マクナマラの誤謬
昨日は録画しておいた「映像の世紀バタフライ・エフェクト/マクナマラの誤謬」というドキュメンタリーを観た。
映像の世紀のなかでも“バタフライ・エフェクト”とつくと、ウクライナ戦争が始まってから、わざわざロシアをおとしめるためにNHKが新しく始めたシリーズだから、どうせ映像とナレーションを勝手にくっつけて、ロシアを中傷しようってんだろうと、警戒しながら観ることにした。
タイトルの「マクナマラの誤謬」というのは、数値にばかりこだわって、全体像を見失うという意味だそうだ。
この番組は分析の天才といわれ、ベトナム戦争のころ、ケネディに請われて米国国防省長官を務めたロバート・マクナマラの成功と挫折の記録だった。
冒頭の数分間を観ただけで、ああ、なるほど、ウクライナに侵攻したロシアを、ベトナムに侵攻したアメリカになぞらえようとしてるんだなと思った。
ところが意外とそんな感じはなかった。
わたしなんかむしろ、アメリカはベトナム戦争のころと変わってないなと、そっちのほうが印象に残ったくらいだ。
NHKがどんなつもりでこの番組を作ったのか知らないけど、つまり人によってはアメリカを中傷しているように感じられる番組だったのである。
マクナマラは数値がモノをいう情報分析という手法でベトナム戦争に勝とうとした。
早い話が映画「ターミネーター」のなかの、コンピューターと人間の闘いのはしりだったわけだ。
ところがじっさいには数値にあらわれにくいベトナム人の愛国心だとか、米国の反戦運動を計算に入れなかったものだから、最終的に米国はベトナムから撤退を余儀なくされる。
ケネディが暗殺されてジョンソンが大統領になると、米国はトンキン湾のようなでっち上げまでして、さらにベトナムへの介入を深めることになった。
北爆の開始だ。
米軍はさらに20万人もの兵力をつぎこんだ。
マクナマラは米軍に対して、敵兵の死者数を数えるようしつように要求した。
マクナマラの思考はまさにコンピューターそのものである。
彼が“キルレシオ”という言葉を使って、米兵がひとり死ぬあいだに10人のベトナム兵を殺せば、向こうのほうが先に兵士が枯渇するはずだと平然と言い放つのをみて、これが人間のやることかと戦慄した。
ベトナムで反米感情が高まり、僧侶の焼身自殺があいつぎ、しかも南ベトナム指導者の妻がそれを揶揄するのを見て、マクナマラはしだいに戦争に懐疑的になってゆく。
彼は軍用機のなかで、ダニエル・エルズバーグというペンタゴンの職員と私的な会話をして、本音をもらした。
ダメだね、この戦争は勝てないよ。撤退するしかないな。
ところがそんな彼が国民のまえでは、我々の軍事的圧力でベトコンに大きな犠牲を与えている、米軍は期待以上に前進していると、まるで正反対のことをいう。
公けの場では本音でものを喋れない役人の悲哀と、米国大統領の権限の大きさを思い知らされたというか。
こういう風潮はいまもまったく変わっていない。
やがてベトコンがサイゴンの米国大使館を、まっ昼間に襲撃するテト攻勢が起きた。
わたしはそれをリアルタイムで知っていたし、この事件はそのままニュース映像としてアメリカにも伝わった。
サイゴン市内で射殺された無名のベトコン兵士は、たったひとりで戦争の悲惨さを世界に訴え、ベトナムを勝利に導いたことになる。
このベトコン兵士の墓がどこにあるのか知らないけど、おそらく彼も本望だったんじゃないかな。
やがてペンタゴンの機密文書が漏洩して、米国はいっきに撤退に舵を切った。
文書を持ち出したのは、マクナマラが飛行機のなかで話したエルズバーグという職員だったのである。
このころのアメリカには、政府の欺瞞に耐えきれず、それを告発しようとした勇気ある米国人もいたわけだ。
ベトナム戦争のころはまだ報道陣への制約はあまりなかった。
おかげで生の情報が本国に伝わり、反戦運動のきっかけになった。
これに懲りたアメリカは、イラク戦争のころから報道陣への自由な取材を制限するようになる。
イラク戦争の末期に起こった“死のハイウェイ”の悲劇を世界が知ったのは、すべてが終了したあとだった。
ウクライナ戦争になるともっとひどい。
報道されるのはデタラメなプロパガンダばかりで、もしもウクライナ戦争の実態が公平に米国に伝われば、戦争はもっと早く終わっていた可能性もある。
この番組をウクライナに侵攻したロシアにあてはめようとしたNHKの目論見もはずれた。
プーチンにとってウクライナ戦争は、じわじわと締めつけてくるNATOの包囲網を破ろうとした戦争であり、ロシアとウクライナの仲を裂こうとした西側に対する戦争だった。
アジアの共産化を過度に恐れたアメリカは、その後にがい経験をすることになる。
独立したベトナムは、けっしてアメリカが恐れたようなスターリン型の共産主義国家にはならず、やがて米国とも国交を結ぶのである。
ベトナム戦争が終了して20年後に、マクナマラは国交を回復したベトナムを訪ね、かって敵対関係にあったグエン・ザップ将軍と対面した。
仇同士だったふたりが、親しい友人のように語り合うのをみると、わたしにも一抹の希望が湧いてくる。
ロシアとウクライナもいつかまた、両親のそれぞれがロシア人とウクライナ人であるような、親しい関係にもどれるんじゃないかと。
| 固定リンク | 0
« にっちもさっちも | トップページ | 週刊朝日 »
コメント