思い出
ゼレンスキーさんは、いちどは停戦を決意したらしい。
しかしアメリカがそれを許さなかったということは、バイデンさんが戦争の初期に、プーチンに個人的恨みをぶつけるようなことを言ったことで、あるていど予想はできた。
ふざけるんじゃねえ、オレたちがつぎ込んだ金はどうなるんだ、と一喝されたゼレンスキーさんは、引くも地獄、進むも地獄という心境だったろう。
わたしが5月17日のこのブログで書いたことと符牒が合うけど、いまだに世間では、侵攻するほうが悪いんだという意見が大勢だ。
しかし世間のポピュリストたちに対しては、なにをいっても無駄だというのが、プーチン、ゼレンスキーさん、わたしに共通したあきらめ。
昨夜はひと晩中、ひとりで音楽三昧をしていた。
インターネットといいヘッドホンがあるかぎり、わたしの部屋は・・・・恥ずかしながらわたしの6畳の部屋は、世界中の音楽が聴けるティールームに早変わりなのだ。
夜を徹して、ロシア音楽を重点的に聴いてみた。
「カチューシャ」、「モスクワ郊外の夜」、「アムール川の波」、「ワルツNo2」、「ドクトル・ジバゴのテーマ」、そしてこのブログを書いている最中に知った「満州の丘の上」などなど。
モスクワとサンクトペテルブルク往復のひとり旅がいまでも脳裏によみがえる。
なぜかわたしのロシアの旅はいつも冬ばかりで、凍りついた大河が、雪におおわれた湖が、シベリアみたいな針葉樹の森が、木々の向こうのおとぎ話のような村が。
あの美しい音楽を生んだ人々が殺し合う?
それも“歌うことなき人々”にあおられて?
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