多民族国家とは
むかし中国大陸をうろうろしていたころ、シルクロードへの途中にある天祝という街に行ったことがある。
ここは上海からシルクロードへ向かう鉄道のルートでは、かなり標高の違い場所にあり、列車の車窓からいっぷう変わった花が見えたので、つぎに訪中したときわざわざ寄ってみたのである。
花というのは野生のアヤメだったけど、そんなことはさておいて、この天祝という街は“天祝チベット人自治県”になっていたことを紹介しておきたい。
チベット人はチベットだけに住んでいるわけじゃないのである。
またなにか企んでいるなという人がいるかも知れないけど、わたしは多民族国家というものについて、いささかわたしの考えを述べてみたいのだ。
天祝のレストランに入ったらチベットの民族服の娘たちが働いていた。
鼻の下をのばしたわたしが、きみはチベット族(蔵族)かいと尋ねると、彼女はあわてて手をふった。
どうやら漢族の娘が店員として働いていて、わたしはそんな田舎者ではありませんという否定の反応だったようだけど、だからといって中国人がチベット人を差別しているとも思えない。
ほんとに差別しているなら、そんな格好の仕事はしないだろう。
中国人というのはむかしから少数民族を差別しない。
上海のような大都会でも、たまに少数民族の衣装を着た出稼ぎ娘を見かけることがあって、出身地を尋ねると、ワタシは雲南から来たイ族です、西域から来たウイグル族ですなんてどうどうと答える。
田舎者とバカにすることはあっても、少数民族だからという理由で差別はしないのである。
日本人にも都会出身であることを自慢する人間はいるけど、それと似たようなものだ。
多民族国家というのは本来こういうものだと思う。
あなたに質問するけど、もしも将来中国が経済的に発展して、日本の若者を大々的にリクルートし始めたらどうする?
IT技術者やアニメーターばかりではなく、板前だとか大工、左官屋、植木職人だとか、有為の若者たちがどんどん中国へ渡ることになったら?
世界はどんどん狭くなっていて、上海なんて東京から沖縄へ行くより近いのだから、いい給料を払うといえば、ひとつ中国に働きに行こうかという若者が増えても不思議じゃない。
本人が自主的に行くならだれもこれを止めるわけにはいかない。
そのうち中国にどんどん日本人が増えて、あちらで中国娘と結婚し、家庭を築き、バカにならない勢力になったとする。
驚くことじゃない。
たくさんの民族が混在している国に、また新しい民族のコミュニティができるだけだ。
日本人は優秀で勤勉だから、そのうち南米のように、日本人の政治家も登場するかもしれない(中国の共産党がまだ存続しているかどうかはわからない)。
こういうのは侵略とはいえないし、武力による併合でもない。
しいていえば日本人による平和的な逆侵略で、このころには当人にも、自分が日本人だという意識はどこかに消えてしまっているだろう。
いったん仲間に入れば、どこから来た、なんという民族なのかということで差別はしないのが多民族国家というものなのだ。
ちなみにわたしがハンドルネームに使っている大詩人の李白も、漢族以外の異邦人という説がある。
わたしは遠くを見すぎているのかも知れないけど、日本の若者がどんどん海外に出ていくのは賛成だ。
特定の民族を差別しない国なら、自分もその国の民族のひとつになって、その上でガラガラポンでひっかきまわしてしまえば、中国って何人の国なのかだれにもわからなくなる。
アメリカはこういう点でも先陣を切る国だから、先祖をたどってみれば、自分がなんという民族の末裔なのかわからないという人が増えていて、もう国民共通のアイデンティティは消滅しかかっているのだ。
とかくせまっ苦しい島国に住んでいる日本人は、国家や民族についてもワンパターンで考えてしまいそうだけど、国民のひとりひとりが、自分がだれなのかわからなくなれば、国家間の対立もなくなるんじゃないかい。
いざ若者よ、荒野をめざせ、大陸をめざせ。
回転寿司家で他人の寿司をなめている場合か。
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