじれるまえに、どうして日本はお互いをなだめる立場に専念しなかったのだろう。
それだけでロシアと永遠に対立関係にならずにすみ、世界はこれまで通りで、美しいロシア娘、ウクライナ娘たちがわさわさ押し寄せてきたのにと、最後は旅行好きのわたしの願望まで入ってオシマイ。

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