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2022年10月 8日 (土)

ノーベル平和賞

ノーベル平和賞が決まったそうだ。
またわたしの偏屈ぶりを証明するようでイヤになるけど、わたしって文学賞と平和賞はぜんぜん価値あるものと思わないからね(ウクライナ戦争よりずっと前から)。
文学賞はいつになってもハルキ君が受賞できないからというわけじゃないけど、平和賞ってのはあまりにその時々の政治に左右されることが多すぎる。
いい例がイスラエルのラビンさんや韓国の金大中さんなどで、時代が変わると彼らの受賞理由はどこかに雲散霧消してしまった。
ウィキを読んでみたら、平和賞の受賞者がその後、戦争を助長するほうに舵をきったこともあって、これじゃノーベル戦争賞だと皮肉られているそうだ。

それでもいまの時期、プロパガンダに使えるものはなんでも使えというNHKは、いかにも重大な賞であるかのように取り上げるのだ。
そんないいかげんな賞をだれがもらおうとかまわないけど、今年はウクライナ戦争がらみが多く、受賞者のなかにはロシアの「メモリアル」という人権団体が含まれていた。
この団体は去年の11月にロシア当局から活動を禁止されたそうだけど、それは当然かも知れない。
現在進行形で戦争をしようというとき、国内で反体制活動をされたら、これはれっきとした利敵行為で、ロシアがスターリン時代のままなら、彼らはひとり残らず銃殺だよ。

当局からイヤミをいわれながらも、この団体は去年までロシア国内でふつうに活動できていたらしい。
これでもロシアが、北朝鮮やミャンマーのような抑圧国家だといえるのだろうか。
この団体にかぎらず、ロシアのテレビ局で反戦プラカードをかかげたオフシャンニコワさんという女性も、何度もプラカードをかかげたあげく、現在は自宅軟禁から逃走して、性懲りもなく反戦行動を継続中。
彼らのような活動家が生きていられるということは、ロシアが米国なみのグローバル国家であることの証明だと思えるのに、そこまで考える人はひとりもいないのか。

たとえば日本にも右翼と左翼がいる。
これはけっして悪いことではなく、双方の支持者がいるということは、その国が健全な国であることの証明でもある。
どこかのテレビ局がプロパガンダを作成しようと思ったら、そのうちの自分たちの主張に沿ったほうばかり取り上げればいいんだけど、ノーベル財団のようなところが、たとえば沖縄の基地反対派の主張ばかり取り上げたらどうだろう。
原水禁(原水爆禁止日本国民会議)にノーベル賞を授与したら、日本政府はきっとイヤな顔をします。

わたしはウクライナという国がロシアにまけないくらい好きである。
ただ、いまの状況では、どうみても世界は公平じゃない。
おかげでわたしの怒りはふつふつとたぎって収まるところを知らないのだ。
世間をあざむいて、いたいけな若者たちを惑わそうというマスコミ・SNSに、これからも抗議をし続けようと思うのである。
いつかこんな孤独な闘いが認められ、最後まで反骨精神を失わず、青少年を公平な社会に導いたということで、わたしもノーベル平和賞候補になれるかも知れない。
でもわたしが生きているうちはムリだろうな。
死んだらますますムリだろうな。

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