週刊朝日
まだネット上にはワグネルがいなくなったから、ロシア軍はどうなるこうなるとデタラメいってるところがあるね。
ソースを見るとイギリスで、あんた、戦争なんかしている場合じゃないでしょといいたくなる。
心配しなくてもワグネルは休暇をとってるだけだから、そのうち帰ってきます。
反転大攻勢がありそうもないので、ヒマだから今日は、先日休刊か廃刊かになった「週刊朝日」のことを書いておこう。
わたしぐらい熱心なこの週刊誌の読者は、少なくてもわたしの周囲にはいなかったね。
1975年に、たまたま旅行の途中に駅で買って、そこに司馬遼太郎の「街道をゆく」が連載されているのを読んで以来、それから作家が1996年に亡くなって連載が終了するまで、24年間ただのいちども休まずに買い続けた。
そんなもの単行本になってんだから、図書館で読めばいいだろうという人がいるかも知れないけど、わたしはとにかく次週が待ち遠しかったのだ。
朝日新聞をとやかくいう人もいるけど、わたしの人生の1/3ちかく、それも本を読むのにふさわしい多感な時期は、この紀行記にどっぷりと染まっていたわけだ。
わたしが始めて沖縄に行ったのもこの本に影響されてだし、モンゴルにめちゃくちゃあこがれたのもこの紀行記のせいで、結婚という、わたしにはとても向かないものの代わりに、旅に入れ込もうと決意したのもこの紀行記の影響だ。
よく思うんだけど、学生時代にこの紀行記に出会っていたら、中身をちゃんと理解できただろうか。
あるいは50代になって読んだら、この紀行記で人生が変わっていただろうか。
わたしが学生時代にビートルズに出会ったように、ほんとうにちょうどいい時期にこの紀行記に出会えたのは偶然なんだろうか。
そんな週刊誌がとうとう廃刊だ。
「街道」の連載が終了したあとはじょじょに週刊誌とも遠のいたから、そんなに影響があるわけじゃないけど、はたしていまの若者にSNSにあふれる情報がなにか示唆してくれるだろうか。
他人の心配なんかしてる場合じゃないけど、わたしの時代は幸福だったと思わないわけにはいかない理由がまたひとつ。
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