地獄の黙示録
ウクライナばかりではなく、たまにはほかの話題も書かねばならぬという、不必要な義務感に迫られて、今日は戦争以外の、いや、やっぱり戦争と無縁というわけじゃないけど、コッポラの「地獄の黙示録」が放映されたばかりなので、そっちの話題を書こう。
最近のNHKの偏向ぶりに怒髪天をつく状態のわたしは、コッポラ君にも八つ当たりしてしまうのだ。
いや「ゴッドファーザー」からこっち、もともとコッポラ君は嫌いなんだけどね。
ただその後、この映画に影響を与えたとされるコンラッドの「闇の奥」という本をちょっとだけ読んだこともあり、なにかわたしの心境に変化が生じたかも知れないから、いちおう録画してみた。
とはいうものの、小説の「闇の奥」にも感心したわけではないから、影響がどうのこうのといわれても困ってしまう。
ファイナルカット版という注釈がついていたけど、下らない映画であるところは、もちろん変わっていなかった。
あっちこっちに常識で考えられない描写がある。
その最たるものが、ベトナムというそれほど大きな国ではない場所で、ベトナム人相手の戦争をしている米国人が、ジャングルの奥地で、ベトナム人を支配して王様のような生活をしていること。
これが暗黒大陸といわれ、白人が圧倒的に有利な立場でいたアフリカでもあれば納得できないこともない。
あるいはジャック・スパロウのような海賊が横行していたカリブ海でもあれば、そういうこともあったかも知れない。
しかしベトナムでそりゃ無理な設定だ。
けしからんのはベトナム戦争という、米国人のこころを傷つけた戦争であるにもかかわらず、反省や罪の意識がぜんぜん見られないこと。
全体としてはアメリカインディアンを騎兵隊がやっつけていたころと、ぜんぜん変わらないアメリカ至上主義の映画であること。
これでは主人公が悩みようがないではないか。
一歩ゆずって、これは寓意なのだ、目の前に見えるものはなにかの象徴なのだということにしよう。
だとしても、いったいこの映画はなにをいいたいのか。
いちおうのストーリーからすれば、ベトナムの奥地に王国を築いてる米軍将校の暗殺命令を受けた兵士が、彼の王国に潜入して、首尾よく任務を遂行するという「ランボー」みたいな活劇映画であるといえる。
むしろそのほうが映画としてもおもしろそう。
しかし自分を大作家であるとカン違いしたコッポラ君の、余人に計り知れない傑作を作るという野望の下に、とにかくひたすら芸術大作(らしきもの)を目指したケッ作になってしまった。
始めから終いまでまじめな顔ばかりしている主人公、やさしそうなこの主人公が川をボートでさかのぼる途中、足手まといになりそうだというので、いきなりゴルゴ13になってベトコン女を射殺する。
どうも前後の脈絡がとれてないよな。
ほかにも戦場でサーフィンに凝る将校、とつぜん現れるディエンビエンフーのフランス軍、密林の奥の王国をうろつきまわる正体不明のカメラマン、王国の周辺にぶらさがるリンチにあったらしい死体など、どれもこれも意味ありげな映像をつなぎあわせただけ。
最後に登場するマーロン・ブランド(カーツ大佐)がひねくる屁理屈も、彼はいったい何に悩み、どうしてジャングルの奥で孤高の帝王になったのか、さっぱり明らかにしてくれない。
コッポラ君の意欲はわかるけど、彼の才能では釣りあげようとした獲物が大きすぎたようだ。
こういう映画をありがたがるファンが、ウクライナ戦争でも、なにも考えずにロシアを非難してるんだよなと、八つ当たりで締めくくって、この項終わり!
ああ、プーチンがんばれ。
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