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2022年7月 7日 (木)

沖縄/御座岳を越えて

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西表島に着いた翌日、祖納村のコーヒー試植地を視察したおりに、儀助は船浮湾を遠望した。
この湾内は軍艦でも停泊できる好錨地であるし、近くには優良な炭坑もあるので船の燃料にも不自由はしない。
惜しむらくはまわりが山ばかりで、集落がないことだ。
まごまごしていて外国にでも目をつけられたら、国防上も問題アリだから、ここはひとつ自分が島内をこまかく探検し、地理を把握して日本政府に報告しておこう。
ということで儀助が考えたのが、仲間川をさかのぼり、御座岳山頂を経由して、島の西側にある船浮湾へ抜けるコース。
舟を使って行けるところまで行けば、徒歩の区間はおそらく10キロぐらいだろう。

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そう考えて、視察のあい間にだれか探検に協力してくれる者はいないか、金はいくらでも出すぞと尋ねてまわったけど、だれもかれもマラリアに罹りに行くようなものだといって尻込みした。
県庁職員の後藤氏も、あなたはここ数日もうだいぶ疲労していますよ、そんな体で島の横断なんて無理ですという。
こういわれると儀助の浪花節精神がうずく。
キミのいうことはもっともだ。
しかしいかなる危険があろうとも、世のため人のため、日本帝国のために、たとえひとりであってもオレは行く。
あきらめたのか、あきれたのか、ついに後藤職員も、あなたがそれほどまでの覚悟ならわたしも命は惜しみますまい、あなたとともにどこまでもと、ここは浪花節兄弟ということになった。

まだパソコンもネットもない時代だから、儀助は出発のまえに地元の古老や猟師を集めていろいろ情報を収集した。
ベテラン猟師がいうには、いまだかってこの山脈を無事に越えた者はいない。
猟師は獲物を追って山に入るけど、せいぜい1キロか2キロ入るていどである。
まえに植物学者の田代安定、あとに県庁の役人だった田村熊治が挑戦したことがあるけど、とにかく道なき道で、田代さんは山を横断するのに3泊を要したばかりか、このときマラリアに感染して村に5、60日も滞在するはめになった。
そんなところだから、金をいくら積まれてもとても島の横断なんてする気にはなれない。
そこをなんとかと口説き落とし、儀助はようやく2人の案内人を確保した。

西表島の最高峰は古見岳で、これは標高が470メートル。
たいしたことがないと思う人がいるかもしれないけど、海からすぐに計った高さだし、まわりは亜熱帯のジャングルだから甘くはない。
御座岳はこれにつぐ高さで421メートル。
現代ではヒマラヤや、南米のギアナ高地でさえトレッキングツアーがあるくらいだから、西表島のこのふたつの山も征服してみたいという人は多いらしく、ガイドつきで比較的かんたんに登るツアーもあるようだ。

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儀助の旅は、奇しくも日本登山史に名をとどめる英国人ウエストンが、日本アルプスを探検しまくっていたころと重なるけど、そういうことはべつにして、まだ日本人が探検目的で山に登るのはめずらしい時代だった。
そこに山があるからなどと、道楽みたいな登山もあるはずがない。
現在のようにゴアテクスの合羽や、わたしの持っているL・L・Beanの登山靴のようなグッズのない時代である。
儀助のスタイルは合羽の代わりに油紙、足もとはワラ草履だったそうだ。
雨にそなえて西洋式のコウモリ傘を持っていったとあるけど、ナニ考えてんだろうね。
山中での食事に備えて、人数分の糧食と煮炊きするための用具、例によってコンデンスミルクなどを携えていた。

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儀助が島を横断するための探検に出発したのは、明治26年7月23日のことで、夏の暑さのまっ最中だった。
仲間村役場で一泊したあと、朝の7時に、彼は県庁の後藤職員と、ほか2名の案内人とともにサバニ(沖縄独特の丸木舟)を使って仲間川をさかのぼった。
川の両側には髭木という木が繁茂していたというけど、これはマングローブのことで、儀助にしてはめずらしく、ヒルギの実というのは中指ぐらいの大きさで、上下がとがり、落ちたあと流れに乗って適当な場所で繁殖すると、その生態についての講釈がある。
こういう記述がたくさんあると、ダーウィンみたいでおもしろいんだけど、儀助は博物学者ではなく、あくまで政府の視察官であるから、彼の関心事はべつのところにあった。
彼は周囲の観察に余念がなく、もしも有為な人物が相応の資本を投じ、マングローブを切り拓いてこのあたりに田畑を開発すれば、気候温暖なところだから二毛作もできるだろうし、そうやって住人が増えれば外敵に対する関門にもなるだろうと、経世済民について考えてしまう。
やっぱり彼は明治のひと。

サバニで2里ほど川をさかのぼったところで、浅瀬に舟をすて、歩くことにした。
舟の出発点が不明のため歩き始めた場所がわからないけど、2里という距離から考えて、おそらくいま仲間川展望台のあるあたりと思われる。
このあたりミヤケという地名になっていて、木材を切り出すための作業小屋がいくつかあった。
強欲を絵に描いたような琉球王朝時代の村長は、自宅を新築するときとうぜんのように村人を夫役にかり出していて、この小屋はそういうときに作業員が寝泊まりするためのものだったけど、このときはだれもいなかった。
ここまで仲間村から1里半で、御座岳の山頂までさらに1里半の行程である。

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藪をかきわけ、昼なお暗い樹木の下をゆく。
上からぼたぼたとヤマビルが落ちてくる。
立ち止まってこれを叩き落せば、今度は新手がむずむずと足もとからよじのぼってくる。
こいつの対策としてはタバコがいいそうだ。
ケチケチ旅行で有名な下川裕治サンは、朝日新聞の仕事でネパールに行って、盛大にヤマビルに襲われたけど、タバコの火を押しつけるとポロリと落ちたという。
儀助がタバコを吸ったかどうかはわからない。

ヒルというのは医学のほうで使い道があるので、気色わるいことばかりではない。
うっ血した部位の血を吸い出したり、天然の抗凝血物質を分泌して損傷した組織への血行を改善するというので、北米では医療用ヒルが1匹10ドルくらいで売れるという。
で、こいつを大量に密輸しようとして、空港で見つかった男がいるということが、まだそれほどむかしではないナショナルジオグラフィックに書いてあった。
空港職員も荷物を開封してさぞかし驚いたことだろう。

儀助たちは竹藪に飛び込んでようやくヤマビルの襲撃をのがれた。
この竹藪は赤茶色の光沢のあるめずらしい美竹で、それが御座岳の山頂ふきんに繁茂していたというから、つねにそういう竹を探している熊本の篠笛作家のKさんに教えてやらなくちゃ。

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昼の12時、御座岳の山頂に着いた。
ここからの展望では、東に仲間湾、西に船浮湾、北には西表島の最高峰、古見岳が見え、消えかかっていたものの、ここまでかろうじて人の歩いた跡がついていたという。
御座岳は現代ではそれほど困難ではないトレッキングコースになっているから、とちゅうの山道や山頂からの写真もかんたんに見つかるだろうと思ったら、意外とそうではない。
九州の最高峰がある屋久島なんかに比べると、いまいち魅力がないのかもしれない。

山頂で昼飯を食ってただちに下山を開始。
ながめた景色からおおよその見当をつけて歩き出したものの、また森林に入り込み、なにがなんだかわからなくなって絶壁の上に出てしまった。
崖のへりを行ったり来たりしたものの、これを乗り越える道が見つからず、やむを得ずして別の方向から谷底に下りた。
山で道に迷った場合は尾根を歩くのが鉄則だけど、その禁を破ったわけで、西表というそれほど大きくない山塊だからよかったものの、北アルプスだったら彼ら全員が遭難していたかもしれない。
谷川にそって進むとまたヤマビルに襲われるし、杖代わりにしていたコウモリ傘は、とっくに骨だけのホウキのようになっていた。

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のどの渇きに迫られたけど、谷川の水はどこまで行っても赤茶色に濁っていて、とても飲みそうになかった。
ヤケになった儀助は、オレは毒の有無を調べるための実験台になる、もしも飲んで死んだら献体をして、日本の医学のために役立ててほしいと宣言して、あとはもうヤケッパチ、手ですくって牛飲したそうだ。
牛飲というのは牛のようにガブガブ飲むということで、このくらいの根性がないと秘境で行きづまったとき生き延びることはできないのだ。

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べつに腹下しにもならず、ときどき木に登って方向を確認しながら、前進を続けた。
この辺には陸棲のカメが多かったという。
20センチぐらいの大きさというから、現在では天然記念物のセマルハコガメだろう、
去年の暮れに西表島に行ったときは、その数が減っているのが気になった。
以前西表の船浮に行ったときは、民家の庭で朝早くイヌの餌を横取りしていたのをよく見かけたのに、去年の暮れに行ったときは1匹も見なかった。
11月のある日を見ただけだから、激減したとはいいきれないけど、最近はYouTubeでカメやヘビを飼って、その映像で稼ごうという人が多いからちと心配だ。
カメくらい密猟が楽な動物はいないのである。
毒や牙をもつタイプはめったにいないし、捉まえるのも簡単だし、濡れたタオルか何かでくるんでおけば、バッグの底でおいそれと死ぬ心配もないし、鳴くわけでもないし、暴れるわけでもない。
ひょっとすると本土から、プロ、アマを問わず、密猟業者が乗り込んでいる可能性がある。

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午後4時になった。
このころには全員がなんどか転倒して、手足にスリ傷をつくったり、足の爪を失ったりしていて、もう歩けねえと悲鳴を上げるのを、儀助は冗談をいって励ます。
またかすかな人の歩行跡を発見していくらか安堵したころ、ようやく中良川(現在の仲良川)の水源に到達した。
もう日が暮れていたからこのあたりで夕食にすることにして、荷物をといてみたら、陶器製の釜が粉々になっていて、これではご飯を炊くこともできない。
ここでも儀助は強引というか、ヤケッパチというか、なんの、米を水にひたして生で食べ、あとで焚火にあたれば腹のなかでご飯になるさ、イノシシ肉もあるし醤油もある、飢え死にするほうがむずかしいと全員を叱咤する。
もっとも彼はこのとき虫歯が痛んで、コンデンスミルクひと缶だけで食事をすませたそうだ。
そしてやっぱりヤマビルに盛大に襲われて、安眠するどころじゃなかったそうだ。

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朝の5時、夜営地を出発。
中良川にそって下ると、川岸に水田が見えてきた。
このあたりに住んでいる農民がいるわけではなく、やはりべつの島からの通い農民の田んぼだった。
わらじもどこかに飛んで、泥だらけの裸足になりながら歩き続けると、ようやくたまたま舟で川を上ってきた農民に出会った。
儀助はタフだけど、スーパーマンではない。
ああ、殺す神あれば助くる神もある、天はわれを見捨てずと、あいかわらず歌舞伎役者か浪花節である。
内務大臣の秘書待遇をふりまわして、この舟を強引に借り上げ、儀助はようやく祖納の役場にもどった。

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