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2023年8月29日 (火)

中国の旅/中山陵

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ホテル金陵飯店の“金陵”というのは南京市の古い雅称だそうである。
こういう例はほかにもあって、紙価を高めることで有名な洛陽は“牡丹城”、このあと行くことになる蘇州は“姑蘇”、なんていう。
わたしはあまり雅な人間ではないから、そんなことはどうでもいいけど、朝おきて窓から市内を眺めてみると、すぐ目の前に大きな空き地があって、そこにもそのうちに高層ビルが建つようだった。
空き地には鉄筋が積まれ、ユンボが一台停まり、労務者が何人か、気のないそぶりで働いていた。
だいたい中国人の朝は早いようで、わたしたちはつねに朝の7時には起こされてしまう(文句をいうわたしがグータラすぎるのか)。

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食堂へ朝食をとりにいってみると、入口に背の高い中国美人が立ってわたしたちを迎えた。
裾の割れたチャイナドレスを着ている。
チャイナドレスは本来はチーパオといって、これまでもホテルやレストランで何度も見かけたけど、その気になればミニスカートなんかよりずっと奥まで足がのぞけてしまう。
だれがこんな微妙な衣服を考えついたのか、ミニほどつつましさを失わず、ミニにも決して負けない色っぽさを発揮できる服を。
チーパオは中国の伝統衣装ではなく、起源については諸説があるようだけど、米映画でもW・ホールデンの「慕情」で、米国人のジェニファー・ジョーンズが着ていたくらいだから、あるていど固定観念が出来上がっていて、そういうものについては屁理屈をいわないのがわたしのブログだ。
ただ日本のコスプレの影響もあるのか、この衣装もどんどん過激になって、つつましさや奥ゆかしさが失われるのは困ったモン。

チャイナドレスを着ている女性は、ほかの従業員に比べても格が上である場合が多いようで、食堂の入口に立っていた女性も態度がどうどうとしていた。
これに比べると男はみじめである。
朝食をすませたあとわたしがトイレにいってみると、入口に陰気な顔をした、若い男性従業員が立っていた。
用を足して出てくるとさっとタオルを渡してくれる。
わたしはちょうど1角(1元の10分の1)の持ち合わせがあったので、さりげなくそれを洗面台の上に置いてきた。

中国では本来チップは不要で、ガイドブックにもそう書いてある。
相手に対して失礼にあたるという人もいる。
だがしかし、そうだろうかと、なにかにつけ疑問をもつのがわたしの性格である。
わたしは本音とたてまえの違いを知っているので、わたしだってチップをもらえないよりはもらえたほうが嬉しいに決まっている。
わたしは中国の若者を見下すつもりで、彼にチップを渡したわけではない。
この就職難の国で、ようやくありついた職業が、まる1日トイレの前に立ち、尊大な客にサービスするだけという若者の境遇にふかく同情したのである。
チップというものは本来、そうした相手に対する思いやりから生じたものではないだろうか。

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わたしたちはエアコンの効いたバスに乗って、この日はまず「中山陵」を見学に行くことになった。
なったなんていうと気楽に聞こえるかも知れないけど、じつは大変だったのである。
ガイドは女性の朱さんで、前日と同じ青い服を着ていた。
暑いですねえというと彼女は、ええ、南京と重慶、武漢をあわせて中国の三大ボイラーといいますからという。
わたしたちは鉄板であぶられながら、他人のお墓参りに行こうとしていたのだ。

バスが中山陵へ向かう途中、わたしは街のなかで、レンガで築かれた3階建てのビルくらいある古い城壁を見た。
城壁といえば西安(かっての長安)の城壁が有名だけど、ここにあったものも高さではひけをとらなかった。
ただし現在では、その大部分が無用の長物ということで破壊されてしまったようで、わたしは南京で城壁を見たのはこのときだけだった。
古いむかしから、中国の街というのは城壁で囲まれているのが普通だったけど、航空機やミサイルの時代になると、レンガの塀などなんの役にも立たないから、交通の邪魔ということになる。
いま城壁とその内部構造がほぼ完全なかたちで残っているのは西安と、山西省にある平遥ぐらいしかない。

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日中戦争の南京攻防戦の写真をみると、街が城壁で囲まれていることがわかるから、機会があるならわたしは城壁を見たかった。
しかし中国人にとってはいまわしい記憶のもとでもある。
犠牲者の数はともかくとして、南京の城壁は南京市民を守るためではなく、かえって逃亡を困難にさせることになった。
だいたい中国の軍隊というのは、むかしから給料が安いかわりに、戦争に勝てば掠奪、強姦お構いなしというものが多かった。
兵士のなかにはそれが楽しみで兵隊になった者もいたくらいだ。
城壁というのは籠城戦でこそ有益なものだけど、いったん穴があくと、かえって籠城した側の逃走を困難にするから、南京でも市民の虐殺は過去に何度かあった。
南京を舞台にした有名な虐殺事件としては、たとえば日本軍以前に太平天国の乱がある。
この乱についてはまたリンクを張っておいたから、各自で勉強するヨロシ。
つぎの3枚の城壁写真は、西安だけがわたしの撮ったもの。

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バスはアーチ型に開かれた城壁の門をくぐって外へ出た。
バスが市中をうろうろするあいだに、女同士ということもあってか、いちばん前でガイドのすぐわきに座った愛ちゃんが、朱さんにいろいろと不躾けな質問をする。
給料はいいんですか。
ふつうの中国人よりはいいそうである。
タクシーの料金はいくらぐらいですかと、これは愛ちゃんのとなりに座ったわたしの質問。
初乗りが15元=400円ぐらいだということだった。
同行のだれかの話では、外国人はすべて予約制になっていて、街で勝手に手をあげても乗せてくれないという。
ホントかどうか試してみたいものだ。

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街にタクシーの数は多く、よく見ると運転手をしている女性もひじょうに多い。
サンタナやシャレードのまともなタクシーだけではなく、街にはオートバイを改造した三輪車や、足こぎ式の人力車も多い。
ああいうのはもっと安いです、ただしボラれる場合もありますと朱さんはいう。
それでもそういう乗りものもすべて認可制になっているそうだ。

南京にも信号機がある。
数は多くないものの、あちこちで見かけた信号機には、そのかたわらに数字が点滅する音量測定器のようなものがついていた。
アレなんですかと訊いてみたら、あと何秒で信号が変わるかを数字で示しているのだった。

中国にも交通違反の取締りはありますかと訊いてみた。
あります、ただはっきりしたルールがないので、罰金まで、みんなお巡りさんが自分の判断で決めますという。
警察官の判断はゼッタイで、うっかりそれにさからうと、ますます罰金が上がるだけだそうだ。
お巡りさんは儲かりますねというと、朱さんは、ええと答えた。
上のほうの人はもっと儲けているんじゃありませんかというと、儲けているかもしれませんね、でも上の人が何をしているか、そんなことワタシたちにはわかりませんね。
開放政策のおかげか、彼女は時おり体制を揶揄するようなことを平気でいう。
ひょっとするともう1人のガイドの王さんは、公安関係の人間ではないかとわたしは疑っているんだけど、朱さんにはそんなもん、屁でもないわというような勢いがある。
王さんがどんな顔をしているか、見ておけばよかった。

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「中山陵」に着いた。
ここは新中国の父と呼ばれる孫文をまつった陵である。
孫文の辛亥革命こそが現代の共産党中国の始まりでしたと、そんな説明が朱さんからある。
孫文を知らない人はいないだろうけど、これもいちおうウィキペディアにリンクを張っておく。
司馬遼太郎にいわせると、百戦して百敗した人だそうだ。
ガイドの朱さんも、こころから孫文や共産党を尊敬しているわけではなさそうだった。
共産主義の国でもたいていの場合、国民はお上を信頼していないことが多いのは、ソ連東欧の混乱の時に証明済みである。
中山という呼称は道路の名前などでよく使われていて、なにか意味はあるのだろうかと調べてみたら、競馬場という答えがヒットした。
これは大陸中国では孫文を意味し、台湾では蒋介石の呼称である中正が使われる。
“中”という字は中華の中だから、なにかエラい意味があるのだろう。

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孫文は始皇帝や楊貴妃より新しい歴史上の人物であるから、中山陵も日本の新興宗教の総本山のように新しい。
ま新しい壮大な石門をくぐると、392段の石段がある。
登るだけでそうとうにくたびれるので、途中にいくつかの踊り場があり、そこに土産もの屋などが出ていた。

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最上段の霊堂に孫文の石像と遺体が安置されているという。
ここは土足で上がってはいけないというので、靴をつつむビニール袋がくばられた。
死者は土に還るべきなのに、レーニンの遺体といい、スターリンといい、共産主義国家は無慈悲なことをする。
エジプト王朝と違って、こちらでは政策上の都合で死者をいつまでも飾っておくのである。
ま、観光資源として、死後も国家に奉仕していると思えばいいか。

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ヘソ曲がりのわたしは死体を見ても仕方がないというので、さっさと霊堂を素通りして、石段の途中の踊り場で屋台の土産もの屋をのぞいてみた。
あまりおもしろいものはなかったけど、ある店では紙につつまれたお菓子のようなものが売られていた。
食べるものならなんでも関心のある愛ちゃんがこれを買ってみた。
包装からするとビスケットか薄い粉菓子のように思えたのに、これはお菓子ではなかった。
こげ茶色をしていて、どっちかというとぱさぱさしたチーズか、サラミソーセージのようなものに近い。
そしておそろしく不味かった。
もてあました愛ちゃんは、これを同行の人々に配ってしまった。
みんなさぞかし迷惑しただろう。

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