迫りくる狂気
「海外の万国反応記」というネット掲示板を見ていたら衝撃的な記事が出ていた。
わたしはこれまでコンピューターが人間を凌駕する日が来るとしても、それは囲碁将棋や競馬のように過去のデータが重要なもの、あるいは自動運転の車や無人操縦の兵器のように、具体的な動きを重ね合わせた機械が先だろうと思っていた。
芸術のように数値で置き換えできないものをコンピューターがこなすのは、いちばん最後になると思っていたんだけど、そうともいえなくなってきたみたい。
ここに載せた絵はコンピューター(AI)が現実には存在しない風景を描いたものだという。
なんだ、そんなもの、みんな物真似じゃないかという人もいるだろうけど、まったく予備知識なしに、これがAIが描いた絵であるとわかる人がどれだけいるだろう。
だいたいいまだって、芸術のよさなんかぜんぜんわからないのに、マネの絵です、ピカソの絵ですといわれると、画家の名前だけで感心してしまう人が多いではないか。
正直にいうとわたしにも、これがAIアートであることはまったくわからなかったので、えらそうなこといえないんだけどね。
これじゃそのうち日本が誇るマンガも、AIがストーリーから作画まで全部やりましたなんていうのが出てくるんじゃないか。
最近の若いモンは情感だのお色気だのという複雑な思考より、単刀直入におもしろけばいいってほうらしいので、そういうものならむしろAIのほうが得意かも。
芥川龍之介の「歯車」という小説は、なにげない日常のなかで、じりじりと悪化していく狂気に追いつめられる作家の心理を描いているけど、ああ、いまのわたしもそんな心境だ。
ウクライナ戦争では “あのNHK” のロシアに対する偏見の渦、そういうプロパガンダに容易に乗せられる人々、そんなところへ持ってきて、当分はないだろうと思っていたコンピューターの思いがけない進化ときた。
わたしみたいなじいさんを置いて、世界はまったく予知できない方向に進んでいるように見える。
やっぱりわたしって死に遅れかしら。
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