エルマー・ガントリー
わたしの部屋には古今東西の、いや、どっちかというと古えの映画が多いけど、それがDVDやブルーレイに焼いて600枚も保存してある。
市販されていた作品もあるものの、大半はNHKが放映したものを録画してディスクに焼いたもので、これだけあるとわたしの世代の名画はほとんど網羅しているといっていい。
今日はその中からリチャード・ブルックス監督の「エルマー・ガントリー」を引っ張り出してみた。
もちろんというか、いまの世代には内容はおろか、タイトルでさえまったく記憶にない映画だろう。
若いころ、評判は聞いていたのに、どうしても観る気の起こらなかった映画というものはいくつかある。
これもそのひとつで1960年の映画なんだけど、アカデミー賞の作品賞にノミネートされ、主演男優賞も受賞しているから、いい映画にはちがいない(このころのアカデミー賞はいまとは重みが違っていた)。
ただ、内容がやたらにカタそうなので敬遠していたのである。
今日ようやく全編を通して観て、これはまことに時宜にかなった映画だなと思った。
内容は宗教がテーマで、といってもキリストが奇跡を起こすようなハリウッド製のスペクタクルではなく、もっと世俗的な、教会と人間の関係を描いた、いま騒がれている統一教会のドタバタにも通じる作品だった。
主人公はバート・ランカスター扮する口の達者なセールスマンで、彼はひょんなことから美貌の宣教師が布教を務める、移動教会の人気伝道者になってしまう。
彼が大ボラを吹いて教会に集まった信者を熱狂させるところなんか、いまでも種の起源より聖書を信じる国民が半分くらいいるという、現代アメリカの縮図を見ているようで、カタくてもおもしろい映画は存在するという見本のような映画だった。
この映画にはなんでも神に結びつけてしまう無知な人々と、本気で神を信じようかどうしようかと悩む人、神さままで商売に使おうとする実業家たち、最初からさめている(ワタシみたいに)皮肉屋の人間など、さまざまな人間が登場して、宗教のおもてと裏(の裏の裏)を描いてみせる。
宗教もけっして神聖とか尊敬に値するものではないと、いたずらにバカ正直でないのがいいし、これをにやにやしながら観られる人なら、統一教会なんぞに引っかかることもなかっただろう。
最後に奇跡のようなことが起きるけど、これは現代医学では突発性ナントカ症とでもいうべきものだろうから、あまり真剣に考えなくてもいい。
今日は草むしりをするつもりが、雨が降るというので中止して、この映画を観ていた。
こんな機会でもないとなかなか観ようという気にならない映画で、じっさい部屋の押し入れのなかで、ホコリに埋もれさせておくにはもったいない映画だった。
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