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2023年8月15日 (火)

中国の旅/東方航空

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わたしはむかしから中国という国(台湾ではなく大陸のほう)に行ってみたくてたまらなかった。
ロシアもそうだったから、おまえは共産党が好きなのかといわれてしまいそう。
そうではない。
わたしは日本とは異なる異質の文明というものに関心があったのだ。
アメリカ人ジャーナリストのアグネス・スメドレーは、1930年にはじめて中国に渡ったときのことを、中世の国へと書いている。
それだけ遅れた国であったということだけど、べつの視点で眺めれば、これほど日本や欧米先進国と異なる国もないので、人一倍好奇心が強いわたしには、アメリカや欧州よりずっと見たい国だったのだ。

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30代なかばでようやく定職についたものの、無能であることを自覚して結婚する気にもなれないでいたわたしは、どうせなら他人と違った生き方をしようと決心した。
しかし、もともと引っ込み思案のわたしにできることはかぎられており、いきなり口先八丁の政治家や、ヤクザになって殴り込みをかけられるわけもない。
具体的には家や家族にかけるはずの金で、海外を見てまわろうということである。
定職といってもそれほど個人に責任を感じさせる職業でなかったから、時間はかなり自由にとれたのだ。
反社会的人生を宣言をしたわけで、いまならユーチューバーでも目指したかも知れないけど、当時にそんなものはなかった。
わたしが一念発起し、なんとなくだらだらと貯めておいた金で、はじめての海外旅行をしたのが1992年のことだったのである。

ところで人間には二種類の好みがあって、ハワイや香港に行って、海外旅行をしてきましたと自慢するタイプ。
そしてわたしのように、どっちかというと人々がまだ普遍的な文化にドクされず、その国特有の生活風習を温存していて、レンガや材木やヤシの葉っぱの家に住み、天然気象に左右されるような生活をしている国へ行きたいと願うタイプがある。

わたしが行ってみたかった外国は、中国、ソ連(まだ崩壊した直後だった)、南欧、南米、アフリカ、あるいは南洋にちらばる無数の島嶼国家などで、どちらかといえば(いわなくても)非先進国だ。
わたしの友人のネコ大好きおばさんはこれとはまったく逆で、ハワイだ、香港だ、パリだ、ローマだと、これはもう俗物の見本みたいなところばっかりである。
どっちがいいとはいわないけど、後者を好むのは農協の団体や不動産屋さん、大企業の役員などで、芸術家や作家、冒険家を魅了するのはたいてい非先進国である。

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中国といっても広い。
わたしが最初の目的地に選んだのは上海だった。
いまでは高層ビルの建ち並ぶ超近代都市になったけど、上海というと、かっては中国人の立ち入ることのできない治外法権の租界があって、戦前からニューヨークのような高層ビルが建ち並び、阿片の煙がただよう売春窟、金髪の娼婦やグロテスクな見世物、ギャングや間諜などが横行し、“魔都”と呼ばれて、映画や文学などにも取り上げられた奇っ怪な都市だったのである。
ロマンチストな文学青年だったわたしが、どうしても最初に行ってみたい街だったのだ。

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とはいうものの、たとえばツアーには監視がついていて、反中国の言動があれば即逮捕、そのまま強制収容所、とはいわなくても国外退去処分だなどと、まだ共産党中国のコワイうわさもたくさん聞いていたから、最初は偵察をかねて、おとなしく上海、蘇州、無錫、南京をめぐる、よくあるパックツアーに参加することにした。
ネコ大好きおばさんがいっしょに行くことになった。
わたしの海外旅行はこれが初めてだったので、もう何度も海外の経験のあるおばさんがいてくれたほうが頼もしいということもあったのだ。
“ネコ大好きおばさん”では長すぎるので、このブログでは彼女のことを“愛ちゃん”と呼ぶことにする。
便宜上つけた名前ではなく、彼女の本名が愛子というのだ。

問題がひとつあって、わたしは上記のように好奇心に突き動かされての旅だけど、愛ちゃんはわたしと正反対の俗物で、本人にいわせるとフランス料理やワインに詳しいんだそうだ。
そのくせゴダールの映画やモーパッサンはさっぱりという人である。
こういう2人だからあっちこっちで衝突せざるを得なかった。

出発当日に最初の待ち合わせ場所に行ってみたら、愛ちゃんは世界一周でも間に合いそうな、でっかいスーツケースをごろごろと引っ張ってきた。
わたしは旅に出るときできるだけ荷物は軽くしたいタチだから、苦い顔をして、イヴニングドレスの一式まで持ってきたんじゃないでしょうねというと、彼女は、こういう旅行では旅の途中でかならず旅行会社主催のパーティがあります、だから正装も必要なんですという。
中国みたいなチンケな国でそんなものがあるわけないと力説して、もう出発まえからわたしはぐったり疲れた。

ツアーの内容は、上海・無錫・南京・蘇州を見て歩きの4泊5日で、ひとり148.000円というものだった(出発は7月の半ばという暑いころで、おかげであとでひどい目に遭うことになる)。
団体旅行だから、よそからも人間が集まって、総勢は30人ぐらいになった。
このメンバーが成田空港に集結し、迷子にならないように胸に共通のワッペンをつけさせられる。

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成田空港の乗客待合室から目のまえに、わたしたちが乗るはずの中国東方航空の飛行機が停まっていた。
民営化されていくつかに分割した中国の航空会社のうち、東方航空というのは上海を根城にした会社で、わたしはその後も何度か利用した。
見ると鼻のあたりの塗装が色あせていて、垂直尾翼のあたりに引っ掻き傷のような跡がついている。
ダイジョウブかねえといったのは、同じツアーに参加するどこかの知らない人。

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飛行機はほぼ定刻の14時20分に離陸した。
わたしたちは禁煙席をとったつもりだったけど、喫煙席と禁煙席はたてに仕切られており、窓ぎわが禁煙席、中心の席が喫煙席になっていた。
これでは禁煙席でも、場所によってはタバコを吸う人と隣り合わせになってしまい、ひじょうにケムかった。
スチュワーデスの顔は日本人によく似ているものの、やはりどことなく中国人である。
服装は黒の制服に赤いスカーフで、人民服を着ているわけではなかった。
写真は現在の東方航空のスッチーたちと、当時の機内食。
海外旅行がはじめてのわたしに、他社との比較は無理である。

ところでこのブログに載せた写真には、白いふちどりのあるものと、ないものが混在している。
どこかで書いたけど、白いふちどりがあるものはネットで見つけた写真で、そうでないものはわたしが撮ったもの。
いちいち断るのはわずらわしいので、そういう手を使ったんだけど、昨今は著作権のことなど問題にしてはいられないほど、情報があちこちで利用される時代だ。
ネットの写真では、わたしもできるだけ差し障りのないものを使うようにしてるんだけどね。

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2時間半ほどの飛行で上海の上空に到着した。
わたしは大陸中国を生まれてはじめて見た感動を忘れることができない。
眼下に山や森はまったく見えず、運河が四通八達しただだっ広い農地が広がっていて、そのなかに白い壁の民家が散在し、あるいは集落をなしていた。

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