なつかしの旅
ちょっと体調がおかしいな。
どこか痛いとか痒いとかじゃないんだけど、昨日は自転車で出かけたら、なんだか体が自分のものじゃないような感じがしたし、今夜もパソコンに向かうと、頭がスカスカになっていくような感じがする。
ひょっとすると、いままさに死んでいくところじゃないかと思ってしまった。
司馬遼太郎の「街道をゆく」のなかに、夜中に水を飲もうとして、台所で倒れて亡くなった友人のことが出ていたけど、こんな具合にぽっくり死ぬのなら楽でいい。
なにかやり残したこと、思い残したことはないかなと考える。
去年、花壇に植えたオオツルボが今年の春にちゃんと咲くか、ウクライナ戦争の結末はどうなるかというぐらいで、ほかにはとくにやりたいこともないね。
行ってみたい旅行先はたくさんあるけど、最近はおっくうが先に立つし、絵を描くとかパソコンで新しいことをする意欲も衰えた。
いまさら有名になって金持ちになろうとも思わないし、片思いの人妻がいるわけでもない。
ただぼんやりとむかし聴いた音楽でも聴き直して幸福を感じるくらいだ。
ただ突然死となると、連絡を取り合う家族がいるわけじゃないから、部屋で腐乱死体になるまで発見されないかも知れない。
みっともないかなと思うけど、死んでしまえば自分にはわからないんだから、心配しても仕方がないか。
まあ、せいぜい新しいパンツでもはいておこう。
いま録画してあった「大路通天」という紀行番組を観ている。
これは中国人のディレクターが、上海からチベットまで、中国の国道318号線をヒッチハイクするというもので、もちろんわたしのむかしの中国の旅を思い出した。
わたしの旅というのは、やたらに街や農村をうろつきまわるというものだったから、この番組のスタイルと似てるのだ。
発展めまぐるしい中国だけど、ちょっと街をはずれると、人々の生活や衣服はあのころと変わってないなあと思う。
そうやって過去の旅を追想しながら、いつのまにか、そのままあの世への道をたどっているのが理想の死に方なんだけどね。
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