中国の旅/太湖遊覧
朝目覚めるといい天気になっていて、ホテルの窓から大きな湖が望まれた。
これは太湖の一部である「蠡(れい)湖」という湖だそうだ。
“蠡”というのは画数の多いむずかしい字で、読める人は少なそうだけど、中国や日本の古典に詳しい人ならわかるはず。
中国の故事、それを引用した日本の故事にいう「ときに范蠡なきにしもあらず」の蠡で、「雨に西施がねぶのはな」の西施にもちなむ湖だそうである。
湖の右側に低い山が連なっているのが見えるのみで、対岸にも背中をまるめたような民家がびっしり並んでいる。
雨の日に見たら、こりゃ安藤広重の世界だなと思う。
愛ちゃんはこの日はパーティがあるというので、持参したガラスの刺繍入りの派手なシャツを着こんだ。
ハデすぎるんじゃありませんかと、わたしが苦言を呈すると、本人も内心そんな気がしていたのか、ほかの女性たちのいでたちを観察にゆき、帰ってきて、ほかの人だって派手だわよという。
パンチマーマのKさんのグループにきれいな女性が2人混じっていて、たしかに彼女たちも前日とは異なる服装をしていたけど、わたしにはべつにそれが夜会服ほど派手には見えなかった。
愛ちゃんもふんぎりがつかなかったのか、下は前日のままの白いジーンズという中途半端な恰好になってしまった。
あなたがイケナイのよと、何がいけないのかわからないけど、愛ちゃんはこの件で終日ぷりぷりしていた。
ホテルの前で早朝に大極拳の講習があるというので、話のタネに本場のそれを見ておこうかと思ったけれど、中国の人たちはえらく朝が早い。
7時にモーニング・コールが鳴り、おもむろに目覚めたわたしが顔を洗って身支度をととのえるころには、もう講習は終わっていた。
例のとおりの中国式スタイルで朝食をすませたあと、わたしたちはまず太湖遊覧に出た。
太湖までバスは農村地帯や、湖のほとりの堰堤の上を走る。
あたりの風景は、畑に野菜が植えられていて、日本の北関東あたりでよく見られる農村と変わらない。
道路の両側には並木が植えられていて、いい風物詩になっていた。
洗練されているとはいえなくても、心のなごむ田舎景色で、わたしはバスから飛び降りてそのへんを歩いてみたいとつくづく思ってしまった。
道路ぞいにモモやスイカを売る露店がじつに多い。
人々は地面にぺったりと腰をおろして店番をしている。
その前を自転車が行き来する。
したがって自転車の修理屋さんも多い。
修理はてきとうな道ばたでやってしまうので、あっちこっちで路上に道具をひろげて、修理屋さんがパンク修理をしているのを見かけた。
車に興味のある人なら、古いオートバイやサイドカーや、でこぼこのトラックがひっきりなしにやってくるのも、見あきない光景だろう。
信号もなければルールもないところで、よく交通事故がおきないものだと感心していたら、追突事故に出くわした。
互いの運転手が畑のまん中で激しく口論していた。
そんなところでもたちまち人だかりが出来てしまう。
わたしは中国の動植物にも興味があった。
ところが豊かな田園風景がありながら、小鳥というものをほとんど見ない。
スズメはいる。オナガも見かけた。
わたしが見た野鳥はそのくらいで、カラスもいなかった。
イヌ、ネコも少ない。
みんな食べてしまうんではないですかという人がいた。
貧しいからペットどころじゃないんでしょうという人もいた。
しかし愛玩動物というものは、貧富に関係なしに、どんな社会でも必要なものだと思うんだけどね。
太湖については、なんでも日本の琵琶湖の3倍半ちかくもある湖で、史跡や景勝に富んだところらしいけど、詳しいことはリンクを張っておくからウィキペディアを読め。
調べればわかることは自分で調べろというのがわたしのブログの一貫した方針である。
当時は地名も知らなかったので、たぶん「黿頭渚(ゲントウショ)公園」だと思われる、やけに人々でごったがえした場所に着いた。
“黿頭”もむずかしい漢字だけど、意味は亀の頭らしいから、変なものを連想してしまうことさえ無視すれば、まあまあ覚えやすい。
太湖遊覧といっても、船に乗っていた時間からして、じつは蠡湖の一部を周遊するだけらしかった。
日本人だけではなく、ほかの国や、中国国内からも大勢の観光客がやってきていた。
そうかといって別におもしろいものがあるわけでもなかった。
湖畔にいくつかの寺のような建物があって、大きな竜や動物のはりぼてが置いてあったけど、日本のひと昔まえの遊園地みたいでさっぱりおもしろくない。
それでも中国の人たちは、老若男女みんな喜んでいるようだった。
わたしたちは船で「猴島」へ渡ることになった。
“猴”というのはサルのことだから、すなわち猿島で、こういう名前の島は日本の横須賀にもある。
同じ遊覧船に欧米人のグループが乗り合わせていて、そのなかにブルック・シールズみたいな美少女がいた。
美少女の好きなわたしは彼女のシャッターチャンスを待ったけど、このときはまだデジタルカメラのない時代だから、フィルムを無駄にはできない。
ここに載せたのは首尾よく撮れた1枚。
彼女らは中国のあと、日本へまわるそうである。
近くで見ると太湖の水は茶色ににごっていた。
それでも遠くに目をやると、空の色を反射してとてもきれいである。
湖の上には漁船や運貨船も浮いていて、李白や杜甫のような古来の吟遊詩人がうたうにふさわしい牧歌的な景色だ。
太湖は想像していたほど大きくはなかった。
琵琶湖の3倍半もあるというから、向こう岸がまったく見えないかと思っていたのに、ぼんやりかすんでいたものの、ちゃんと対岸は見える。
もっとも海なし県の群馬で育ったわたしは、幼少のみぎりには東京湾も久里浜から房総半島が見えないくらい広いと思っていたから、やっぱり認識を改めるためには論より証拠が必要だ。
船上から湖畔の山の上になにか塔が見える。
演歌にうといわたしは知らなかったけど、その塔は「無錫旅情」という歌のなかでうたわれている六鳥山という名所だそうだ。
観光船ではカモメに手でちょくせつ餌を与えるのが名物だというけど、わたしが旅をしたとき、そんなものがいたかどうか定かじゃない。
野生動物に関心の高いわたしがおぼえてないのだから、たぶん、まだカモメもそんな習性を身につけてなかったのだろう。
湖を渡り、猿島(猴島)に着いた。
有名な観光地だから、現在の猿島はどうなっているのかと調べてみた。
ところが旅行会社の無錫案内を探しても、猿島について書かれたものはひとつも見つからなかった。
検索すると日本の横須賀の猿島や、同じ中国でも武漢の猿島がヒットしてしまう。
なんらかの理由で現在は猿島観光は禁止になっているのかも知れず、そういうわけで、ここで「猴島」の地図を紹介できない。
30年まえの話だから、わたしの記憶もいいかげんで、おぼえているのは、なんでも樹木の多い小さな島だったことぐらいだ。
外国人グループも含めて、ぞろぞろ島に上陸すると、そこかしこに露店で飲物を売っている地元の中国人がいた。
店番をしているのは、たぶん家族なのだろう、老人や母親や子供たちが多かった。
テーブルの下によく吠える茶色のイヌもいた。
湖から魚を捕まえてきた男性もいた。
なにげないものばかりだけど、興味は尽きない。
ただしフィルム代がもったいなくて、かたっぱしから撮るわけにいかない。
まだ旅はあと3日もあるのだ。
途中でサルに出会った。
この島にだけ棲む中国の野性ザルらしいけど、大きさはニホンザルより少し小さく、顔の表情が千差万別である。
いかにもサルらしい愛嬌のある顔もあれば、ぞっとするような不気味な顔もある。
小さな島にむかしから閉じ込められて生活しているので、近親相関が激しく、サルたちの遺伝子はそうとうに乱れているのではないか。
観光客はみんなぞろぞろと連なって歩くから、先になにかあるのかと思っていると、じつは何もないのであった。
同行の女子大生がもどってきたから、あれっ、もう先まで行ってきたのと訊くと、いえ、反対まわりで一周してきたところですという。
桟橋からどんどん歩いていくと、いつのまにかひとまわりしてまた桟橋にもどってしまうのである。
猿島というのはそういう島だった。
これがわたしの太湖遊覧の結論だけど、その後のようすを調べると、いちばん感心したのどかな田園風景が、過剰ともいえる観光開発に蝕まれてその良さをだいぶ失ってしまったようだ。
ここに載せた白いふちどりのある写真は、すべて最近の無錫と太湖のあたり。
開発はいずこも同じだとしても、中国人はこういうことに積極的すぎるのである。
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