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2023年5月17日 (水)

チベット問題の1

ここ数日は4、5日まえに録画した「改善か信仰か/激動チベット」というドキュメンタリー番組を観ていた。
台湾有事をうたって、日本を中国との戦争にひきずりこもうという無責任な輩が、将来またチベットやウイグル人の問題をかつぎだす可能性があるから、わたしはこういう番組につねに注意しているのだ。。
日本にも熱心に“フリーチベット”を叫ぶ人たちがいるけど、そういう人たちはこの番組を観ただろうか。
ロシアとウクライナで戦争が始まったとき、わたしはプーチンやゼレンスキーさんについてなにも知らない人が多いのに驚いた。
ものごとを根っこから知ろうと思ったら、ふだんからこういう番組を観ておくことは大切だ。

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よく知られたチベットの礼拝方法に“5体投地”というものがある。
これはひと足ごとに体を地面に投げ出し、また起き上がって、それをくり返しながら前進するという、まあ、尺取り虫みたいに悠長なお参りの方法である。
日本だってお伊勢参りなんていうものがあったけど、日本の場合は仕事で疲れた体を休める保養が目的で、あれを信仰熱心でやっていたという人がいたら阿保だ。
チベットの場合は本気でやっているみたいなので、本人が好きでやってるものをバカにしちゃいけない。

ここでは宗教よりも、どっちかというと、いろいろいわれている中国の少数民族問題について考えてみようと思うのだ。
番組の舞台は「ラルンガル・ゴンパ」という高地にある町で、びっしりと民家の密集したこの町の俯瞰にまず目をみはった(写真)。
ここは寺院のまわりに民家が集まって自然発生した町だというけど、寺院がはじめてできたころの町の写真も出てきた。
それによると、もともとは何もない山すそみたいなところだったから、中国政府が周辺の遊牧のチベット人を定住させるために、新しく手を加えた町らしかった。
これだけの住人がいまだに谷底まで水汲みに行ってるとか、燃料用のヤクの糞を集めているとは思えないから、水道やガスの設備も備わっているだろう。

番組にはなんとかして中国の政策をおとしめようという空気が感じられるものの、観る者が悪意で観るか好意的に観るかで、同じ映像が180度意味を変えてしまうものだった。
たとえばチベット人の子供を集めて寄宿舎生活をさせ、中国語の教育をほどこす場面があるけど、悪意でとるなら、中国はチベットの民族アイデンティティを奪っているということになるし、好意的にとれば、広い大地にちらばっている遊牧民の子供たちに教育をほどこすには、ほかに方法がないということになる。
ウイグル族の場合もそうだけど、彼らの居住空間はだだっ広いので、子供たちを1カ所に集めて教育するというのはきわめて合理的なのだ。

番組のなかには学習塾のようなかたちで、独自に子どもたちにチベット語を教える僧侶も出てきた。
チベットの伝統言語を絶やさないようにという努力で、彼はチベットの経典を、ネットを使ってチベット語で世界に発信する仕事もしていた。
そういうことをテレビ局がどうどうと取材しているくらいだから、これは中国政府が黙認しているのだろう。
ちなみに僧侶が使っているノートパソコンはアップルだった。
番組の終わりのほうには、もう遊牧なんかしないと親をなげかせる子供も出てくるけど、いったん文明を知ってしまえば、子供たちが遊牧生活よりも、インターネットを使える文明社会を望むのは当然のことだ。

高等教育を受けてテレビ局の副局長に上りつめたチベット人女性も出てきた。
わたしみたいな怠惰な男には想像もできないけど、彼女は貧しい山村から都会に出て、漢族と同じ教育を受け、熱心な向上心でその地位に上りつめたのだという。
努力をすれば報われるということで、これではアメリカン・ドリームならぬチャイニーズ・ドリームではないか。
誰がトップであろうと、本人がどこの民族であろうと、努力すれば報われるのなら、これは公平な社会といっていい。
わたしは断言するけど、中国政府がチベット族を差別、迫害しているというのはウソである。

ちょっと刺激的な言い方になったけど、このラルンガル・ゴンパの町が、いままた中国政府の肝煎で改築されようとしているそうで、長くなるからあとは後編で述べよう。

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